2015/09/30

象を洗う 【再読】

象を洗う
象を洗う
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光文社 (2013-01-11)
売り上げランキング: 51,677
■佐藤正午
前回、光文社文庫でこのエッセイ・シリーズ3作を読んだときの感想として、このひとは普段のトークでも「創作」を混ぜちゃえるひとなんだ、というのが一番強かった気がする。小説家だから自分の体験を「創作」して語っちゃうこともふつーにあるよ、と書いてあって、でもそういうのはあんまり好きじゃないなあ誠実じゃないなあと思った。でも何故か今回3冊を通して読んであんまり不愉快を感じなかった。もう佐藤さんがそういうタイプだというのは承知の上で読んだからか、わたしも年を取ったということだろうか。
…いや違うな(確かに年は取ったけど、それがこの感想の違いの理由ではないという意味だ)。佐藤さんの小説家としての誠意、のほうを強く感じ取ったから、が正解のような気がする。
一般社会人としては~、まだ書けていない作品の原稿料を前借りするとかちょっと「おーすごいなあ、昔の無頼派みたいだ」と苦笑しちゃったけど。

目次は全部写す。
初めての文庫
1 セカンド・ダウン
自己紹介/世間知らず/借金/名文句/ペンネーム/打つ/総入歯/嘘みたいな話/落ち/ギャンブルの楽しみ/脚本/朝
葉書(小説)
2 佐世保で考えたこと
あら?/自転車/夏ばて/水不足/昨日の新聞/長い夜/映画/映画(承前)/おさらい/冗談/二度目/怒られる
ドラマチック(小説)
3 自作の周辺
勤勉への道/小説家になる前/ポケットの中身/休暇/三番目の幸福/裏話/悪癖から始まる/街の噂/悔やみ
そこの角で別れましょう(小説)
4 象を洗う
性格について/あなたと僕は違う/言葉の力/雨降って地ゆるむ/じわじわとはじまる/将棋ファン/ゲームの達人/テニス/テレビと野球/表札について/忘れ物/金魚の運/子供の名前/言葉をめぐるトラブル/先生との出会い/光に満ちあふれた日々/大学時代/賭ける/象を洗う日々/郵便箱の中身/真夜中の散歩/この街の小説/夏から秋へ
あとがき/文庫版あとがき/著作リスト/初出一覧

「この街の小説」の出だしの人気のない早朝の街の描写がすごく清々しくきれいだったのに、続けてこのひとは男女がこんなときに偶然出会ったら…みたいなことを書いていて、「あー恋愛脳というか、恋愛小説家というかだなあ」と思った。わたしはそこで恋愛なんて生温かいものを持ってきて欲しくない。主人公がゆっくり自分の時間にひたるべき貴重なシーンだと思う。どうせひとが登場するというのが必要ならばむしろなにか事件が起こったほうが面白いだろう、ミステリー「小説」ならね(現実では御免こうむるよ!)。

佐藤正午は競艇ファンだということ、結婚はどうやらこの3冊の間は少なくともしていないようであること、1つの作品を書きあげて30分後には次の小説を書きはじめることもあるということ(凄いなあと思ったけどプロの方では珍しくないそうだ)、知り合いはほぼ女友達であること、などが印象に残った。水不足の話は3冊の中で一番多く出てきて、よほど言いたいんだなあと思った。

2015/09/27

わが百鬼園先生 [古書]


■平山三郎
内田百閒『阿房列車』シリーズなどでお馴染みのヒマラヤ山系さんこと・平山三郎さんの著作である。
1979(昭和54)年9月六興出版刊。

8月に神保町で古書店の店先のワゴンにちらちら目をやりつつ歩いているときにまさに「百閒先生に襟首を掴まれた」感じで足が止まった。こ、これは…少々ヤケ・汚れなどが気になるがお値段まさかの¥500円…!(参考価格:アマゾンの古書店では¥1,500~)
初版。帯なし。

帰宅後、エタノールを含ませた脱脂綿でササッと表に出ている面をふき取って汚れ落としして風を通すために置いてありました(無水だと除菌効果はあんまり無いらしいです。しみこませたり拭き過ぎるとインクが滲んだりかえって本を傷めるので要注意)。

本日最初の方は真面目に、途中からぱらぱらとナナメに読んだが思ったより平山さんの独自見解が少ないなあ。百閒先生ご自身の著作からの引用や、夏目漱石、芥川龍之介やその他のひとの著作からの引用が多い。引用じゃなくても百閒先生の文章で読んだことがあるおなじ内容をそのまんま平山さんの文章で云い直されているところがけっこうある。「ずっとそばにいた方ならではの見解が入った百閒先生のエピソード」を期待していたのだけれどもあんまりそういうのは無さそうな、まあ真面目に最後まで目を通してからしか断定は出来ませんが雰囲気的に…。

いろんな文章を引いて内田百閒の幼いころから大人・作家になって以降の詳細年譜が文章で綴ってある評伝、ってところか。百閒先生にハマった国文学科の真面目な学生がおんなじようなことしたくなりそうだなあ、とも思う。

