2016/01/31

ブックデザイナー・名久井直子が訪ねる 紙ものづくりの現場から

■グラフィック社編集部
良いなと思う本を買ったらその装丁が名久井直子、ということがしょっちゅうあり、まー世代とか、流行りとかあるんだろうけど、それにしても凄いなと思う今日この頃であったのだが、Amazonのおすすめで本書が上がってきて「おお、これは読まねば」と購入した。
実物を手に取って中を見て、ほぼすべてのページにカラー写真が載っていて、活版活字をたくさん使った凝ったレイアウトで、これで本体価格2,000円は素晴らしいと思った。
「名久井直子著」なのかと思っていたが読んでみたらそうではなくて、名久井さんが紙関係のいろんなところに出掛けて行く企画本で、文章などはグラフィック社編集部の方が書かれている。初出は雑誌「デザインのひきだし」
地の文と、ところどころに発言が「 」で括って、その後に発言者の名前が(  )で括って書いてあるというのが変なスタイルだなあというか、もしかして文芸誌とかじゃないとそれは普通のことなのか。その(  )の中の書き方も、回によって(名久井さん)と(名久井)というふうに敬称ありなしがバラけている。呼び捨ての回は名久井さんが書いているというわけでもないようだ。

目次などをみれば一目瞭然だが、活版を作っている会社とか製紙会社とか、本に関する「ものづくり」の、わりと「昔ながらの」とか「こだわりの」「職人技」なんていう表現をしたくなる場所に名久井さんが訪れて、編集さんと共に質問したり話を聞いたりしている。難しいことは出てこなくてわかりやすい。写真もたくさんあって綺麗な本だ。名久井さんがしょっちゅう匂いを嗅いでいるのが面白かった。
読む本というよりは見る本かなあ。
一般受けする内容ではないかもだが、紙とか本とか活版とかあとは名久井直子ファンには楽しい可愛い本。
名久井さんの名前があったので買ったのだが主役は取材されている「紙ものづくり」の現場の方々なので、名久井さんの装丁とかについて知れるかな? という漠然とした希望とは違う内容だったがこれはこれで好きな感じの本だったので良かった。 

この本の表紙を撫でると印刷されている部分はザラザラしている。凸凹がある。
デジカメで撮って、そのままの解析度だと大きすぎるので半分くらいに画質を落としたがそれでも印刷部分が盛り上がっているこの活版の感じ……おわかりいただけるだろうか。
「紙もの づくりの 現場から」の「紙」のところ。
味わいがあるですね~、DTPではこうは出ないでしょう、活版の、この擦れとか。良いね~。
最近は、名刺を活版で頼みに来る方が増えているそうだ。おしゃれ! 素敵!


最後、奥付の手前に「staff」として以下の様に書いてある。あら、装丁も名久井さんじゃないのね。
訪ねた人 名久井直子
写真 井上佐由紀(カバー、P6~15、102~121)/嶋本麻利沙(P16~102,122~130)
取材 大城譲司(P6~55、72~131)/上條桂子(56~71)
装丁 川名潤(prigraphics)
企画・編集 津田淳子(グラフィック社)

目次を写す。
はじめに
[印刷]
01 活字鋳造/株式会社中村活字 活版印刷/有限会社弘陽
02 手摺木版出版/株式会社芸艸堂
03 カラーコロタイプ印刷/株式会社便利堂
[製紙]
04 印刷用紙製造/日本製紙株式会社・石巻工場
05 色更紙・家庭紙製造/春日製紙工場株式会社
06 越前和紙/越前和紙の里を訪ねる
07 板紙製造/大和板紙株式会社
08 加工紙製造/柏原加工紙株式会社
[製本・紙加工]
09 並製本/図書印刷株式会社
10 製本/日宝綜合製本株式会社
11 型抜き加工/有限会社成貢紙工
12 古紙問屋/株式会社大久保
13 ポップアップ製本/C&C Printing 

2016/01/30

ミャンマーの柳生一族

【カラー版】ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)
集英社 (2014-06-05)
売り上げランキング: 358
kindle版
■高野秀行
高野さんの著作はちょこちょこ読む感じだがこれはタイトルから「ミャンマーはまあいいとして柳生か…なんか謀略謀殺?殺伐としてそーだなー」とスルーしてた本書、1/24の日替わりセールに上がっていたので読んでみた。全然殺伐としてなかった、少なくとも本書で書かれている限りではフレンドリーな面すらあった(紛争してた過去に彼らが何をしたかとかは知らんが。「いま」も裏では怖いことやってたのかもだが)。

高野さんと云えばエンタメノンフ提唱者。早稲田大学探検部出身ならではの濃ゆい人脈と、語学能力に長けてらっしゃるという素晴らしい強みをお持ちで「旅人に向いてる方だなあ」といつも思う。バックパッカーのルポの星といえばやっぱり御大・沢木耕太郎だと思うが(『深夜特急』は二十歳頃に読んであまりの面白さに夢中になった)、それの次世代を担う方のおひとりだと思う。沢木さんは硬派な感じだけど、高野さんはユルイ面もお持ちで、しかもだいぶヤンチャというか、正攻法で行かないことも多いようだ。
っていうか、レトルトカレーを温めることを「めんどくさい」と言い放つ、「めんどくさいハードルのめっちゃ低いひと」である(ソース=『ワセダ三畳青春記』)。

本書は、探検部の先輩である作家・船戸与一がミャンマーを舞台にした小説を書くための取材旅行に行くにあたって、高野秀行を「ガイド役兼通訳兼相談相手」に指名したので、一緒に行って、そのときに見聞きしたことを書きつつ、ミャンマーの政治情勢のあり方を日本の徳川幕府になぞらえて説明しようと試みた旅ルポ・エッセイである。
つまり「ミャンマーの柳生一族」というのは何かというと別にミャンマーに柳生一族がいたとか、似た一族がいたとかそういうわけではなくて、結構強引に「江戸時代の日本の情勢」と絡めてミャンマー(取材当時・2004年)のことを説明しようとして、その軍事政権最大の力を握っていた軍情報部を何に例えたら一番わかりやすくて「近い」かを高野さんが考えた末に出てきたのが「柳生一族」だったというわけだ。
ちょっと引用してみよう。ただし間にある説明まで引くと長くなる為、適当に抜粋させていただく。ご留意願いたい。

ミャンマー政府を「軍事政権」とか縮めて「軍政」などというからおどろおどろしい感じがするし、自分には関係のない遠い国の話みたいな感じがするが、要は江戸時代の日本だと思えばいい。
  ミャンマーは軍事独裁政権である。閣僚は全員将軍級の軍人だ。なかには小学校しか出てない大臣も多数いるという。閣僚も主要な役職はほとんど軍人が占めている。とんでもない話のようだが、徳川幕府はまさにそうだった。それで、ちゃんと機能していた。
  (中略)
  その中にあって、軍情報部とは、徳川幕府であるならさしずめ目付であろう。
  (中略)
  この役目をいちばん忠実に果たしたのが、まだ戦国の荒々しい空気が残っていた江戸初期に活躍した柳生一族だと私は考えることにした。目付の頭「大目付」(当時は「惣目付」)である柳生宗矩以下、柳生一族は徳川幕府安定のために活躍した。
  (中略)
  軍情報部はミャンマー幕府において、まさに柳生一族である。首領であるキン・ニュン首相は他の有力な諸侯と異なり、戦に出たことがない。家柄がよいわけでもない。
  (中略)
  キン・ニュン宗矩と情報部は、この国のいたるところにスパイ網を張りめぐらせ、民主化運動や共産主義者、少数民族の独立運動などを監視し、苛烈な取締りを行うと同時に、軍内でも諜報工作を行った。

