2015/12/30

haru-mi 2016年1月号 & ごちそうさまが、ききたくて。


ごちそうさまが、ききたくて。―家族の好きないつものごはん140選
栗原 はるみ
文化出版局
売り上げランキング: 2,289

■栗原はるみ
先日評論『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』を読んで、栗原さんの本に興味を持ったので、まず会社帰りに雑誌コーナーで「haru-mi」の最新号(2016年1月号)を買ってざっくりと目を通し、やはり「原点が知りたい」と思った。
で、今日『ごちそうさまが、ききたくて。』を購入してこれもざーっと目を通した。
感心したのは、1992年に出版された本なのにいまだに版を重ね、町のごく小さな書店にもきちんと置かれている。今日たまたま1軒はダイエーの中の書店、もう1軒は駅前の一目で店内が全部見渡せる程度の書店に行ったが両方の料理本コーナーに本書はあった。栗原はるみ、人気あるんだなあ。うちの母は小林カツ代のほうが好きらしいが…。
「haru-mi」に目を通して「こっ、これは……“料理研究家じゃなくて主婦です”っていうよりは“実業家兼料理研究家”じゃないか!」とびっくりした。栗原さんについて知りたくて、ネットで検索したらいろいろ出てきたけど、うーんまあそのへんの実情はそのまま鵜呑みにするのもあれだしなあという感じ。

『ごちそうさまが、』のお家のインテリアはいかにも1990年代だなあという感じで、2015年のいま見ると少々野暮ったい。でも「haru-mi」に出てくるお家も食器も家具もなにもかもがオシャレで素敵だったので、当時はこれでセンスが良かったんだろうなあ、時代だなあ。はるみさんの髪型とかもあるんだろうけど、年齢を重ねられたいまのほうが垢抜けて見える…。

「haru-mi」のほうはクリスマスとお正月のおせちの関係か、ハレの日の料理が多いからか、手の込んだ細やかなレシピが多くておいそれとは真似できない感じがしたけど、『ごちそうさま』のほうはケの日の日常料理ばかりで割とすぐにヒントにしたり真似できそうなレシピが多いかも。
料理やレシピの雑誌&本だけど、レシピじゃないミニ・エッセイというほどでもないコメント文?みたいなのがちょこちょこ載っているのでそれを読んでいくと読物としても十分おもしろい。

まだ両方ざっくり見ただけなので、実際に作ってみたりして、活用していきたいです。でもこういう本って眺めているだけで愉しいな~。

2015/12/29

古谷田奈月を読む スポークンワードVol.4

古谷田奈月を読む: スポークンワードVol.4
(2015-12-23)
売り上げランキング: 15,057
kindle版
■柴崎友香&長嶋有&米光一成&豊崎由美
イラスト:ウラモトユウコ
第4号が出ていました。
まだちゃんと読んでいませんが、今回はなんと会場に著者ご本人が……!

古谷田奈月さんの著作はkindle化されていない模様。
チアリーディング部の熱烈な賛辞を受けてすぐ探してもないのは少しがっかり。

今回柴崎さんの写真(kindle版ではモノクロだけど)もスライドに使用されたために掲載されています。ご本人の小説のイメージと同じだなあ。

2015/12/24

ボーイミーツガールの極端なもの

ボーイミーツガールの極端なもの
山崎ナオコーラ
イースト・プレス (2015-04-17)
売り上げランキング: 96,036
■山崎ナオコーラ
2015年4月単行本刊。
フリーペーパー「honto+」(2013.7-2015.2)連載分と書き下ろし2篇を含めた10篇から成る。
秋頃に「サボテンの写真が話ごとに載っている」と知ってサボテン目的で購入し、長らく積んであった本ようやく読んだ(単行本なので通勤に持って行きにくいので遅くなった)。

この本に紹介されているサボテンはみんな変わっている。種そのものも珍しいと思うんだけどその突然変異的なものが実に多い。「生長点異常」でスパイラルに生長したのとか、接ぎ木したのとか。だから「これと同じのが欲しい」と思っても難しいんだろうなあ。まぁ植物なんで、みんな大なり小なり個体差があるのは当たり前なんだけどそれにしても。
うちにもサボテンが2つ、多肉植物は1種類3株(増えた)あるが、そのへんの花屋やイオンで買ったごくオーソドックスなものばかりだ。
人気多肉植物店・叢Qusamuraの店主・小田康平が植物監修を務める。】とあり、ググると広島のお店だとわかる。面白いお店だ。ちょっと高価そうだけど。希少価値があるしこれだけおしゃれにしてあったらそうなるかなあという感じ。文中では「小さい森」という広島の店になっていた。
サボテンの写真は全部カラーで、特別な紙に印刷されていて、サボテンについての説明文も付いている。
正直、お話とサボテンのつながりはわりと無理やりというか、プレゼントしたりされたりとかで、「関連付けありき」で書かれている感は否めない。

サボテンが変わっている、それを絡めたお話ということで、お話もみんな変わった設定ばかりだった。「ボーイ・ミーツ・ガール」じゃないほうが多いし…まあ「極端なもの」って書いてあるもんなあ、そのとおりだったなあ。
でもみんな面白くて、時々「えーっ、そうくる」「えーっ、んな漫画みたいな展開」と驚いたりしながら読んだ。
短篇集風だけど、各話がつながっている連作短編集なので順番に読んだほうがいい。一~三、四~六、七~九が明確な連作で、最後のエピローグで全篇が繋がる、アイテムは勿論サボテンで。

以下、各話感想、ネタバレしてますじゃんじゃんバリバリに。
なので未読の方は華麗にスルーなさってください。


目次
第一話 処女のおばあさん
タイトルからセンセーショナルだが、内容は別に大人しい。いくつになったって、ときめいたり恋に憧れたり出来るのはすごく羨ましい、素晴らしいことだ。

第二話 野球選手の妻になりたい
第一話のおばあさんの姪っ子の話。
小学校3年生のときの「結婚観」を高校3年生になっても変わらずに持っている主人公は凄いなと思った。小学校、中学校、高校で恋愛についての考え方ってもっと変わっていくと思うんだけど…。大学進学前に気付けて良かったね。

第三話 誰にでもかんむりがある
タイトルと中身が結びつきにくかったがこの話が読んでいて一番展開(の内容と速さ)に驚いた。んなあほなー。でもドラマチック! 紫はともかく、自分にドンピシャのブランドを見つけられるって素敵よねとは思った。大人ならではの恋って感じだなあ。夢っぽいけど…。

第四話 恋人は松田聖子
引きこもりの青年の話。そのわりに健全な内容だった。松田聖子について(彼女が他のアイドルとはどういう点が違って素晴らしいかなど)熱く語っていて興味深く読んだ。松田聖子についてこんなふうな視点で語られているのが面白かった。