カバー裏表紙カバーを外した表紙

2015/09/26

豚を盗む 【再読】

豚を盗む
豚を盗む
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光文社 (2013-01-11)
売り上げランキング: 33,089
kindle版
■佐藤正午
読む順番を間違えてしまった。
単行本刊行順でいうと2001年1月『ありのすさび』→2001年12月『象を洗う』→2005年2月『豚を盗む』。
まあでも「あとがき」によれば例によって執筆期間は1986年から2004年にわたっているのでそんなに気にしなくていいかなあ。
本書にはエッセイのほかに2つの短篇小説が収録されているが、あまり小説は読む気がしないので飛ばした。

目次。
転居
Ⅰ小説のヒント
スカボローフェア/スカボローフェア2/十年後のスパゲティ/十三年前の冬/リンゴのおいしい食べ方/バナナのおいしい食べ方/カトラリー
十七歳(小説)「
Ⅱつまらないものですが。
ファーストキス/少数派/ほんとの話/ジーパン/サイン/苦手/人嫌い/合鍵/小銭/わからない/自慢話/文章の巧拙
叔父さんの恋(小説)
Ⅲ豚を盗む
浴衣と爆竹の長崎/お国自慢/王様の生活/食生活の内訳/草枕椀/仕事用の椅子/毎日が同じ朝に/ラッキー・カラー/憧れのトランシーバー/植物の「気」/台所のシェリー酒/きのう憶えた言葉/言い違え/ペイパー・ドライバー/シートベルト/わが師の恩――マスダ先生/親不孝/飴と薬/時のかたち/雨を待つ日々/エアロスミス効果/長く不利な戦い/約束/二十年目
あとがき/文庫版あとがき/著作リスト/初出一覧

謙遜で書いてるのに「そのまんま受け取る」読者が多いエピソードとか、知らない言葉のこととか(このかたは本当に辞書をよく引かれる、その姿勢は学びたいものだ)。食生活は想像以上にひどかった。
なお、「飴と薬」では何冊かの書評がなされているのだが、このひと本を紹介するの、うまいなあ~。思わず読みたくなる、そういう書き方がすんごく上手。紹介されているのは以下の作品。
・丸谷才一編『現代の世界文学 イギリス短篇24』
・宮本陽吉編『現代の世界文学 アメリカ短篇24』
・野村胡堂『銭形平次捕物控』
・中野章子『彷徨と回帰』
・関川夏央『本よみの虫干し』
・盛田隆二『湾岸ラプソディ』
・川上蘭『ブローティガンと彼女の黒いマフラー』
・大島真寿美『宙の家』
・野中柊『アンダーソン家のヨメ』
・新井千裕『忘れ蝶のメモリー』
・谷村志穂『なんて遠い海』
・名香智子『桃色浪漫』
以上は書籍、以下は映画。
・「見知らぬ乗客」/「スウィート・ヒアアフター」/「トゥルー・ロマンス」/「きのうの夜は……」

未読作品ばかりなどころか、他作品を読んだことがある作家は大島真寿美くらいで、まあそれは紹介文を読んでみれば恋愛小説が多く、恋愛小説は守備範囲外だからということなのだろう。ためしにkindleで探してみるとその作品がズバリ電子化されているものもあり、気が向いたら読んでみたいと思う。

2015/09/24

琥珀のまたたき

琥珀のまたたき
琥珀のまたたき
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小川 洋子
講談社
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■小川洋子
「幼い娘を肺炎で突然亡くし、精神的に追い詰められた母親が愛人から手切れ金代わりにもらった別荘の中に11歳と8歳と5歳になるかならないかの子どもを連れて移り住み、世間から隔離してしまった。家から一歩たりとも外へ出ることを禁じたのである。その当時の彼らの日常生活を数十年を経て老人となった彼らのうちの1人が語るのを別の老女からの視点を交えて描いた話」。
この本のあらすじを物語性を一切抜いて言ってしまうならばこういうことになるだろうか。
でまあ、小川洋子の読者なら百も承知なのだが、この本はそのアラスジから抜いてしまいがちな「物語性」こそに重きが置かれているのであって、「母親の異常」は「異常」として扱われないのである。
読んでいて、「これって監禁っていうのかな、子どもがそういう判断が出来ない年齢のうちに恐怖を植え付けて信じ込ませてるんだから、精神的な虐待っていうのかなあ。」とか考えないわけでは無かった。でも子ども達はママが大好きだし大事だし、ママも子どもたちを彼女なりにすごく大事にしているということは伝わってくるので、そして小川洋子の描写がほんとうに夢のような楽園のごとくこの小さな「世界」を楽しく美しくキラキラと描き出すものだから、魔法にかかってしまう。

子ども達はこの家に住むことになると同時に今までの名前を棄てるように母親から言い聞かせられ(いま「千と千尋」を思い出したけど、「名前を棄てさせる」ってやっぱりこれも精神的な虐待に成り得るわね、そこのところが判断できないくらい幼い彼らが愛おしい)、父の編んだ百科事典からそれぞれ目を閉じて名前を選ばされる。
長女がオパール。真ん中の長男でありこの物語の主人公でもあるのが琥珀(=いまは「アンバー」と名乗っている。琥珀を英語にしただけということで「ああこのひとはママの呪縛からいまだに逃れていないんだな」とわかる)、末っ子の次男は瑪瑙。
彼らは既製服をそのまま着るのではなく、母親の手で羽や尻尾や鬣を付け加工されたものしか着ることを許されなかった。でも彼らはそれを変だとも思わないし、まして苦痛や反発など感じない。「大好きなママ」が言うことだからだ。
オパールは外の世界のことをそれなりに覚えていたが、弟たちはほとんど覚えていない。彼らは3人でいろんな遊びを作り出し、お話を作って聞かせあったりして毎日を穏やかに過ごしていた。ママは毎日外の世界に働きに出掛け、夕方に帰ってくる。「温泉療養施設の付添婦」というのがその仕事。