……というわけで、高野さんの試みは序章の最初「ミャンマー柳生、おそるべし」に詳しく説明してあり、了解出来た。了解出来たが、この試みは正解だったのかどうかは最後まで読んだがなんとも言えなかった。というのは、私の頭の中で「現代(2004年で既に十年以上前の、スー・チー女史がまだ軟禁されていたときのことで既に過去なんだけど)のミャンマー」と「江戸時代(ちょんまげ・サムライ・裃)」のイメージがごっちゃになり、更に「柳生(怖い・卑怯・手段を選ばない)」がミックスされ、わかりやすいといえばわかりやすいけど、ミャンマーを正しく理解できたのか、ミャンマーと云われているのに「暴れん坊将軍」の城が頭の中をよぎっているのはいいんだろうかという。
まあ読んでいくうちにだんだん慣れたが、高野さんはしつこく「柳生」「幕府」「外様」「藩」などと「江戸時代ワード」を投入し続けるので、「なんだかラリホー(c)成田美名子@『ALEXANDRITE』」な感じだった。

船戸与一の著作は不勉強なので読んだことがないのだが、この本に出てくる船戸氏の像はまさにイメージ通りで、豪快というのかマイペースというのか、やっぱりちょっと変わっているなあ、と思った。カリスマ性とかいうのもあるのかな。後輩目線で書いてあるからわからんけど現地の「柳生」さんたちが「上」として扱っているのとか(ちなみに現地語も喋れるフレンドリーな高野さんは「同輩」扱いだ)。

ミャンマーの事はニュースで散見するくらいで未知の世界だったのだが、思ったよりも「ひと」が気さくで冗談と笑いがたくさんの旅になっていて、最初は「どうなることか!?」と緊張していたのにあっというまに肩の力が抜けて行った。面白かった。ワ州では第二次大戦中もまだ「首狩り族」として名高かったとか、「ひえ~」って感じだけど。麻薬とか生活のために作ってる州があるとか、「ウーム…」って感じだけど。
何より、最後の「柳生一族の没落」は2004年10月、既に高野さんがミャンマーの旅から帰って半年ちょっとの時点で、ミャンマーの政局が大きく変わっているのとか、「うわー、そんなことそういえばニュースで観たっけな?」って感じだけど(すみません、この程度の関心の低さです)。

目次を写す。
前口上
序章 ミャンマーは江戸時代
ミャンマー柳生、おそるべし
第一章 アウン・サン家康の嫡子たち
柳生、仕事すべし/幕府にたてつく人々/幕府の豆鉄砲狩り/ミャンマー幕府成立とスー・チー千姫
第二章 柳生三十兵衛、参上!
柳生三十兵衛、参上!/謎の男は「裏柳生」/柳生一族、懐柔作戦/かけがえのない「元麻薬王」を大切に/スーパー外様「ワ藩」別件
第三章 たそがれのミャンマー幕府
中国がアメリカに見えた日/武家社会はつらいよ/鎖国の中の国際人
第四章 柳生十兵衛、敗れたり!
アウン・サン家康の風呂場/柳生と老中の死闘/ミャンマーのシャーロック・ホームズ/柳生十兵衛、敗れたり!
終章 柳生一族、最後の戦い
キン・ニュン宗矩はタカノを知っていた!?/柳生一族の没落
あとがき

2016/01/25

みんな、どうして結婚してゆくのだろう

みんな、どうして結婚してゆくのだろう (集英社文庫)
姫野 カオルコ
集英社
売り上げランキング: 328,840
kindle版
■姫野カオルコ
1997年大和出版、2000年集英社文庫の電子書籍版。
かなりライトなエッセイ。
「はじめに」によれば「結婚」について賛成とも反対とも立場を取らないニュートラルなスタンスで書きたいということだった。読了しての感想だが、ご本人の考え方は一般的な恋愛&結婚観とはだいぶ異なるんじゃないかなあ、と思う。あえて皮肉を込めて書いたり、わかりやすく断定しちゃってるところもあるようだ。どちらにせよ、「こういうひとは、無理に結婚しないで良いんじゃないかなあ」とも思った。周りがうるさいのとか、本当に大きなお世話ですね。どうして放っといてくれないのだろう。
姫野さんは1958年生まれだから、だいたい31歳~39歳くらいのときに書かれたものらしい(「おわりに」などによれば本1冊分溜まるのに約7~8年かかったそうだ)。31歳と39歳ではいろいろ全然違うと思うが、通しで読んで違和感は無かった。
この当時は未婚だったらしく、それどころか本文の終盤にそもそも男性とつきあったことがないと書いてある。

姫野さんご自身のブログによれば『みんなどうして結婚してゆくのだろう』は、
Why みんな結婚するの?」ではない。
How みんな結婚できるの?」と言っている。「どうやって、結婚にいたってゆくのだろう?」というエッセイ
結婚制度そのものには賛成も反対もしていない。
とのことだ。

念のために書き添えておくが、「どうやって結婚にいたってゆくか」を書いたHOW TOでは全然ない。具体的に既婚者に質問したりも無し。頭の中で考えているだけだ。全部「?」のままだ。
子どもが欲しくないから、電子レンジに体を付けるくだりはちょっとぞっとした。

目次を写す。
はじめに――この文庫はいかなるものか
結婚の謎
 引き出物にいいものなし/「二十九歳」への誤解/「ごくふつうの結婚」はどうしてできるの/大人のおもちゃのチャチャチャ/指輪より欲しいもの/あまりものには福がある?/結婚はなに色
結婚までの遠い道
 カジュアル見合い/YES/NO枕/友よ! 国際結婚がある/夫婦別姓って、たいへんなこと?/初めてのおかあさまへのご挨拶/なんとつつましい「結婚するなら三高」の条件
男と女の深い河
 「お嫁さんにしたい№1」の真実/「できればセックスしたくない」ヤツら/赤い口紅は、ポテンシャルの踏み絵になる……?/夢のような3P/オトコのヒトは今日もお悩み/自宅ボーイのゆううつ/求む! ゴキブリ亭主
結婚の定理
 「小柄な女は好かれる」を証明します/要注意! 背の高い男はバカである/どんな男も「カミさんは怖い」/お嬢さまとあばずれは似ている/恋愛相談はムダである/年下夫・年上妻をおススメする理由/「男は料理のヘタな女が好き」だった/基礎演習――「男は処女がキライ」を証明しなさい
理想の結婚
 「女らしさ」の本質/イイ男=医者のふしぎ/そして電子レンジの伝説は残る/ヒメノの法則――未来は望むとおりに手に入る/そうよアタシは結婚むきの女/on your own
おわりに――文庫版あとがき

2016年現在はどうなのかは、ネットで検索してみたが公式では書かれていないので不明。ファンのブログや掲示板に一時公開されていた「私小説」を根拠として2008年くらいに結婚したという意見が見受けられたが「私小説」≒「事実」なんじゃないのかなあ。でもお相手が結構年下というのは「そうだろうな」と。父親の影響で、年上は駄目だと書いていらしたので。
別にどっちでもいいんだけど、このエッセイに書かれている内容からは「結婚したい」とは読み取れなかったので、彼女がもし結婚したとしたらそれを覆すような相手と巡り合ったのか、考え方そのものが変わったのか、その両方なのか、などという興味(好奇心)はある。

2016/01/23

ツ、イ、ラ、ク

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)
姫野 カオルコ
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 41,573
kindle版
■姫野カオルコ
本書は、2003年10月に角川書店から上梓され、2007年角川文庫となった作品の電子書籍版である(解説は省略)。第130回直木賞候補作。

