2017/08/09

暢気眼鏡

暢気眼鏡(新潮文庫)
暢気眼鏡(新潮文庫)
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新潮社 (2016-03-11)
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kindle版
■尾崎一雄
単行本『暢気眼鏡』は砂子屋書房から1937年(昭和12年)8月に上梓され、同名小説集により第5回芥川龍之介賞受賞。
のち新潮文庫、角川文庫。
今回読んだのは新潮文庫版電子書籍で、
この作品は昭和二十五年一月新潮文庫版が刊行され、昭和四十三年九月編集を変えた改版が刊行された。
とある。
昭和25年は1950年。
この新潮文庫版の収録作品の書かれた年月は実に30年にも亘っている。
初期短編集を読むつもりが、アテが外れた。
(岩波文庫版は『暢気眼鏡・虫のいろいろ』15篇収録とあるから収録作品が新潮文庫版と異なるようだ。)

【目次】
初出が載っていなかったので「芥川賞のすべて・のようなもの」さんを参照した(メインの「直木賞のすべて」もいつも興味深く拝見させてもらっている)。
記載がないものはインターネットでは初出が追いかけられなかった。図書館へ行って全集にでもあたれば一瞬でわかるんだけど。

」初出「作家」昭和8年/1933年8月
暢気眼鏡」初出「人物評論」昭和8年/1933年11月号
芳兵衛」初出「行動」昭和9年/1934年5月号
擬態」初出「早稲田文學」昭和9年/1934年11月号
父祖の地」初出「早稲田文學」昭和10年/1935年6月号
玄関風呂」初出「早稲田文學」昭和12年/1937年6月号
こおろぎ」1946 
痩せた雄鶏」1949
華燭の日」1957
退職の願い」初出「群像」昭和39年/1964年8月号

上記に上げた「芥川賞のすべて・のようなもの」さんでわかったのだが、砂子屋書房版の『暢気眼鏡』は全9篇で以下4篇が収録されていたようだ。改版後新潮文庫版には収録されていない。
砂子屋書房版(暢気眼鏡/猫/芳兵衛/ヒヨトコ/世話やき/擬態/燈火管制/父祖の地/五年

ヒヨトコ」初出「木靴」昭和10年/1935年10月号[創刊号]
世話焼き」初出「文藝」昭和9年/1934年10月号
燈火管制」初出「浪漫古典」昭和9年/1934年11月号
五年」初出「早稲田文學」昭和11年/1936年1月号


「退職の願い」は先日読んだ『まぼろしの記・虫も樹も』 (講談社文芸文庫)にも収録されていた。

「まぼろしの記」にあった、理不尽な若い死への憤りみたいなののもっと傷口の若いものを読みたくて初期作品集である本書に手を伸ばしたのだが、本作品集にはそういう「死」を扱ったものはひとつも無くて、アテが外れた(2回目)。

「まぼろしの」で描かれた奥さんと「猫」「暢気眼鏡」「芳兵衛」で描かれる若い日の奥さんの像のあまりのギャップに目を丸くしつつ。
なんというか、幼稚過ぎというか。著者自身も結婚したての頃の妻を「反常識」と何度か書いて、だからこそ「ネタ」にしているんだろうけれども。喋り方にあんまり品性とか知性というものが感じられない。昭和一桁の女学校出ってこんなもの? ちなみに年齢は19歳とある。女学校を出て東京に出てきて、友人が嫁いだ先に遊びに行ったところ、友人夫の友人であった著者(31歳)と出会ったんだとか(本書の記述に拠る)。
もっとも著者のほうも当時はなかなかのダメ人間ぶりで、昔の小説家は食えなかったというが、それを地で行く感じ。
総合的に見て、一回り以上も年上の尾崎が圧倒的に悪いんだよね。尾崎が強いた生活環境が滅茶苦茶不安定だから、幼い奥さんが不安になって、不必要に怖がったり、精神状態が落ち着かなかったわけだから。
すべて著者の作品に書いてあることからの感想で資料にあたったわけでもないので脚色もあるのかもだがどうやら志賀直哉に師事しただけあって「実際にあったことをありのままに書く」タイプの私小説家だったようだし、複数の作品で同じことが書いてあるから実際もほぼこのままだったのではないか。

