2016/06/30

タイム・マシン ウェルズSF傑作集1

タイム・マシン ウェルズSF傑作集
東京創元社 (2012-10-25)
売り上げランキング: 6,403
kindle版
■H・G・ウェルズ 翻訳:阿部知二
先日kindleのセールで安かったので購入した。
短篇5つと中篇1つ。
ウェルズの作品は子どもの頃に読んだことがあったかもしれないが、大人向けのは記録に取ってない大昔に『透明人間』は読んだことあったかなあ…(曖昧)。セイント『透明人間の告白を読んだときに比較している感想が残っていたので既読なんだろうなあ。でも本書は初めて読んだと思う。
「いまさらウェルズか~そりゃSFの祖だけど…古いんじゃないかな」と思って今まで読まずに来たのに読んでみたら全然古くなくてすんごく面白かったのでびっくりした!(翻訳はさすがに少々古いかなと思ったけどそれも気にならない程度)。もっと早く読んだらよかった、まあ今でもいいんだけど。
戦前にこんなこと考えてたなんてウェルズってやっぱ凄ぇえええ! と感動した。

「塀についたドア」★★★★★
早々にオチは読めたが、そこをもっとはっきり書くのかと思ったら案外ぼかしてあった。こういう話好き。面白いなあ。まずシチュエーションが良いよね。白い塀があって、紅色のツタがはっていて、緑色のドアがある。なんという美しいコントラスト。そんなの絶対開けたくなるよ~。むしろなんで2回目以降は開けなかったの?って思うけど現実の日々の忙しさの中でそこでロスする時間を考えて開けられなかったというのがすごくリアルでもある。自分でもそうなるかな、って思う。なんかこういうの星新一っぽいって思う。ノートの中に彼の現実が(過去の日々が)見えた、っていうのも面白い~。
「奇跡をおこせる男 ―散文詩―」★★★★
その準備もなく心構えもない人間が突然超能力を手に入れたらどうなるか、という展開が大変リアルで面白い。地獄に行かされたひとはどんな恐ろしい目に遭ったんでしょうね。怖すぎるわ。んで遠くの町にいきなり戻すとか。発狂しなかったかなあ。早く助けてやれよ、と気をもんでるのに…。地球に自転をやめよと命令したあとの現象が無茶苦茶面白かった~!
「ダイヤモンド製造家」★
錬金術といい、ダイヤモンド製造といい、まあ、こんなもんでしょうな。
「イーピヨルニスの島」★
イーピヨルニスという生物の造詣がすごく面白かった。でも探検隊の給料云々の部分は、要るかなあ。あと未知の太古の生物の卵を食べるとか絶対無理。しかも生とか。うええええ。
「水晶の卵」
水晶の真実(?)の設定は良かったが、古物商の店主および妻などの設定が不愉快でそちらに半分以上気をとられたのが惜しかった。なんで売りたくないものを店先に出しておくんだ、客に聞かれた時点で「売り物じゃないんですよ」と何故言わない?とか苛々させられた。後添えの妻は傲慢で貪欲だし。せっかくの水晶の面白設定が濁るわ。
「タイム・マシン」★★★★
いままで読んだSF物で未来を扱ったものはいくつもあったが、せいぜい何千年か未来程度で、この作品の4章で「八十二万二千年後の」と出てきたときは目を疑って何回も見つめてしまった。うわあ!凄い!82万2千年後と来たよ!
そういえば過去に遡るのは恐竜がいた時代に行ったりしてそれはそれこそ何億年前、とかの世界だからスケールが違うんだけど、でも過去のことは歴史とかで習ってるから「創作」するにも「事実の下地」があるもんなあ。とっかかりというか。それに比べて未来のことは完全に創らないといけない。だいたい82万年後とか言われたって全然ピンとこないし、「人類いないんじゃないの?」とかすら思っちゃう。
82万年後の人類がどうなっていたかとかいうのはその「年」について驚いたこと以上のものは無かったんだけど「共産主義」がこの時代としてはまだ未来的なものとしてとらえられていたというのは別の本でもちらっと読んだことがあったし、ふーんこういうところで出てくるのかと思った。地上と地下の人類の設定はなかなかショッキングだ、というかいろんな後発の物語の原点がここで既に書かれていたんだなあ!最後のウィーナの扱いの雑さにはちょっとうーん。
そして終盤になると82万年後で驚いていたのが今度はさらに進んで何百万年後(具体的数字はなかったけどその時間移動の速さの描写などから少々の移動ではなくかなり思い切った年数の移動だと思う)、果ては3千万年後の地球まで出てきたのにはわくわくするもどこか恐ろしいような気持ちに。描写は美しかったけれどそこに人類がいられるのだろうかという恐怖が一番にきた。だいたいこのタイム・マシンは車でいうところの屋根が無い乗り物でしょう。シートベルトの描写もないし。よくこんな無防備に何千万年後とかに行けるもんだわね。空気ないかもとか地球がないかもとか想像しなかったのかなあ。
まあとにかく予想以上にすんごく面白い作品集だった。ウェルズ天才っていうのは本当だなあ(今更何言ってるんだろうね!)。

2016/06/28

洋食屋から歩いて5分

洋食屋から歩いて5分
洋食屋から歩いて5分
posted with amazlet at 16.06.28
東京書籍 (2015-03-13)
売り上げランキング: 5,760
kindle版
■片岡義男
初・片岡義男。
たぶん恋愛系、小洒落た雑誌にカラー付写真と共に短い文章を載せているような作家――というイメージがあるのだが実際のところは間違っているかもしれない。まあそんなこんなで守備範囲外だろうと読まずにきた。
今回はAmazonのオススメで上がってきて、ごはん・料理ネタエッセイらしいタイトルで、単行本価格は¥1,404だがkindle版では¥561円という半額以下になっていたので試しに手を伸ばすには気易かったこともあり。

途中で著者についてあらためてググったりして確認したが読みすすむと結構プロフィールがわかる内容でもあった。1939年3月20日生まれ。幼い頃に疎開のために山口県の岩国で暮らした。祖父がハワイに移民して、父親は日系二世ということで、【英語しか理解していない人だった僕の父親】と書いてある。ご母堂は日本語を話された。そんな環境で育ったので、英語と日本語両方で考えたり喋ったり出来るバイリンガルとなったらしい。

1冊のエッセイを読んだだけでは多くはわからないが、わたしが漠然と抱いていたイメージはそう間違いでもなかったかなという感じだ。恋愛系。恋愛体質。本書だけで「妙齢の美女」「白い指」が何回出てくるか。これは近著なので掲載は2004年~2012頃(2009年以降がほとんど)なのだがまだまだ関心は衰えずといった風情。なお、「妙齢」は若い女性のことを指す日本語だが、本書での使われ方は【年齢不詳という佳境にさしかかっているがゆえに、妙齢という言葉がまさにふさわしくなっている美しい女性】【僕、そして僕より十歳年下の男性、さらに十歳下の、おなじく男性、そしてもう一度さらに十歳だけ年下の、僕たちは妙齢と言っている女性。】というふうになっている。このエッセイ「コーヒーは俳句を呼ぶのか」は2011年掲載。ざっと72歳。72-10-10-10=42歳ということになる。辞書的に「妙齢」かというと国語のテストでは不正解となると思うが72歳から見たら42歳はまあ若いんだろう。

1966年頃(26歳だったと書いてある)田中小実昌(1925年生まれ・当時41歳くらい(!)か)に誘われて船橋の小劇場に行ってそのあとで寿司を食べ、歌舞伎町でスナック(というのだろうか)を何軒もハシゴしていよいよ全部看板になって帰るのかと思いきや始発までの時間一軒の店に入って味噌汁など飲んで時間をつぶす話が面白かった(「コーヒーに向けてまっ逆さま」:書き下ろし)。
本書のエッセイは掲載誌もばらつきがあり、長さも短いのやちょっと長めのやいろいろだ。若い時(1960年の終りか1970年頃)に吉行淳之介(1924年生まれ)との対談に呼ばれたときのエピソードもくだんの作家の人柄の一辺を知れたようで興味深い(「定刻に五分遅れた」)。
驚いたのが「こうして居酒屋は秋になる」は品書きに続き、【夏の初め、一軒の居酒屋を僕は発見した。】と書いてあり、さぞいろんな居酒屋に行きつくした末にちょっと良い自分だけの店を見つけたという話かと思って読んでいるといきなり【この居酒屋は僕の人生にとって最初の居酒屋だ。】と書いてあったこと。ええと、この回の初出は2011年だ。最近じゃないか…!
文藝春秋webにもそれについてのコメントがあり、やはり間違いではないようだ。ほえー。それまではスナックとかバーとかで飲んでらしたんでしょうね。逆にわたしスナックもバーも入ったことありません。
料理本の思想」の紹介の仕方は買いたくなる。「弁当の秋」に『おべんとうの時間』が出てきたのでおお~と嬉しくなった。このひとの本の紹介の仕方さりげなくってピンポイントで要点ついてて、良いなあ。

