2016/02/28

蹄鉄ころんだ

蹄鉄ころんだ【新版】 (創元推理文庫)
シャーロット・マクラウド
東京創元社
売り上げランキング: 165,158
kindle版
■シャーロット・マクラウド 翻訳:高田惠子
ピーター・シャンディ教授シリーズ第2弾。
今回はユーモラス面がちょっとトーンダウンしたかなあ。慣れたからかなあ(でもまだ2作目だぜ?)。
ミステリーとしては、コージーなのにいきなり死んでほしくないタイプのひとが被害者になったのでどーんと気持ちが暗くなり、どっかでスカッとさせてくれるかと思ったけど延々めんどくさい展開だった。最終的に犯人を追いつめていく段階でダダダダッといままでのフラストレーションが解消されるように「あー成程ね!」という伏線回収があってそこは素晴らしかった。でもやっぱりあのひとが殺されたのは気の毒だ! 第1作は被害者があんまり同情出来ないタイプの性格だったからそこまで思わなかったんだけど(もちろんだからって殺されていいということにはならないけど、小説の話、として、ね)。

学長が良いなあ。すごいカリスマ。絵的にも素晴らしい。存在がエンターティナーなんだよな。終盤で学生を早朝に集めて演説するシーンとか一緒に盛り上がっちゃった!
主人公シャンディ教授は前回「長いものに巻かれない」性格設定が良いなあと思ったんだけど第2回だけ読んだだけではそういう面が出てこなくて、単に常識的で推理力がある妻思いの(結婚数ヶ月の新婚さんだ)先生だった。学長の娘ビルギットに対する説得とかもふつうに度量のある教育者で素晴らしかったし。非の打ちどころがない! シャンディ教授にはもうちょっと人間的にひねくれた面を持っていて欲しい、というのは誤った読み方なんだろうが……。

まあとりあえず小説としては問題なく面白いので第3弾も読む。原作は「翻訳者あとがき」によれば6冊は出ているらしい。翻訳はどうなのかな? シャンディ教授シリーズ以外もあるらしいからそれも面白いといいなあ。

蹄鉄ころんだ (創元推理文庫)
シャーロット・マクラウド
東京創元社
売り上げランキング: 530,268

2016/02/25

にぎやかな眠り

にぎやかな眠り ピーター・シャンディ教授シリーズ (創元推理文庫)
東京創元社 (2015-10-30)
売り上げランキング: 263
kindle版
■シャーロット・マクラウド 翻訳:高田惠子
Amazonの月替わりセールで出てきた。
全然期待せずに冒頭部分を試し読みしてみたらあまりにも皮肉が利いたユーモラスなシーンから始まっていたので即刻購入。2日間かけてじっくり楽しんだ。めっちゃ面白かった~!!!

シャーロット・マクラウドはアメリカの推理小説家で1922年生まれ。和暦でいうと大正11年だ。
この作品は1978年、昭和53年に出版された。
読んでみたけど古さはほぼ感じさせない。アメリカの架空の町、バラクラヴァ農業大学とその周囲が舞台。
季節はまさにクリスマス。

バラクラヴァ・クレッセントでは1931年から華々しいグランド・イルミネーションをおこなうことが伝統になっていた。18年前にこの家に越してきて以来、ピーター・シャンディ教授(56歳・応用土壌学教授・独身)は近所やイルミネーション委員会から家の飾り付けのことで毎年おせっかいを受けてきた。中でもミセス・エイムズときたら「この18年間で73回」も文句を言いに来ていた。シャンディ教授は数を数えるのが大好きなので3つ以上のものがあるとつい数えてしまうのらしい。クリスマスは好きだが、静かなクリスマスを望んでいた教授は毎年押し付けられる「伝統は守らなくては」という理屈と町中の騒々しさに苦しんでいた。
ある日ついに教授はぷちんとキレる。そしてある方法で仕返しを試みる…。このやりくちがとっても痛快で爽快! よくぞやった!と声を掛けたくなる。
だが教授の企みは一定の効果は上げたが、想定外の評価を受けたりもした(このへんの教授の表情を想像するだに笑いが込み上げる)。そして何よりも船旅でしばらく家を空けた後帰宅した彼はなんと死体を発見する破目になる。それはあの、ミセス・エイムズだった。しかも一見事故死に見える彼女はどうやら殺されたらしい……!

罪を被せられて名誉挽回するために真犯人を探すというパターンかと思ったらそうではなく、教授はほぼ疑われない。なんせアリバイばっちりだったし。そもそもミセス・エイムズは警察や医者に「事故死」として公式に葬られてしまうのだ。しかし教授自身が納得出来ていなかった。そのきっかけは床に転がっていたビー玉だった…!

狭い町で噂話好きの住人たちの目が光っていてどんなこともあっというまに広がるのとか、お互いの干渉がやたら激しいのとか、日本でも田舎ではこんな感じだがアメリカでもそうなんだなあと思いながら読んだ。家々のクリスマス・イルミネーションがさかんになったのは日本ではここ10年、せいぜい20年くらいのものか?
ミステリとしてもなかなか面白かったがアメリカの都市部ではない濃厚な人間関係をユーモラスに描きいてあり(どろどろしたものは描かれていない)、楽しかった。
主人公の一筋縄ではいかないキャラクターもすごく良い。ひねくれているというとちょっと違うんだけど、クールというか。少し変わり者かな? でも常識家だし、近所づきあいだってするし、あと恋もしますよ! 解説の浅羽莢子さん(嬉!!)が「中年だが独身、そしてこの作品の中で出会う女性が妙齢の美女ではなく素敵な中年婦人であるところがまたいい。」と書いていらして、たしかにミステリーで恋愛が絡むことはよくあるけれど相手の女性がだいぶ若い美女という設定が多いもんなあ。
ピーターはずっと独身だったのかと思って読んでいたけれど(植物学専攻の女性教授との「異花受粉は失敗に終わった」とか最初のほうにあったので)、終わりの方で「独身でいらしたあいだが――」「そう、とても長かった。」という台詞があり、どうなのかなあ。「あいだ」ということは「独身じゃなかった」時期に挟まれているっていうこと? 単なる言葉のアヤ? まあどっちでもいいんだけど。

のんびりした町の話だから殺人は1回きりだと思っていたらそうは問屋が下さなかった。おやおや。読んでいて「こいつはあやしい」と根拠なしに勘で考えていた人物は2名はいたが、主犯についてはノーマークだった。おお、そういえばそうであったかという感じ。

この話、警察が全然キャラ立ってないね。医者の方がまだ個性があった。まあ他が濃すぎるとも云うけど。特に学長のトールシェルド・スヴェンソンが凄い。絵的にも迫力的にも台詞回しもキャラクターもみんな漫画みたいだ。その妻シーグリンデもなかなかだし。ペアで登場すると最強だ。
このシリーズは現在第3弾まで翻訳が出ているみたいだからまた会えるだろう。楽しみだ。

表紙イラストは近年実に書店で表紙を手掛けておられるのをしょっちゅう見掛ける売れっ子イラストレータの加藤木麻莉さん。このひとの絵、いいなあ好きだなあ~とホームページを拝見してうっとりしてしまった。東京創元社の60周年キャンペーンキャラのうさぎの着ぐるみをかぶった黒猫さん(名前は「くらり」というらしい)もこのかただったのですね。