第五話 「さようなら」を言ったことがない
第四話の青年の弟の話。兄視点では弟はルックス良し、頭良し、スポーツも出来ておまけに親兄弟思いという非の打ちどころのないやさしい青年だったが…こんな厄介な性格しとったんかい、という話。この話も最終部の展開にギョッとさせられたなあ。えええええって感じ。いろんな意味で酷い…どうにかならんもんなの? このひとはこのまんまなの? っていうか最初に「自分には既に彼女が複数いるが、それでもかまわないのか」くらいは確認しろよ! 大学生にもなって「嬉しいありがとう」じゃねーよ、バカ! 話としては面白く読んだがこの話しの主人公には腹が立ったわ。

第六話 山と薔薇の日々
第四話と第五話の兄弟の母親(と少し父親)の話。
この母親も読んでいて腹が立ったのだが、このひとについてはこの話の中で自分で悟る展開があったのでほっとした。
まあでもしかし、家族の問題って難しいよなあ実際はなあ…感情とか、すぱっと割り切れるもんじゃなし。お話として読んでいるのとは違うよなあ。
それにしてもまさか天国の展開まで出てくるとは! 凄い! 予想外すぎて笑っちゃった。よくこんな展開を書くなあ。

第七話 付き添いがいないとテレビに出られないアイドル
彼女は引きこもりというのとは違うけど、あんまりオモテに出て自分の意見を言ったりするのが苦手、でもルックスは素晴らしく可愛らしく、仲良しの従姉(このひとの設定がけっこう劇的人生だけどそれはわりとあっさり描かれる)が黒子として発言などをサポートするユーチューブに動画をUPしたらあっというまに話題になり→ゴールデンタイムのテレビ番組出演→人気に火が付く、という経過をたどる。ネット全盛の今ならではだ。
最後の展開は女同士ではありがちだけどこれだけお世話になってても恋愛が勝つの?と思ってしまった。

第八話 ガールミーツガール
と、思ったらどんでん返しが。あーそうくるかー。でもちゃんとわかってるのかなあと危ぶまないでもない。ずっと頼りにしてきたお姉ちゃんだから…っていうのがまったくないとは言えないような、どうなんだろう。まあそんなの本人たちに云わせれば「大きなお世話よ」ってレベルだろうしな。
男の子が粘着せず予想外にきっぱりさっぱりと別れたのであれっと思い、そのあとひとりで泣くシーンにグッときた。気の毒に…ちゃんと好きだったんだね、業界人だから軽い気持ちだろうと誤解しててごめんよ。

第九話 絶対的な恋なんてない
第八話がそうならば、第九話はこうくるよなあ。でもあえて「プラトニックラブ」というのが男のロマン、なんであろうか。男性のほうがロマンチストだという意見もありますわね。

エピローグ
各話に出てきたサボテンを扱う広島の店「小さな森」店主が主人公。多肉植物ブームがきてむしろ心配になるとか、そういうものかなあと。お客さんでやってきた女性3人連れ、鳥子は名前を明記してあるのに他二人を「中年の女性」「若い女性」としてあるのはなんでかなあ。まあ普通に第二話と第三話の主人公だけど、その第二話の彼女の口からまさかのあのひとの名前が出てきてびっくり。えーっ(大丈夫なの…)!?

2015/12/20

2015年に読んだ本ベストテン 発表

http://asunarobooks.blogspot.jp/

2015年に読んだ本ベストテンの記事を公開いたしました。

このページの上のところにある「年間ベストテン」から該当ページでご覧下さいm(_ _)m

↑この猫かぶりムスメのイラストクリックでもリンク貼ってあります。

2015/12/19

冠・婚・葬・祭

冠・婚・葬・祭 (ちくま文庫)
筑摩書房 (2013-08-02)
売り上げランキング: 9,136
kindle版
■中島京子
本書は、2007年9月筑摩書房から上梓され2010年9月ちくま文庫になったものの電子書籍版である(解説は省かれている)。
「冠婚葬祭」をテーマにした短篇集。
作品どうしの登場人物のつながりなどもあるので、連作っぽくもあり、最初から順番に読むことをおすすめしたい。

初・中島京子。田山花袋『蒲団』をベースにした2003年のデビュー作『FUTON』から気にはなっていた作家さんで(面白い試みだとは思ったが『蒲団』自体が若いときに読んでそんなに好きな小説じゃないからあんまり気が乗らなかった)、2010年『小さいおうち』で直木賞受賞されたときもどんな内容かはチェックしてテーマ的に今読みたいかどうか…ととりあえず見送っていた。今回kindle版「月替わりセール」で大変お安くなっていたので「良い機会だ!」と購入。キンドルってこういうのがあるからどうしようか迷っている人間には絶好の後押しになるよなあ。有難い。

で、実際読んでみて、予想していたよりもずっと読みやすくて馴染みやすい作風だったことを知った。もうちょっとクセのある方かと思っていたのだ(まだひとつしか読んでいないので即断は禁物だが)。
面白かった~。
強い感動とかまではいかないけど安定した良品という感じ。

「冠婚葬祭」と聞いて、「結婚とお葬式と…あと何だっけ?」と行き詰ってしまった恥ずかしいわたしである。
kindle内臓の電子書籍(大辞泉)によれば
日本古来の四大礼式、元服・婚礼・葬式・祖先の祭礼のこと。また、一般に、慶弔の儀式。】とある。
ウィキペディアを見ればもっと詳しく書いてあるが、わかりにくいのは「冠」と「祭」だと思うのでそこを引く。
冠=成人式を指す。かつては15歳の元服に由来し、冠を頂く(社会的な役職や参政権を得る)の意味を持つ。(以下略)
祭=先祖の霊をまつる事全般をさす。法事やお盆など様々であり、(以下略)

以下、作品ごとに簡単な感想をば。
「空に、ディアボロを高く」
成人式にまつわる話。
と云っても新成人を主人公にするのではなく、一歩引いた24歳の青年の仕事上の失敗(挫折)からそれを描いていく。冒頭の「辞表があっさり受理されて通う場所がなくなってからの」なんていうショッキングなはじまり方から「なんでこれが冠婚葬祭?」と興味を引かれ、ぐいぐい内容に引っ張られていく、上手いなあと最初から感心させられた。
重くも軽くも成り過ぎない、この「若さ」があるから「苦さ」もやがて彼の糧となることが容易に想像出来るから、希望を持って読めるのが良い。