目次よりも後の初出一覧から写した方が面白いのでそっちから写す。
いつもなにか書いていた人「AZUR」2010February
残暑好日、喫茶店のはしご「日本経済新聞」2009.9.13
彼女と別れて銭湯のあと餃子「Coyote」
トゥナ・サンドイッチにコーヒー、そしてエルヴィスの歌「AZUR」2011
撮りそこなったあの雨の日 「AZUR」2011December
トマトを追いかける旅「AZUR」2011June
冬の寒さのなかを、ずっと遠くまで「四季の味」2011冬号
風船ガムを求めて太平洋を渡る「AZUR」2009December
2011年外国旅行おみやげめぐり「AZUR」2012February
いきつけの喫茶店について 「AZUR」2011August
一杯だけのコーヒーから「四季の味」2012夏号
料理の思想「THE NIKKEI MAGAZINE」92号 2010.12.19
洋食屋から歩いて五分で古本屋「AZUR」2011October
栗きんとんと蒲鉾のあいだ「酒林」第83号2012.1.1
こうして居酒屋は秋になる「四季の秋」2011秋号←電子書籍ママ。「四季の味」の誤植かなあ??
まず一杯の水をテーブルに「四季の味」2011夏号
コーヒーに向けてまっ逆さま 書き下ろし
定刻に五分遅れた「酒林」 第82号2011.11.1
醤油味への懐疑の念とは「四季の秋」2012春号←と思ったらまた出てきたからこういう雑誌があるのかな?検索しても見当たらないのでやっぱ誤植かなあ。
弁当の秋「THE NIKKEI MAGAZINE」90号2010.10.17
東京はなにの都か「THE NIKKEI MAGAZINE」84号2010.4.18
湯麺がひとつ本棚にある「AZUR」2010October
旅先にうまい水あり「AZUR」2009October
旅は日曜日に始まる「AZUR」2011April
かき氷は食べましたか 「AZUR」2010
「スキヤキ」の次は「スシ」だった「酒林」第78号2009.11.1
鮎並の句を詠む「先見日記」2004.3.23
コーヒーに俳句が溶けていく「公明新聞」2010.1.31
コーヒーは俳句を呼ぶのか「酒林」第81号2011.1.1
知らない町を歩きたい「AZUR」2011February
追憶の春、現在の春「四季の味」2011春号
数の迷路を旅する「AZUR」2010April
真夜中にセロリの茎が 書き下ろし

※「AZUR」年号の後に月表記が無いものが数件ありました。

四季の味 2016年 07 月号 [雑誌]

ニュー・サイエンス社 (2016-06-07)

船の旅 AZUR (アジュール) 2011年 12月号 [雑誌]

東京ニュース通信社 (2011-10-22)

2016/06/27

三の隣は五号室

三の隣は五号室
三の隣は五号室
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長嶋 有
中央公論新社
売り上げランキング: 21,141
■長嶋有
紙の本。単行本。

‏2016~1966年の計50年の間に第一藤岡荘の五号室に住んだ、13世帯のそれぞれの日常の断片シーンが時系列ごちゃまぜであるテーマごとに描かれていく不思議な小説。実験的というか、どういう読後感になるんだろうかという自分でも予測不可能な感じで読んでいったが最後まで読むと何故かしみじみとした感慨を覚えた。人間の日々の営みの蓄積を読みこんでいくうちにそうなったんだろうか。別に誰かに肩入れとかはない。五号室の住人がメインだが、他の部屋の住人やタクシーの運転手なども出てくる。

装丁(大島依提亜/装画:田幡浩一)が素晴らしい。
装画はそんなに惹かれるものはなく、最初地味な装丁だなと思ったのだが、カバーの下が端からチラ見えるのだけどそれが妙にツルツルしたベージュ色で、カバーをはがしてみたら家具によくある合板のあの木目調になっていて、真ん中にまた装画があって、こちらはカラーなのだった。ほんっとつるつるで面白くて思わず撫でてしまう。図書館本だとカバーは外されるからこのギャップみたいなのが伝わらないんだろうなあ、などと余計な心配(?)も。まあカバー外してびっくり、の最初は東野圭吾『秘密』だったけどね…あれも「地味な表紙だな」と何気なく外してびっくりした。
あと、表紙開いてすぐ飾り表紙とか中表紙も目次も無くていきなり本編がはじまっていて、そういうことなのかなと思っていたら第1話が終わったところで黄緑色の中表紙が出てきたので「おー、プロローグじゃなくて第1話だけどこういうのやるんだ」と面白がった。映像作品ではお馴染みの手法、アバンタイトルとか云うらしい。これも装丁の一環らしい。本づくりって面白いなあ。しかもその裏に見取り図が。おお、文章で頭の中で作っていたけどこれは親切だなあ。そしてこの後にようやく目次が出てくる。
第一話 変な間取り
第二話 シンク
第三話 雨と風邪
第四話 目覚めよと来客は言った
第五話 影
第六話 ザ・テレビジョン!
第七話 「1は0より寂しい数字」
第八話 いろんな嘘
第九話 メドレー
最終話 簡単に懐かしい

ツイッターから関連個所をコピペ。
【長嶋有情報 ‏@nagashimajoho 6月20日
当初、大島さんは硬い表紙をめくったすぐの、その硬いところからもう第一話を始めたらとアイデアを出しました。それを受け、第一話の冒頭の三輪密人のくだりを長嶋は加筆したのでした(硬いところを文章がまたいだ方が面白いと)。諸事情で叶わず残念。

大島依提亜 ‏@oshimaidea 6月20日
その他、『三の隣は五号室』に出てくる変な間取りの一室よろしく、造本の資材としては普通だけどややズレた使い方で変に見えれば良いなという地味な試みをコソコソやっているので(田幡さんの巧みなブレの力を最大限にお借りしつつ)本屋さんでチェックしてみて下さい。

長嶋有情報さんがリツイート
大島依提亜 ‏@oshimaidea 6月20日
自明のことなのかもしれないのだけど、映画におけるアバンタイトルのあり方はまさしく映画を包む装飾要素なのだなと、本の装丁をしていて気づかされたのでありました。

長嶋有情報さんがリツイート
大島依提亜 ‏@oshimaidea 6月20日
映画のアバンタイトルのような流れを小説の装丁で試みれないものかと『三の隣は五号室』では、前見返しのみ本文用紙と共紙にし、唐突に本編を始めて、本扉の位置はしかるべきところに…というような構造にしているのですが、はたして伝わるかどうか前もって読んでしまっている自分にはわからず。】

内容は、ストーリーらしきものが無くて、だから「アラスジ」とかが非常に書きにくい話だと思う。
時系列順じゃないので最初のほうで「こうだった」と大まかに書いてあったことが、読み進んでまさにその「当時」のときに話が巡ってきたときにはじめて詳細が語られる、みたいなことが何度かあって、頭の中にこの部屋で起こったことが少しずつ積み重なっていく、そしてより詳細な描写がでてきたときに情報が上書き挿入されていく。
登場人物の名前が済んだ順番に数字の絡んだ苗字と名前になっているのでわかりやすいが実際にはこういうことは有り得ないのでまったく「小説的な」記号に徹されているのかもしれない。
この小説は「アンデル」創刊号から連載されて、創刊号と第2号は電子書籍で既読だったのだが単行本で読みはじめて2人目の登場人物が出てきたときに「四元志郎」だったので「あれ?」と確認したら「アンデル」のときは「四谷光」だった。より数字の強調された名前になっていて、著者の思惑がくっきりした。

大家の息子の大学生の一人暮らし。夫婦者とやがて生まれる子ども。大学紛争に絡んだ非合法っぽい人間。単身赴任の中年男(2組)。商売をたたんで隠居生活になった夫婦。失恋して同棲先から引っ越してきたOL。高校卒業と同時に一人暮らしをはじめた女子大学生。定年退職後のハイヤー運転手…。