この本は2003年に「本の雑誌」で北上次郎が大絶賛している書評を読んで以来、ずーーーーーーーーっと頭の隅っこで気になり続けていた小説だった。
①すごい名作だという。→②名作は読んでおきたい。→③だけど「恋愛小説」だし、どうアラスジや評判を読んでも濃厚な恋愛ものっぽいし、そういうのは苦手なんだよなあ~。→①に戻る。
という具合に、最初に知った時から思い出すたびにこの思考ループが回って、結局読まないまま今まで来た。先日、同著者の『昭和の犬』が予想以上に良かったことと、著者に対する自分内の好感度がかなり高まっている今なら読めるかも、いつ読むの、今でしょ!(古い?)という感じでえいっと読んでみた。

結論から云うと、やっぱり苦手でした……。でも小説としての出来はかなり高いレベルだし上手いと思う、単に読み手の好みの問題。
最初、小学校時代から始まって、ぼんやり読んでいて「小学校高学年」みたいな言動を登場人物たちがしていて、でも「二年生」と書いてあったので「エッ!?」となってもう一回最初から読み直したりした。えー、小学二年生ってこんなにマセてたかなあ。

この小学校時代を夜に読んで、いったん置いて就寝するとき、「やっぱり合わないから、もうこのまま読むのやめよう」と思っていた。でも起きてもう一度考え直した。今までの経験上、途中でやめた小説っていうのはずっと気になってしまうのである。まして、この作品は2003年からずっと「あれを読んどかないと」と気になり続けていたものである。せっかく10年以上持ち続けた荷物を下ろそうとしてるんだから背負い直すのは駄目だー!
というわけで、歯を食いしばって読んだ。
さいわい、中盤の、主人公と相手がどうこうなるあたりからは物語の展開が加速し、それに比例するようにこちらもどんどこ読み進むことが出来て、昼休み&帰宅後読書で読了することが出来た。
『昭和の犬』は楽しく読めたけど、『ツ、イ、ラ、ク』は小学生時代は理解できなくて気持ち悪くて苦痛を感じ、中学生時代は週刊誌をのぞき見するようないささかスキャンダラスな内容に対する興味で乗り切り、それ以降はちょっと冗長で退屈だなあこれと思いながら読み、ラスト付近はいきなり甘くなって落ちまでの定石通り過ぎる展開に戸惑いつつ、読了。楽しくなかった。
そこで就寝して、朝起きて朝食のメニューを考えつつ読書感想をどう書こうか考えているときに「ああ、この小説は砂糖を入れてよくかき混ぜないまま飲んだコーヒーのような作り」だったんだなあと思った。
ずっと苦くて美味しくなくて、最後の最後で底にたまっていた砂糖が甘すぎて顔をしかめる。
実際はコーヒーに砂糖を入れる習慣はないのであくまで「イメージ」だが。

それにしてもわたしは奥手な人間、いわゆる「ねんね」だったとは自分でわかっていたが、この小説を読んで、もしこれが世間の通常レベルの発達過程なのだとしたら、自分は思っていたよりもずっとずっとレベルが違うくらいに奥手だったんだと衝撃を受けた。いやでも、この小学生は早熟すぎるでしょとも思う。
この小説にこの小学生時代は必要不可欠だろうか? 無くても良いんじゃないか? あってももっと短くて良いんじゃないか?
中学時代はまあ置いておくとして、そこからの20年後の群衆劇みたいな描写が延々続く、その内容が良ければともかくこの陳腐さで、このしつこさは必要だろうか?
最終部あたりで、アイスクリームが出てきたときに「彼」が取った行動には素直にトキメいてしまったが…。

やっぱ恋愛小説は苦手。姫野さんの作品はテーマや内容によって好悪が分かれるので選んで読まなくちゃ。でもこれは彼女の代表作のひとつであることは間違いないので、読み通せて、これでやっと次に進むことが出来ると思った。

2016/01/21

昭和の犬

昭和の犬 (幻冬舎文庫)
昭和の犬 (幻冬舎文庫)
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姫野 カオルコ
幻冬舎 (2015-12-04)
売り上げランキング: 43,686
kindle版
■姫野カオルコ
第150回直木賞受賞作。2013年9月単行本化、2015年12月文庫化の電子書籍版。
すんごい面白かった!
本編はもちろん素晴らしかったし、kindle版だけど「文庫版・解説としてのあとがき」がちゃんと収録されていてその内容が著者自身による作品の構造解説だったりしてこれがまたわかりやすくて直前の本編読了の感動をうんうんと頷きながらストーリーを噛みしめられる効果もあって、とても良かった。

姫野さんの著作は2006年に『ハルカ・エイティ』を読んだだけだったのだが、それは友人に強く薦められたからだった。筆名や他の作品のアラスジからなんだか「個性派過ぎて、キレキレで合わないんじゃないかな」と思っていた。「ハルカ」は面白かったけど実話を元にしてあると読了後知り、この作家さんは作品によって文体や雰囲気を変えるタイプで「ハルカ」は異質とあったので続けて同著者の他作品を読もうという気にもならなかった。

今回この作品を読もうと思ったのは、2013年の直木賞受賞時に気にはなって頭の隅にずっとあったということと、文庫化と同時に電子書籍版も出て手ごろな値段になったこと、Amazonのレビューで皆がかなり上質の誉め方をなさっていたので心を動かされたということから。

つまり割とハードルが高い状態で読んだわけだが、にも関わらず、期待を上回る傑作で……切り口も冒頭から斬新で上手いし、すっと引き込まれるし、章ごとに新鮮さがあって飽きる暇がないし、なにより犬や猫が愛らしくて、読んでいて楽しかった。
「昭和の犬」というタイトルだしこの表紙だから犬がキイになっている小説なんだろうとは想定していたが、それをお涙ちょうだいの「犬と人間の感動話」にしていないところが良かった。この主人公は幼い頃から犬と触れ合う機会が多くて、主に家で飼われている犬や猫との関係を年代ごとに追って書いてあるのだが、昨今一部の飼い主にあるような犬を犬として扱わず人間扱いするということは一度もなく、大事に、でもあくまで犬として扱っているところが、きちんと関係を築いているところが格好良かった。

とても可愛くて良い犬が多いので、人間よりは寿命が短いとか、行方不明とかでいなくなってしまうことが度々あるので、そういう展開を読むと寂しくて悲しかった。ずっと一緒にいれたらいいのに。でも案外長く執着せず、また次の時代、次の犬の話になっていく。別に冷淡とかそういうわけではなくて、昔あったことを現在振り返って書いているスタイルだからというのもあるだろう。