「この方と、この方」
結婚にまつわる話。いまはもう珍しい「お見合いおばさん」が主役。
恋愛結婚主流の世の中で「お見合い」とは何かがかなり詳しくその本質に踏み込んで描かれる。
最初、若い女性のほうになにか急がなければならないかなり酷い理由があるんじゃないかと危ぶんでいたのだがそういう話では無かったのでほっとした。それにしても兄の恋愛や結婚にここまで口をはさんで世話をやきまくる妹ってどうなのかなあ、よくある話なのかなあ、うちは弟だけど弟の恋愛や結婚になんてまったくノータッチだけどなあ。
恋愛じゃないけど、ひとのくっつく・くっつかないが扱われる話というのは興味を引かれ易いテーマであるのだな、と再認識した。

「葬式ドライブ」
お葬式にまつわる話。
これも当事者、その家族ではなくて、全然関係ない仕事がらみの若い青年が主役に据えてあるおかげでライトに読める。
上司に言われてある老婦人を告別式と火葬場でのお骨拾いに連れて行き、送り届けるという一日を経験した青年、老婦人と、亡くなったひととの関係については明確には明かされず、青年の想像をユーモラスに描いてあったりして、少しずつ見えてくる「事実」はかなり重たくて暗くて大変なことであったろうに、こういうふうに明るく仕上げることが可能なんだなあ、それは「もう昔の話だから」というのもあるんだろうけど、面白い書き方だなあ、上手いなあと感心した。形式的なお葬式も悪くはないけれど、宇都宮のおばあちゃんみたいな気持ちのこもったお別れの会をしてもらえるひとはみんなに愛された証拠だなあとあたたかい気持ちをもらえた。

「最後のお盆」
お盆の話。
このお話はちょっと不思議な、あの世とこの世が入り混じったような、不思議な雰囲気・出来事が描かれる。
三姉妹のそれぞれの性格の違いとか、それぞれの嫁いだ先との関係とか、亡くなった母とか伯母とか親戚とか従兄とか近所のひととかいろいろ短い話なのに登場人物が多くてちょっと頭のなかが混乱したけど、その混乱もこの作品のいろんなものが混じり合った空気を作り出す効果になっているような気がする。たとえばこの作品の登場人物が親戚がいなくて家族も少なくて、という都会的な一家だったらそもそも成立しない話だよなあ。
うちの良心の実家両方ともキュウリの馬もナスの牛も作らなかったので、大きくなってから、漫画とかそういうのでその文化を知った。この作品中でもそういう場面があり、小学生の娘が「学校で習ったお盆では作ってたもん」と主張するのとか、リアルだなあ~と思った。っていうか、学校で「習う」んだ今は…。

2015/12/17

小林カツ代と栗原はるみ ―料理研究家とその時代―

小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮新書)
新潮社 (2015-11-13)
売り上げランキング: 14,192
kindle版
■阿古真理
珍しく新書を読む。2015年5月に出た本で、たしかamazonのオススメでも上がってきたことがあった気がするのだがスルーしていた。タイトルだけ見て、「小林カツ代と栗原はるみかあ…確かにタイプ違うかも。その比較…うーん…興味ないことも無いケド…」と思ったんだけどそのまま忘れてしまっていたのだ。
今回購入して読むに至ったのは「本の雑誌」1月号の年間ベストを決める座談会で取り上げられ、本書が二人の料理研究家の比較書ではないとわかったから。

実際に読んでみての結論から先にいうと、かなり面白かった!
料理に関するエッセイとか小説はとりあえず気になるここ数年の自分の読書傾向の中で平松洋子ファンになり、その肩書が「フードコーディネーター」だったり「エッセイスト」だったりして、それとは別に「料理研究家」っていう職業もあって、「料理研究家」ってなんだろうというのもあったし、そのへんの明確化されていなかった自分の興味や関心とこの本はなかなかに合っていて、じっくり読みこんだ。料理研究家について年代を追って書かれた本書は同時に近現代の女性の生き方、それをとりまく社会の変遷を追うことでもあった。
男女雇用機会均等法があったって、男女差別は良くないとされていたって、現実の社会で「まったく同じ」になることはまあ無くて、そのへんについてのあれこれもどうしても絡んでくる。骨身に沁みる。

本書はあくまでもひとりの人間が書いた本だからこれが唯一無二の「真理」であるということはないけれど、読みながら強く感じていたことは「やっぱり家庭料理は女性が主体的に行うもの」という社会認識がずーーーーーーっとあるんだなあ、ということだった。
時代によって、発言者によって、取り繕ったりしているけれど、多くのひとの本音はそこにある。

     *****

「主婦代表」とわかりやすいレッテルを貼りたがるテレビ局に対し「わたしは主婦ではなくプロの料理研究家です」と抗ったという小林カツ代の矜持。
料理研究家で関連商品の会社を作り雑誌まで発行する堂々たるプロになっても「わたしは主婦です」と云い続ける栗原はるみのしなやかさ。
どっちの気持ちもよくわかるが栗原はるみをして「主婦です」と云ったほうが「生きやすい」この世の中ってなんなんだろうなあと忸怩たる思いがしたが、続けて読んでいくとそういう意味で栗原さんは「主婦だ」と云っているわけではない、らしい。
少し長くなるが、引用する。
三十年プロをやってきて、まだプロではないと言う。この発言だけを取り上げると嫌味にも聞こえかねないが、今回栗原の資料を読み込んで気がついた。彼女は、偶像の栗原はるみが実生活から乖離しないように、自分を主婦と位置づけているのである。
 私生活をネタにするスタンスは作家的とも言えるが、私は彼女をアーティストではなくアイドルと考えるのは、その親近感による。
行間からにじみ出てくるのは、彼女の意志の強さだ。
 愛は自然な感情と思われがちだが、実は違う。始まりは自然に生まれたかもしれない。しかし、存続させるのは意志である。親子も、夫婦も、そして友人など他者との関係も、好きなだけでは続かない。相手を思いやり、こまめに自分の気持ちを伝え相手を受け入れる。その努力を互いに続けなければ崩壊する。
 多忙なこと、皆のアイドルにならなければならないことは、第一線で活躍する料理研究家なら共通する。しかし、栗原はどんなに忙しくても、家族のための時間を疎かにしない。

時代を追って、順番に代表的な料理研究家を追ってくる中で、結婚→料理研究家として成功→離婚のパターンが何人もいる、ということが書かれた後だけに、栗原はるみに関するこの部分は妙に説得力がある。タイトルになっているもう片方の小林カツ代も【倒れる数年前に離婚していた】そうだ。