ちなみに本作の邦訳出版は1987(昭和62)年12月で、今回の新版は翻訳は同じで表紙イラストなどが新しくなったものらしい。ググったら旧版はこんなの。うーん全然イメージが違うなあ。

にぎやかな眠り (創元推理文庫)
高田 恵子 シャーロット・マクラウド
東京創元社
売り上げランキング: 365,152

2016/02/22

凸凹デイズ

凸凹デイズ (文春文庫 や 42-1)
山本 幸久
文藝春秋
売り上げランキング: 268,479
kindle版
■山本幸久
初出「別冊文藝春秋」253~257号(「凹組太平記」を改題)
単行本2005年10月文藝春秋刊 「凸凹ホリデー」は文庫版書き下ろし
電子書籍版は解説が省かれている。

というわけで山本幸久をもう1作読んでみた。わりと面白かった。これもリアリティ追求よりは「読んで元気になる小説」であらんとするスタンスを大事に書かれているかな。くすぐりは「アヒル」ほど多くないけどところどころ笑える。なにより主人公のキャラクターが元気で打たれ強くて、良い。

広告業界の話。広告代理店じゃなくて、デザイン事務所。と言われて想像するような華やかさからはずいぶん遠い。和菓子屋のパンフレットや東京郊外のスーパーのチラシ、ラーメン屋の看板、地方都市の電機メーカーの会社案内やエロ雑誌のグラビアのレイアウトなどなど。
そんなところへ遊園地のリニューアルという大きな仕事が回ってきた。そのコンペに向かう電車内のシーンから物語は始まる。

主な登場人物。
主人公は凪海(なみ)。苗字はウラハラ。漢字はどっかで出てきたっけなあ。九品仏駅にあるぼろアパートの一室(和室)にある凹組(ぼこぐみ)というデザイン事務所に勤めている駆け出しのデザイナー。身長150センチそこそこ。
事務所の中心っぽい役割のオータキ。大滝(ナミの専門学校の先輩)。30代前半。身長185センチ。だいたいいつも海外のキャラクターもののシャツを着ている。
同じく黒川。クロ。ムサビ卒。身長188センチ、体重100㎏、いつもよれよれの色あせた着物を着ている(けっして粋ではなくだらしないだけ)。って相撲取りみたいだなあ。
ライバル的な存在の、もう少し大手のデザイン事務所QQQの女社長、醐宮(ごみや)純子。ムサビ時代からの黒川の同期。身長はナミくらい。
この身長さから「凹組」という社名や「凸凹デイズ」というタイトルになっている。
未名未コーポレーション(広告代理店)の磐井田(大滝達より7歳年長)。いつも笑顔で喜怒哀楽を表現する。

主な登場人物以外にも大滝たちが20代前半だったころに勤めていた事務所「ゴッサム・シティ」の上司(あだ名はシャチョー)の木村とか、そこの大滝が「番頭」とあだ名を内心で付けた横井だとか、脇もなかなか味のあるユニークな人物が揃っている。遊園地の副社長は……バカに見えて実はというオチかと期待していたのに本当にバカだったという…。

書き下ろしの「凸凹ホリデー」は磐井田視点。

まーしかし30代前半とかってまだまだ若いよなあ、ナミなんかまだ20代半ばだもんなあ、とその「伸びしろ」の大きい夢のある描かれ方に随分眩しいような気持ちになった。磐井田さんは最初出てきたときずっと笑ってるとか胡散臭い~って思ったけど読み込んでいくとすごく苦労人でいいひとなのだった。書き下ろし小説では少し落ち込んでいたけど、最後元気になってほっとした。これからこれから! この話に「アヒルバス」がちらっとだけかすっていたのが楽しい。

2016/02/21

イタリアからイタリアへ

イタリアからイタリアへ
イタリアからイタリアへ
posted with amazlet at 16.02.21
内田洋子
朝日新聞出版
売り上げランキング: 9,893
■内田洋子
初出「小説トリッパー」2014年春季号~2015年冬季号。単行本化に際し加筆修正。
装画:柳智之、装丁:田中久子
奥付の発行日は2016年2月28日としてあるが実際は2月5日刊。まあよくあることだけど、この日付のズレはなんなんでしょうね。と思ってググったら全国出版協会の[発売日]と[発行年月日]というコラムがあった。ふーん。

内田洋子の新刊。最近は単行本を通勤に持って行かなくなったからもっぱら家読みで1週間くらいかけてぼちぼち読んだ。慌てて流し読んだら勿体無い、というのもある。

内田さんの著作を読むのはまだ数冊目なのだが、自分が読んだなかでは一番「過去にさかのぼって」「過去の思い出」を書いてあるエッセイ集で、このかたがどういうふうにして「いま」に至ったかを知る端緒になったというか、好奇心の一部を埋められたというか。
当たり前だけど、内田洋子さんにも世間知らずだった学生時代があり、イタリアの南部の荒くれに戸惑って途方に暮れた若い時代があったのだなあ――という感慨にふけりつつ。度胸がよくて愛嬌もたっぷりで人付き合いスキル「なんぼほど高いねん」と惚れ惚れさせられる彼女だって、最初っからこうだったわけではないのだ。まあ、スタート地点の人間の出来が全然違う、ってことは重々承知しておりまするが。

「これは小説?」と確認したくなることすらある内田さんのエッセイにしては本書収録分はあまりドラマチックな展開は無くて、静かで地道な視線で描かれている。でも文章はとても美しくて、イタリアの風物、人物の描写はあいかわらず生き生きと眼前に広がる。読み終えて本の裏表紙をぱたんと閉じたとき、「ああ、これは歌なんだ、歌ってらっしゃるのだ」と何故か思った。別に詩的だとかそういうわけじゃないんだけど。思いつきを展開すれば、そう、これは内田洋子さんが見聞きしてきた過去から現在を書籍上で旅するオペラなのだ――、と言ったらちょっと強引かな?

【目次】から順を追って、本文から【 】内に引用しながら内田洋子の「オペラ」を紹介してみよう。

第一話 旅の始まり
【ミラノの南端に住んでいる。】という現在のミラノ中央駅の喧騒の風景から【初めて私はミラノ中央駅を見たのはいつだっただろう。】【もう三十五年以上も前になる。】と回想が始まる。
【大学を出た後、日本のマスコミへイタリアからのニュースを送る仕事を始めた私は、イタリアに事務所を開くことを決めたとき、迷わずミラノを選んだ。】
そして当時の大手フォト・エージェンシーの話。なんと写真を㎏単位でやり取りしていたというのだから隔世の感がある。【すぐさまどこかへ電話をかけて、「スポーツ五キロ、ピンク十キロ、政経四キロ、頼むよ」頷き、受話器を置くと、「仕入れ完了」とにんまり笑った。発注する写真の重量は、すなわちニュースの重要度なのだった。】

グーグルアースでミラノ中央駅を検索してみた。石造りの立派な駅だな。周りは大きなビルばかり。都会だな、としばらく周辺を見て「なんか異常にクルマが多くない?」と気付いた。それもそのはず、道という道の両端に路上駐車がびっしり続いている。「ミラノ 路上駐車」で検索するとこれはまあ、有名な話だそうだ。