著者による「解説としてのあとがき」に必要なことは全部書いてあるけど、先に読むか後に読むかはまあ好き好き。わたしは後で読んだ。翻訳ものの場合、解説を先に読むことが多いんだけど。この「あとがき」は結構内容についても触れているから白紙で無心で読みたかったら後にしたほうがいいかもしれない。
姫野さんは昭和33年生まれで、この小説の主人公も同じ感じで、昭和38(1963)年から平成19(2006)年くらいまで、主人公の年齢でいうと5歳児から48歳くらいまでのことが書かれている。幼い時のほうが時間の進み方がゆっくりだから、割くページ数も多くしてあるとかそういうことまで「あとがき」に書いてあってそれは読んでいてそのとおりに感じていた。
読んでいるときも主人公の年齢設定などから「そうかな?」とは考えていたが「あとがき」にはっきり【自伝的要素の強い小説です。】と書いてあって、すごい人生だったんだなあと改めてびっくりした。っていうかご両親の性格が。実際にこんな感じだったのかと。これはしんどいなと。今ならナントカハラスメントというか虐待に当たるんじゃないか。【父が割れる】という表現方法はすごくて、これほどリアルに的確にその恐ろしさ、異様さを伝える短い言葉もないだろうと。突如として【割れ】て、【咆哮】するんだそうである、自分の気に入らないことを子どもや妻がすると。その怒る内容がまた意味不明な理不尽なことが多く。恐ろし過ぎる。おまけに母親も異常で。学校の教師をしていたらしいが……思春期から年頃になった娘がブラジャーをすることを認めない母親ってなんなのと思うけど、つまり娘が「女」になることを認めない感じなんだろうなあ。すんごい極端だけど。
こういう両親に育てられたことは主人公の性格形成に大きく影響した。 父親に愛されて育った娘と自分の違いを冷静に分析するシーンが後年に何度かある。
主人公が東京の大学に進学してわりとすんなり親元から離れることが出来たのは意外だった。そういう方向の執着は無かったってことか。そして主人公も親が年を取って入院したりしたら東京と滋賀を行き来してちゃんと世話をしているのにちょっと意外な感じがしたが「実際」っぽかった。この小説でも書かれているけど家族のことはその中にいるひとでないと本当のことはわからない。親を切り捨てて「故郷には戻らない、親にも会わない」という人生もあるだろうし、この主人公はそうしようと思わなかったわけだが、どちらが良いとかいう話ではない、そういうことを書いた話ではない。主人公が大人になってから住んだ貸間の大家さんについての噂話などを聞かされてもそれを丸呑みせず、きちんと「家族の人でないからわからないんだ」という意見を貫くところとかは苦労なさったひとだからこそだろう。
そしてそんな彼女がこの小説のラスト近くで言う。
「今日まで、私の人生は恵まれていました」
どこがやねーん! と瞬時にツッコみたくなったが、彼女は本心からそう言ってるんだ、というのもずっと読んできた身にはわかり、いろんな感情が沸き起こる。ああ、「家族のこと」も「そのひとの心のありかた」も表面的なことだけではわからないし、同じことを経験したとしても「ひと」が違えば「捉え方」も違う。人生を肯定できる、感謝することのできる、このひとは素晴らしいひとだ。

この話の主人公よりわたしは半世代ほど後の生まれなのだが、昭和のあのころは時代の進み方が早かったからだろう、「だいぶん違うなあ、昔だなあ」と思うことが結構あった。田舎育ちなのは同じなんだけどトイレの無い家に住むとかはなあ。どちらかというと母親の世代に近いのだが、姫野さんの切り口はユニークだから新鮮な感じで面白かった。ほんとに日常スケールで書いてあるんだけど、ただの昔語りにならない。ごく幼いときの描き方とかがくっきり映像で浮かぶくらいにリアル。テレビ番組とかを絡めて書いてあるから同世代のかたは懐かしかったりするのかもしれない。田舎と東京が随分違った時代。あと、親が主人公の世代の平均より高齢だったという設定で、大正生まれという関係で父親はシベリア抑留帰りだったりして、そういう育った環境の違いも大きいか。でも、平成に入ってもまだ東京で「貸間」に住んでいたりして、主人公が自ら選ぶ「環境」もかなり保守的というかなんというか……っていうかそんなもの当時まだ残ってたのかという感じ。たくさん出てくる関西弁は読んでいて心地好かった(この関西弁も今時はここまでコテコテのは年配の方しか喋らない)。主人公は大学から東京なので標準語を喋るようになり、ちょっとだけ違和感があったがまあ実際はそうなるか。

以前に読んだ本でも昭和50年代頃を「ネアカ・ネクラ」という言葉が出てきて、「明るいキャラクター」が求められたと書いてあって「そういえばクラスメイトが自己紹介でそんな言葉を使ってアピールしてたな」と思い出し、当時は子どもだったからわからなかったけどあれは「時代の空気」のせいだったのか、と静かに衝撃を受けていたのだが、『昭和の犬』にもまさに同じことが出てきた。
主人公は、【明るく軽い印象を人に与えられない。明るさは対人間関係最大の武器であるが、とりわけ昭和五十年代後半は、明るさを、人がもはや脅迫される時代であった。ものごとに拘らない、考えないことを、ひょうきんだ元気印だと礼賛する時代であった。】として人とあまり関わりのない職業を選ぼうとする。

いま手元のkindle内を検索したら佐藤正午『象を洗う』だった。この際だから『昭和の犬』の感想からはだいぶ話が脇道に逸れるが自分的に関心がある事項なので書き写しておきたい。
佐藤正午『象を洗う』より。
僕が高校・大学時代を送った一九七〇年代には人の性格は二通りしかなかったように思う。あるいは、二通りしかないと言われていたように思う。(中略)その二通りとは明るい性格か暗い性格かというものだった。明るい方はネアカと呼ばれて重宝がられ、人気者にもリーダーにもなれるし幸福な人生も約束されている。ネクラと呼ばれる暗いほうの人はまったくその逆である。と、まあそんな感じだった。(中略)
七〇年代にネアカと呼ばれて持ち上げられた性格は、八〇年代に入ると軽いとか軽薄とかの言葉を代用してなかば非難の的になった。一方、七〇年代にネクラと呼ばれて敬遠された性格は、九〇年代に入ってオタクという言葉とともになかば復権した。(中略)
この要約はもともと、七〇年代に人の性格を明るいほうと暗いほうと大雑把に二分した(二分できると考えていた)風潮から来ているのであまり意味はない。最初に断ったように、普通の人間は時と場合によって明るかったり暗かったりする、というのが僕の一貫した考え方だ。要するに、明るいとか暗いとかいうのは僕の考えでは性格ではない。それは性格というよりもむしろ気分と呼ぶべきである。
モノゴトを俯瞰で捉えることの大切さ。
いま「常識」だと思っている「自分の考え方」だと思っていることだって所詮「時代」の風潮に影響されたものに過ぎないのかも知れない。

『昭和の犬』はひとりの女性の半生を書いてあって、「昭和」だけど彼女自身の生活は「戦後」なところ、高度経済成長の「元気だった昭和」の日本の時代であること、でも「親が戦争を経験している」ことなど、「その世代」を見事に描いてある。その空気を知っている、ちょっと昔だからこその懐かしさ、安心感みたいなのもあって、本当に良い小説だった。「あとがき」の次のページに姫野さんの写真が載せられていて、編集部の方による「受賞会見にジャージで走ってきた姫野さん」という手書き文字が添えられていて、微笑ましかった。そのあとに「幻冬舎による著者紹介」が丁寧に書かれていて、著者のお人柄の良さゆえだろうなとにこにこしてしまった。以前テレビの「ジョブチューン」という番組に出演されていた時に偶然拝見したけど、とても謙虚な方だと思う。

象を洗う
象を洗う
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光文社 (2013-01-11)
売り上げランキング: 136,197


2016/01/15

お話はよく伺っております

お話はよく伺っております
KADOKAWA / エンターブレイン (2014-07-31)
売り上げランキング: 9,104
kindle版
■能町みね子
これは初出「Soup.」2007.12月号~2012.5月号「能町みね子と街の声」から抜粋し、加筆・編集した2012年6月刊の書籍をもとにして制作された電子書籍版。

街中や電車・バスの中などで耳に入ってくる市井のひとのなんでもない会話で能町さんの琴線にふれたものを紹介し、味わうエッセイ集。想像したよりどうでもいい内容が多く、思ったよりは「実際に聞いたら自分が面白いと思うかは不明」な感じだった。ただ、能町さんの取り上げ方が加わっているのでエッセイとして成立しているとは思う。

町中でそのへんのひとの会話を耳ダンボで聞いている、というのは作家の津村(記久子)さんも書いてらしたなあ。わたしはどっちかというと「聞きたくない派」である。いままで不可抗力で耳にしてきた知らない人同士の会話で聞いて面白かったり良かったというのはほぼ記憶に無いけど、聞いて不愉快だったり面白くなかったということは何回もあるからだ。最近はしていないが、通勤電車内にいる時間が長かった時代はウォークマンは必須だった。
まあつまり、「聞きたいひと」「聞きたくないひと」そしておそらく「どうでもいいひと」がいるんだろうな、でも能町さんも津村さんも仕事になんらかの形で活かせることが無いともいえない職業である、というのはあるだろう、玉石混淆の、ほとんどが石なんだろうけど。