     *****

また、最近の二十代の女性に「専業主婦願望」が結構多いとあちこちで目にするのだが、今のそれと昭和後期の「専業主婦」は違うんだ、ということが明確に書かれてあってなんとなく察知はしていたがモヤモヤしていたのがハッキリしたり。つまり「(家のこと、家事とか子育てとかを一手に引き受けて、夫の仕事を縁の下の力持ちとして支える良妻賢母的な)専業主婦」ではなくて「(お金に余裕があって、夫に理解があって、家のことはそれなりでいいから自分の好きなことをやれる)専業主婦」になりたいんだ、って、そりゃーそんなのが「専業主婦」なんだったらわたしだってなりたいわ! でも「専業主婦」ってそんなに楽なもんじゃないんじゃないのかなあ~。
そして昔の共働きといまのそれもだいぶ中身が違ってきているということもニュースなどを見ているからわかっていたことだけど、あらためてこうやってまとめて書かれているとなんというか…暗澹たる気持ちになるなあ。要するに不況が悪い、っていういつもの結論になるじゃないか。

     *****

「新書」という括りで出版されるこのジャンルにはあんまり慣れていないからどういう読み方・解釈をすればいいのかよくわからないが少なくとも本書を読んで「事実・実態」からかけ離れた著者の恣意的な作為が働いているとは感じられず、かなり信頼して読むことが出来た。
確実に自分の年間ベストテン入りの良書だが、今年のはもう作っちゃったので動かせず、来年のになんらかの形で入れたい。
小林カツ代の料理本は母親が愛用していたので自分もいくつか参考にさせてもらっていたけど、栗原はるみは評判はかねがね・テレビで拝見したことはある程度だった。本書を読んでかなり興味がわいたので、読んでみたい。

目次は新潮のHPからコピペ。これに目を通しただけで順を追って見ていった著者の仕事ぶりが伝わるだろう。最初にNHKドラマネタを持ってくるなど工夫されているなあ。

まえがき
プロローグ――ドラマ『ごちそうさん』と料理研究家
 料理研究家誕生/主婦の時代の到来
第一章 憧れの外国料理
(1)高度成長期の西洋料理――江上トミ、飯田深雪
 悩みのタネは「今日の料理」/大黒柱のおっかさん、江上トミ/料理は文化である/「家庭を守る味」/セレブな飯田深雪/「経済的な料理」づくりに腐心
(2)一九八〇年代のファンシーな料理――入江麻木、城戸崎愛
 ホームパーティの流行/ロシア貴族の妻/入江麻木のビーフシチュー/若い女性に人気の城戸崎愛/手づくりブームの一九八〇年代/理論派の料理研究家
(3)平成のセレブ料理研究家――有元葉子
 時代の先を行くサラダ/有元葉子のベトナム料理/カフェブームの先駆け/原点にある昔の暮らし/日常茶飯事の料理
料理再現コラム(1) 入江麻木の「なすのムサカ」
第二章 小林カツ代の革命
(1)女性作家の時短料理術
 衝撃のベストセラー『家事秘訣集』/桐島洋子の『聡明な女は料理がうまい』/『クロワッサン』の料理
(2)小林カツ代と「女性の時代」
 誰もが料理できるようにしたい/小林カツ代とフェミニズム/ハッと驚くアイデア弁当/働く女性に寄り添う/「女性の時代」到来?/食べるもつくるも大好き
(3)カツ代レシピを解読する
 代表作「肉じゃが」のつくり方/驚きの手抜き術/それはカツ代から始まった/小林カツ代のビーフシチュー/大阪人の本格派
(4)息子、ケンタロウの登場
 カツ代とケンタロウ/息子の濃い味/二代目の自由
料理再現コラム(2) 小林カツ代の「栗ご飯」
第三章 カリスマの栗原はるみ
(1)平成共働き世代
 仕事か結婚か/女性たちの自分探し/専業主婦は幸せか
(2)はるみレシピの魅力
 カリスマ主婦の誕生/『ごちそうさまが、ききたくて。』の衝撃/次々にくり出す技/母直伝の日本の味
(3)あえて名乗る「主婦」
 四千レシピの源/アイドルの使命/主婦代表の自覚/栗原はるみのプロフィール
(4)最後の主婦論争
 ハルラー世代/女性のヒエラルキー/主婦とは何か/料理するのは誰か
料理再現コラム(3) 栗原はるみの「にんじんとツナのサラダ」
第四章 和食指導の系譜
(1)昭和のおふくろの味――土井勝、土井善晴、村上昭子
 和食と台所/和食の第一人者、土井勝/おふくろの味/息子、土井善晴の料理/庶民派の村上昭子
(2)辰巳芳子の存在感――辰巳浜子、辰巳芳子
 食の思想家、辰巳芳子/食文化と環境問題/四季の恵み/「いのちを支えるスープ」/母・辰巳浜子/明治生まれの知恵
料理再現コラム(4) 土井勝の「栗と鶏肉の煮もの」
第五章 平成「男子」の料理研究家――ケンタロウ、栗原心平、コウケンテツ
 レシピ本ブームの裏で/男の料理/『男子ごはん』開始/二代目の洗練、栗原心平/コウケンテツの韓国料理/家庭料理の精神
料理再現コラム(5) ケンタロウの「焼き厚揚げのオイスターソース」
エピローグ――プロが教える料理 高山なおみ
 料理研究家とは/シェフ出身の高山なおみ/料理の原点
あとがき

著者の阿古真理(あこ・まり)さんのプロフィールも同HPから。
1968(昭和43)年兵庫県生まれ。作家・生活史研究家。神戸女学院大学卒業。食や暮らし、女性の生き方などをテーマに執筆。著書に『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』『昭和育ちのおいしい記憶』『「和食」って何?』など。

本の雑誌391号
本の雑誌391号
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本の雑誌社
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2015/12/09

ガセネッタ&シモネッタ

ガセネッタ&シモネッタ (文春文庫)
文藝春秋 (2012-09-20)
売り上げランキング: 5
kindle版
■米原万里
米原さんばっかり読んでいるのでそろそろ打ち止めにしようかと思っていたらkindleで12/7に「日替わりセール」で¥199円になっていたので購入。
「翻訳にまつわる、ガセネタとシモネタ(米原さんは下ネタがけっこうお好きで有名らしい)を絡めたライトなエッセイだろう」とタイトルから予想していたのだがガセネタや下ネタ……出てきたかなあという感じ。
シモネッタというニックネームを師匠から賜ったけど、より最強のイタリア語通訳者の田丸さんにその名を謹んで進呈した、というエピソードは他著でも触れられていたが、そのへんのことについて書いた単独エッセイのタイトルをそのまま書籍タイトルにしてある。
別に上品ぶるわけではないが、下ネタを1冊の本として読むほどの興味は持てなくていままでタイトルで敬遠していたきらいがあり、誤解だったのだなと思った。
気楽な感じで、言葉や翻訳にまつわるテーマのエッセイが集められているというのは予想通り。
目次から、何故かフルコースに見立てて1冊が編まれているが(シェフからのご挨拶にはじまり、デザート、コーヒー、食後酒で終わる)、料理やグルメなエッセイは一つもなかったのでなんだかなー。