この閉じ込められた世界は6年8か月も続き、最後の方でオパールは以前から出入りしていた商人と一緒に外の世界に逃げ出すし、末っ子の瑪瑙も外の世界にある程度興味を示しはじめていたが、最後の最後までママの世界にとどまろうとしたのは琥珀で、そしてその「救出」から長い長い年月を経た「いま」でさえ、彼は「ママの言いつけ」を忘れずに守り続けている。

アンバーさんが現在いる場所は「芸術の館」という場所で、その前は「福祉施設」にいた(「芸術の館」の福祉施設の一種であるような感じがするんだけど)。
彼がここへ来た理由は彼が「ママの家」にいたころからその才能を発揮していたある芸術的な才能のためで、それは図鑑の隅に描かれていく小さな絵、ページをめくっていくことでそこに動きが生まれ、生き生きと輝きだす――ってこれ「パラパラ漫画」だよね!? って思っちゃうけどまあそういう種類の、もっと繊細な、芸術性の高いやつなんだろう。小川洋子の物語の魔法で描写されるそれはとても尊い、琥珀の気持ちがこもった美しいもの。彼はその手法で幼くして逝った妹が飛び回り遊ぶ姿を生まれさせ、母親へ、姉弟たちに喜びを与えることになる。

最初の方でアンバーさんの左目が名前の通り琥珀色になり、ほとんど見えていなくて右目だけに頼っているということが書いてあったので、まだ小さい琥珀の目に異常が出てきたときはすごく悲しくなった。ああ、この子がお医者さんにすぐ見てもらえる環境にいたならば、失明せずにすんだかもしれないのに。愚かな母親は子どもが熱を出そうと流行り病に苦しもうと決して外に出さないし、外から他人が入ることも許さないのである。薬さえ飲ませた様子が無い。しかもその感染の原因は外に働きに出ている母親自身に他ならないのに。
琥珀の目が少しずつおかしくなって、でもそのおかげで同時に百科事典の余白に妹を描き出すという手法を見つけることが出来て、彼の芸術性が開花していくわけだが、それがこの物語であることは頭ではわかっているのだが、どうしてもわたしは心からは喜べなかった。出来れば琥珀の目はそのままに、あるいはきっかけだけ与えて後は良くなって、そして絵の才能も開いたならもっと手放しで楽しめたはずなのに。まあ、小川洋子の物語と「喪失」はよくあるテーマっちゃテーマだし……わかってるけど……うーん。

表紙と中表紙に使われている加藤新作という方の写真がすっごく素敵。
装幀、名久井直子。さすがです。

2015/09/22

ありのすさび 【再読】

ありのすさび
ありのすさび
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光文社 (2013-01-11)
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kindle版
■佐藤正午
前回読んだのは2008年12月でもちろん文庫本で読んだ。今回は電子書籍で買い直して。
佐藤正午のエッセイとしては2冊目だが、1冊目『私の犬まで愛してほしい』は1989年の刊行で、この『ありのすさび』が2001年1月なので12年も開いている。「あとがき」で著者は「感覚的に言えばもう百万年くら昔の話だし、なんなら今度のこれを佐藤正午の第一エッセイ集と呼ぶことにしてもかまわない。」なんて書いちゃってるし。でもよく見ると中のエッセイの初出年自体はそんなに開いていなくて、Ⅰ小説家の四季は1989年からはじまっている。どこが百万年前やねん。
どうしてこういうことになったかというのは「あとがき」を読めば書いてあることだが、要するにあちこちにエッセイは続けて書いておられたがまとめて本にするひとがいなかったと。それを岩波書店の坂本さんという編集者の方が全部読んでその原稿をもとに編んでくれたと。坂本さん様々ではないか。
単行本は岩波書店から出て、2007年3月に光文社文庫化した。さすがに岩波文庫には入らなかったということか…。
なお文庫解説は坂本さんが書いておられるのだがkindle版では省かれている。ぎゃふん。

「ピンチヒッター」の2回分はそういう「設定」で書かれたエッセイなのに、本当に著者が仕事を他人にやらせたと思い込んだ読者からの抗議が殺到したのだそうで、そういえばこのあいだ読んだ芸術家のエッセイでは奥さんが書いていることになっていたのか本当なのかどうでもいいが、しかしそんなのでクレームの電話やファックスが怒濤のように編集部に押し寄せたそうで、佐藤さんはそれを「耳を疑った」そうで「ああ、そういう人がほんとにいるのか、と暗澹たる気分におちいらざるを得なかった」そうで、当時の編集担当者は散々な目に遭ったとのこと。いろいろ考えさせられるエピソードだなあ。

ワープロが主流だったり、初期のメールの状況とか昔な感じだがまあせいぜい25年くらい前の話なのである。このへんの分野は日進月歩どころかすごい速さであっというまに変化してしまったので、いまの十代の読者には全然ぴんとこないのかもなあ。
佐藤さんっていまおいくつだっけ、えーと、1955年8月生まれだからうわ、60歳かあ。このエッセイ集に出てくる著者は34歳~45歳くらいで、ほとんどのエッセイでは独身となっているが後の方でいつのまにか妻がいることになっている。そ、そのへんの事情は全部すっ飛ばしですか。それともこれも創作? 佐藤さんの場合わかんないんだよなあ、ネットでググっても情報なしだし。