幼い子どもの根源的な質問とか無邪気な様子とかはこれはもう夏休みの「子ども質問箱」の例を挙げるまでもなく鉄板ですよね。本書でも小学1年生くらいの坊やの「ねーお母さん、なんで人っているの?」というとんでもなく難しい質問が紹介されている。こっ…こんなの訊かれたらどう答えたらいいんだろう。この坊やは続けて「神様が作ったの?」「なんでおじいちゃんになったら死ぬの?」などと難問を投げかけている。対するお母さんは「うーん」とか「そおねぇ…」くらいしか返せていなかった模様。

あと、タリーズカフェでの店員さんの注文を通すときの掛け声についてのくだりは面白かったけどこれは厳密に言うと「会話」じゃないような…っていうかタリーズカフェに行ったことわたしあったかなあ…スタバも2回くらいしか…でももし行く機会があったら全力で耳ダンボになることであろう。

最後の「国際的にも」は書き下ろしだそうだが、単に海外旅行でコペンハーゲンに行ったときにホテルにいた変なおじさんの話1つだけだった。それで国際的って言われてもなあ。
っていうか能町さんって東大卒なのに英語のヒアリング出来ないとか書いてらっしゃるんだけどどこまで本当なのかなあーいままでわたしが本で読んだ東大卒のひとって英語わりと得意な方ばっかりだったような。ふだんの授業でも英語ばんばん使うとか出てきたような。まあふつうに謙遜だろうなあ。

目次を写す。
まえがき
男子中高生の天性/国と性をこえて/19歳ののろけ/ツッコミと命/日本語マニア/これがオシャレだ/全力話題作り/少年の窓/セレブの苦悩/独身女子の愛/夏の日の2008/あえて負ける/ギャッッッッップ!!/エクセレントこんにゃくジャパン/スクープゲット/貼り紙からの声/横文字でごあいさつ/ギガ/オシャレ病気カフェ/紅白に向けて/ニッコリママサン/セレブと下町のコラボ/存在と死/大人の会話術/ギャル自治区(その1~3)/劇団・男A&フッキー 第1回公演『600円の責任』/オレとオマエの花火/カフェ・プライド/やらされるゴルゴ/ビアホール萌え社長/イケメン漢字クイズ/半笑いの戦場/サマーバケーションじいさん/流行の最先端にて/モテトーク50代篇/親友とは(40代男性バージョン)/ソフィスティケイテッド中学生/構造改革中央線/たくましき高知/実録小悪魔/年賀ヤンキー/笑おうよ/コンパッショーネされたい/ダジャレ女の友情/お詫び申し上げます/21世紀友達/新・声に出して言いたい日本語/真夏の推理/冷や汗占い/甘酸っぱい歌舞伎町御前4時/国際的にもお話はよく伺っております

2016/01/14

オカマだけどOLやってます

オカマだけどOLやってます。完全版(上)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 1,982
オカマだけどOLやってます。完全版(下)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 7,640
kindle版
■能町みね子
この電子書籍版は、初出はブログで書かれたものらしいが、2006年10月刊『オカマだけどOLやってます。』と2007年12月『オカマだけどOLやってます。ナチュラル篇』(共に竹書房)の2冊を加筆、再構成し、完全版として文庫化(2009年文春文庫)したものを(上)(下)に2分割したものだそうである。
2分割にしてある意味は商売上のなんらかの都合かなあ、だって上下合わせても全然多くないページ数なんだもの。
kindleで面白いことはいくつかあるが、書籍のページ数が同一条件で比較できるということがかなり面白い。紙の本だとページあたりの文字数がまちまちだけど、kindleだと同じカウント方法なんですね。フォントの大きさとか、行間を変えたら総ページ数も変わるのかいろいろ試してみたけど変わらない。どうやら、どういう条件でもトータルは同じになる仕組みになっているようだ(具体的には、最大フォントでカウントした場合のページ数を最少としてあるので、例えば最少フォントの1ページはひとつめくっただけで9ページ毎になっているとかして調整されている)。
で、それでいくと(上)は998で、(下)は1630です。合わせても2,628にしかなりません。
長さの比較がしやすいように夏目漱石『草枕』は2747です。『吾輩は猫である』は8742もあります。
というわけで『オカマだけど』を分冊にする理由はお金儲けの為デスカ?と聞きたくなってしまうのもまあ仕方アリマセンね。
ちなみに(上)¥324、(下)¥324で合計¥648。文庫版は¥713です。

あ、それと!
この本には能町さんの1コマ漫画風の挿し絵がけっこうたくさん載っているのですが、kindle版ではそれがすんごく小さくなってて、そして絵によっては拡大できるんだけど出来ないのが8割くらいだった。仕方がないから目を近づけて頑張って読んだけどめんどくさくて諦めたのもだいぶある。このへんをきっちり読みたい方は紙の本で読まれたほうがいいんだろうなあ。解説はkindle版には省かれているけど紙の本にはあったのかなあ。

内容は、先日読んだ『お家賃ですけど』と時期がけっこう被っていて、でもこちらには住まいの事はほとんど触れられていない。その代り、日々の「女性の格好してるけどまだ男性の名残がある状態」とかについてかなり丁寧に書いてある。でもあんまり性的な生々しいことは書いていないので中学生とかが読んでも学校の図書館に置いてあっても全然大丈夫。健全です。
男性として生まれて女性の格好をするのは大変では?と思ったんだけど、もともと能町さんは男性にしては女性っぽく見られがちだったそうで、たしかにネットで現在のお顔とか拝見しても「あ~キレイな男の子だったんだろうな~」って容易に想像できる。意外だったのが性同一性障害の方でよく目にする「小さいときから男の子が好きで」とかそういうのが無くて、大学生になってもまだ女の子とおつきあいしている(ただし体についての興味が全然湧かなかったので今思えばあれは恋愛感情ではなかったと書いてある)。
この方は大学卒業後、男性として就職して、その時点で私服であれば女性と間違われたりしていたらしい。でもあるとき洋服屋さんで男性扱いされて、このままどんどん男性っぽくなっていくことに抵抗を覚えたそうだ。ふーん。
髭は永久脱毛で処理して、名前は裁判所で変える手続きをして、女性ホルモンを薬で摂取して、声は練習して高い声で話せるようになったそうだ。本書の最後のところで、いよいよタイに手術しにいく手前となる。「文庫版あとがき」時点では戸籍上も女性になっていて、だからまあ普通に女性として過ごしてらっしゃるらしい(ネットで散見したが、テレビにも出演されているんですね。この著作を知らなければ彼女が生まれたときは男性だったことや「オカマ」として著作をものしていたことなど全然知らなかったという方が少なくないようだ)。

わたし個人でいえば、この本のタイトルだけたぶん2006年当時に「本の雑誌」で見ていたのでタイトルだけで「ああこのひとはオカマさんなんだ」という認識でずっと(つまり10年間)きたわけだが、中身を読んでみると「オカマ」という言葉から想像していたような印象と随分違った。色んな意味でナチュラルというか、肩肘張ってないというか、悲壮感もないし、あんまり悩んでいるシーンもない(別に性同一障害じゃなくても十代の男女であればなんらかの悩みはあると思うが、能町さんの本書におけるスタンスなのか、もともとそういう性格なのかはわからないが、ウジウジさがかけらもないので爽快なのだ)。
少し物足りなく感じたのは「OLやってます」というタイトルだから、もっと会社での日常風景について日記風に書かれているのかと想像していたらそういう記述はほとんど無かったこと。最初のほうに書かれていた「男性だったら重い荷物を持たないといけないけど女性だったら男性が手伝ってくれてラッキー」とかその種の「日々の男女の違いあるある」についてもっと書かれているのかなと思っていたんだけどそれもあんまり無かった。