本書で一番面白く、興味深く読んだのは「英文学者・柳瀬尚紀さんとの対談」だが、その中にこんな米原さんの台詞があった。
やはり資本主義社会においては、いちばん優秀な学生は会社の営業部へ配属されるんですね。ものをたくさん売る人が偉いんです。文学でも、いちばん売れる作家が偉い。それで編集者も、わかりやすく、やさしく書けっていうんですよ。そうすればたくさん売れるからです。市場原理というのはそういうものだから、これはしようがないんですね。だけど、文学というものはある意味では非市場的な要素がかなりあって、市場原理にばかりとらわれていると駄目になっちゃうと思いますけど、どうなんでしょうね。
身も蓋もないが、そういうものかもしれない。でも大衆雑誌の編集者はそれでもいいけど、純文学の編集者は売らんかな主義であってほしくないナア――とファンとしてはお願いしたい気持ち(そりゃー商売でやってんだから理想だけでは食べてけないんだけども)。

同時通訳者は駄洒落好きが多いことや、英語通訳者は母国語と英語しか知らないから視野が狭くなるという見解、言葉のシリーズ化(パターン化)など、米原さんならではの経験を生かした面白いエッセイはふんふんと頷きながら読んでしまう。まあ、1冊の中に同じネタが出てくるのはもう仕方ないのかなこのひとの場合…。
「ご苦労様です」がフリーパスの役割を果たしたのは昔の平和な時代までだろうなあと世界のあちこちでテロが起こっている今日この頃遠い目になってしまう。米原さんがご存命でいらしたら、なんとおっしゃっただろう!

2015/12/05

終生ヒトのオスは飼わず

終生ヒトのオスは飼わず (文春文庫)
文藝春秋 (2014-12-05)
売り上げランキング: 532
kindle版
■米原万里
本書は2001年に出版された『ヒトのオスは飼わないの?』の続篇にあたるエッセイ集で、著者没後の2007年5月に出版された。
前著を読んでいないのだが本書がkindleのセール本で安かったため購入。
秘書だった金田育子氏による「単行本解説『毛深い』家族たちのその後」の最初に以下のように記されている。
この本には二〇〇三年五月から二〇〇五年一二月まで三二回にわたって雑誌「ドッグワールド」に連載されたエッセイのうち第一回から第一〇回までを収録しました。著者・米原万里が書籍化の折には連載後半部分に必ず手を入れたいと言っていたため、その気持ちを尊重してこのような形になりました。

え~32回のうちのたった10回分? どうりでこの本、第一部は米原さんのペットだった犬と猫の可愛い描写と写真で頬が緩みっぱなしだったが第二部はペットと全然関係ないエッセイの寄せ集めみたいな作りで、まあ米原さんについて知らなかったことも書いてあったけど特に父方の祖父・父親の共産党絡みの内容は他の著作でも触れられていたことがあるうえに第2部だけでもおんなじような内容を3回も読まされて苦痛だったので「変な構成の本だなあ、著者没後にかき集めてボリュームをなんとか満たしたって感じだなあ」と思っていたので、「どうせなら、断りの一文を入れたうえで残りの22回を収録したほうが余程、収まりが良かったろうに」と考えずにはいられない。どうしても譲れない線があったってことかしらねえ。

目次を写す。( )内は内容についてのメモ。
第一部 ヒトのオスは飼わないの?
(愛猫ソーニャの出産シーンからはじまり、米原家の犬・猫たちの様子が細やかに描かれる楽しいエッセイ。みんな個性豊か。米原さんってメロメロが付くくらい大の犬猫好きでらしたというのが伝わってくる。)
新しい物語が始まる/醜いアヒルの子/神様の悪戯/末は博士か大臣か/兄いもうと/ゲンのへそくり/愛にスペアはきかない/過去のある女/無理の理/大移動/褒め上手の効用

第二部 終生ヒトのオスは飼わず
「家」の履歴書(初出「週刊文春」1998.7 取材・構成 最相葉月(!!)/夢を描いて駆け抜けた祖父と父(初出「文藝春秋臨時増刊」2000.2)/地下に潜っていた父(初出「文藝春秋」2005.10。・・・以上この3篇は内容にかなりの重複がある。
キュリー夫人を夢見た母(初出「婦人画報」1999.6。他の著作でも書いてあった内容をやや詳しく書いてある
これも一種の学歴信仰(「文藝春秋」2001.3。ロシア語が最も上達する職業は!?
言葉に美醜なく貴賤なし(「文藝春秋臨時増刊」2002.9)
核武装する前に核被害のシミュレータを(初出:「諸君!」2003.8)
よくぞおっしゃった;異例の皇太子発言 私はこう考える(「文藝春秋」2004.7。雅子妃を応援する内容。
羊頭狗肉の限界;わが九条「改正」試案(「諸君!」2005.6)
偉くない「私」が一番自由(文春新書『わたしの詩歌』より)
終生ヒトのオスは飼わず(文春文庫『私の死亡記事』より。この本は昔買って読んだが、新聞の訃報記事を本人が仮定して書くというブラックユーモアな企画本で、土屋賢二先生など人によってはなかなか面白かった。米原さんは享年を75歳と仮定しており、読むにつけ、早すぎる死が惜しまれる。

単行本解説
付録(毛深い家族たちの見取り図/階段ネコの変遷/愛したものたち/マルクス家の告白ゲーム/米原万里年譜

芥川龍之介再読週間⑩

歯車
歯車
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(2012-09-13)
kindle版
■芥川龍之介
」(大正9年3月)
姉妹の恋の話。しっとり。この姉妹はずっと何か心にひっかかったまま生きていくのかなあ…。

澄江堂雑記」(大正7年~13年)
32篇の雑記。思った事考えたこと気に留めたことを書いてある短いものの集まり。読み手としては興味がわくものも、そうでないものも。
1大雅の画 2にきび 3将軍 4毛生え薬 5芸術至上主義 6一切不捨 7赤西蠣太 8釣名文人 9歴史小説 10世人 11火渡りの行者 12俊寛 13漢字と仮名と 14希臘末期の人 15比喩 16告白 17チャプリン 18あそび 19塵労 20イバネス 21船長 22相撲 23「とても」 24猫 25版数 26家 27続「とても」 28丈艸の事 29袈裟と盛遠 30後世 31「昔」 32徳川末期の文芸

続澄江堂雑記」(大正14年)
1 夏目先生の書 2霜の来る前 3澄江堂 4雅号 5シルレルの頭蓋骨 6美人禍 7放心 8同上

トロッコ」(大正11年)
これについては又吉(直樹)さんがすべて言いたいことを言ってくれているという感じ。最後の部分(大人になってからの部分)について忘れていたなあ。