ストーリーが無いので、場面・住人についての描写が変わるごとにぷつんぷつんと切れていく感じでふつうに長篇小説を読むようなどんどん加速度をつけて物語に入り込んでいくふうにはならなかった。集中して読まないと頭の中にきちんと整理整頓されていかない。順々に、わかっていく。だんだん感情移入していく。誰か個人の登場人物にというよりは「五号室の住人」ひいては「生活しているいろんなひとびと」という大きな漠然としたくくりに対して。

ほとんどはごく一般的なひとだったのだけど一人だけ、過去に殺人を犯したことがあり、五号室に非合法の物を預かっていて、20年後に「射殺され」る登場人物がある。社会派ミステリの主人公になれそうな設定だがこの話ではほとんど詳しく描写されない。なんでこんな設定の人間が紛れ込んでいるのか、1/13人の中に存在するというのは確率としても凄いと思うのだが。無線の大きな三角アンテナを張った人物もよくわからない。

五号室に暮らしたひとの名前。なお、「ダヴァーズダ」を検索してみるとペルシア語で「12」دوازدہ / davāzda だった。さっすがー。

1:藤岡一平 1966-1970(大家の息子・初代住人)
2:二瓶敏雄・文子・環太 1970-1982(環太はこの部屋で産婆によって生まれ、中学生に進級する年に引っ越す)
3:三輪密人 1982-1983
4:四元志郎 1983-1984(単身赴任①)
5:五十嵐五郎 1984-1985
6:六原睦郎・豊子 1985-1988
7:七瀬奈々 1988-1991
8:八屋リエ 1991-1995
9:九重久美子 1995-1999
(9と10の間にリフォームが入る)
10:十畑保 1999-2003(単身赴任②)
11:霜月未苗・桃子 2004-2008(桃子は居候)
12:アリー・ダヴァーズダ 2009-2012
13:諸木十三 2012-2016(最後の住人)

2016/06/23

明日の空

明日の空 (創元推理文庫)
明日の空 (創元推理文庫)
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貫井 徳郎
東京創元社
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kindle版
■貫井徳郎
本書は2010年5月集英社刊、2013年4月創元推理文庫刊の電子書籍版である。昨日のAmazon日替わりセール対象品で、レビューを見たら「ポップ」だとか「さわやか」だとか「明るい」などと貫井徳郎の作品イメージから180度異なる感想が並んでいたので興味を持って読んでみた。

わたしは氏の作品で既読なのはデビュー作の『慟哭』『迷宮遡行』の2作のみなのだが、あんまり読んでいない理由のひとつが「貫井徳郎の小説は深刻。暗いし重いから気軽に手を出しにくい」というものだったから。

中篇くらいの長さで(kindleの総ページ数が2255)、軽いタッチだったのであっというまに読めてしまう。
読んでみての結論だが、たしかにまあ、明るさもポップさも爽やかさもあった。でもどこかいびつ。そして暗さや重さがそのすぐ裏にきっちりある。

ミステリーで、本書はどんでん返しがポイントの作品なのでネタバレは避けたいので詳しくは書けないが、そもそもいろんなことが不自然なのだ。「偶然」は事実ならまあ「小説よりも奇なりね」と驚いていればいいのだがそれを「驚くことが前提の本格ミステリ」で複数回使われるとちょっと興醒めしてしまう。

一応ツッコミどころはネタバレともかぶるから白文字。未読の方はスルー推奨。この作品の批判は受け付けない、という方もお読みにならないでください。
ずっと尾行しているわけではないのにたまたまタイミング良く度々肝心なところで遭遇できる、とか、たまたまクラスメイトの某が密談しているところを見掛けた、とか、某が気を配っていた人とたまたまその親友が同じ大学にいてたまたま出会う(入学式を午前と午後に行うようなマンモス校において)とか。
他にも携帯電話への細工を同じ人物に対して(途中からは警戒しているだろうに)そう何度も出来るのか、とか。
そもそも顔が似てるからって服装や髪形が違う人間を同じ人間だと誤解することもピンと来ないし、まあ仮にそういうことがあったとしても実際に当人が真摯に対応し、「違うよ」「その街に行ってないよ」と言っているのに「じゃあ似てる別人だったのね」と思わずに「裏表があるのね」と言い放つクラスメイトってひどくないか。
あと、Aの正体がそうならば、そのことについてクラスメイトとの会話で一回も出てこないというのは不自然すぎる。
いろいろ、無理があるなあ、と思ってしまうのだ。
主人公が可愛くて帰国子女で頭が良くて性格も良くて両親が裕福、という「どこの少女漫画?」っていうくらい設定が盛られているのもラノベじゃあるまいし、と思ってしまう(何かストーリー的に必然性があるのかと思ったら何も無かった)。

まあ、こういうタイプの小説は細かいことは気にせずにエンタメとしてさらっと読んでさらっと楽しめばいいんだけどね。実際興味を引かれてどんどん読んじゃって面白かったので作品のレベルは決して低くないと思う。
それにしても主人公が大きなトラブルに2回巻き込まれかけるのは両方こちらには落ち度が無くて、相手の人間性が腐っていたというパターンだったので嫌な気持ちになる。もっと警戒心持って疑わないといけないってことかもだけど高校生や大学生になりたての女の子にそれはないよなあ。怖いわあ。そしてそれを助けてくれた存在がまた信じられないくらい善人だという…。彼の残した言葉からこの本のタイトルは取られている。
なんか、極端に嫌なものと、善いものをいっぺんにわーっと持ってこられたって感じでフクザツな読後感だった。
でもこれはわたしが素直でないだけのようで、読書メーターなどを見ると感動して泣いてしまったり爽やかさに胸打たれたりしている読者が少なくないようだ。十代で読んだら、また違ったのかもしれないな。

2016/06/22

なんでもない一日 シャーリイ・ジャクスン短編集

なんでもない一日 (シャーリイ・ジャクスン短編集) (創元推理文庫)
シャーリイ・ジャクスン
東京創元社
売り上げランキング: 139,160
kindle版
■シャーリイ・ジャクスン 翻訳:市田泉
2015年10月30日刊の創元推理文庫の電子書籍版。書店で新刊コーナーにあった当時に「紙の本で買おうか、kindle版でいいかなあ~」と迷って結局保留していた。いままで埋もれていた短篇を集めた本ということで、当たり外れがある可能性が高いのではと危ぶんだのだ。
しかしその心配は完全なる杞憂であった。
それどころか、かなり質の良い、珠玉の作品集だった。読みながら「ああ~やっぱりシャーリイ・ジャクスン好きだなあ~良いなあ~」と何度もしみじみ噛みしめ、堪能。どこか少女のような気高さと残酷さがあって、ひとの悪意みたいなのの細やかなところをすぅっと書いてあって、でもあんまり描写は踏み込まずドロドロさせない。展開だけを示して結果は読み手の想像にまかせてある。恐怖へ続く余韻、といったところか。

訳者あとがき」によれば本書は【シャーリイ・ジャクスンが四十八歳の若さで亡くなってから四半世紀以上たって、ヴァーモント州のある納屋で、彼女の未発表原稿が何篇か発見されました。】それを受けてジャクスンの長男と次女が【新たな作品集を編むことを企画、雑誌などに発表されながら単行本には未収録の作品も発掘し、最終的には百三十篇あまりを集めました。その中から五十四篇を選んで、一九九六年にバンタムブックスから刊行した作品集が、本書の元になったJust an Ordinary Dayです。】【原書はこうした経緯で編まれたこともあり、作品の完成度にはどうしてもばらつきがありました。そこで、五十四篇の中から序文とエピローグを含め三十篇を厳選してここに訳出した次第です。】とのこと。
そして、シャーリイ・ジャクスンといえば『くじ』とか『ずっとお城で暮らしてる』とか怖い、人間の心の嫌な部分を扱った作品のイメージが強いけれど、本書ではそれだけではなく、【超自然的な怪異譚、正統派ゴシック譚、軽妙なユーモア小説、自らの家庭生活を題材としたエッセイなど、バラエティに富んだジャクスン作品がお楽しみいただけます。】と続く。

