2017/08/07

まぼろしの記・虫も樹も

まぼろしの記・虫も樹も (講談社文芸文庫)
講談社 (2014-04-11)
売り上げランキング: 57,319
kindle版
■尾崎一雄
昔日の客』に名前が出てきた作家。
尾崎一雄。
1899年(明治32年)12月25日 - 1983年(昭和58年)3月31日。

目次】&初出
「まぼろしの記」・・・「群像」昭和36年8月号。昭和37年(1962年)度、第15回野間文芸賞受賞。
「春の色」・・・「群像」昭和37年9月号
「退職の願い」・・・「群像」昭和39年8月号
「朝の焚火」・・・「文芸」昭和40年1月号
「虫も樹も」・・・「群像」昭和40年8月号
「花ぐもり」・・・「新潮」昭和41年5月号
「梅雨あけ」・・・「群像」昭和41年9月号
「楠ノ木の箱」・・・「新潮」昭和43年1月号

だいたい著者が62歳~69歳くらいのときに書かれたものということになる。
随筆のように読める作品集だったが、ウィキペディアによれば【上林暁と並んで戦後期を代表する私小説(心境小説)の作家として知られる。】とあるから、これは私小説として読むべきものなのか。

それにしても、狭い村うちに、いろんなことがあるものだ。私がここへ引込んでから十六年――もうそんなになったか、とも思うが、本当は大した月日じゃない。その間に、何か事が起こらなかった家というのは捜すほどしかない。

「ここ」というのは郷里の神奈川県小田原市曽我原(下曽我)のことらしい。
志賀直哉に師事したそうで、本書でも二十歳過ぎの頃、当時奈良の高畑にいた志賀を頼って奈良市浅茅ヶ原に居を構えた時期があったという話が出てくる(文中ではイニシャルN・S表記)。

本書には夫人も多く登場するが、結婚前に人妻と懇ろになっていたりしたというような描写が何度か出てきて、その前に幼馴染みが結婚する前にただならぬ仲になったという話も出てきて、ややこしい女性関係ばっかりするひとだなあという感じ。
奥さんとはいつ? と思ってググったら【1931年金沢の女学校を出たばかりの山原松枝と結婚。】とあるから32歳のときに若い奥さんをもらったわけだ。散々いろいろやった末にまあ……よくある話だけど。

学生時代に結核をやったり、父親をその直前に47歳で亡くし、弟や妹、第二子を亡くしていて、本書ではそれらの死についての言及がしばしばある。そして同時に父親が若くして亡くなったから、自分もいつまで生きられるか――という思いでいたことも書いてある。

この世には、われわれの願いや祈りの一切を冷然と拒否する何者かがあるのではなかろうか、若し神というようなものがあるとしたら、正しくそれに違いない――そんな考えが、私の中でぼんやりとながら形を見せ始めたのは、この妹の死に逢ったときだった。
(中略)
それが、死んだ。いや、殺された。何者とも知れぬ理不尽な奴の手で!
(中略)
爾来、この齢になるまで細々とながらものを書きついできたわけだが、書くものの基調は、最初の短篇小背のそれから脱け出ていない。いや、脱け出すことが出来ないのだ。何故なら、あの「理不尽な奴」の顔かたちが、今に至っても一向にはっきりとせぬからだ。何といまいましいことか!

このへんの激しい思い、自分より若い親しいものが為すすべもなく死んでしまうことへの深い悲しみと絶望には深く心を打たれた。もう何十年経っても、その思いはやりきれないままなのだ。
このひとの、最初に書いた小説、若いころの作品も是非読もうと思った。

本書が書かれた時点で60歳を越しておられるが、若いころ病気をしたときは周囲から「父親の年齢まで生き」るんだと励まされたり、44歳のときに病気をして医者から奥さんに「二、三年は保つでしょう」と云われたりもしている。そんなだから父親の年齢を過ぎた後にも【ひそかに「生存五カ年計画」なるものを立て、固く己れのペースを守ることにした。】というように気を配っていたようだ。

まあ若いころから体が丈夫でなく、若くして父親を亡くし苦労をされて、女性関係もいろいろあって、しかしなんとか還暦も数年過ぎてどうやら夫婦とも元気にやれている――そういう「現在」の近所の様子や人々のうわさ、出来事、庭の植木の話、植木にたかる何百匹という毛虫を退治する日々の話からはじまって、過去の思い出話なども語られていく。

毛虫の話はよく出てくるから、虫のことは読むだけでも駄目、という方には結構キツイかもしれないがまあ、それだけの本でもないので――。

現代人は語彙が減った・少ない、といわれるが、本書を読んでいるとあんまり普段つかわない言葉がちょくちょく出てきて、電子書籍の気易さで辞書で調べたりして感心しながら読んだ。
特につかわれている言葉が美しいとか、美麗とかいうわけではない。「あんまり、平成の作家の本を読んでいて御目にかからないかな?」と感じただけだ。
「扱(こ)ぐ」「閑寂」「退治る」「顧慮」「狡兎死して走狗煮らる」「蟠踞」等。

このひと何歳で亡くなられたのかなと読書中気になって引き算をしたら84歳。お父様よりもだいぶん長生きされたようだ。