歯車」(昭和2年、遺稿)
強迫観念とはこんな感じかという話。「レエン・コオト」がよく出てくるなあと検索してみたらタイトルを入れて9回使われていた。睡眠薬を飲んだり、幻聴めいたものが聴こえたり、ドッペルゲンガーが現れたり、……とても精神的にまいっている感じで、読んでいてずんずんと沈み込んでいくような気持ちがする。

2015/12/01

この世にたやすい仕事はない

この世にたやすい仕事はない
津村 記久子
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 4,330
■津村記久子
おおお面白かった~!!
いままで読んだ津村さんのなかでも1,2を争う面白さかも、っていうか今まで読んだ津村作品には無かったタイプだったので完全に予想外だったというか。
例によって本編を読む前はあんまり見ないようにしている帯に「作家生活10周年記念作品は、お仕事”ファンタジー”小説!」と書いてあるのが目の端にとまってはいたんだけど、全然信じていなかった。だって津村さんは等身大の、リアルな日常をこつこつ描いてくれる作家さんだもの。喫茶店で隣の女性客同士で喋ってそうな。作風ちゃうやろと。
だけど本書の中のあるお話は確かにファンタジーだったかも。

10月の半ばの発売で、梅田の紀伊国屋書店では津村さんのサイン本を扱ってくれているのでそこで狙い通り購入したのだが(単行本には珍しくフィルム包装してあった。宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編』と同じ日に買ったんだけどそういえばこれもフィルム包装してあったなあサイン本でも無いのに立ち読み防止か)、しばらく他を読んだりして積んであった。
サインは文字は黒、その周りを濃いめの水色のペンで四角く囲ってある。ギザギザが上下にあって……単に「変わった枠だなー」と思ってたけどこれってもしかして飴の包装紙を表しているのかなあ。真ん中に3本の縦線があって、右のスペースに【この世にたやすい仕事がない】と書いてあって、左のスペースに著者名が書いてある。
この本のタイトルは「仕事」だがサインのほうは「仕事」になっていて、その違いがなかなかしみじみと味わい深い。

5つの話が収録されているのだが、主人公が同じで、時系列通りに進んで行って、話も繋がっているので、短篇として読めないこともないけれど順番に読んだ方がいい連作短篇集。

主人公は女性で、大学卒業後14年間勤めた仕事を辞めた後(燃え尽き症候群のような状態になったのらしい)、療養のために実家に帰り、失業手当をもらっていたがそれも切れたので職探しを本格的にはじめた。だめもとで相談員さんに
「家からできるだけ近いところで、一日スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね?」と条件を出してみたら
「あなたにぴったりな仕事があります」
と紹介されたのが「第1話 みはりのしごと」。
モニター2台を前にして延々対象者の生活を覗き続けるという仕事。いちおう同性で、というくくりはあるらしいが、そして見張られるにはその理由が(犯罪絡み)あるらしいのだが、正直言って見張「られる」側の立場を想像しただけで嫌だなあ~! 「知らない間に犯罪者からヤバい物を預かった」からそれを探すために見張られてるらしいんだけど他に方法あるだろうと言いたい。
もちろん見る側だって嫌だ。想像しただけで「そんな仕事したくない」と思う。興味ないし、他人のひとに見せない言動なんて見たくないし、第一退屈そうだ。退屈な割にストレスだけは溜まりそうだ。罪悪感もあるだろう。
案の定、最後のほうにこの仕事には向き不向きがあるという会話があって、納得。

第2話は「バスのアナウンスのしごと」。
タイトルから、バスの中に流れる音声をアナウンスする仕事かと思ったらそうではなくて、その音声の原稿(広告文)を作る仕事だった。この第2話にちょっと不思議な先輩が出てきて、ファンタジーっぽい、判然としない展開がある。おお、津村記久子でこんなのが読めるとは。
この仕事はなかなか面白そうだったし、職場にも特に問題が無さそうだったのだが、そもそもこのアナウンスを作る仕事自体がずっと必要なものではなかったため、他の会社に行くことになる。

第3話は「おかきの袋のしごと」。
お菓子の小包装の裏に豆知識とか書いてあったりする、そのネタと文章を考える仕事。これはなかなかクリエイティブでやりがいがありそうな面白そうな仕事だなあと思った。主人公もいろいろ前任者のプレッシャーとかを乗り越えて頑張る。そこからの展開にはちょっとわくわくして、その後アゼンとなった。うわーなんなのこの辞めなきゃならなくなった理由。怖すぎる、リアルにありそうだけにすんごいメンタルやられそう。こういう展開をさらりと書いてくるところが流石の津村さんだなあ。

第4話は「路地を訪ねるしごと」。
全5話の内、この仕事が一番読んでいてやりたくないなと思った仕事だった。町中に「緑を大切に」とか標語的なポスターを貼る仕事なんだけど(いちおう官公庁から委託されているらしいのでいかがわしくはないんだけど)、なんのためにやってるのかがイマイチ納得出来ないし、町中の多くのひとと関わって個人的なことを聞かないといけない(今時、国勢調査にすら個人情報だとか云って抵抗感を示すひとがいるのに)。
そのうえそこに宗教みたいな変な団体との戦いが絡んできて…。
この話もなんとなーくファンタジックな要素が感じられた。現実っぽくないところとかが。

第5話は「大きな森の小屋での簡単なしごと」。
か、「簡単な仕事」とかついに言い出しちゃいマシタよ。タイトルもなんだか「大草原の小さな家」を彷彿とさせてファンタジーぽい。
とりあえず広ーい公園の中の一地域での仕事ということで、舞台は何となく万博公園あたりをイメージしながら読んだ。
ここでの「仕事」はチケットにミシン目を入れていくという確かにすんごく簡単で地味な仕事。…仕事? って感じだけど。でもそれはどうもサブっぽくて、むしろ期待されているのは小屋周りの地図を作ることや見回りの方らしい。
で、「あやしいことがあったら言ってね」的なことを職場のひとに言われるんだけどそのへんのやりとりがなんかいかにも「(あやしいことが)ありそう」な感じに書かれてて、妙にうさんくさいというか今までの流れからも「また、ちょっと不思議なファンタジックなことがあるのだろうな」と予想させておいて…。