第二話 迷ったまま
二十歳を越えたばかりの内田さんが初めて踏んだイタリアの地。【ナポリで卒業論文の準備をすることになり、私は代々地元に暮らす友人宅に居候した。】
ミラノの路駐もすごいようだが、このナポリでの渋滞も当時から凄かったようだ。日本で商用で「明日、午前中に会いましょう」と言われたらまあ9時とか10時とかを想定するかと思う、というかそもそも「午前中」なんていうざっくりした指定じゃなくてきちんと時間を示すのが普通だと思う。ところがここミラノでは……という。時間だけじゃなく、すべからく。
【予定などすべて未定で、不定なのである。思う通りにいかない、と声を荒立てても取り囲むカオスに紛れて届かない。】【問題がなくて当たり前の国から、問題はあって当然の国へ。】

第三話 不揃いなパスタ
【<南部イタリア問題を調べたい>】と卒論のテーマを挙げて大学から1年間の国費留学を許可された内田さん。文学にも美術にも興味がわかなかったからだったという。しかし大学でも首を傾げられ、現地でも「研究しても、何の役にも立たないでしょうに」と気の毒がられる始末。そして大学生の彼女はナポリの町で様々なカルチャーショックを受ける…。
【歩けば、不条理に当たる。他愛ないものから恐ろしいものまで、日々あらゆる場面で待ち受けている。】

第四話 暮らすと、見える
【私にとって初めての海外旅行が卒業論文のための渡航であり、その行き先がナポリと知ると、事情通たちは一様に心配し、同情した。「語学の勉強にもならないわね。正統なイタリア語なら、やっぱりフィレンツェに限るでしょ。ナポリなんて、イタリアの場末じゃないの」】
ナポリで世話になった30代の建築家のコンペを巡るエピソードやバイクの話など。「すべて相対的なんだよ」という言葉が含むさまざまな事情・感情が読後、重たくのしかかる…。ああ、わたしはここにはとても住めないなあ。

第五話 フロントガラスの中の光景
【金曜日の五時過ぎは、早く用事を済ませてミラノから出ようとする車と人で、町全体が浮き立っている。】イタリアの多すぎる車事情。排ガス問題。
「フェラーリの赤」が持つ意味。「フィアットの力」。イタリアにおける南部差別。

第六話 そして、船は行く
【昔、六年ほど船上で暮らしていたことがある。】この船を手に入れるいきさつは『ジーノの家』所収「船との別れ」に詳しい。船の所有者の男性の話がメインだったがこちらは内田さんが船のオーナーになったものの船舶免許を持っていなかったため長い船歴をもつ知人3人(船長アントニオ、ジャンパオロ、サヴェリオ)に運搬を頼む。
船齢60年余り、真鍮製のいくつかの部品を除いてすべて木製、材質は水に強いアメリカ産マホガニー。みな【惚れ惚れした顔でため息を】つく。
アントニオは絵に描いたような海の男。【どんな船でも彼が舵を切ると、嬉しそうに腹を揺すって海面を飛んだ。】たいていの女性はまいってしまう。港ごとに女がいる、という感じ。だが船から降りたアントニオは形無しなので、だいたいのひとは醒めてしまう。

第七話 この香り、あの味わい
第六話にひき続き、船上暮らしから。サルデーニャ島の港に係留していたときの話。船員はサルヴァトーレ。
クリーム状のコーヒーを淹れるマリアとの交流。北イタリア、ヴェネト州出身。マリアとの最初の出会いは南フランスとの国境に近い村。そこの郷土料理である、ポレンタ。【白くて柔らかなものは、トウモロコシの粉を水で溶いて捏ね温めたものだった。ポレンタという。長らく小麦粉は高価な食材で、庶民はなかなか口にすることができなかった。彼女の故郷がある村では、そもそも麦は穫れない。そういう一帯の人々にとって、トウモロコシは小麦に代わる、重要な主食だったのである。】
北部ピエモンテ州に住む知人の従兄弟の若者が食事に押し掛けるようになってしまった。魚介類が苦手というのでそれを出すようにしたら彼はしゃあしゃあと【塩とオイル漬けのアンチョビ】をガラス瓶にぎっしり詰めて持ってきた。【北部の鄙びた山間の村で生まれ育ち、海産物といえば、干したタラと塩漬けのアンチョビくらいしか食べ馴染みがなかったのである。】これをおかずにして出される白米とパンを大量に頬張る。た、逞しい…。
また、シチリアの【それぞれの台所に、それぞれのアンチョビにトマトソース、オイルが】ある話、トマトソース尽くしのイタリアンの話、イタリアの国境の雑貨屋で出してもらった【<スリッパ>と呼ばれる細長い楕円形のパン】と自家製のオリーブオイルの小瓶と塩。

第八話 巡り巡って
【秋に降り始めると、春まで上がらない。ミラノ。】【大学を出てからずっと、自分にとってのイタリアは南部だった。】【仕事を始め、やむなく北のミラノに暮らすようになった。】
北の雨にうんざりし、【澄み切ったイタリア】も紹介したい。だが、ここはというところが思いつかない。南部では仕事にならないとしょげていると同僚が「リグリアはどう?」と提案してくれた。
【もともと雨の少ない地域であるうえに、その山は朝から夕暮れまでずっと日当たりがよかった。入り江の奥に位置しているせいで凪は長く、裾野から頂まで、オリーブや海松、四季ごとの花、野生の香草が密生した。】そこで知り合いになった女性に紹介されて東洋通のドイツ人女性を訪ねる。その家に生い茂っていた様々な種の竹林。【木々の枝先が空に伸び、風を受けて右へ左へと波打っている。見渡す限り、竹一色である。】
ミラノの中心部の屋敷街でふと入った画廊で展示されていた日本の竹細工。その家の女主人・昭子さん。【目を上げると、桑茶色の着物の後ろ姿があった。ほっそりと背が高く、緩く結い上げたうなじは白髪混じりで燻し銀のようだ。着物の裾から肩にかけて、数本の竹が描かれている。灰青色の地に華文柄の帯を合わせ、竹模様に勢いを加えている。】そして昭子さんを通じてまた知り会った80歳を越した敬子さん。彼女の招きで突然、アルゼンチンのブエノスアイレスを訪れることになる。イタリアからの移民が多いこの地。色鮮やかな集落。
冬の底を選んで訪ねたヴェネツィア。【時間が止まったままのような佇まいの漁師の島に陶然】とする。【車の通らない町で、音も匂いも色も、静かに沈殿している。】そして入ったレストランの店長は三十になったばかりの青年で、アルベロベッロの生まれだと答えた。【北で路地に迷い、気が付くと遠い思い出への迷路の入り口に立っている。三十数年前の景色が蘇る。アルベロベッロが会いに来たように思う。「それはきっと、南部が呼んでいるのよ」】。

あとがき
内田洋子にとっての取材、イタリアに向き合うときのスタンスが見開き2頁という短い一文に端的に記されている。これだけ短くまとまっているものをあえて部分的に引用するのも無粋だろう。興味をもたれた向きはどうぞ「あとがき」だけと云わず本書をじっくりとご通読・ご堪能されたし。