「小説家の四季」1991年夏に「これを食べたらやみつきになる」というパスタの(本文では「スパゲティ」となっている)レシピが書いてあるんだけどこれってペペロンチーノだよね、ペペロンチーノが日本でふつうに食べられだしたのっていつだっけ。「今まで食べてきたスパゲティはいったい何だったんだ?」とか思うって書いてあるのでイタリアンでふつうにメニューに載っていない時期なんだろうなあって想像して読んだんだけど、っていうか塩多すぎじゃないのかなあ、後で出てくるおばちゃんの意見どおり辛すぎっぽいレシピな気が。だいたい外食は塩分高めだけど、これを家庭料理でしょっちゅう食べてたら太るだけじゃなくていろいろ弊害が出そう、でもまあ素直に美味しそうなレシピだけどね。というわけで本日のうちのお昼はペペロンチーノを作る予定。

目次
わが心の町
Ⅰ 小説家の四季
1989年/1991年/1996年/1997年/1998年/1999年/2000年

Ⅱ ありのすさび
まず国語辞典/続・国語辞典/ありのすさび/犬の耳/ウイッチントン/絵葉書/オレンジトマト/カント的/菊池寛/クロスワード/桁外れ/コーヒー/サラダ記念日/趣味/素顔/選択肢/即決即行/妥協的結婚/血/強気/天職/とも言う/なめくじ/ニュース/縫い針/ネクタイ/ノイローゼ/ハーブ茶/ピンチヒッター/ピンチヒッター2/ブラウニー/弁当屋/ホルトノキ/負け犬/右と左/麦こがし/迷宮入り/モンタナ/焼き鳥/ゆき過ぎ/よそみ/ランゲルハンス島/履歴書/留守番電話/れる・られる/櫓/ワープロ/ゐとゑ/をば/ん?

Ⅲ 猫と小説と小説家
ラブレターの練習/猫と小説/春の嵐/一九八〇年五月七日、快晴/「三無主義」の中年/四十歳/ホームタウン/夏の夜の記憶/ハンバーガー屋で出会った女の子/二十七歳

あとがき

2015/09/20

岸辺のヤービ

岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)
梨木 香歩
福音館書店
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■梨木香歩 /小沢さかえ・画
休日の朝からゆったりと大事に読みはじめて間に家事をしたり散歩に行ったり昼寝をしたりしつつ。夕方読了。
このお話は「第1巻」みたいな感じですね。
途中で脇道のことにちょいちょい触れつつも「それはまた今度ね」みたいな感じで先送りがあって。最後まで読んだら「次回」についての「ウタドリさん」からのメッセージがあって。

このお話を読む前から表紙はネットで目にしていて、『岸辺のヤービ』という題名で、なんだか小さな不思議な生き物の絵が描いてあるからこれがヤービだろう、というのは見当がついていて、なっきーはカヌーとかで水辺に親しんでおられるからその経験を生かしたお話なんだろうなと漠然と考えていた。実際読むときは児童書ということもあってあんまり大人の深読みはしないように、できるだけ子どものような素直な視点でまっすぐに受けとりたくてそういう心持ちで読んだ。

このお話の舞台は「マッドガイド・ウォーター」と呼ばれる小さな三日月湖と「たそがれ川」の周辺の沼沢地。灯心草の茂みがあり、少し外れるとゆるやかな丘陵があって牧草地が広がり牛が草を食べている、そんな想像しただけで「のどか~」とうっとりしてしまう素敵な場所。ここは「サニークリフ・フリースクール」の地所で、語り手の「わたし」(後で「ウタドリさん」という愛称が出てくる)はその学校で教師をしている。

灯心草ってどんなだっけ? とインターネットで調べてみると「イグサ」の別名。「イグサの茂み」と書かれるのと「灯心草の茂み」では随分印象が違うなあ、さすがなっきー、ファンタジーの魔法を心得てらっしゃるなという感じ。

で、そのウタドリさんが偶然クーイ族のヤービと出会って、初対面からこのひとたちは奇跡的に相性が良かったために話をすることが出来て……という具合に物語がはじまっていきます。
小さな不思議な生き物がいて、それと出会ってもふつうは素早く逃げられて終了、だと思うのですがなんとヤービは逃げなかったのです。なんという勇気でしょう! しかもヤービはクーイ族の中でも人間(このお話の中では「大きい人たち」と呼ばれる)と話をすることが出来る珍しい個体だったのです。なんという奇蹟、僥倖でしょうか。

お話がすすんでいくと、小さい彼らのなかにもいろんな個性があって、みんながみんな幸せなわけでも、まして能天気に「ファンタジーに」生きているわけではないということがわかってきます。ことにベック族のトリカという女の子については、その母親の問題も含めてまだまだ「さわり」しか書かれておらず、深入りすればなかなかに深そうなことが予想されます。このシリーズの続刊がいつ出るのか、全部でどのくらいの長さになるのか、いろんな問題をどこまで突っ込んで書かれることになるのか、……。