全体的に、冷静に考えてみればそんなに変なことは起こっていないにも関わらず、この本を読み終えた感想として「なんだか不思議な感じの面白いお話を読んだなあ」という気持ちになるのはどうしてでしょう。
5つの仕事はアマゾンの商品説明によれば【津村さんいわく、主人公が「こんな仕事があったらいいな」と思った職場を旅する】らしいが、この中から自分が就く仕事を選べと言われたら…うーん…どれも微妙に嫌な部分があるんだけど、「大きな森の小屋での簡単なしごと」かなあ。
見張りは嫌だし、広告業も客商売なので長く続けるといろいろありそうだし、おかきの袋の仕事は常にアイデアを出していかないとっていうのはまあ仕事となったらやりがいにつながるかもだけどこの無神経そうな社長に加え、食堂で毎日おばちゃんたちと濃厚な会話をしなくちゃいけないのが無理っぽい。主人公は全然苦になっていないようだったが。路地のやつは問題外だし。
でもまあ、どれも変わっててふつうにハロワに行ってもこんな面白そうで条件的に悪くない(ブラック要素がない)楽そうな正社員の仕事なんてまず紹介してもらえないだろう。ある意味うらやましい。ハッ、そうかそこがまず「ファンタジー」だと感じてしまう大きな要因か!
だいたい世の中何も問題が無い仕事なんて無いわけで、タイトルも「この世にたやすい仕事はない」っつってね。

津村さんと云えば長らく会社員と作家の二足のわらじを履いてらしたので、「仕事」のやり方とかについてもしばしば言及があるのだけど、この小説を読んでいてそういう部分がやはり味わい深く、そこは目をじっとやったりして読んだのだけど、要は「仕事と愛憎関係になる」っていうのは良し悪しだと。んでこの主人公はそうなってしまうタイプで、そのせいで14年でバーンアウトしちゃったわけで、相談員さんのアドバイスとして療養期間であるいまはそこまでのめり込むような仕事はおすすめしない、とかいうのがあるわけ。14年って云うとまあ長いんだけど、でも新卒で入社して定年まで勤め上げるひとが少なくない日本の企業においては「入社14年目」って別にまだまだ若めの社員、まあまあ中堅まで育ったかな? くらいの扱いだからなあ。津村さんの仕事がテーマのエッセイで「長く続けるには」的なことが書いてあったけどそこに書かれていたことと「仕事と愛憎関係」は逆の方向を向いているので、つまり「こうなっちゃうとしんどいよ」っていうメッセージなんだろう。

長く続けた前の前の前の仕事を、燃え尽きるようにして辞めてしまったので、あまり仕事に感情移入すべきではないというのは頭ではわかっていたが、仕事に対して一切達成感を持たないということもまた難しい。自分の仕事を喜ばれるのはやはりうれしいし、もっとがんばろう、という気になるのである。

とか書いてあって、確かに後半はその通りという感じなので、前半の「仕事に感情移入すべきではない」というのはどこまで一般的なんだろうという気がする。例えば、津村さんは作家で、作家の仕事に感情移入せずに、っていうのは不可能じゃないのかな? つまりこれはいま療養中の主人公や、ちょっと疲れているひとが対象なのかなあ。それか、頭のどっかでは割り切っとけよ、じゃないとどこかでバーンアウトするぜ、ってことなのかなあ。
…まあ…そのへんは個々で…それぞれの仕事と体力と精神のバランスがしんどくないところで…十人十色、それぞれ自分で考えればいい、ってことかな。ケースバイケースだよね。
ちなみにわたしが「非現実的でいいので、自分がいまやりたい仕事ってどんなのか」を考えたらすんごくドン引かれそうな根暗な感じだったので、ここで詳しく書くのはやめておこうと思うが、仕事内容そのものは、いま現実に就いている仕事とそう遠くないので、まあ良いのではないかと。ただ現実には「人間関係」というのがあって…これが一番、どうにもならないのであって…! そしてそうゆうのってハロワの求人票見てもよっぽどひどくない限りわかんないんじゃないかなあ。

この小説はすごく良かったので、シリーズ化してほしいなあと一瞬思ったけど、主人公が短期間で職をコロコロ変えるにも限度があるし、5話かけてまあまあ立ち直ってきていたので、それは無いか。スピンオフ作品は…あの不思議なあのひとの話は…どうかなあ。不思議なひとを主人公に書かれると魔法が消えちゃうかなあ?

装丁は名久井直子。各話ごとにカラーの絵扉とモノクロの挿し絵(龍神貴之)が入っているのも(これは「お話、物語」ですヨ)っていうのを示唆してるのかなー。

2015/11/28

愛のようだ

愛のようだ
愛のようだ
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長嶋 有
リトル・モア
売り上げランキング: 6,412
■長嶋有
著者初の書き下ろし長篇小説だそうで。
正直、知らない作家でこの装丁でこのタイトルだったら買わなかった。だって恋愛小説は守備範囲外だから。
でも、長嶋有の小説だから、「恋愛」って言ったってそのままじゃないだろう、愉しませてくれるだろうという保証があるから買った。
結論から云うと、すごく良い作品だった。
ずっと退屈させなくて、面白くて、しかも最後には感動もさせてくれる。素晴らしい。
長嶋有やっぱり大好きだと思った。

帯に書いてあることを本編を読む前に読んで良かったと思ったことは一度も無いので今回も出来るだけ目にしないようにしてカバーを外して中身を読み、最後まで読み終えてからおもむろにカバーを書け直しつつ帯の文句に目を通したが、うんまあ、間違ったことは書いてないけど、でもやっぱり小説を「受けの良さそうなキャッチコピーめいた短いキイワード」で紹介するとこうなるんだろうなあと、本編を読み終えた身の内でさっきからたっぷんたっぷん揺れている感動の感情の波を持て余し気味のわたしはそこに書かれていた【「泣ける」恋愛小説】【大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。】という言葉たちに「そうだけど、それだけじゃないんだ」と反論したくなる。特に「泣ける」というのが売り言葉に成り得る、という現状に強い違和感をいつも感じているから、ここにも使われていたかと諦念めいた思いがする。
小説を読み終えて感動したとき、この感動を伝える感想なんてどう書いたらいいんだ、とにかく「良い」から作品を読んでみてくださいとおすすめするしかないのだが、と途方に暮れる。それでは「感想」にならない。「広告」には到底成り得ない。帯に書かれた単語たちは、多くの読者を惹きつけるべく選ばれた、エッセンスなんだろう。

以下、この作品の内容、展開に触れます。「ネタバレ」しています。未読の方はどうぞご留意ください。

正直この小説も途中までは「地味な話だなあ、でもいつもの長嶋調(日常生活の何気ない会話や言動がやたら丁寧に細かく描写され、かつ、それにいちいち詳細な解説が付く)だから読んでいるのは楽しいけど」という感じだった。それが最後まで読んでみれば、「ああこの感動は全部繋がっていたんだ!」。
こういう、細かい伏線が最終部の感動に繋がっているという構成に、弱いね。してやられたね。でも巧いねえ、上手いんだわー。