2016/02/18

雁、じいさんばあさん

雁

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(2012-09-13)
kindle版
■森鷗外(森鴎外)
」(「スバル」明治44(1911)年9月~大正4(1915)年5月に連載)
何気なく読みはじめたこれはすごく読みやすかった。内容的にはもどういう話に落ち着くかが気になる設定で、男女の縁とか心の機微とかが面白かった。
特に「囲い者」を男が作る段取りだとか、奥さんに囲い者がばれたときの誤魔化し方とかが興味深かった。ふーん。
「囲い者」は家も着物も旦那が用意してやるし、家には手伝いの小女もつけてやるし、この話の場合だったら妾となる女の父親の家まで世話してやるのである。随分物入りだ。金満家でなければ無理だ。
ちなみにこの話の男は高利貸しなんだけど、お妾さんは妾になってしばらくして人から言われるまでその商売を知らなかったとか、そもそも間に入った仲人からは奥さんがいないひとと聞かされていたとか、えええええそんなので自分の一生を預けちゃうのって思ったけど。でもこれだけしてくれて遊んで暮らせるならいいのかな。妾が高年齢になったらどうなるのかしら。家があればそれなりに暮らしていけるのかな。そのへんは書いていない。
語り手の「僕」が見聞きした妾と「僕」の友人の駆け落ち話にでもなるのかと予想しながら読んでいたので終盤の展開は意外だった。あらー。でもこの「僕」も隅に置けませんよね。言い訳してるけどね。

じいさんばあさん
じいさんばあさん
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(2012-09-13)
じいさんばあさん」(大正4年9月)
これも面白かった。こういう夫婦もあるんだなあという話。まあ今じゃ有り得ないか。ふたりが一緒に住む時系列で一番手前が文化6年。1809年。夫伊織72歳、るん71歳。彼らは子細あって37年間一緒でおれなかったのだ。なんということ。運命っていうけど。伊織のしたことは大変なことだけど流れを読むとその行動には十分同情できるし。
るんが賢くて、ちゃきちゃき働いているのが良かった。家でじっと待つ内助の功の妻、っていうのが江戸時代とかだったら多いかと思うんだけどそこがるんは違ってて、変わってる。江戸時代のキャリア・ウーマンだよね。恰好良すぎる。
タイトルが可愛らしくてほのぼの系?と思って本文に入ったらいきなり硬くてちょっと予想外なんだけど、この内容にはこの文章が固めで今風の心理描写などがないのが合っていると思う。この内容を「雁」の文体で書かれたらダメだよね。

2016/02/17

ある日、アヒルバス

ある日、アヒルバス 実業之日本社文庫
実業之日本社 (2012-07-01)
売り上げランキング: 321
kindle版
■山本幸久
初出は「月間ジェイ・ノベル」2006年7月号から2007年11月号まで隔号連載、最終章「リアルデコ」は書き下ろし。2008年10月実業之日本社刊、2010年10月同文庫の電子書籍版。

月替わりセールで安かったので購入した。この著者の小説はむかーしに少し読んだことがあるだけだが巧い作家だと思っていたので。
なんだっけと検索したら『はなうた日和』と『笑う招き猫』だった。そうそう『招き猫』は文庫で読んで解説をラーメンズの片桐仁さんが書いていたので「おお」と思ったんだよね。もう10年も前だったか~『はなうた日和』は読んだことすら覚えていなかった(記憶力なしに愕然)。
著作を全部読みたいと思わないタイプの、どっこも悪くないんだけど特別好きってわけでもない、という。なんでかなーと著作一覧を見てみてわかった。会社や仕事を題材にした作品が多いからだ。
毎日会社で仕事してて、余暇の楽しみである小説でまでその話読みたくないよ、と思っちゃうんだよね。
今回はバスガイドさんという自分の仕事とは全然違うジャンルだったので抵抗なく購入できたということだ。
久しぶりにこの作家さんを読んでみてすごく面白くて愉しかったしところどころは吹き出しちゃったりもした。記憶にあるより面白かったなあ。もったいないことしてたのかしら。他も読んでみようかしら。

主人公は都内のバス会社(イメージ的には「はとバス」が近いのかなあ。利用したことないのでわからないんだけど。本編終了後に作者からの断り書きがあった)に勤めるキャリア5年のバスガイド、愛称デコこと高松秀子さん。23歳。わ……若いなあ、と内心溜息をつく思いだが、本人は18歳で上京して寮に入りバスガイドとして5年も経っているんだという自負が見受けられ、ああ「プロ」だもんね、23歳、立派な大人だよねと考え直す。
とはいえこの物語の主人公がデコが尊敬する先輩ガイドの三原さん(35歳・美人・独身)や、厳しいバスガイド上司として畏れつつも敬っている42歳で社内最年長ガイドである戸田さん(単身赴任の夫と幼稚園児の息子あり。通称・鋼鉄母さんだって…。ちょっとヒドいなあ)だったらこういう話にはなり得ないだろうからやっぱり「23歳」という若さと幼さと大人が同居したキャラクターが活きているといっていいだろう。元気だし、理想もあるし、でもそこそこ社会の現実も見えつつある、みたいな。野望も時には抱くぜ、恋も結婚もバリバリこれからだぜ、みたいなね。

若い社会人の日常をバスガイドという職業を通して描いた穏やかな小説かなあと思って読んでいたらかなり意図的に笑わせようとしているユーモラスな表現やおかしみを伴った言い回しなどがちょこちょこ挿入されている。5歳児が武士みたいな言い回しで喋り続けるという、現実にはどこまでアリなのかわからない設定なども考えると「リアル」よりは「フィクションならではの面白い小説をどうぞ!」という著者の笑顔が見えてくる。心置きなく楽しませていただいた。
わたしの年齢は戸田さんが最も近いので、23歳から見たら42歳ってこういう感じか……と小さく衝撃を受けたけど昔の自分を振り返ったらそういえば、そうだったな。自分の意識的には35歳の三原さんのほうが近いんだけど(ただし彼女のように穏やかでも出来た先輩でもない、仕事や社会に対するスタンスが一番共感しやすかっただけ)。やはり子どもがいるかいないかは大きい気がする。

途中、箸にも棒にも引っかからない新人を教育するのに悩む場面では「どう解決するのだろうか」とかなり興味を持ったのだが根本的解決(本人のやりかたでどうこうなる)ではなくて第3者の介入(しかもかなり強力な個性)による改善となったので、参考にならなくてちょっと苦笑、まあでも、わたしと彼女じゃそもそも設定や状況からして全部違うもんなあ。こっちはこっちで頑張るよ、デコちゃん。

2016/02/14

冬の物語

冬の物語
冬の物語
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イサク ディネセン
新潮社
売り上げランキング: 9,411
■イサク・ディネセン 翻訳:横山貞子
北欧の美しい夏は短く、それに対して、長く厳しい冬がある。この短篇集は、デンマークの冬の時代に書かれた。一九四〇年四月九日、ナチス・ドイツが侵攻を開始した。以降、一九四五年五月まで、デンマークはドイツの占領下に置かれる。この占領中に作者は『冬の物語』を書き、デンマーク語で出版した。一九四二年のことだった。
訳者あとがきからの引用である。

バベットの晩餐会』はそれほどにも感じなかったのだが、池澤夏樹個人編集アフリカの日々』(1937年)を2011年1月に読んだらすごく良くて、信頼感が生まれた。彼女がヨーロッパのひとというのはわかっていたのだがなんだか「アフリカにいた」っていうイメージが強かったのだが、本書『冬の物語』はデンマークにおいてデンマーク語で書かれた物語集なのだった。長い冬の夜を、厳しい戦時統制下を「物語」でしのいでいく。生きていく知恵だ。