この本を、性同一障害で悩んでいるひとが読んでもあんまり参考にならないんじゃないのかなあという気がしないでもない。別に悩んでないけど他の人の例も読んでみたいわ、くらいのノリだと丁度良いような気がする。まあ想像だけど。
でも異性愛のひとも十人十色なので、まあ条件は一緒ですね。他人の人生と比べても結局はいろいろ全部違うので、むしろ「同じじゃないこと」に悩んでるならそれはノー・プロブレム! みんな違って当たり前なんだぜ。――とかなんだか意味不明に感想が励ます方向に動きがちですが、それこそが能町さんの避けたいところなのかもしれなくて、能町さんが何故「オカマ」という表現を使ったかというとひとえに「性同一障害」という言葉を遣うとなんだかいろんなものを背負っちゃって相手も深刻にとらえがちだし「障害」「病気」だというのとはちょっと認識が違うので…みたいなご意見で、なるほどなあと思った。
あとがき」から引用。

  最近は「性同一障害」ってことで、ちゃんと(?)市民権を得られるようになりました。もちろん、それは素晴らしいことだと思うし、道を切り開いた先人には超感謝してます。
  なのに、なんでこの呼び方に抵抗があるかっていうと、言葉のイメージが、ちょっとね……。
  ドキュメンタリー番組とかだと、必ず「障害に負けずにがんばってる人」「それに対し社会の遅れが……」っていう取り上げられ方になっちゃうんですよね。
  (中略)
  私、わりと毎日ヘラヘラ楽しくやってるし、苦労がないわけじゃないけど誰にだってそれなりに苦労はあるだろうし。世間と戦っているつもりなんか全然ない。
  (中略)
  お笑い系のオカマか、オンナ顔負けの美形ニューハーフか、苦労を重ねて世間と戦う性同一障害か、3つしか選択肢がないなんてイヤですよ。私はそのどれでもないところで、ごくふつうの女子になっちゃいますからね。


3つしか選択肢がないなんてイヤ」これは物凄いわかりやすい。そうだ、そのとおりだ、3種類にしか分けられないわけあるか!
というわけで、「オカマだけど」という言葉の選択の裏にはこんな彼女の思いがあったんだなあ、としみじみうなずく10年後の納得、なのでした。

2016/01/12

お家賃ですけど

お家賃ですけど (文春文庫)
能町 みね子
文藝春秋 (2015-08-04)
売り上げランキング: 137,514
kindle版
■能町みね子
この方については未だ読まないままなんだけど『オカマだけどOLやってます』という一度聞いたら忘れられない衝撃的なタイトルのエッセイの著者だという認識。ずっと意識の端っこで気にはなっているけど…で、最近はそれに「完全版」という言葉が付いていて、kindle版でも上下に分かれているようだ。
今回、kindleの月替わりセールで本書が対象になっていて、私の好きなインテリア絡みっぽかったので読んでみた。

東京の地理や地域による雰囲気などは知らないが、本書の舞台となる「加寿子荘」は牛込にあるらしい。牛込といったら漱石だなあ、と冒頭から気分が良くなる。しかもそれに続く加寿子荘の具体的な、古き良き昭和の建物ならではの描写が丁寧に続くのを読んで「これあ、アタリだったなあ」とにんまりした。以後、大事に楽しんであっというまに読了。

部屋番号がはっきりしないのすら「2-2」などと面白味のない区分けより「二階手前」「二階奥」なんて届出で正式書類となっているほうが好ましい、と思えるし、大家のおばあ様は推定年齢80代にもかかわらずお元気そうで何よりだし、廊下がいつもぴっかぴかに磨き抜かれているなんて本当に素晴らしい。ただ、物件の古さや隙間があることからどうしてもGがつく例の害虫が発生したり、天井裏をネズミが駆けていくなどの問題は避けられないようだ。猫がけっこう周りをうろうろしていてそれもまたほのぼのしてイイのだが、ネズミは取ってくれないのかなー。っていうかGはやっぱり嫌だなあ。

面白くてびっくりしたのは、この本の最初の段階では著者は男性の身なりをしていて戸籍も男性なのだが、その後「性同一性障害と診断されて、生活も外見もまるごと全部女性になることにした」為に、一度加寿子荘を出て、でもその後住んだアパートが良くなかったことからもう一度加寿子荘に戻ってくることになる、そのときは女性として不動産屋を訪れた…というくだり。よっぽどこの家が気に入ったんだなあ、ということがよくわかるエピソードだ。不動産屋のおばさんに不審そうにされてカミングアウトしたら相手が怒濤のごとく喋り出したところとか、すごいリアルな感じ。

この本の内容当時はまだ著者は20代で、若い頃に26歳以上の自分が想像できなかったから27歳になる前日に死ぬんじゃないかと思って過ごす話とか「若いなあ…」という感じ。
最後の奥付の手前にプロフィールが載っていて、1979年生まれとわかった。そしてついさっき、ウィキペディアで見たら東京大学卒とか書いてあってぶったまげた。ひえー。文中で、アルバイト先の社長に信用されたり引き止められたりするのが「意味不明」だとしてあったけど、「東京大学卒」だったらそれだけでかなりの看板になるだろうから「意味不明」じゃないよ…まあそれが正しいかどうかはさておき、そういうので信用するひとって少なくないじゃない。プラス当人の人とナリ・人柄・仕事の出来具合なんかでも総合判断されているだろうし。
ってゆーか「東大卒業者」ってだけで全然一般人じゃないよー、土台が違いすぎるんだもん。これ知ってて本書読むのと知らないで読むのと全然違うんじゃないのかなあ。

OLやりながら副業をしたり、すごく人間関係に恵まれた職場だと自覚しているけど外国に行って手術して女性の体にするために3年であっさり退職しちゃうのとか、根本的な考え方はあまり共感出来なかったが(わたしはある程度貯金できたからといってあっさり無職になれるほど心臓は強くない。っていうかこれも「東大出身」だから「いくらでも潰しがきく」という自信があらばこそなんだねと今なら納得できる)、仮住まいの加寿子荘の描写が具体的で詳しくて、あと家の周りの下町っぽい様子とかも好ましくて、楽しかった。

2016/01/11

和菓子



彩雲堂(松江の老舗だそうです)の和菓子。伊勢丹梅田地下で購入。
坂木司『和菓子のアン』を読んで以来「ちゃんとした創作和菓子を食べたいな」と考えていたのだけどようやく機会があって購入。ひとつ270円のプチ贅沢です。
『和菓子のアン』読んだのっていつだっけといま調べたら2013年5月でした。その後『和菓子のアンソロジー』を2014年10月に読んだときもまだ実行に移せていなかった。まあそんなに強い欲求でもなかったというのと、別にコンビニのみたらし団子でも美味しくいただけてしまう庶民だからです。ケーキすらも年に数回しか買わないし…。
お皿は数年前にあべの近鉄で購入したSAKUZAN japan(作山窯)。
食べようとして、あまりに美しかったから写真に撮らずにはいられませんでした。
上品な甘さで、中にこしあんが入っていて、とても美味しゅうございました。
本当は季節ごとにこういうのを楽しめたらとても豊かな感じなんでしょうけどねー。憧れるけどまず「百貨店に行くのがメンドクサイ」とか思っちゃうんじゃだめですねー。