確かに読んでみたら「序文」が少女時代の回想を絡めたユーモラスな文章で「あらっ」と思った。続いて「スミス婦人の蜜月」としていかにもジャクスン、という話が続くのだけれど、読み進んでいくといろんなジャンルというかテーマのお話があり、「今度は、どういう種類なのかな。怖いことに用心したほうがいいのか、それとも?」と別の意味でスリリングだったりして、意外性があり、飽きることが無く、とても面白かった。いや~もっと早く読んでおくべきだったわ。
なお、「訳者あとがき」に「エッセイ」とあるので「ははあ、これがエッセイということか」と思って読んだけどいわゆるエッセイとはちょっと雰囲気が違って普通小説のようにも読めてしまう。著者本人らしき幼い子どもたちを育てている奥さんが主人公で、日常の中の出来事中心に書かれている。このひとがああいうお話を書いたひと? 全然想像できない。悪戯っ子の、やんちゃな小学生の少年に手を焼くどこにでもいそうなお母さんといったふう。「エピローグ」では小説の本が(初めて?)出る直前にたまたま新聞社の生活コーナーみたいなところから「主婦である彼女」宛に電話がかかってきたときのエピソードが書かれていて、これも事実なんだろうけど、書き方とか、相手の「話を聞かなさぶり」とかがそのまんま、シャーリイ・ジャクスンの小説の登場人物みたいで、面白かった。

わたしは通常ホラーとかは怖がりなので読まないのだけれど、シャーリイ・ジャクスンの「怖さ」というのはそのタイプの怖さじゃなく、どっちかというと「嫌さ」に近くて、でまあ人間の嫌なところなんて読んで楽しいのかというと普通は楽しくないのだけれど、シャーリイ・ジャクスンが書くと楽しくはないけれど興味深く読める。人間の嫌なところを書くのが巧い作家はたくさんいるけど例えばぱっと浮かぶ筒井康隆の書くものとは全然印象が違う。どちらが良いとかいう話ではなく、どちらも良いのだ。

目次は創元推理のホームページに記載してあったのをコピペ。
「序文 思い出せること」
「スミス夫人の蜜月(バージョン1)」
「スミス夫人の蜜月(バージョン2)――新妻殺害のミステリー」
「よき妻」
「ネズミ」
「逢瀬」
「お決まりの話題」
「なんでもない日にピーナツを持って」
「悪の可能性」
「行方不明の少女」
「偉大な声も静まりぬ」
「夏の日の午後」
「おつらいときには」
「アンダースン夫人」
「城の主(あるじ)」
「店からのサービス」
「貧しいおばあさん」
「メルヴィル夫人の買い物」
「レディとの旅」
「『はい』と一言」
「家」
「喫煙室」
「インディアンはテントで暮らす」
「うちのおばあちゃんと猫たち」
「男の子たちのパーティ」
「不良少年」
「車のせいかも」
「S・B・フェアチャイルドの思い出」
「カブスカウトのデンで一人きり」
「エピローグ 名声」

今回もコラージュ作家・合田ノブヨさんの装画。素敵。

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)
シャーリィ ジャクスン
東京創元社
売り上げランキング: 149,909

2016/06/18

怪盗ニック全仕事 2

怪盗ニック全仕事2 (創元推理文庫)
東京創元社 (2015-09-04)
売り上げランキング: 573
kindle版
■エドワード・D・ホック 翻訳:木村二郎
kindleの月替わりセールで¥599でポイントが119ptになっている。大変お買い得。
シリーズ第1弾『怪盗ニック全仕事1』を読んだのも月替わりセールで¥499になっていたときだった。ちなみにこのシリーズ普通に電子書籍で買うと千円以上する。別に『1』を読んでいなくていきなり『2』を読んでも読み切り短篇シリーズだから差しさわりはないと思うので興味を持たれた方は今月中がおすすめです。

価値のないもの、誰も盗もうとは思わないものを対象にした依頼のみを引き受ける怪盗ニック・ヴェルヴェット。
報酬は原則2万ドル、危険だったり困難な仕事は3万ドル。
その全仕事を発表順に配してある文庫版全集の第2弾である。全15篇。
原著発表年は1972年~1977年。

第1弾よりも脂がのってきたせいか、面白く感じた(錯覚かも知れないが)。
第1弾は「盗ませる品物そのもの」にはあまり意味がないケースもあったが今回は全部意味があったなあ。
「石のワシ像を盗め」は「いまある場所で掘るんじゃないの」って思ったけどそうじゃなかったか、ふーん。
全体的な感想としては「みんな気軽に銃を出して脅してくるなあ」ということ。
ニックには10年以上つきあっているガールフレンドのグロリアがいてどうやら一緒に住んでいるらしいが(結婚するとなると職業柄厳しいというのと、一人の女性に縛られず自由に恋愛したいというのもあるのかなあと第2弾でちょこちょこ浮気してるらしいのを読んで思った)、グロリアにも自分が泥棒であることは隠していて、でも家事とか電話の取次ぎとかしてもらっているっぽい。で、仕事柄夜中の電話で急にあちこち出掛けたりするのをいつも「出張」「新しい工場敷地を視察しないといけない」などと言って誤魔化しているんだけど「無理があるよなあ…」とつねづね思っていたら、ついにグロリアに正体がバレてしまった!……かと思ったら、そうではなくて、グロリアはニックの職業をどうやら国家に関わるスパイだと勘違いしてくれた、らしい(「将軍のゴミを盗め」)。でもそのおかげで以降は急に仕事に出ることになっても納得してもらいやすくなったという…。そういえば、スパイも泥棒も家族や周囲に秘密、仕事時間が変則、危険が伴う、など共通点が多いわねえ。

先日読んだ内田洋子『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』でヴェネツィアが観光するにはいいけど住むにはちょっと…というふうに書かれていたが、本書でもニックがヴェネツィア(本書では英語表記のヴェニス)に仕事で行く話があり、文中に「運河はいつもこんなにくさいのかい?」「夏はね。街全体が腐っているという人もいますわ。」などという会話があり、げーん。まあ、1970年代に書かれた本だけどね…対策とか取られてるのかなあ。

目次
マフィアの虎猫を盗め
空っぽの部屋から盗め
くもったフィルムを盗め
クリスタルの王冠を盗め
サーカスのポスターを盗め
カッコウ時計を盗め
怪盗ニックを盗め
将軍のゴミを盗め
石のワシ像を盗め
バーミューダ・ペニーを盗め
ヴェニスの窓を盗め
海軍提督の雪を盗め
卵形のかがり玉を盗め
シャーロック・ホームズのスリッパを盗め
何も盗むな

怪盗ニックを盗むべからず/木村仁良

2016/06/14

日々是作文

日々是作文(ひびこれさくぶん) (文春文庫)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 56,223
kindle版
■山本文緒
いまのところまだ続いているamazonのkindle本ポイント還元セールでまとめ買いした内の1冊。¥432でポイント119pt。あら? なんか今は¥589で117ptになっているわね。同日に数冊買ったのでそのポイント分が引かれているのか、価格改定されたのか、よくわからん…だいたい「セール」と銘打っているのにいつからいつまでと明記されていないっていうのがなんでなのかな? Amazonとの上手なつきあいかたってまだ不明。
これは前から気になっていてどうしようかな~と保留にしていた本の1冊だったので、良かった。
本書は2004年4月文藝春秋から単行本で刊行され、2007年4月文春文庫化したものの電子書籍版である。

いまから12年前に出版された本だが、「まえがき」にこのようにある。
本書は四十一歳になるまでの約十年、あちらこちらの雑誌から依頼を頂き、あちらこちらに書き殴ったエッセイを、空のペットボトルをちまちま集めてまとめて再利用に至ったがごとくの、リサイクル本といえるでしょう。
ここには三十一歳の私がいました。感慨ですよ。感慨。いやはや三十一歳の、離婚したばかりで仕事もお金もほとんどなくて、実家に寄生するしかなかった私に、こっそり教えにいってあげたいですよ。そのうち吉川英治文学新人賞と直木賞をとれるよ。引っ越しの度に部屋が広くなるよ。三十九歳には再婚までしちゃうよ。でも気を付けないと体重が十キロ近く増えちゃうよ。三十四歳のときにイタい失恋をするよ。直木賞とったからって浮かれていると、うつ病で入院することになるよ。言われたところで信じないに違いないが、三十一歳の私。

というわけで、十年といってもかなり激動の十年だったようで、ここを読んだんだけで凄いなあ~と感心した。
わたしは山本文緒の良い読者ではなくて、ほとんど読んでいなくて、何故かと云うと彼女が書く小説は「恋愛小説」だからで、わたしは「恋愛小説」を何かもうひとつ動機付けが無いと読まないからである(たとえば、好きな作家の作品であるから、とか、ミステリーでもある恋愛小説だから、とか、世間の評価が非常に高いから、とか)。
で、そんな薄い読書でも薄々そうじゃないかとは思っていたのだが、本書を読んで「やっぱりなあ。このひとみたいなのを恋愛体質、って云うんやろなあ。とりあえずわたしとは考え方とか生き方が全然違うなあ」ということをずっと強く感じ続けた。