ヤービがハトの背中に乗って空を飛んだり、「スーツ」を着て水の中をすいすい泳いだりするのがわっくわくで楽しかった。「ポリッジ」が出てきたりするところが英国で児童文学を学んだなっきーぽいなあ、と思った。
小沢さかえさんの絵はほとんどは白黒だけどたまにカラーのページもあり、とってもきれいです。
沼沢地に遊びにいくときは、ミルクキャンディをポケットに忍ばせておきたいものですね。

2015/09/19

書生の処世

書生の処世
書生の処世
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荻原 魚雷
本の雑誌社
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■荻原魚雷
これは紙の本。単行本。2015年6月本の雑誌社刊。
このあいだ書店の「新聞の書評欄で採り上げられた本」のコーナーに置いてあって、「あ、これ本の雑誌で連載してるひとの本だな」と何気なく手に取ってぱらっと中を見たら「キンドル生活事始」というエッセイが載っていて、買うことにした。わざわざ書いていなかったが2年くらい前から「本の雑誌」を毎月買うのをやめたので、本書は「本の雑誌」連載の「活字に溺れる者」2011年1月号~2014年12月号が初出だけど半分くらいは未読の記事の筈だから。
キンドルについて書かれた文章は本書のうちごく一部だが、全篇本にまつわるエッセイ(書評的な紹介的な内容でもある)なので好きなジャンルであることだし。

わたしがkindleを入手したのは2014年11月なのでまだ1年経っていない。その物珍しさがまだ消えていない状態だからなのか、それとも今後ずっと飽きないのかはわからないのだが手放せないアイテムとなっている。明らかに紙の本より便利だと確信していることは
①重量が一定している(重くない)。
②辞書機能が付いているので一般的な用語についてはその場ですぐ辞書で言葉の意味を確認できる。
③書店に行かなくても本を買ってすぐに読むことが可能である。
④ながら読みに最適である(本の場合片方の手で押さえていないと閉じてしまう)。
の4点である。
ではマイナス面はというと一にも二にも
「ソフトが圧倒的に少ない!」
というこれに尽きる。
「解説が省かれていることが多い」
というのもあるかな。
あとは紙の本みたいに装幀が楽しめないというのはあるがそれがしたい場合は紙の本を買うので。

リアル書店でぶらっと本棚を見て自分好みの本を選ぶその方法というかコツみたいなのはわかっているのだがkindleの場合まだそれがわからない。それでなくとも数が少ない中からいかに自分の好きな本を見つけるか(作家だとかタイトルがわかっている場合は検索すればいい、そうではなくて未知の、開拓をする場合の話だ)。
その参考になるかな、というのがちょっとあって読んでみたのだが結論から云うとそういう意味ではあんまりだった。でも荻原さんが佐藤正午のエッセイをえらく誉めていて、佐藤正午のくだんのエッセイ3冊ならば昔文庫で既読で、そんなに自分的には感心した覚えもなく既に手元にすらない状態だったから気になってkindle版で買い直していま通勤などで少しずつ読んでいる。その感想はまたそれを読み終わった時点でこのブログに書くが、まだ途中だが、いまのところは荻原さんのような感動はしていない。まー読書感想なんてそんなものよね。

本書は震災を挟んでいるので震災の後に書かれたエッセイなどはいろいろ意識が変わったみたいなことが書いてあり、「そうそう、当時は日本中がこんな空気だったよな」と思い出した。あの直後は「カラーインキを使って本を出すなんて節約すべき」「町の明かりはもっと暗くていいんだと気付いた」とかそんな感じだったなあと。節電意識とかは残っているけど都会の明かりはまた夜中でも煌々としている状態に戻った。

実はこの感想を書いている時点で本書のすべてを熟読した状態ではない。最近通勤にはkindleしか持って行っていないので本書は家でしか読まないのでやたら時間がかかる。何日かかけて最初にアトランダムに数篇読み、最初から通しで途中まで読み、またアトランダムにぱらぱら読んで最後までたどり着き、飛ばした回は現時点では読む気がしないのでとりあえず感想を書いてしまうことにした。特に気になったタイトルとメモを列挙しておきたい。

「ワーク・ライフ・アンバランス」→「あまり心に染まぬこと」と「生活」「お金」について。山田風太郎『人間風眼帖』。
「これからどうなる」→星野博美『銭湯の女神』から家を出たいんだったら、どんなことでも我慢しなさい。そんなに風呂に入りたかったら、一生家にいて親のいうことを聞きなさい。風呂一つも我慢できない人間が偉そうな口たたくんじゃないいよ。なんという至言。二十代のわたしが出会っておくべき言葉だった。
「福満しげゆきの活字本」→この回はそうだそのとおりだなあと全面的に深く肯かされた。

2015/09/17

カリコリせんとや生まれけむ

カリコリせんとや生まれけむ
幻冬舎 (2013-01-25)
売り上げランキング: 392
kindle版
■会田誠
このひとの肩書を正しくはなんというのか、kindleの月替わりセールにあって、内容紹介にはこうあった。

村上隆、奈良美智と並ぶ天才美術家、会田誠。物議ばかりを醸してきた彼の頭の中身はどうなっている? カリコリっていったい何? アートの最前線から、制作の現場、子育て、2ちゃんねる、中国、マルクス、料理などをテーマに、作品同様の社会通念に対する強烈なアンチテーゼが万華鏡のように語られ、まさに読み始めたら止まらない面白さ!!