和菓子のアン (光文社文庫)
坂木 司
光文社 (2012-10-11)
売り上げランキング: 77,043

2016/01/07

もう年はとれない

もう年はとれない (創元推理文庫)
ダニエル・フリードマン
東京創元社
売り上げランキング: 30,334
kindle版
■ダニエル・フリードマン/翻訳:野口百合子
2014年8月創元推理文庫刊の電子書籍版。
著者デビュー作で、マカヴィティ賞最優秀新人賞受賞だそうだ。
どっかで評判の端っこだけ引っかけていて、2015年9月にkindleの月替わりセールで見かけて購入したものの、そのときは冒頭だけ読んで入り込めなかったので放置してあった。のを、昨日読みはじめたらなかなか面白くてどんどん読んで2日で読了。本って読む時期を選ぶなあとあらためて。

この小説の主人公=探偵役はなんと御年87歳!(話の半ばで88歳になる、米寿やん!)のバルーク(バック)・シャッツ。あまり馴染みのない名前。ユダヤ人だとわかる名前だそうだ。
元殺人課刑事。
それも、現役時代はなかなかやり手で鳴らして、いまや地元警察官のあいだではちょっとした伝説になっている(そのほとんどが話が大きくなっているようだ)。

87歳なので、風邪をひいても命とりになりかねない。心臓のバイパス手術を受けた後は庭の手入れもままならないし、薬を飲んでいるのですぐ痣になる。歩くのも遅くなり、すぐに皮膚は破ける。視力も弱っている。記憶力も低下しており、医者に勧められて常にノートを持ち歩き「忘れないこと」を書き留めている。その内容はところどころに挿入される。妻のローズと二人暮らし(この奥さんととても仲が良くて愛し合っていることがよく伝わってきて素敵だなあと思う)。
数年前に息子を亡くしている(この死因について書かれていなかったのでいずれメインで書かれるんだろうなあ)。

この小説の魅力はこのバック・シャッツのキャラクターが7割を占めているといってもいい。いや8割か?
身体的には衰えているが、思考はバリバリ、でも無くて、推理をしても医者から老人性の妄想だと言われたりする。大学生の孫(テキーラというあだ名。ニューヨーク大学のロースクールに通っている)に言わせれば頼りなく見えるらしい。口が悪く、皮肉屋で、都合よく忘れたことにしたりするがもちろん覚えている。ただコンピュータ関係にはからきし弱く、グーグル検索ですらしたことがないしわからない。
テキーラとバック・シャッツの珍道中、軽口(悪口?)のたたきあいのやりとりがユニーク。特にバック・シャッツがテキーラの事を他人に紹介するたびに相手の国のお酒の名前で紹介するのが面白かった。お酒については詳しくないのだがいくつかは知っていたのでそういうことだろうと。いま、実際に検索してみたらやっぱりそういうことだった。
バカルディ、リースリング、モヒート、ジェイムソン、マニシェヴィッツ。だいたい相手はそれが名前?という反応をする。まあ日本で言ったら「孫の焼酎です」とか「泡盛です」とかって紹介するようなもんかな?

バック・シャッツはユダヤ人なので捕虜収容所に入れられていた時代があり、そのときに酷い目に遭わされたナチスの将校が生きているかもしれないと、臨終の床にある戦友から告げられるシーンから小説ははじまる。それだけなら個人の話だがその将校がナチス絡みで金の延べ棒を山ほど持っていたという噂があり、それを狙ってまーハエのたかること。「ナチの金塊」なんて典型的な絵に描いた餅じゃないかと思って読んでいたのだが、うーん貸金庫のくだりはなかなか面白かったなあ。

とりあえず人が死に過ぎ、というかその殺され方が血生臭すぎるグロすぎる、なのに最後まで読んでもそういう殺害方法を犯人が取った理由がちゃんと書かれていないんだよね。ユダヤ人の動物のいけにえの方法をなぞっているとは書いてあったけど説得力が無い。だって殺して必ず内臓全部引きずり出してあるとかよっぽどですよ。この作品映像化が決まっているらしいけど…アメリカじゃこれくらい刺激的なシーンを盛り込まないと売れないとかあるのかも知れないけど…うーん「作品」としてその殺害方法は必要だったかなあ? かなり疑問だ。

ミステリーとしては凡作だが、バック・シャッツの言動が映画的(現実にはどうかと思う)で格好良くてスカッとキマっていたのである種の爽快感はあり、しかもそれが87歳というのが珍しく、よくぞそのポイントを見つけて書いたなという感じ。
ただ、バック・シャッツは銃社会ゆえに成立する「強さ」であり、日本で真似することは…柔道や剣道の師匠とかだったら「有り」かな……。

2016/01/03

小さいおうち

小さいおうち (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋 (2012-12-04)
売り上げランキング: 30,405
kindle版
■中島京子
2010年の直木賞受賞作。受賞したときにざっくりしたあらすじが紹介されて、それで「奥さまの不倫、それを女中の目から通して描いた話だ」と解釈してしまい、「別に読みたい内容ではないなあ」と思った。受賞のコメントで作者がご自身の「ボーイフレンド」という単語を使っておられ、そういうセンスのひとかとげんなりしてしまったことも大いに影響した。しかし先日読んだ『冠・婚・葬・祭』がわりと良かったので、代表作ぐらいは押さえておきたいと思った。

最初に結論を書いてしまうと、なかなか良い小説だった。
「奥さまの不倫、それを女中の目から」云々は誤解ではなかったが、この小説の主題はなんですかと聞かれてその回答ではマルは貰えない。かといって「これは反戦小説ですよ」と言い切ってしまうのもなにかそれだけを旗印にしてしまう抵抗感は否めない。
もっと、柔軟な、いろんなことを含めたメッセージ。全体を読んで感じるもの、それぞれがそれぞれに。何かしらあると思う。

たしかに不倫めいたことも出てくるが全然ドロドロしておらず、それがメインの恋愛小説でも無く、それが起こるまでに「奥さま」こと時子さんの人柄や置かれていた環境などが「女中」タキさん視点ですっかり好意的に描かれていたから、教養があって明るくて若くてきれいで優しいお嬢様育ち、という時子さんのことを嫌ったり、無下に批判する気などあまり出来なくなっていた。

この小説で良かったのは、昭和10年くらいから太平洋戦争で戦況が厳しくなるまでの、平和で明るくて豊かだった日本の少し豊かな家の日常の暮らしが若い女中さんの目を通して元気に描かれていることだ。
インテリや、社会情勢に詳しい者から見たら同じものを見ていても違う描写・解釈になるのかもしれないが、いままでわたしが小説や映画やテレビなんかで見聞きしてきた数少ない情報からも「戦前の日本はなかなかモダンで、今よりもむしろ贅沢だったり豊かだった面も少なくない」ということが言えそうで、『小さいおうち』はそのことを裏付けてくれた。

「女中」と聞くと意地悪な女主人にこき使われて貧しくて気の毒、というイメージがあったがタキさんいわく彼女が女中に上がった頃は既に女中払底の時代だったから呼びつけにされるようなことは一切なく、かならず「タキさん」とさん付けで呼ばれ、大事にされたと。ことにこの小説のメインとなっている時子さんなどは「タキちゃん」と呼んで随分可愛がっている。

ともあれ、この小説は平等な第三者視点ではないこと、だからこその「解釈」がまかり通っていることも事実で、わたしは読みながら何度かカズオ・イシグロ『日の名残り』を思い出した。あの小説も、雇われている側からの視点で描かれていて、冷静な視点でみれば明らかないろんなことがすべて違う解釈が為されている、そのギャップがひとつのあぶり出されるテーマであるからだ。