そもそもイサクというのは男性名のペンネームで、彼女の本名はカーレン・ブリクセンというのであり(ウィキペディアではカレン表記)、デンマークではその名前で出版されたそうだが、日本ではイサク・ディネセンのほうが通りが良いからこちらの名前表記なのだろう。
1885年デンマークのルングステッド生まれ。つまり2015年は生誕130年。新潮社から本書の刊行がなされたのはその記念らしい。ディネセンの略歴や本邦での翻訳・出版の流れは横山氏の「訳者あとがき」に詳しい。

本書は児童向けではないが小説というよりは物語性が高く、長い冬の夜に1篇ずつ暖炉などにあたりつつ愉しむのにうってつけという気がする。『アフリカの日々』でディネセンの話の巧さは感じていたが、まさに珠玉の短篇集。いっぺん読んだだけではもったいないので、また時を置いて繰り返しじっくり味わいたい。物語だから十代の読者にもすすめられるが、このほろ苦さ、厳しさを内包した冬の物語はある程度年を経てこその読み解きの妙があると思われる。

11篇収録。ざくっと感想コメント。特に良かったものに印。

少年水夫の話
少年水夫が少女と出会った後に取るある行動にびっくり。その後の展開もアゼンとして開いた口が塞がらないままだった。えええええ。デンマークではこれアリなんスか。ええ話風に締めてるけど、いやいやいやいや違うやろと…。

カーネーションの若者
第一作で大成功を収めた若者の憂鬱とアンニュイ。だが思い掛けない展開が起こって…。彼氏彼女には災難だったけど、主人公にはとても貴重な出来事だったわけだなあ。神様の悪戯というか采配というか。面白い!

真珠★★
若く美しい花嫁は新婚の夫から祖母ゆずりの真珠のネックレスを贈られた。その糸が切れてしまって、村の靴屋に修理を依頼した。それが返ってきたとき、夫は「かぞえてみなくてもいいのかね?」と尋ねたが…。
結婚したばかりの男女が、いろんなことを経て、いろんな思いを経て、夫婦になっていくんだなあというのを妻側の微妙な心理を細やかに紡いで実に巧く描いてある。

無敵の奴隷所有者たち
夏の保養地のホテルでの出来事。階級意識とかそういうのを皮肉っているのかなあ。全体を見渡せているのが育ちのいい若者で彼の取った行動の意外性が面白い。

女の英雄
イギリス人の青年がドイツに留学にしているときにドイツとフランスの戦争がはじまり、戻ろうとしたが国境を越えられなくなくなってしまった。そこで大勢のフランス人の旅行者たちと一緒に足止めをくらう。彼らはドイツ人士官からスパイ容疑をかけられ、そこにいた美しいマダムが首領だと言いがかりをつけられ…。
6年後、青年と女性は思い掛けないかたちで再会する。この女性の発言内容を解釈するのが難しかったなあ、そういうもんでしょうか…ううむ。

夢を見る子★★★
ある漁師の一家の娘が田舎から出てきて二十歳にもならないうちに幼い息子を残して貧しさのどん底で亡くなった。父親はお金だけ残してどっかへ行った模様。この小さい男の子イェンスが貧しい洗濯女に預けられて育てられて……というありきたりな展開だなあと思っていたらそこからどんどこ話が進んでうーわこれってこういう話だったのかという予想外さで面白かった。 イェンスが主人公、それともエミーリエ?と迷ってしまう、短篇だけど濃厚!

アルクメーネ
語り手の家庭教師である村の教会の牧師の家には子どもに恵まれなかった。そこで養子をもらった。彼女の名前がアルクメーネ。語り手と少女は兄妹のように育った。そして夫婦にとも望まれたがいろんなタイミングやなんやかやがあり…。終盤の展開は「つまりここを書きたかったのかなあ」とは思うが一度読んだだけでは読み込めきれない感が。父と子、母のこと、そういうことかなあ。


この話はよくわからなかった。王の懊悩?持てる者の悩み? 最後の3行がいきなり突き放してるなあ。

ペーターとローサ
牧師の妹の息子で6歳で孤児になった15歳のペーターと、牧師の娘、3人姉妹の末っ子ローサ。母親はローサを出産するときに亡くなり、姉二人は嫁いで家を離れていた。ペーターとローサは同い年で、9年前から兄妹のように育てられた。思春期の少年・少女ならではの思考回路がもどかしいというかなんというか、恋愛とかは無くてもっと純粋な、未知なる世界への探求心・冒険心というか……。ラストの展開には絶句。

悲しみの畑
昔の寓話でこういう無慈悲な王様いるよなあ……。そこにもうひとひねり。という話。伯父さんの考えていることもわからないが、いったん伯父さんと決別すると言ってまた翻したりするアダムのこともよくわからなかった。

心を慰める話
物書きのチャールズ(チャーリー)とその友達イーニアスの話。芸術論というか。そして作中作の町に変装して出掛けて国民の目線になろうとする王子の話。よくわからんけど、話としては悪くなかったと思う。チャーリーの最後の台詞を通していろいろ言いたいことがあるってことかなあ。

とりあえず全篇ひととおり読んだだけでは噛み砕いて消化できたとはとても思えないので、また再読しなくてはならない。単なる物語、寓話ではないことは確か。単純に読んでて風景描写とかがすんごく綺麗だというのはどの話にも共通している。アニメーションにしても面白いかも。上質なものを、ちゃんと作ってくれればの話だが。

2016/02/12

北村薫『六の宮の姫君』、芥川龍之介「六の宮の姫君」「文放古」「往生絵巻」、菊池寛「身投げ救助業」「頸縊り上人」

六の宮の姫君 (創元推理文庫)
北村 薫
東京創元社
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■北村薫
というわけでディネセンの短篇集はいったん中断し気になってしまうのでやはりこちらを先に読んでしまったというかちょっと読みはじめたら面白すぎてやめられなくなったというか。再々読なんだけど何回読んでも、良いなあ。

以下、この感想では北村薫『六の宮の姫君』の内容に触れています。
謎解き、ミステリーのネタバレをしています。

未読の方はお読みにならないようご注意ください。



感想は前回とかにも書いたけど、今回の眼目は北村薫の「私と円紫師匠」というよりはひたすら「六の宮の姫君」の解釈について。で、さっそくエピグラフでつかまる。え…っと、この芥川の「文放古」ってどんなんだっけ?
こういうときに便利なのがkindleなのである テッテレー♪
さっそく検索&購入で即読み。ふーん、こういう内容か。なんか、昨日ふれた山岸涼子の解釈ってこれに近い感じだよなあ。

この調子で読み進み、文中に出てきた芥川「往生絵巻」、菊池寛「身投げ救助業」はkindleでダウンロードして読みつつ。菊池寛「頸縊り上人」は何故かkindleに無く、青空文庫で無いのはもちろん有料版にも無いっぽい。と思って『六の宮の姫君』を読了してからネットで検索してたら何故か「四国の山なみ」様のページの中にありました。感謝。

今回『六の宮の姫君』を読んですっごく強く思ったのは、
「芥川~~~!!!!!」
という熱烈な愛情というか、なんというか、求めたくなるもの。生きていてほしかったというのとも少し違う。でも、読んでいると芥川が愛おしくて大好きでかわいそうで気の毒で、たまらなかった、ああ芥川、こんちくしょー!
これだけの気持ちにさせる小説をものした北村薫はどんだけ芥川好きか、言うまでもなかろう。
近著『太宰治の辞書』を読んだときの違和感の正体はこれだったんだ。この、芥川への溢れんばかりの愛情と熱情が、太宰へのそれとは桁が違い過ぎたんだろう。

北村薫『六の宮の姫君』は、芥川龍之介と菊池寛の実際の友情を、そして文学上の交流(キャッチボール)を順を追って解き明かしていった、文学ミステリの超・傑作だ。あーもー素晴らしいっっっ!!!