で、興味をもってサンプルを読んでみたら(最初の「カレー事件」「北京メモランダム」の2つがそれにあたる)、「カレー事件」でめちゃくちゃ個人的な家族のディープな内容を書いてあったので「わかる、そのぐちゃぐちゃさ加減は家族ならではだ」「一生懸命作ったカレーがちょっとしたいざこざから阿鼻叫喚の状態になって虚しく冷めていくそういうのを書いちゃうってすごいな」とびっくりして是非他も読みたいと思い、購入した。

結論から云えば最初のエッセイが一番インパクトが強くてこれを越えるものは無かったんだけど、ふだん接しない「気難しい芸術家」そのものの印象を受ける内容で、なかなかに毒があり、アクも強く、そして理屈抜きにぐいぐい惹きつけられるどこか悪趣味な露悪的な空気にハマりそうになった。この感じは何かに似ている。そうだ、2ちゃんねるの中でも批判的な意見の割合が多いスレッドの記事を夜何気なく読みはじめてやめられなくなるのとか、一時的に中毒のように読んでいたY小町に。
もちろんこのかたの場合は正々堂々と名前を明かして書かれている、その時点でもう根本的に違う、ことは百も承知なのだが。
あと、文章も完璧だしね。掲示板の有象無象と一緒にするなんて失礼千万なんだけどでも「似てる」と思ったのはなんでだろう……。

「自分をよく見せようとしていない」文章を書くひとだなあ、というのが率直な感想だった。事なかれ主義の逆。「こう書いたらマイナスの評価が出るのでは」とブレーキをかけていないような印象を受ける。ご本人は「言い訳が多い」なんて「ある近作についてのもにゃもにゃしたコメント」で書かれているが…。
と、書きながら考えていたのだが、わたしの考える「誤解を恐れる部分」とこの著者のそれがまったくズレている、その可能性も無いではないな、とは思った。

読みはじめてから「このひとは絵を描くひとのようだが、どんな作品があるのだろうか」とネットで調べたら見たことがある作品(生でではないが)がいくつかあり、「ああ、この絵の作者だったのか!」というか「この絵とあの絵が同じひとの作品だったのか!」と驚かされた。
たぶん初めて見た会田誠の作品は「あぜ道」で、最も最近見たのは梅田の蔦屋書店にあった『天才でごめんなさい』の表紙だ(印象が強かったので買ったわけでもないのに覚えている)。

ちょっとググっただけで「ああ、なるほどお堅い美術評論家や上品なマダムとかが顔を顰めそうな…」という作風なのは察した。エッセイはどうかというと、「お堅い」ひとや「上品な」方々には同じ評価を受けそうな気もする。サラリーマンには絶対ならないタイプ。身近にいたら理解が難しくて恐いひとかもしれない。でも中島みゆきが好きだったり、料理(料理は実験だという考え方は共感)が好きだったり、学生と一緒に作品を作ったりするのを読むと(そんなに恐がらなくてもいいのかな・・・)とも思う。
いちばんびっくりしたのは絵の仕事が忙しいからと奥さん(このひとも芸術家・岡田裕子というひとだそう)がエッセイを書いている回が2回あることだ。「ふふふ、ダマされたな、あれも俺が書いたんだよ」という展開は小説家のエッセイならあるだろうが会田誠に限っては本当に奥さんが書いていると確信をもって言える。

初出は幻冬舎のPR誌「星星峡」。わかるわかる、新潮や岩波では出ないよねこういうのは。
好きでもないし、共感もしないし、小さな反発は何度か感じたが、新鮮で面白かった。


孤独な惑星―会田誠作品集
会田 誠
DANぼ
売り上げランキング: 475,119

2015/09/12

新刊出てますね

琥珀のまたたき
琥珀のまたたき
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小川 洋子
講談社
売り上げランキング: 4,127


岸辺のヤービ (福音館創作童話シリーズ)
梨木 香歩
福音館書店
売り上げランキング: 916

9月9日岸辺のヤービbyなっきー。
9月10日琥珀のまたたきby小川洋子。


とりあえず2作とも装丁が素晴らしく撫でさすってしまう御本です。
なっきーのは久しぶりの児童書! 箱入り! 装丁はさすがの名久井直子! 箱の中にまで絵が…っ!
なかをぱらぱら見るとおお、これぞ子ども向け、という挿し絵が懐かしい…。

小川さんの方の装丁は誰だっけ? と思って見たら(奥付の前のページに記載)、これもまさかの、だけど納得の名久井直子…!

知ってたけど、知ってたけど、いー仕事するなあー名久井さん。

内容は。両方ともまだ1行も読んでいません。
もったいなくて。

★追記
後日、読了後の感想→『岸辺のヤービ』/『琥珀のまたたき

2015/09/11

怪盗ニック全仕事 1

怪盗ニック全仕事 1 (創元推理文庫)
東京創元社 (2015-03-23)
売り上げランキング: 131
kindle版
■エドワード・D・ホック 翻訳:木村二郎
エドワード・D・ホックは初めてかなと調べてみたらそうではなかった、2002年に『サム・ホーソーンの事件簿』Ⅰを読んでいて、翻訳者も同じなのだった。あーあの「御神酒をどうかね?」のやつかあ。