いろんな時期の山本文緒の寄せ集めと書いてあるけれど、まあ中心は三十代です。大学を出て、就職して自宅から通勤しおしゃれな洋服を買いまくるというOL生活をして、東京に住みたかったからお金を稼ぐために副業でコバルトで少女小説を書くようになって、二十四歳で結婚して会社は退職して、六年後に離婚して、しばらくは親元に帰り、その後晴れて東京で一人暮らしして、結婚には至らなかったけど恋愛も何人かとして、三十九歳で再婚。
凄いですね。いろいろあったのですね。でもそのいろいろのあいだもずっと変わらなかったのが小説や雑文を書きまくっていた、ということだった。だから山本文緒は最初のきっかけはどうであれ、小説を書く、ということが天命であったのでしょうね。後の方のエッセイではもうちょっと違う表現でそのことを書いてあった。書くべくして、作家になったひと、なんだと思う。

読んでいて「何を考えてるの?」と呆れてしまうことも少しあったし、「なるほどね」と共感することもあった。
全体的な印象としては「危ういなあ…なんだろうこの不安定感」。
山本文緒はリアルタイムではわたしより結構年上だけど、本書の中の山本文緒はわたしより若い。でも違う。若いから、不安定だったり危うい感じなのではない。作家の書くエッセイで年下のひとのを読むのは決して初めてではないが、タイプが違い過ぎるのだ。こんなにも「ひとりでは生きられないの、(夫かそれに類する)パートナーが欲しいの」と主張し続けているエッセイというのはわたしの読書範囲の中ではすんごく珍しいのだ。やっぱ恋愛体質だからかなあ。この本には出てこないけど、この本の後の時期に鬱病になる、っていうのはなにか関係があるのだろうか。

感覚がわからないので自分が読む作家の中でちょっと比較。
山本文緒1962年生まれ。
で、小川洋子も1962年生まれ。内田洋子が1959年生まれ。平松洋子が1958年生まれ。梨木香歩1959年生まれ。宮部みゆき1960年生まれ。絲山秋子1966年生まれ。角田光代1967年生まれ。若竹七海1963年生まれ。岸本佐知子1960年生まれ。吉野朔実1959年生まれ。よしもとばなな1964年生まれ。
つまり世代はだいたいこのへんだ。このへんの世代が30代だったころの文章をそんなに読み倒しているわけではなくてどうしてもここ10年くらいに書かれたものがイメージとして強く出てくるので単純に比較は出来ないが、まあこれだけ「恋愛恋愛」しているのは山本文緒くらいだろう。よしもとばななとか角田光代も恋多き女、だと思うんだけど恋愛体質にもいろいろある、っていうことかな。

本書のほぼ最後らへんで山本文緒は再婚し、もう少し近著の『ひとり上手な結婚』(2010年8月講談社/2014年2月講談社文庫)では安定した結婚生活をエンジョイされている様子だったから、良かったが、本書だけ読んでいたら「大丈夫かなこのひと」って心配に思ったかも。
「あの素晴らしい傑作『恋愛中毒』を書いた作家のエッセイ」っていうリスペクトがある、っていうのは最後まで読ませた大きい要因かもしれない。
本書で一番「おおっ」と目を見開き、頷いたのは、
「愛している」という言葉は口語じゃないと思うので、なるべく使わないように気を付けている】という一節。至言ですな。

目次(章タイトルだけ写す。)
まえがき
花には水を。私に恋を。
今宵の枕友だち
こまかいお仕事(ワープロ時代)1993~1997
こまかいお仕事(パソコン導入後)1998~2003
初出一覧

2016/06/11

夜を乗り越える

夜を乗り越える(小学館よしもと新書)
又吉 直樹
小学館
売り上げランキング: 39
■又吉直樹
通勤の往路のみに途中に本屋を視界に入れながら通る場所があり、そこにしばらく前から又吉さんの写真と大きく「でたで。」というコピーが入っているポスターが貼られているのに気づいていたが、「でたで。」という言葉から新刊の宣伝というふうには発想が及ばなくて、そこは文具も扱っている本屋だからなにか新製品か、新しい雑誌が出たとかそういうのにネームバリューのある又吉さんの写真が使われているだけだろうと思っていた(通り過ぎる一瞬だけの考えなのであまり深く考えていなかった)。
昨日、復路のルートで少しだけ寄り道する形にして別の作家の新刊を探しにいったらその小さな書店には影も形も無くて、がっかりしつつ入り口近くの新刊話題書コーナーを確認したら本書が並べられていた。おお、「でたで。」というのはこの本の事を指していたのか(と同時に「小学館よしもと新書・創刊」のキャンペーンでもあったのか)とようやく意識が追いついた。我ながら迂闊過ぎるが、しかしこういう広告の仕方ってあんまり書籍では無い形だと思う、やっぱり又吉直樹ならではのことだと思う。従来からある「小学館新書」からではなくて「小学館よしもと新書」を創らないといけないんだ。読み終わって奥付の(c)のところにNaokiMatayoshi,Yoshimoto Kogyo 2016とあるのを見てちょっとなんとも云えない気持ちに。

帯には「なぜ本を読むのか?」「芥川賞受賞作『火花』はどう書かれたか」などのアオリ文句が並んでいる。裏表紙側の帯には「本は賢い人達のためにだけあるものではありません」とあるけどそういうふうに思っているひとが多いってこと??? 本を書く作家さんたちは賢い人達だと思うけど、読む側は関係ないよね…もはや意味がわからん。
「はしがき」には「本を読む理由がわからない方、興味はあるけど読む気がしないという方々の背中を頼まれてもいないのに全力で押したいと思います」と書いてある。まあ全体的にそういうスタンスの本である。ものっすごく丁寧に、真面目に、こつこつと、又吉さんがどういう理由で読書の魅力に気付いたかとか、日々どういうことを考えて読んでいるかとか、具体的に例を挙げてできるだけ齟齬のないように、誤解を生まないように、気をいっぱいつかって書いてある。そしてそういう「いまさら」な内容なのにもかかわらず、すいすい読めて面白い、読みはじめてすぐ再認識したけど又吉さんってやっぱめっちゃ文章巧いし気配りが最初から最後まで気を抜かずにされていて、お人柄が出ている。

しかしまあ水を差すようだけれども「はしがき」に出てくる「なぜ本を読まなくてはいけないのか?」という疑問を持っているような方が本書を最初から最後まで真面目に読まれることがあるのだろうか? とちょっと思わないでもない。全然難しいことは書いていないけれど、「なぜ本を読むの?」くらいのひとは読むかもしれないけど「読まなくてはいけないの?」という考え方をしているひとは根本から違うので、もしわたしがそう聞かれたら「いや、別に読みたくなければ読まなくてもいいんじゃない?」と笑って答えてから話題を変えますけどね。別に相手を説き伏せる必要も感じないし。
もしそういうひとにこちらの真面目な意見をきちんと伝えようと思ったら、又吉さんが本書を書かれたように、かなり長い説明をしないと結局は理解してもらえない。つまり、本書は「他人に自分の思いを伝えたかったらどれくらい言葉をつくさないといけないか」ということをサイズとしてリアルに見せてくれているとも云える。
常々思うんだけど、なんで本とか読書だけ「読んだ方がいいのか」「読まないとだめ」「読んでるとなんか賢そう」「教養?」とか別枠で扱われるんでしょうね。いや、実用書とか難しい専門書ばっかり読んでいるひとは「教養?」って言われてもわかるんだけど。こっちが完全に趣味、娯楽で読んでいてもそういうふうに言うひとは言う。そしてだいたいの場合、マイナス方面の底意を含んでいる。

本書では、又吉さんが小説・文学を中心に「本」の面白さ、自分の人生においてどういう役割を担ってきたかを書いてあるのだけれど、特に「火花」については反響が大きかったこともあり、小説を読んで中身について批判する以前に、読みもしないで批判されたときのことなど、時には怒りの感情をあらわしておられることもあり、そうか……と同情した。どうも、素人の感想とかじゃなくて、批評家とかそれをプロとしてやっている人間のなかにもかなり頓珍漢な批評をするのがいたらしい。大抵のことには相手に対する尊敬の姿勢を崩さない又吉さんが腹立ちを隠さず批判しておられるので、よっぽどだったんだな、と思った。