北村先生の解釈によれば、芥川は菊池寛の「頸括り上人」を受けて「六の宮の姫君」を書いたということになる。それは、己の信念、ここだけは譲れないというところを書かねばならなかったから。
なのに「六の宮の姫君」を読んで女性の自立が云々、という芥川にしてみれば筋違いの評価がなされて、芥川は「文放古」(大正13年4月)でこう書いている。
この手紙を書いたどこかの女は一知半解のセンティメンタリストである。
うーむ。
しかし「六の宮の姫君」とは別に、単独でこの短編だけを読むと、この大正13年にして既に精神的に自立して、経済的にも自立したいけど、社会的環境がそれを許さず、とにもかくにも結婚して夫の庇護のもと生きて行くのが女の道、みたいに周囲に言われて悩んで、でも救いを求めて著名な作家の本をいくら読んでも自分の助けになるようなことは書いてくれていないじゃないの! という若い女性を描いているのは興味深い。これ、平成になってもけっこう同じような悩み抱えてる女性いっぱいいるんじゃないかなー。ただ、芥川としては、その問題と、俺の「六の宮の姫君」を一緒にしないでくれたまえ! って感じだったのでしょうか?

まあでも、北村薫『六の宮の姫君』は素晴らしいんだけど、別に、それだけが正解ってわけじゃないから、芥川「六の宮の姫君」を読んでどう思うかは自由なんだけどね。だいたい北村薫の結論にたどり着こうと思ったらまず菊池寛「頸縊り上人」を読んでいないとだし、でも実際そういう頭で読んでみたけど菊池寛と芥川の関係とかをかなり突っ込んで考えていないとこのふたつをリンクさせて考えたりしないかもだし、うーん。

とりあえず、『今昔物語集』のおんなじ話を基にして書かれたけれど芥川の「六の宮の姫君」と堀辰雄「曠野」はぜんっぜん違うテーマだっていうのは確証取れました。やっぱり最後の部分が有るのと無いのとで、ふつうに作品だけ読んだだけでも違うなーって思ったけど、「女のあはれ」が書きたかった堀に対して芥川にとっては「お姫様(女)」そのものがもうフェイクだっていうところからしてやっぱり全然違うよね……。

文学と、信念と、友情と。芥川の繊細さと。そこへ押し寄せる過酷な運命と。あああ。芥川に共感しながら読んでいくと、泣きはしなかったけどかなり感情を揺さぶられて、まいった。つらかったろうなあ……。

文放古
文放古
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(2012-09-27)

往生絵巻
往生絵巻
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(2012-09-27)

身投げ救助業
身投げ救助業
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(2012-09-27)

「頸縊り上人」は青空文庫に無かったですが、こちらのサイト(四国の山なみ様)で読むことができました。

2016/02/11

堀辰雄「曠野」、芥川龍之介「六の宮の姫君」

曠野
曠野
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(2012-09-13)
■堀辰雄
高校の現代文の教科書に堀辰雄「曠野」が載っていて、現国(現代国語)の授業で習ったが、教科書的解釈が自分の解釈とまったく合わず、定期試験の時に教科書通りの解答を書くか、自分の考えを貫くか少々迷ったが後者で行くことにし、予定通り×をもらった。こういうことはこの作品のみに起こったことだった。
当然試験の点数はいつもより低くなってしまい、答案用紙を返されるとき、担当の先生に「どうしたんだ、思わず採点を見直したぞ」と聞かれた。「『曠野』はよくわからなかったんです」と答えたら「“待つ女”がわからなかったんだな(意訳=まだ子どもだな)」と納得したようにからかうように笑われた。教科書通りの解答を答えなかった「小さな反抗」ではあったが、先生はどうやらわたしの「自分の解釈で文学とは向き合いたい」という姿勢を認めてくれたように感じた。席に戻ると友だちが「なんか嬉しそうやね」と話しかけてきた。テストで悪い点数をもらって嬉しく思ったことなどこの1回きりだ。

堀辰雄の「曠野」と芥川龍之介「六の宮の姫君」は同じ古典(『今昔物語集』)を基にして書かれた小説である。久しぶりに両方を続けて読んでみた。堀辰雄の「曠野」は儚くて悲しくて美しい物語だなあと思った。
高校時代にどういう設問が出て、自分がどう解答したのか、正解は何だったのかは覚えていない。残しておけばよかった。いまのわたしの感想としては、この女の悲劇はその自主性の無さに釣り合わない自尊心の高さにあったというところか。プライドを貫くでもなく、人生に折り合いをつけて自分というものを立て直していくでもなく、ただ境遇が落ちていくままに流され、己のあり方というものを真っ直ぐ見つめる強さが無かったから、最後に突き付けられた「己の醜さ」に耐えきれなかったのだろう。客観的にみるとこの女の生き方は決して「醜い」と思わない。境遇が気の毒だ。仕方なかったんだと同情する。でも本人にとってはそうだったんじゃないかなと思う。こうありたい自分とのギャップゆえに。ふつうの貴族のお姫様だったらそんな「己との対峙」なんぞしなくても生きていけたのかも知れない。運が悪かったとも云える。
高校生のときの自分がどう思ったかは覚えていないのだが、もしかしたら男側に腹を立てていたのかなあ、どうだったっけかなあ、あまりにも昔過ぎて忘れたけど、でも教科書は女を美化していたようで、それに反発したような気がするんだけどこれも忘却の彼方なので。

曠野:初出「改造」1941(昭和16)年12月号
六の宮の姫君:初出「表現」1922(大正11)年8月号

六の宮の姫君
六の宮の姫君
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(2012-09-27)
■芥川隆介
芥川のほうを読むと、堀辰雄の描いた世界と全然テーマが変わっていて、芥川のいろんな思いが付け加えらていて(特に終盤)、その姫君に向けてというよりは結局己に向かう冷酷なまでの辛辣さにぞっとした。うわあああ、こいつ絶対許してくれないつもりだ! 言っとくけどこんなの原典には1行も書いてないぞ! 完全なアクタガワ・ワールドだ!