本書のタイトルは「怪盗ニック」だが本文では「泥棒」と書かれている。
で、中身を読んだ印象も「怪盗」っていうよりは「泥棒」だけどむしろ「推理小説に出てくる私立探偵」のやってることに近いなあ、という感じ。
怪盗と泥棒ってどう違うのかなとググってみるとウィキペディアに【怪盗は、主にフィクションに登場する盗賊。一般に手口が鮮やかであったり、神出鬼没な者を指し、「泥棒」とは区別される。】とあった。
ニック・ヴェルヴェットは何故「私立探偵に近いな」と思ったかというと、依頼を受けて仕事(=盗み)をして報酬を貰うからである。普通、泥棒や怪盗というのは依頼人はいなくて盗んだものがすなわち収入になると思うんだけど、ニックの場合はそこが大いに変わっている。
ニック・ヴェルベットは泥棒である。それも特殊な泥棒なのだ。/絶対に金を盗まず、自分のためにも盗まない。大きすぎたり、危険すぎたり、ほかの泥棒にとっては異常すぎるものを人に依頼されて盗む。

本書はすべて短篇で、どれも独立しているが、いちおう順番に読んだ方が具合がいいかもしれない。超一級のトリックとかは無いし、文章は(原文がそうだからなのか翻訳者のせいなのか不明だが)古い感じだけど読みやすいし、あっさりサクサクした印象なので秋の夜長、眠る前に1篇ずつ読んでも眠りの妨げにならないすっきりクールなミステリーだと思う(殺人もほとんど無いし、複雑で醜悪な人間関係のごたごたもほとんど気にならない)。

「価値のあるもの」はニックは盗まない主義だがそれはあくまで一般的に、であり、依頼者にとっては高い手数料を支払う価値がある物なのである。とはいえ、けっこうな割合で「盗みの依頼」には裏があって、ニックはいつも一筋縄ではいかな依頼者と狐と狸の化かし合い、みたいな調子でやっている。でもまあ、シリーズものの主人公だから「死ぬことはないんデショ」とタカをくくってしまえるのがサスペンスが感じられないゆえんでもあり…。
最初の短篇で「ははあ、そういうハナシね」と学習したら次からは依頼人を素直な目で見ることは無くなってしまったんだけどニックが意外に巻き込まれていくんだよね、警戒はするんだけど、相手も大金を払うからにはそれなりの腹づもりがあって。

1巻目次は以下のとおり。盗む対象はタイトルになっている。「プールの水」をどうやって盗むのかとか面白かったなあ。盗ませた理由は意外に平凡だったのでガッカリしたけどでもまあアイデアが良い。という具合にこのシリーズの作品は①どんな変なものを盗むのか? ②どういう方法で盗むのか? ③依頼人の真意はなんなのか? ④ニックは報酬を無事受け取れるのか? などといろんな点でわくわくすることが出来るのだ。

「斑の虎を盗め」
「プールの水を盗め」
「おもちゃのネズミを盗め」
「真鍮の文字を盗め」
「邪悪な劇場切符を盗め」
「聖なる音楽を盗め」
「弱小野球チームを盗め」
「シルヴァー湖の怪獣を盗め」
「笑うライオン像を盗め」
「囚人のカレンダーを盗め」
「青い回転木馬を盗め」
「恐竜の尻尾を盗め」
「陪審団を盗め」
「革張りの棺を盗め」
「七羽の大鴉を盗め」

エドワード・D・ホックは1930年ニューヨーク生まれのアメリカの作家。本書に収録された作品の原書は1966年~1971年くらいに書かれたもの。

2015/09/05

トンカツの丸かじり

トンカツの丸かじり
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文藝春秋 (2012-09-20)
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kindle版
■東海林さだお
丸かじりシリーズ第3弾。

目次。
ビールから熱かんへ/栗の疑心暗鬼/ブドウはがめついか/そば屋で一杯/議事堂の中の食堂/大絶賛イモのツル/スキヤキ大疑惑/お餅解禁/スルメの周辺/危険な話/カニだらけの夜/ビン詰めかわいや/宅配ピザを征服す/天ぷら大仕掛け/大男たちのアンニュイ/初体験「ちゃんこ鍋」/「出会いもの」との出会い/出前出発の真実/メニュー物語/「とても」の宵/味つけ海苔の陰謀/ニチャカリの口福/目には青葉……/夏の甘いもの/ソーメン方面の怪/ビアホール考現学/ほたる鑑賞の夕べ/いま、青梅の季節/ビールと冷や奴/ドッグあがりのトンカツ/トコロ天は磯の香り/夢の?「バーベキュー」/夏だ、ドジョウだ/人動けば、みやげも動く/夏の野菜たちよ

いかにもバブル真っ盛りの時期に書かれたものという感じの回は、国会議事堂の食堂についての妄想のスケールとか(実態は割に堅実)、「天ぷら大仕掛け」に出てくる意味不明な舞台装置のある店の様子だとか。
「ソーメン方面の怪」で外食でそうめんというのは確かにそうめん好きなのに食べたことがないが、この本の中だとある麺類ならなんでもみたいな店でラーメン¥300、そうめん¥600だと書いてある。そんなに高いのかなあ。まあでも家で食べると安くたくさん食べられるのにわざわざ外食で食べない、というのは確かにその通りだ。
「スキヤキ大疑惑」で最初以外は煮てるじゃないかと書いてあるけど煮るというほどは汁気が無いからやっぱり「焼く」でいいんじゃないかな。と思ってウィキペディアを見たら実にたくさんの記載があってびっくり。関東と関西ではいろいろ違うみたいだ。
「夢の?『バーベキュー』」の庭でおしゃれにバーベキューするはずが暑いわ蚊はいるわ肉は生焼けか焦げてるかで散々…というのが面白かったなあ。でも川原でBBQっていまもたくさんのひとが楽しまれてるし、いろいろ進化してるってことかな。
それにしてもドジョウ好きだねこのひと。食べたことないんだけど「土臭くないのかな」って思ってたら案の定「田んぼの味」とか書いてあるし…うーん。まあ、わかるけどね、そういう苦みというか癖が好きになったら逆にたまらんのだろうなとね。例えばサザエの苦いとことか、そんな感じでしょ?