この本に書いてあることはあくまで又吉さん個人の見解であり、読書する人間が全部こうだというわけではないが、読書を趣味とする人間にはだいたい思い当たるふしがあるだろうし共感するところも多いのではないかと思う。本を読んで「難しい」と投げ出してそのまま読書嫌いになってしまうパターンが少なからずあると思うのだが、又吉さんのおっしゃるとおり、それは読み手側のほうにも準備がいるからであって、他の作品をいくつか読んで、本を読むことに慣れて何年か経って、また読んでみたら「すーっ」と理解できるようになっていて驚いた、という経験は誰しも経ていると思う。また、同じ作品を再読、再々読するたびに心に響く部分が変わっていくということも。本は、結局は自分との対話、ということなのかもしれない。でも同時に、自分だけでは想像できないこと、自分の思考とは違う思考を読むことで、他者の立場に立つということを考えさせてくれる。

6章構成。
章の中の節タイトルは全部写すと大変なのでそれぞれ最初の3つのみで残りは省略しています。
第1章 文学との出会い
(父の言葉が人生を決めた/本当はこんな人間ではない/求められる暴力/ ほか)
第2章 創作について――『火花』まで
(二十五歳で死ぬと思っていた/本を読む。ネタを書く。散歩する。/十八歳で初めて書いた小説/ ほか)
第3章 なぜ本を読むのか――本の魅力
(感覚の確認と発見/小説の役割のひとつ/本はまた戻ればいい/ ほか)
第4章 僕と太宰治
(なぜ太宰治か/嘘だけど真実/真剣で滑稽/ ほか)
第5章 なぜ近代文学を読むのか――答えは自分の中にしかない
(芥川龍之介――初めて全作品を読んだ作家/『戯作三昧』――自分を外に連れ出す瞬間/『或阿呆の一生』――完全な一瞬は一度だけではない/ ほか)
第6章 なぜ現代文学を読むのか――夜を乗り越える
(遠藤周作『沈黙』――疑問に正面から答えてくれた/吉井由吉『杳子』――思考を体現する言葉の連鎖/『山躁賦』――創作は声を拾うこと ほか)

2016/06/09

本気になればすべてが変わる 生きる技術をみがく70のヒント

kindle版
■松岡修造
ふだん、こういうタイプの本は(自己啓発本も、タレント本も)読まないんだけど、松岡修造さんがテニス教室で小学生の子らに指導している様子をテレビ番組で観たことがあってそれが印象に残っていた。テニスのことはほとんど知らないけれど凄いプレーヤーの一人だったってことはなんとなく知っている。でもそれよりも最近のバラエティー番組とかで見る松岡さんのキャラクターに「このひとってこういうひとだったの?」とびっくりし、「熱血」「スポーツマン」というだけでは何か語りきれない、独特の、ともすれば笑っちゃうくらいの、もんのすごーいまっすぐな視線と単純なワードだけど芯を突く言葉を心の底から叫ぶように伝えようとするその姿勢に感動した。6/5の日替わりセールで¥199円だったので読んでみることにした。
いきなりこんな本を読んでいるとわたしのキャラでは無いので、「どうしたのか、次はセミナーでも行くのか」とかツッコまれそうだが、別にわたしの精神が弱っているわけじゃない、と思う。しかし生きていると人間いろいろあるのだよ、だからこーゆーのもたまには読んでおくとどこかで役に立つかな? というシタゴコロが無いわけでもないんだよ(何言い訳してんだ)。

テレビで見る、目ぢからと声の張りを抜いて、「読む」松岡修造は予想外に静かだった。叫んでない(当たり前かもしれないけど)。映像で観るのとイメージがかなり違う。でも言ってることは、主張は、おんなじなんだよね、たぶん。

この方は、精神がものすごく若い。柔らかい、と言い換えてもいいだろう。柔軟性があるのだ。実際に松岡さんと会ったことがあるわけじゃないしであくまでも本書を読んだだけの印象なのだが、「若い時に何かを既に成し遂げている」成功者なのに、それを笠に着ないことはもちろん、常に謙虚で、いろんなひとの意見を実に素直に受け止めて、自分なりに噛み砕き、相手を尊敬していることが伝わってくる。これは、誰にでも出来ることじゃないと思う。だから本書には松岡さん流のいろんなアドバイスが書いてあって、それは全然突飛なことは書いてなくて、どれも正論というか、常識的なもの。テレビで観る松岡修造は「唯一無二」な感じがするのでそれを期待して読むと当てが外れたように感じ、「あら、思ったよりも大人しくて普通なのね?」と一瞬思ってしまうが、違うのだ。こういう根本的なことを全部素直に継続できて「俺様」にならない成功者でこの年齢のひと、というのは全然普通じゃなくて凄いことなのだ。
具体的に、「自分の取扱説明書」を書いてみる、とか「メニューを見て五秒以内に注文を決める」とかサブタイトルになっている70のヒントが書かれているんだけど、そしてそれをそれこそ「素直に実践」することは素晴らしいことだけど、それだけではなく、根本的な、松岡さんの「性格の良さ」みたいなところに学べるところ多し! と思う。「本気になればすべてが変わる」というがまず「本気になる」っていうのが難しいんだと思う。

単行本は2009年3月だが、2011年3月の震災を受けて、2011年8月刊行の文春文庫では加筆修正がなされている。それの電子書籍版。
なお、松岡さんは1967年生まれなので、2009年時点で42歳。1998年の現役を退いたときが31歳。テニスを引退されてからいろいろご苦労なさったんだろうな、ということが本書を読んだだけでも想像できた。

2016/06/07

ちょっと早めの老い支度

ちょっと早めの老い支度 (角川文庫)
岸本 葉子
KADOKAWA/角川学芸出版 (2015-11-25)
売り上げランキング: 315,947
kindle版
■岸本葉子
これもkindleポイント還元セールで¥552円のポイント¥110pt(20%)だったので買ってみた。内容も、「ちょっと早めの」よりもさらに「早いかな」とは思ったけどまあ、いつかは来ることなので予習は早くて悪いことも無かろう、と。

本書は2012年にオレンジページから刊行された単行本に加筆修正のうえ文庫化したものの電子書籍版。1961年生まれの岸本さん51歳の時の刊行。文中でも「五十代」という表現が何度か出てくる。わたしは岸本さんの13歳下。
で、読んでみての結論だけど、やっぱちょっとなんぼなんでも早すぎた。でも「いまからでも早くないよ」といわれるよりは「早い」といわれたので安心したというか。あと、これから進んでいく道について先輩の日常から出たいろんな細かいアドバイスが「そうだろうな」とごく自然に納得できる無理のない自然なことばかりなので、参考になる。あんまり意外な「それは教えてもらわないとわからなかった」というようなレベルのは無いんだけど。
若いころはモノトーンとか渋い系が好きだったのに五十を過ぎて可愛い系にときめくようになり「C」というブランドにハマった、ってあるのは花柄とかバッグとかグッズが多そうなところからやっぱりCath Kidston かな~。ちょっとまえ、ちょうどこの本が書かれたころブームだったしね。
本書は別に「老い支度」だけが書いてあるわけじゃないというか、いろいろ整理整頓したりするくだりもあって、これは昨今の「かたづけ」とか「断捨離」とかのブームにも通じるというか、まあ、収納の少ない日本の家では永遠のテーマなんではなかろうか…。
1節1節が短いし、テーマが卑近なので、主婦のブログっぽい印象もあって、「わざわざ本で読むような内容でもないかな…」と思わないでもない箇所も無いではなかった。だけどこういう「身近な感じ、隣のひとが書いてるような日常のちょっとした視点」こそが岸本葉子エッセイの魅力なんだろうなとか考えつつ読んで行く。びっくりするようなことはどこにも書いていないんだけど、無理のない思考過程だからするするとこちらに届くんだよね、言葉が。
特におわりに、のまとめ部分、至言だと思う。少し長くなるが、引用させていただく。

三十前後の、結婚しないかもしれないと不安だった頃、不安を脱する転換点となったのは、今を楽しむ発想だ。将来するかもしれない、しないかもしれない結婚にばかり気をとられ、それまでの時間を、どっちつかずの時間、仮の時間であるかのように過ごしてはもったいない。この今もこの今も生きているほんとうの時間、再びは還らぬかけがえのない時間に変わりないのだからと。
老い支度についても同じことが言えそうだ。年をとったらどうなるかわからない先行き不透明の時間を、衰えが顕著になるまでの猶予期間、ましてや死までの猶予期間などとしてしまっては、もったいなさすぎる。
今は今としてせいいっぱい享受する。その力をつけることが、よきエイジングの基盤になると信じている。