御尊父は真面目で敬虔な方だったようで、40代で亡くなってしまわれたが財産もそれなりに残してくれたらしい。が、作家志望を反対していた父親が死んでしまったのをさいわいと法政大学から早稲田高等学院に移り、文学活動などで散在し、早稲田大学に進学。弟妹の学費なども要ったこともあり、財産を使い果たしてしまった。母親からの手紙は読まずに焼き捨て、結果、生家を手放さざるを得なくなった。また、母親の反対を押し切って最初の結婚をしたがこれも数年で破綻し、最後は暴力をふるったりし、放り出して奈良(当時志賀がいたため)に8カ月くらい逃げて、その後東京に戻って関係を清算。その半年か一年くらい後に(作品によって期間が異なる)山原松枝(作中では「芳枝」)と会って結婚はもうしないつもりだったが、腹を括って結婚(これも家族に断りなく、相手の家族にも事後承諾)、妻の着物は質屋に持って行って食べ物に代える、家賃は何カ月も滞納という貧乏ぶりで、しかし芳枝が子を欲しがった為に妊娠、産婆に診せる金もなかったがいよいよ出産というときになって滞納の為部屋は追い出され友人の借りている貸家に転がり込み、産婆は陣痛が始まってはじめて呼んできて周囲から借りたお金でなんとか……という感じ。本人たちはそれこそ暢気に「なんとかなるもんだなあ」という感じだが、読んでいる側は「よくなんとかなったもんだなあ!」と驚いてしまう。こんなのの奥さんはとうてい務まらないわ…。大変だなあ。

さいわいなことにそのへんの顛末を書いた「暢気眼鏡」が芥川賞を受賞して、作家として認められたとこらへんから段々生活がまとまっていったのだろう。
著者には長女・長男・次女の3人のお子さんがいるが、本当に貧乏な中産まれたのは長女だけだというような記述がある。長女と長男は3歳、長女と次女は9歳離れている。
「華燭の日」はその長女が23歳で嫁ぐ前後のいわゆる「花嫁の父」の心境などが描かれており、にわか読者のこちらですら「よくぞ、まあ、ここまで」という感慨があるくらいだから、著者や奥さんにいたってはどれほどこみ上げる思いがおありだったろう。

「暢気眼鏡」の最後に井伏鱒二と交わした会話の描写があって、「へえー」調べたらほぼ同い年だもんねえ。井伏先生の天然(?)ぶりが窺えるエピソードで微笑ましい。
「うちでは玄関で風呂をたてているよ」
ある時井伏鱒二にそう云ったことがある。すると彼は目を丸くして、
「君のとこの、玄関は随分たてつけがいいんだね」と云った(たてつけに傍点)。これには、こっちが目を丸くした。
また、同じ話の最初の方に【『早稲田文学』の用で、谷崎精二氏が見えた】という記述がある。ん?と思ったら谷崎潤一郎の弟で、やはり作家で英文学者なのだった。谷崎については代表作をいくつか学生時代に読んだことがあるくらいなので弟さんについては知らなかった。

「早稲田と文学」のプロフィールが同人活動について詳しいのでその部分を引いておく。
高等学院在籍中「学友会雑誌」に作品を発表。国文科に進み村田春海・山崎剛平・小宮山明敏らと同人誌「主潮」を創刊。「文芸城」「新正統派」と次々同人誌の創刊に参加。昭和12年(1937)『暢気眼鏡』で,芥川賞受賞。戦後、尾崎士郎らと「風報」を創刊。

あと、書き留めておきたいのが著者の女性に対する目の鋭さというか、怖がる女性の分析がなかなか面白い。「猫」から引く。
芳枝の臆病さや甘えや見得からでないことをよく知っているので
「あたしは本当にビックリしたんだよ」泣き声を出した。
私は大分腹が立って来た。然し怒り飛ばす気にはなれず、為方なく、
「君みたいのは、少し気障だぜ」と出来るだけ冷淡に云った。そう云う意味が芳枝に通じるとは勿論思っていないのだ。
本書収録ではないが「朝の焚火」で
やはり、見栄でばかり怖がったり、殺すのを厭がったりするのではないらしいな、と思った。

つまり「見栄/見得」で怖がったり驚いたりする「気障」な女の媚態にウンザリしていたんだろーなー。はっはっは。こういう女性のやり口は知っていたがこれを「見栄」と表現しているのが珍しくて新鮮な気がした。現代では「ぶりっこ」とか云うかな?