「往生は人手に出来るものではござらぬ。唯御自身怠らずに、阿弥陀仏の御名をお唱へなされ。」
 姫君は男に抱かれた儘、細ぼそと仏名を唱へ出した。と思ふと恐しさうに、ぢつと門の天井を見つめた。
「あれ、あそこに火の燃える車が。……」
「そのやうな物にお恐れなさるな。御仏さへ念ずればよろしうござる。」
 法師はやや声を励ました。すると姫君は少時の後、又夢うつつのやうに呟き出した。
「金色の蓮華が見えまする。天蓋のやうに大きい蓮華が。……」
 法師は何か云はうとしたが、今度はそれよりもさきに、姫君が切れ切れに口を開いた。
「蓮華はもう見えませぬ。跡には唯暗い中に風ばかり吹いて居りまする。」
「一心に仏名を御唱へなされ。なぜ一心に御唱へなさらぬ?」
 法師は殆ど叱るやうに云つた。が、姫君は絶え入りさうに、同じ事を繰り返すばかりだつた。
「何も、――何も見えませぬ。暗い中に風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて参りまする。」

としておいて、更に後日談として姫君の事を、
「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ。」
とある人物に評させるのである。
わー! キビシー!! 怖えー!!!

こうなってくると、北村薫『六の宮の姫君』をまた読み直さねば、という気持ちになってまいりますな。でもちょっと今、珠玉の某海外もの短篇集をぼちぼち読んでいるところなのでそっちも読んじゃわないといけないんだが……。

今昔物語集 巻30第4話 中務大輔娘成近江郡司婢語 第四
こちらは青空文庫では無かったが、ネットでググったらやたがらすナビ」というサイトに全文が掲載されていた。該当ページにリンクを貼らせていただく。

また、ネットで検索していたら山岸涼子「朱雀門」という漫画が芥川の「六の宮の姫君」を扱った作品だということで、山岸流の凄い切り口で迫っているらしい。山岸先生の作品てkindle版にまったくなっていないんスよね…。紹介されていたのは「コトダマの里」というサイトのこのページ。 山岸涼子セレクション8『二日月』あるいは秋田文庫『甕のぞきの色』で読めるらしい。

二日月 (山岸凉子スペシャルセレクション 8)
山岸 凉子
潮出版社 (2010-10-20)
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2016/02/10

天然日和

天然日和 (幻冬舎文庫)
天然日和 (幻冬舎文庫)
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幻冬舎 (2015-08-14)
売り上げランキング: 86
kindle版
■石田ゆり子
本書は幻冬舎ホームページに連載された「おぉ、素晴らしき日常」が2002年8月幻冬舎より『天然日和』として単行本刊され、2006年8月幻冬舎文庫化したものを底本とした電子書籍版である。
kindleの月替わりセールで上がってきたので「へえ、女優の石田ゆり子さんってエッセイ本を出されていたのか」と初めて知った。ふだん自分の守備範囲じゃないところをこういう機会に知ることが出来て、そこもkindleの面白いところだと思う。

原則ドラマや映画をたしなまないので石田ゆり子さんが演技しているところを拝見したことは1回も無いのだが、CMや、バラエティ番組などに出演されているのを何度かお見かけしたことがあり、上品で清楚できれいなお姉さまだなあ、という印象である。今回このエッセイを読んでいる途中で調べたら1969年生まれでらっしゃるので、このエッセイがネットに連載されたのは2001年~2002年くらいなので、今から15年くらい前の内容。だいたい31歳~32歳くらいのときに書かれたものだということになる。でも内容的に古いとかはほぼ感じなかった。
この本が初ではなくて、1994年にエッセイ集『しあわせの風景』を角川書店から出しているらしい。この本の後も、数年おきにエッセイ集を出されている模様。

「あとがき」によれば、本書は「なんでもない日常のことを、書きたいです。書き続けることによって分かることを、知りたいです」という石田さんのスタンスで書かれたもの。実際に本編を読み終わっている身には、そのとおりだったなあ、有名な女優さんなのにすごく地に足着いた、真面目で誠実なお人柄、芯がしっかりしているけど洋服や食器が好きでついつい買い過ぎてしまって収納に収まりきらない、なんてお茶目な面も見せてくれて、読んでいてほっこり、にこにこできる、とても親しみやすい日記風のエッセイ集だった。読む前のイメージをまったく裏切られなくて、良かった。石田ゆり子さんってやっぱり素敵な女性!

最初、猫を4匹飼っている(マンションで一人暮らし)と出てきて、それに加えて途中でラブラドールの犬(花ちゃん)が加わる。猫さん4匹は1匹を除いて大人なのだが、この花ちゃんがかなり元気がありあまっていて、小さいから躾もなかなか出来ていなくて、いつまでたってもトイレを覚えなかったりする、そのうちに壁に穴をあけたりコードを食いちぎったりと大暴れで、でも可愛くて、「やっぱり生き物を飼うって大変だなあ」と思ったけど、先日読んだ姫野(カオルコ)さんの小説もそうだったけど本当にこういうの読んでると「あ~犬か猫と一緒に暮らすってどんなだろう~やってみたい気がする~」という欲求が湧き上がってくる。でも、今までの人生で家に犬や猫がいたことがないからちゃんと育てられる自信が1ミリもないのだ、しかもうちのマンションはペット禁止だから当面は無理。……とほほ。

物が多い、服が多い、食器が多いとは何度か出てきたけど後半で整理整頓で捨てたり譲ったりするために選び出す量とか、フリーマーケットに出した量とか具体的に示されると想像以上に凄く多かった。一人暮らしでなんでそんな量の食器を……いや恋人や家族と住んでたとしてもその量は多すぎやしませんか、という量。完全に実用じゃなくて「趣味・蒐集」なんだろうなあ。洋服が多いというのは女優さんという職業柄もあるのかなーって感じだが。

ここ数年、断捨離とか流行してるけど、ゆり子さんはどうしてらっしゃるのかしら。でも好きなお洋服や食器や雑貨に囲まれて生きていくのも素敵だと思うけどな。整理整頓はちょっと大変かもしれませんが…。

2016/02/06

あん

あん
あん
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ポプラ社 (2015-05-12)
売り上げランキング: 2
kindle版
■ドリアン助川
本書は2013年2月ポプラ社刊(単行本税込¥1,620円)の2015年4月ポプラ文庫刊(税込¥648円)の電子書籍版(¥810円)である。電子書籍版のほうが文庫版より高いってドウイウコトデスカ!? 
『和菓子のアン』を面白く読んだことなどからアマゾンで見つけて以来ずっと気になっていた小説。でも知らない作家さんだしなあ、とか迷っているうちに文庫化されて、そして河瀬直美監督によって映画化もされたらしい(2015年5月公開)。昨日2月5日に日替わりセールで¥599円になっていたので飛びついて購入。本日何気なく読みはじめたらすごく読みやすい文章で途中で一回休もうかと思ったのだけど気になるので続けてしまい、イッキ読みしてしまった。『和菓子のアン』とはちょっと路線が違った。こういう話だったのか。

最初の方を読んだら、世を拗ねたような主人公の男が出てきて→イヤイヤどら焼き屋をやっている(餡は中国製を仕入れる手抜きぶり)→そこへ50年餡作りをしてきたという76歳の女性がやってきて彼女が作った餡を置いて帰る→食べてみたらすごく美味しい餡だった という絵に描いたような定型のストーリーだったので、タイトルが「あん」だし、「これは美味しい餡を修行して作っていくうちに主人公のひねくれた心も溶け出していったとかそういうハートフルかな?」とか予想したりした。
まあ、結論から云うと「定型のストーリー」っていうのはその通りだったんだけど、ひとつ、この76歳の徳江さんが抱えていた秘密があって、それがこの小説の大きなテーマなのだった。

ものすごくストレートに正しいメッセージを伝えようとしている話なので、わたしのようなひねた読者には眩し過ぎる感が否めないのだが、変に技巧やおためごかしを挟んでおらず、説教臭さもなく、小説として欠点も見当たらない。読者を選ばない、良い作品だ。ふだん活字に親しまない中学生や高校生が読むにももってこいだ。難しくなくて、読みやすい文章で、余計な枝葉もなく、テーマがくっきり明確だからだ。そしてそのテーマは出来るだけ多くのひとに知ってもらいたい、もう一度偏見をなくすためにもしっかり考えてもらいたいものだからだ。
読後、ポプラ社のホームページに行ってみたら【2013年度読書感想画中央コンクール指定図書<中学校・高等学校の部>】と書いてあって、まさにドンピシャだなと思った。そうそう、読書感想文を書きやすそうな本でもあるよ!