「先の事もちゃんと考えておかないといけないのでは…」という先行き不安な気持ちがあったので読んだというのもあるんだけど、それに囚われてちゃなんのためのいまなの? 先の事も考えないといけないかもしれないけど、何より大事なのは「いま、このとき」なんだよね、っていう大事なことを教えてもらった。

目次
はじめに 老いは怖い?
一章 モノと収納の話
モノ減らしを決意/片づけは「部分」から/着ない服を売る/クローゼット内を改革/地金買取初体験/少女趣味は突然に/ときにはまだ増える
二章 住まいと家事の話
つらい庭仕事/どうする、寒さ対策/入浴はジムで/洗濯機が置けない?/全自動か、手作業か/掃除ロボットがやって来て
三章 健康と食の話
進む老眼/歯まで欠けた!/年相応の髪型/自転車はやめられない/これからは筋トレ?/熱中症を防ぐには/食事作りはたいへんでも/体にいいつもり/スーパーの一パック/また、もの忘れ/頼りはメモ
[対談1]対馬ルリ子さんと、健康を語る
四章 人付き合いと防犯の話
地域へデビュー/同窓会に初参加/旧交を温める/近くの他人/安全のためにできること/いつか来るひとりの正月
五章 お金と遺言の話
先立つものは/小さな支出を見直す/エイジングケアの費用/悪質業者に気をつける/遺言のタイミング/エンディングノート
[対談2]畠中雅子さんと、住まいとお金を語る
六章 これからの話
してみたいことがたくさん/ときたま向学心/女子と呼ぶのはいくつまで?/「大人買い」の決め手/支度が役に立たなくても
おわりに “女子力”で乗り越える

Tips For Vintage Style
Tips For Vintage Style
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Cath Kidston
Ebury Press (2004-07-13)
売り上げランキング: 17,358

2016/06/06

マンション買って部屋づくり

マンション買って部屋づくり (文春文庫)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 17,513
kindle版
■岸本葉子
kindleのポイント還元セールで¥399でポイント¥136(25%)だったこともあり、テーマがインテリアだったので読んでみた。岸本さんの本は2冊目、かな? すごく賢いひとなのに、ドジとか失敗とかしてて親しみがわく。文章もとても読みやすい。
本書は2000年に文藝春秋単行本刊、2002年10月文春文庫刊の電子書籍版である。
岸本さんは1961年生まれなので、2000年は39歳。
本文中には「30代半ば」という表現があった。30代後半の独身女性作家が中古マンションを買って中のインテリアを整えたり、庭付きなのでその庭造りをしたりという日々を書いてある。それまでは賃貸アパート暮らしだったのが、「毎月賃貸料を払っているのはもったいないし、そろそろマンションでも買おうか」となんとなく不動産屋を訪れたことがきっかけで意中の中古マンションの部屋を発見してあれよあれよというまに購入契約、転居、リフォーム…と怒涛の展開を見せる。面白いエッセイである。まあ、決まるときはこんなものなのかも知れないが、以前から散歩の途中で見て「こんなところに住めたらいいな」と思っていたマンションの1室が偶然売りに出ていたというのは運命的だなあ。

わたしは賃貸暮らしでいまのところ購入は考えていないのだが、「家を買うとなるといろいろ調べたり大変だろう」と思っていたよりは著者があっさりと家を決めてしまうのでびっくりしたが、10年以上その近所に住んでいたことや、チラシを見てそれなりに勉強してあったということ、何より甲斐性があるっていうのが強いと思う。昔読んだ漫画家の伊藤理佐『やっちまったよ一戸建て』では銀行にお金を借りるのも大変だったという展開が書いてあったが、岸本さんの場合はわりとあっさり通ったようで、1,2行触れてある程度である。まあ、東大卒の才女だしそれなりの貯金もその時点で既にあったようだし経歴見ればそのへんの会社勤めよりよっぽど条件が良いのかもしれない。

本書で多く書かれているのは「購入してからの室内インテリア。カーテン選びからソファ選びまで」ということ。これはでも賃貸でもある程度腰を据えて暮らそうと決めたら誰しも通る道じゃないのかな。わたしも5年程前に引っ越してきてカーテンからテーブルから買い揃えたときのことを思い出したりして興味深く読んだ。まあ、リフォームがある程度自由にできるというのは釘一本打てない賃貸と分譲マンションとの大きな違いだけど。
根本的な違いなのだけれど、岸本さんはインテリアのことをどうも半分「おしゃれにしなくちゃ」「センスよく揃えたい」という義務感っぽい感覚でされているらしく、「どこからでも自由に選べるなんてなんて楽しいの~ うきうきわくわく~ さあどうしましょうね~」という高揚感があんまり伝わってこなかったので意外といえば意外だった。わたしはどっちかっていうと自分の好きに出来るというのが楽しかったので。

無しというわけにはいかない家具で値段的にピンからキリまであるといえばカーテンで、岸本さんのお宅は窓のサイズが特殊だったために注文カーテンになったそうだがご存知のように数十万円の世界。ウォッシャブルの、洗濯しても数パーセントの縮みの布を選んだけれども1年後に一念発起して洗濯したら5センチほど縮んでしまい、いままで床を擦っていたのが床から浮いた、しかも布の状態も少々変わってしまった、所詮は「消耗品と考えなくてはいけない」というくだりを読んで、うーむ、つまり何十万出して買おうと経年劣化は避けがたいのだ。なんという事実。うちは最初に買ったカーテンも数か月前に買ったカーテンも既製品の安物だが、お墨付きを貰えた(?)ような気がしないでもないが、まあ、高いカーテンはやっぱり見栄えが違うと思うざんすよ。ところで、最近買ったほうは遮光・遮熱・防炎などを重視して買い直したのだけど、岸本さんのエッセイを読む限りはそういう観点は気になさらなかった模様。ひたすら色(インテリアのバランス)とウォッシャブル重視。岸本さんの知人の例も、やれイタリア製だ、やれ自然素材だと布へのこだわりばかりが書かれている。カーテンひとつ取っても各々気になるポイントは違うんだなあ。
ソファ購入の顛末も「こんなに大変なものか」と思ったが(うちはソファは不要派)、その後にまさかああいう展開が待っているとは。努めて淡々と書かれている文章に、胸をつかれる思いがした。誰にでも、いつかは起こること。他人事ではないからなあ。

あと、これも賃貸・分譲あんまり関係ないと思うが鍵の問題(オートロックとか)。開かなくなったとか鍵をなくしたらとか。あといろんな備品とか配線の不具合とか。引っ越してすぐの時点でいろいろトラブルがあったようで、大変そうだった。まあ、いいエッセイのネタが出来たという解釈も出来ようが。
もともと分譲マンションには興味がないが、本書を読んでも変わらなかった。やはり「買う」となると大変そうである。そして買ったからといって一生安泰とは限らない。岸本さんはそれほどでもないが、彼女の友人の階下の住人とのトラブルなど読んでいるだけでげんなりした。
本書が書かれたのは2000年なので、阪神大震災のことは出てくる(それで家具に耐震補強をしたりする)。現在も岸本さんはこのエッセイに出てくる中古マンションにお住まいなんだろうか。この続篇も読んでみたいなと思った。

目次
インテリアは三歳で決まる? /ドアが開かない! /ウォッシャブルにこだわる /地震に備えて /リフォームに挑戦 /庭づくり、草むしり /無理やりガーデンライフ /みんなの悩み、収納問題 /仕上げはソファ /「和」へのあこがれ /あとがき




2016/06/03

「明治」という国家

「明治」という国家
「明治」という国家
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NHK出版 (2016-02-29)
売り上げランキング: 49
kindle版
■司馬遼太郎
司馬遼太郎の歴史小説は高校時代~二十代に最も親しんだ。特に新撰組にハマっていたとき。なお『龍馬がゆく!』全8巻は4巻くらいで挫折して小山ゆうの漫画で続きを読んだ。根性なしとはわたしのことである。
司馬遼太郎は小説家であって歴史研究家ではないと認識しているが、自分の知りたい時代のことを実に活き活きと面白く書いてくれるので、ファンである。
歴史についてはたくさんの歴史の偉い先生がそれぞれに研究なさってそれでも「真実はひとつ」とはなかなかならないようなので、「史実」という言葉は素人が生半可に判断できるものではないと認識している。