この小説で書かれる「恋愛」とは時子さんと板倉さんのそれだと思い込んで読んでいたので、最終章を読んで少しだけ驚いたが、驚きが少しだけだったのはずっと読んできたらそんなに意外な話でも無かったので「ああ、そういうふうにも受け取れるのね」くらいに思ったから、あと、あんまり決定的ではなくおそらくご本人ですらもあんまり突き詰めていなかったんじゃないかと思えるからで。どこからが恋愛で、どこまでが憧れや尊敬かなんて、わからないしね。

伯母さんの手記を頼まれもしないのに勝手に読んで、学校で習う「歴史」との違いから伯母さんを全否定する大学生の甥のあまりにも浅い思考に辟易していたから、最終章で彼が主人公になって、まあそれはそれでいいんだけど、その彼のキャラクターが数年後にしては随分イメージが変わっているのがちょっと不自然な気がしないでもなかった。こういうふうに持ってくるなら、もうちょっと伯母さんの言動に寄り添った人格にしておいてもよかったのではないか。

なんとなく、時子さんの御主人は気付いてたんじゃないかなと思う。社長さんはなんとなく不穏の種になりそうだから火が付く前にと見合いをすすめようとしたんじゃないかと思う。夫婦のことなどに早くから気付いていたタキが板倉さんとのことに感付くのは当然だがそれを時子の友人にあっさりバラそうとするのには仰天した。慕っている女主人の重大な秘密をそんな簡単になんの前置きも無く! それを聞いた友人が見当違いのことを言い出したのはどういうことかとそのときは思って読んだけど逆に言うとそれくらいタキの言動はわかりやすかったということ…?うーん。でもこのときの睦子さんの言動もちょっとよくわからないなあ。まずタキの言う内容に驚くのが自然じゃないの?

まあ納得が生きにくい箇所もあったが、タキのまっすぐで素直で明るい視点で描かれる日々は読んでいて清々しく、楽しかった。少しのんきすぎじゃないかとハラハラすらさせられた。タキが赤い屋根の洋館で過ごした日々はきらきらと輝く一生の宝物だっただろう。そんな彼女の大事なものをざっくり奪ってしまった戦争。もし戦争が起こらなければ失われるものも、ひとも、無かったんだということがすごく強く伝わってくる。戦争で少しずつ少しずつ歪んでいく嫌な感じ、無知ゆえにいらぬ苦労をしないでいるのが逆にほっとさえられたが、無邪気に戦時中の新聞を信じているのが切なかった。知って心配したところでどうにもならないんだけど。戦争ってひとが死ぬというのもあるけれど、それ以外にもいろんなところで日常生活を変えてしまう、奪われていくものがあるんだっていうことがリアルに伝わってきて、それは食べ物が少なくなるとかそういうことだけじゃなしに。

また日を置いて、今度は最後まで分かったうえで、最初から読み返してみたいと思う。

2016/01/02

二度寝で番茶

二度寝で番茶 (双葉文庫)
二度寝で番茶 (双葉文庫)
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双葉社 (2014-04-21)
売り上げランキング: 53
kindle版
■木皿泉
もう何年も前になるが旅犬さんと本屋に寄った時、書棚にポスターが貼ってありそれを指さして彼女が「このひとたち良いよ」と教えてくれた。目をやると穏やかそうな年配のごくふつうのおじさんとおばさんが笑っていて「木皿泉」と書いてあった。面白い名前だなあと思った。その後ひとりで本屋に行ったときに『すいか』の文庫本が出ていたので旅犬さんが言っていたことを思い出し、手に取ってみたが中を確かめたらシナリオだったのでうーんと唸って棚に戻したということがあった。

そんな木皿泉のこれは2010年9月刊行のエッセイ集の電子書籍版。先日のkindleの日替わりセールで安かったので「おお!」と購入。年末年始にかけてぼちぼちと読んだ。

目次。
特別コラボレーション
木皿泉(文)×高山なおみ(料理)
木皿泉のエッセイを読んで高山なおみが料理を作ってその写真が載っている。
[気まぐれな店/誰かを想う/初めての仕事/明日を待つ/誰でもよかった/喫茶「思いつき」

二度寝で番茶
[逆ギレのワケ/色即是空/情けの値段/私のランク/保留の効能/笑門在鬼/少子化襲来/東は東、西は西/二人の仕事/スペードの女王/最悪の中の幸せ/手放したもの/負けの美学/こわい話/男の中の男/ものをつくる/旅行けば/パターンな話/湯気至上主義/贈る言葉/恋ばな/子供の言い分/解きの過ぎゆくままに/誰かの妄想/呪縛の日々/見出された時/がんもどき製造機/偕老同穴/暴力にはお茶を/夕焼けの二人/勝ったり負けたり/老いの実感/ワタシの欲望/日本の空気/監視されたい私/シナリオのつくり方①②③④/これでオシマイ]

描き下ろしマンガ 「今日のつづきは また明日」
あとがき/文庫版あとがき

木皿泉というのはペンネームで、書店で見たポスターに載っていた2人(夫・和泉努・1952年生まれと妻・妻鹿年季子・1957年生まれ)が共同で脚本やらなんやらを執筆されているということだ。脚本はプロット考えるひとと書くひとかなーとか思ってたらそういう分担でもないらしい。どうやってるのか、本書でもさらっと説明してあるけどよくわからないけど、まあご本人たちはそれで長年やってこられたんだから、それこそ阿吽の呼吸があるんだろう、説明とかじゃなくて。で、ずっとご夫婦なのかと思ったらほとんど事実婚だったけど籍を入れたのはこのわりと最近だとか書いてあって、へえーという感じ。
文中では「かっぱ」「ダイフク」という名前で対談風になっている。

わたしはごくまれにしかテレビドラマを観ないので、木皿泉というひとのプロフィールを読んでも観たことないのだけれど、聞いたことがあるなあ、というのがいくつか含まれていた。特に「すいか」は気になっていたので、このエッセイを読んで「このひとたちが作られた映画とか見てみたいなあ」と思ったので、気力がわいて気分が乗ったら見てみたいと思う。

エッセイは、予想したとおりのトーンというか、過激の逆、淡々としたトーンで常識的なことが書いてあるのだがどこかのほほんとしたまったりとした空気があって、呑気に読めた。
「家族も誰かの発明だ」とかそういう核心を突く発言が日常的な会話の中にさらりと入っていて(それもちょこちょこ)、このひとたちはすごく頭が良いというか、さすが年の功というか、人生の先輩だなあ、勉強になるなあ、と思う。毒舌にならないけど実は猛毒を持っているんだろうなと窺わせるというか、だって、人間だもの。
エッセイの冒頭に映画や小説からの引用文が毎回付いているのだけれど、それについての言及がほぼ無い(少しかする回もあった)ので、ちょっとそれについて聞きたいような気が毎回した。土橋とし子のイラストが付いているのだけれど、最初の高山なおみとの写真コラボが良かったので、その線で行ってもらった方が雰囲気が合っていたような気がしないでもないが、まあこういうちょっと前衛っぽい絵も悪いことはない。

最後の漫画に出てきた「小2くらいのが高速移動って言いながら横走りで去っていく」というのが一番面白かった。これは実際にあったことなんだろうけど。こういう細かい日常の面白いところをきちんとひろっていくとその積み重ねで人生って愉しくなるんだと思う。

2016/01/01



いつもありがとうございます

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

みなさまにとって2016年がより良き年となりますように


ひさしぶりに手書きのイラスト年賀状を描きました。




光村ライブラリー・中学校編 2巻 車掌の本分 ほか
星 新一 五味 太郎 L.M. モンゴメリー 赤瀬川 隼 A. フランク
光村図書
売り上げランキング: 513,953

「猿」の本をいろいろ検索しているときに、国語の教科書に、かんべむさし「車掌の本分」という短篇が載っていたことを思い出しました。
読み終わった後いろいろ考えさせられるパンチの効いたお話でしたなあ。