解説はなんとナンシー関らしいがkindle版では省かれている。これは読みたかったなあ…。

2015/09/02

キャベツの丸かじり

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■東海林さだお
「丸かじり」シリーズ第2弾。
初出は1987年9月~1988年5月の「週刊朝日」に連載されたものなのでいまからざっと27,8年前の内容。
そう大きなものはないが現在との違いが散見され、そうだったなあと思いつつ読む。
東海林さんは炊込みご飯のたぐいは嫌いで白ごはんが好きだという趣旨の文章が本書だけで少なくとも3回は出てきた。美味しいと思うけどなー。
あと雑煮も「陰気だ」とか書いてあるけど雑煮大好きなので「んなこたぁ、ない」と思っちゃう。
タンメンというのは椎名誠のエッセイによく出てきて関西ではメニューで見たことがなかったので「どういうものだろう?東京では普通にあるのかな」と思っていたがこのエッセイによれば時代によるものなのか。

他のエッセイでも出てくるが東海林さんは「おしんこ」と書くが本当は「おこうこ」というほうが好きらしい。わたしは「お漬物」と言って「おしんこ・おこうこ」は意味はわかるが使ったことは無い、これは年代の違い?関東関西の違いなのかな?ウィキペディアを見てみたら「お新香およびおしんこ」は「漬物」に転送されるようになっていた。「おこうこ」というと関西では沢庵のことになるとかも書いてある、あーそういう感じある、かな?
マヨネーズをおにぎりにいれたり(ツナマヨとか)、お寿司に入れたり(カリフォルニア巻きとか)、パンに塗ったり(コーンマヨとか)するのがまだ世間になじみ切っていない時代だったようで、東海林さんは賛成派なのだけど紹介するのにいちいち(無理して言ってない)と断っているのが逆に気にしてるっぽいなーとか。
「スパゲティ」というのも今はあんまり言いませんね、「パスタ」って言う。ましてやその内容は「スパゲティは麺類なのにズルズルすすれなくて音も立てちゃ駄目だと知ってるけど、でもその食べ方だと美味しくない」という趣旨で、あちゃーって感じだけどこれは現在でもたまにいますね、男性で音立てる方。おじさんだけかと思いきやまあまあ若いのもこの前店でやってた。

食事のときに音を立てるといえば現代では「クチャラー」という呼び名があるけどこのエッセイでは「ピチャピチャ男」が登場する。なんと貧乏ゆすりもするし片手はポケットに入れたままだし飲み物はズルズルだし爪楊枝でシーハーもするという「若い男」って書いてあるけどうーんひどいなあ。東海林さんはもちろん不愉快なんだけど突き抜けて「こうなったらとことんネタにしちゃおう」姿勢になってて、まあそうでもするほかないよなって感じ。こういうひとが近くにいると800円のごはんが400円、200円の価値になってしまうと書いてあってまさにその通りだなあ!

本書では料理の作り方がいくつか出てきて①簡単カレー(これは昔過ぎて参考にならない)②のり弁 ③しめサバ ④手打ちうどん、この中で作ったことがないのは③でしめ鯖って自宅で作ると塩加減とか酢加減とか調整出来てすごく良さそうなのだった。丸ごとの鯖……見かけたら挑戦してみようかしら。塩と酢がたっぷり要るようだけど。
白ごはんと一緒に食べたいマイ・ベストを考えるっていうのがあってこの話題ではみんな盛り上がると書いてあって、たしかにいまだに「ごはんのとも特集」テレビでやってるもんなあ。わたしは1位塩鮭かな、まあ美味しいもの考え出したら雲丹とかイクラとか鱈子とかいろいろ出てくるけど。

目次。
正月はもちろんモチ/ラーメンの名店/鍋焼きうどんに至る病/白菜のおしんこでいいのか/昆布だって現役だ/いま、フタは……/ハヤシライスの再訪/タンメンの衰退/鍋と人生はむずかしい/「上中下」の思想/桜の下の幕の内/釜飯のひととき/マヨネーズの跋扈/竹の子かわいや/新キャ別/アジの開き讃/カツ丼、その魅力/追憶の「ワタナベジュースの素」/簡単カレーでなぜわるい/宝の山のスパゲティ/懐かしののり弁/カップ麺の言い訳/行列付き親子丼/紅ショウガの哀れ/タクアンよ、いつまでも/駅弁の正しいあり方/いじけるなサバ族/オレだってしめサバだ!/おかずは鮭か納豆か/素朴な芋たち/ピチャピチャ男/焼肉は忙しい/苦心惨憺、立食パーティー/おでんに苦言/暮れにうつウドン