本書は、1989年(昭和64年/平成元年)の正月と秋に“NHKスペシャル 司馬遼太郎トークドキュメント「太郎の国の物語」”としてNHK総合で放映されたもの(全7回、吉田直哉演出)、の書籍バージョンらしい。1989年9月日本放送出版協会からの刊行。これの電子書籍版である。日替わりセール¥599円でで上がってきたので読んでみた。
なお、書籍版には写真や図版があるらしいがkindle版にはそういうのはいっさい無い。

小説では無くて、司馬先生の歴史語りのかたちなので、スタイルは『街道をゆく』風。話がまっすぐ続かず、話が横道(というか関連事項、話のバックボーンとしてこれも知っておくと面白いよ的情報)に逸れまくるのも知識があふれんばかりにあり、「この面白さを出来るだけ誠実に正確に伝えたいんだ」という情熱・お人柄が伝わってくるので楽しい。横道が存外に長いので、本筋に戻った時に「ああその話だったっけ」と思うこと何度か。

詳しい知識があるわけではないが、明治時代が好きである。夏目漱石が生きた時代だしね。というか、日本人の多くが明治時代が好きなんじゃないだろうか。小説や漫画で明治時代を扱ったものはいまでもたくさんあり、そのほとんどが懐古趣味だけではなしに「古き良き時代」「明治の精神は立派だ」「モダンでおしゃれだったのよね」という好意的なスタンスで扱われているように思う。

というように、明治時代に良いイメージを持っているが知識がないので、幕末や明治時代の小説が多い司馬遼太郎のこういうテーマの本は(最初に宣言したようにあくまで司馬遼太郎の主張にすぎないし「史実と異なる」「歴史認識を異にする」こともあるだろうが)勉強になるだろうし、面白かろうと読んでみた。
そしてその期待は裏切られなかった。

最後の「おわりに“モンゴロイド家の人々”など」によればこの企画を持ってきたNHKの吉田直哉氏は少し違う視点・範囲で司馬遼太郎に話させたかったらしいが、それは断って、それでも引き下がられず、この話なら喋れるけど、みたいな経緯だったらしい。読んでみて、結果的にこの時代に絞ってわかりやすかったんじゃないかなと思う。

明治、と書いてあるけれど江戸時代の終盤から明治維新、そしてテーマによっては昭和の太平洋戦争に繋がっていく流れみたいなものまで触れられており、「日本」を読み解くうえで興味深いアプローチの仕方だと思う。

「ははあ」と思ったのは、明治以前は政治はまったく武家の仕事で、だから国を揺るがす大事件が起こっても武士以外の人は全然他人事だったというくだり。江戸幕府から明治政府になったって、廃藩置県があったって、大名や武士は大騒ぎでそれこそ命がけだったりするのに町人は蚊帳の外。それは、当時はまだ「国民」という意識が日本の誰にもなかったからで、明治維新を起こそうというひとの中ですらも外国の状況を知ってキイとなるものが理解出来ているほぼ一握りの人間だけが「国民をつくらないと駄目だ」という意識を持ち始めていて憲法をつくったりした、というのが凄いなあと。この時代で明治維新に関わっていまも歴史に名前が残っているひとたちというのは実際に「明治という国家」をつくったひとたちだったというのがよくわかる。ものすごいエネルギー、想像を絶する頭の良さというか、スケールが、モノが違う。

目次と、各章からキイになるかなと思える部分を引用してみた。かなり雑なので、概要には到底及びません。
第一章 ブロードウエイの行進
リアリズムといえば、明治は、リアリズムの時代でした。それも、透きとおった、格調の高い精神でささえられたリアリズムでした。
第二章 徳川国家からの遺産
じつは、小栗も勝も、明治国家誕生のための父たち(ファーザーズ)だったということをのべたかったのです。
第三章 江戸日本の無形遺産“多様性”
薩摩の藩風(藩文化といってもよろしい)は、物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官のタイプを多く出しました。
長州は、権力の操作が上手なのです。ですから、官僚機構をつくり、動かしました。
土佐は、官に長くはおらず、野にくだって自由民権運動をひろげました。
佐賀は、そのなかにあって、着実に物事をやっていく人材を新政府に提供します。
この多様さは、明治初期国家が、江戸日本からひきついだ最大の財産だったといえるでしょう。
第四章 “青写真”なしの新国家
明治維新勢力が、どんな新国家をつくるか、という青写真をもっていなかったことをもあらわしています。もっていないのがあたり前ですね。まったく文化の質の違う日本が、にわかに欧米と出くわして、それから侵されることなく、それらとおなじ骨格と筋肉体系をもった国をつくろうというのですから、これは、青写真があるほうがおかしいのです。
第五章 廃藩置県-第二の革命
さて、廃藩置県です。クーデターあるいは第二の革命ともいうべきこれほどの政治的破壊作業――むろん建設を伴いますが――が、被害をうける――抹殺されるという被害です――大名の側に一例の反乱もなくおこなわれたのが、ふしぎなほどでした。
廃藩置県のような無理が通ったのは、幕末以来、日本人が共有していた危機意識のおかげでした。
第六章 “文明”の誕生
西園寺公望が“まじめに四民平等を実行にかかったとき”と述懐し、さらに“いまよりもはるかに自由”だったというとおり、これは明治維新の精神でもありました。
国家もまた老いると動脈硬化をおこします。明治国家もその誕生早々の若々しいときは、このように世界性を身につけようとしていきいきしていたときがあったのです。
第七章 『自助論』の世界
明治時代はふしぎなほど新教の時代ですね。江戸期を継承してきた明治の気質とプロテスタントの精神とがよく適ったということですね。勤勉と自律、あるいは倹約、これがプロテスタントの特徴であるとしますと、明治もそうでした。これはおそらく偶然の相似だと思います。
第八章 東郷の学んだカレッジ-テムズ河畔にて
一つの民族――社会といってもいいですが――が、いろいろな経験をへて、理想に近い社会をつくろうとする。(中略)そういう社会を日本人も築きたいと思ってるけれども、自分の過去に対して沈黙する必要はない。よくやった過去というものは、密かにいい曲を夜中に楽しむように楽しめばいいんで、日本海海戦をよくやったといって褒めたからといって軍国主義者だというのは非常に小児病的なことです。
第九章 勝海舟とカッティンディーケ-“国民”の成立とオランダ
まだマルクスの定義による資本主義がヨーロッパで起こっていませんが、オランダではそれの先駆的なやり方が渦巻いていました。プレ資本主義ともいうべきものが。資本主義が人類に残した大きな遺産――いまでもあるのですから残したというのはおかしいですが――、人類に与えた大きな遺産は、自由ということでした。それからもう一つは、合理主義というものでした。(中略)
そういうオランダ国と日本はつき合っていたわけですね。
第十章 サムライの終焉あるいは武士の反乱
薩摩を中心とする日本最強の士族たちが死ぬことによって、十二世紀以来、七百年のサムライというものは滅んだのです。
滅んだあとで、内村鑑三や新渡戸稲造が書物の中で再現しますが、それはもはや書斎の“武士”だったのではないでしょうか。(中略)
西南戦争を調べていくと、じつに感じのいい、もぎたての果物のように新鮮な人間たちに、たくさん出くわします。いずれも、いまはあまり見あたらない日本人たちです。かれらこそ、江戸時代がのこした最大の遺産だったのです。そして、その精神の名残が、明治という国家をささえたのです。
第十一章 「自由と憲法」をめぐる話-ネーションからステートへ
いままでのべてきたことによって、明治維新が、多くの運動者に明晰な意識はなかったにせよ、“国民国家”の創出を目的としたものであったことはわかって頂けたと思います。(略)明治以前には“国民”は存在していませんでした。
おわりに “モンゴロイド家の人々”など
江戸期の日本は別の体系の文明だったが、まったくそれとはちがった体系の“明治国家”を成立させたということは、知的な意味での世界史的な事件ではないか。
(中略)
この主題は、明治時代というむかしばなしではない。明治国家という、人類文明のなかでにわかにできた国の物語として語ったつもりである。さらにいえば、いまの日本国がその系譜上の末裔に属するかもしれないが、あるいは、そうでもなく、人類の一遺産であるかのようにも思っている。

細かいことだがこの本を読んでいて「あっ、漢字のひらきかたルールが和語はひらがな、だ。堺雅人さんと同じだー」と思った。堺雅人さんは歴史にお詳しいらしいけど小説はあまり読まないとか、でもあれは大人になってからの話かなあ、高校生くらいで司馬遼太郎読まれたことあるかな? ルールは影響?それとも独自かな? とかプチ妄想してしまった。 えーでも読みやすさという意味では平仮名が多いのはそんなに読みやすくはありませんね、正直。

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