いちおう、テーマがなにかというのは途中まで明らかにされないから伏せておくけど、このことが小説のテーマにされるのは別に珍しくない。いままでも小説やその映画化などで取り上げられてきた。でもそれと身近な「食べ物屋さんの商売」とか結び付けられて書かれたのはわたしとしては初めて読んだ。そのことで、このテーマが抱えている問題がよりくっきりリアルに浮かび上がり、うーむと唸ってしまった。すんごくわかりやすい。自分の事として想像できる、想像できるから「もし自分がそのことを知った客の立場だったらどう感じるだろうか、どうするだろうか」をすぐに考えることが出来て、小説の話だけど現実のこととして問題を見なければならなかった。そして、重くて大きなテーマを背負った徳江さんがたどりついた結論は有難すぎて、気軽にここでそこだけを引用するようなことは意味がない。むしろそれは人口に膾炙した、ありふれたメッセージですらあるからだ。でもそれがどういう人生を歩んできた誰の口からどういう思考過程を経て出されたものであるのかということを知って読んだとき、わたしはそのメッセージをそのまま受け止めて良いのだろうかという戸惑いすら覚えた。そしてまだ消化しきれたとも思えない。

本書は家の外で読むのには向いていないんじゃないだろうか。泣きはしなかったけど、泣いてもおかしくない感情の揺さぶりがかけられる。それもかなりストレートに。
読書後、「いったい作者はどういうひとだろう」とウィキペディアで見てみたけどよくわからないままだった。わたしが知らなかっただけで著作はたくさんあり、ラジオや音楽もやっておられて有名な方のようだった。


2016/02/05

アムリタ

アムリタ (上)
アムリタ (上)
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幻冬舎 (2015-10-09)
売り上げランキング: 198
アムリタ (下)
アムリタ (下)
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幻冬舎 (2015-10-09)
売り上げランキング: 1,293
kindle版
■吉本ばなな
本書は1994年1月福武書店より刊行され、1997年1月「何も変わらない」を加え、角川文庫として刊行、2002年新潮文庫として刊行されたものの電子書籍版である。
「上」が1/31の日替わりセールで¥199になっていたので購入。火曜あたりから読みはじめ、上を読み終わり木曜日に下も購入(こちらは通常価格¥534)、金曜日の通勤帰りに読了した。kindle版のページ表記だと上は2573、下は2702。

わたしは吉本ばななを十代の頃に『キッチン』と『TUGUMI』を読んだだけで他は読まなかったのだが、それはあの頃吉本ばななというのは若い女性に圧倒的な人気があって、流行していて、自らを読書好きとしてトンガっていたわたしはそんな「みんなが読む本なんて」というのが多分にあったんだと思う(純粋にまだ学生だったからお金が無くて読むものはある程度厳選しなくてはならなかったというのもあったが)。
なんでこんなことをわざわざ書いたかというと、本書を読みながら
①ものすごいスピリチュアルなお話だなあ。でも作者が「吉本ばなな」だから安心して読めるなあ(知らない作家だったらどこに連れて行かれるか信頼感が無いから警戒しつつ読まないといけない)。
②すごく面白い。いまのわたしが読んでこれだけ面白いんだから、20歳前後でこれを読んでいたらどれだけ面白く感じただろう、おそらくもっとノメり込んだんじゃないだろうか。別に今でも悪くないけど、もっと若い頃に読むべき本だった気がするなあ。
という2つの事をずっと考えていたからだ。

わたし自身はスピリチュアル方面は全然疎いし鈍感だし、場合によっては胡散臭さを感じたりもする。だけど、相手が親しい友人だったり、信頼できる作家だったりする場合は、その「事象」を信じるというよりは、「相手」を信じる。これは十代から変わらないスタンスだ。
『アムリタ』は主人公・朔美、その年の離れた弟・由男をはじめとして不思議な力を持っているひとが何人も出てくる。みんなに共通しているのは、とても良いひとで信用できる人柄であることだ。力を悪用したり、そのために性格が歪んだりそういうマイナス方面に行っているひとがいない。由男くんはまだ小学生だからいろいろ大きすぎるものを抱えきれなくて苦しくて大変みたいだったけど、でも基本的にとても真っ当に生きている、踏ん張って頑張っている。
その地に足着いた感じの誠実さがあるので、どんなにとんでもない不思議な現象が書かれていても、受け入れて読むことが出来るのだ。現実に起こったらどうしていいかわからなくなるかも知れないが…。

『アムリタ』は「メランコリア」「アムリタ」「何も変わらない」の3つのタイトルが付いているが、3つでひとつのお話として読める。「アムリタ」部分が一番圧倒的に長くて、「メランコリア」と「何も変わらない」は序章と終章みたいな感じかな?

(文庫版あとがき)として「日常の力」という一文を著者が書かれているが、そこから引用。
だからこそ、地味で、ちょっと悲しくて、あまり意味のない最後の章が私はけっこう好きだ。永遠に続く恋はないし、超能力があっても人はお風呂を洗ったりしなければならないし、タクシーの運転手さんとの会話で意外に人は心晴れたりするものだ。
そういうことについては、ずっと書いていきたい。

正直、「何も変わらない」はエンドロール的というか、あまり重きを置かずに本編の余韻を掬うくらいの気持ちで読んだのだが、この(あとがき)を読んでなるほど吉本ばななはそういうことを書きたい作家なんだな、だからあの平穏な冗長とも云える最後の話をあえて追加で書いたんだなと納得出来た。あれだけ不思議な非日常的な日常を書いていて、読んでいる身には「絵に描いたような美しくてはかない創作物語の世界だ」と思うことがたくさん出てくる話だが、でも彼らにとってはそれが「日常」だし、「日常」には「どうでもいいこと」「物語にはならない些末な家事」なんかがわんさと付いてくる。そこを丁寧に描いていくことで、わたしたちは朔美たちの「生活」をリアルに受け止めたり、彼女たちの「不思議」を信じたり出来るんだろうしね。「なにげない日常」って「平和そのもの」だったりするしね。「非日常」に陥ってみると「日常」っていかに大事で、貴重かって、それは思い知ることだしね。
わたしにとってのサイパンはどこだろう。いつかそこに行けるんだろうか。行けるだけの勇気ときっかけがあるだろうか。そんなことも、考えたりした。