この小説は最初の4行くらいはどういう状況かよくわからない不安な感じではじまり、5行目の途中でいきなりパアッと状況が明らかになる、冒頭から「あっ、おっ、そうきたか、巧いな!」と小さくにやっとさせられる。
長嶋有は以前に書かれたエッセイなどで運転免許を所持していないと書いていたが、本書の「俺」は長嶋さんがモデルなのかなあ、長嶋さん免許取られたんだろうか。わたしも免許を取ったのは27歳と平均よりは遅かったので教習所での気持ちとかは似ている部分もあったが40歳過ぎてからはすごい、しかもその後高速を使って遠出してたりして「実用」になっているところが尊敬しちゃうなあ。

  ああ心に 愛がなければ スーパーヒーローじゃないのさ

作中に実名の漫画、やや懐かしめの音楽のタイトルが頻出するのが楽しい。特に『キン肉マン』のオープニング曲「キン肉マン go fight!」はこの小説に無くてはならない重要なシーンで流れる。いろんな漫画や音楽の歌詞をしっかり読み込んで随所でそれを「引用」したりするところが長嶋さんらしいなあ、と感心する。昔はともかく最近は音楽をこんなに真剣に聴くことが出来なくなってしまった。9割方は「音」として聴いてしまっているので歌詞を覚えていないものが多い。さっきもこの作品で流れる奥田民生「さすらい」が自分のiTunesに入っているので聴きなおしたのだが歌詞はほとんど右から左に流れていってしまうのだった。


「運転」することによって世界の見え方や考え方が違ってくるというか、新しいレイヤーをもう1枚手に入れたみたいな感覚を詳細に語っておられるから、たぶん免許取得は著者の実際の生活でもそうなんだろうと思う(違ったらそれはびっくりするが、まあ、作家だもんなあ…)。

だってもう、あのときとは景色が違う。あのときとも、あのときとも。車に乗っている限り。
そういう風に感じたいと思うときが、生きていてたくさんある。なにかに失敗したとき、なにかを見透かされて消え入りたい気持ちのとき、誰かを悲しませてうなだれているとき。あるけど我々は大抵の場合、車に乗って移動してない。

これは正直云って個人によって見解の相違があると思う。現にわたしは車の運転をしていたことがあるが、運転しているときにこんなに前向きな気持ちであったことは無い。常に「失敗しないか」の恐怖と戦っていてずっと怖かった。運転に向いていないことこの上なかった。結果としてすぐにペーパードライバーになった。運転してみなければ分からないこともたくさんあったので無駄であったとは思わないけど、この小説を読んで長嶋さんがすごく運転から得ているものが精神的に大きいということにびっくりした。そうか、車の運転ってこういう影響を与えることもあるんだ。
もし長嶋有が18歳とかで免許を取得していたら、ひょっとしたら全然違う作風の作家だったかも、知れない。わかんないけどね。



2015/11/27

芥川龍之介再読週間⑨

猿

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(2012-09-27)
■芥川龍之介
湖南の扇」(大正15年1,2月)
中国の湖南省に行ったときの思い出話。湖南で会った複数の芸者の思い出。斬首された男の最後の血が沁み込んだビスケットをその情婦が食べるシーンがグロテスク。まっすぐに解釈するとすんごく悲しいけど、どうなんだろうねえ。男ってやつは莫迦だなあ。タイトルといい、最後の部分といい、意味深だなあ。

」(大正5年8月)
タイトルや読みはじめに想像していたのと全然違う、重くて深くて難しいテーマを扱った傑作短篇だった。人間には野卑な部分があるが、それを自覚し、なおかつそこで開き直らず真っ直ぐに省みて悔いることの出来る者は実はそんなにいないと思う、しかも若くして。
終盤にこういう記述がある。
あすこでは、囚人に、よく「弾丸運び」と云ふ事をやらせるのです。八尺程の距離を置いた台から台へ、五貫目ばかりの鉄の丸を、繰返へし繰返へし、置き換へさせるのですが、何が苦しいと云つて、あの位、囚人に苦しいものはありますまい。いつか、拝借したドストエフスキイの「死人の家」の中にも、「甲のバケツから、乙のバケツへ水をあけて、その水を又、甲のバケツへあけると云ふやうに、無用な仕事を何度となく反覆させると、その囚人は必自殺する。」――こんな事が、書いてあつたかと思ひます。それを、実際、あすこの囚人はやつてゐるのですから、自殺をするものゝないのが、寧、不思議な位でせう。
いしいひさいち『バイトくん』に、同じ作業を心理実験かなにかでバイトくんがやらされて「ボク、この仕事に一生を捧げます!」とかアピールして学者がキレるというのがあったなぁ…。

毛利先生」(大正7年12月)
若いときって老いとか格好悪いものとかに容赦ないよなあ…という話。昔のことを恥じるこの手の話、いままで読んだ中でも何パターンもあるなあ、芥川にとって気になるテーマだったんだろうな。

」(大正14年4月)
ごく短いエピソード寓話的な? 山肌から、昔会った、断髪で睫毛を全部抜き取っているハーフっぽい娘のことを思い出す。【あたしもこの商売を始めてから、すつかり肌を荒してしまつたもの。】とは穏やかじゃないねえ。

年末の一日」(大正15年1月)
随筆。漱石ファンの新聞記者とお墓参りをする話。向かう電車のなかでの一シーンが気になった。残酷な視点だなあ。

電車は割り合いにこまなかった。K君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺を一枚やっと手に入れた話などをしていた。
すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合せたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。

東京小品
」「下足札」「漱石山房の秋」の3つの随筆。「鏡」はちょっとナルシー入った女性への揶揄。「下足札」は外国人の話なんだけど、うーんよくわからん。「漱石山房の秋」(大正9年)は【漱石山房の秋の夜は、かう云ふ蕭條たるものであつた。】というラスト1行がまとめだが、カメラがずっと追っていく感じで敬愛する先生の御宅の様子を細やかにスケッチしており、そこに書き手の気配がほとんど感じられないところがとても清々しい。

漱石山房の冬」(大正11年12月)
先生と初めて会った大学生のある晩秋の夜、作家になる前に訓戒を受けた夜、先生が亡くなった後奥さんから話を聞いた夜、すべて寒かったという追憶。空気を読まない連れのオチが苦笑。

2015/11/24

追悼 フジモトマサルさん

いきもののすべて
いきもののすべて
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フジモト マサル
文藝春秋
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さっきヤフー・ニュースで知ってびっくりしました。
早すぎる…。

にょにょにょっ記
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穂村 弘 フジモト マサル
文藝春秋
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2015/11/23

味なメニュー

味なメニュー
味なメニュー
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平松 洋子
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■平松洋子
「味なメニュー」は表紙も実際にあるお店のメニュー(この店は黒板に書くシステム、本文参照)、中身も「メニュー」を中心にその店のたたずまい、芯とするもの、大事にしていること、店とお客の関わり、風景といったものを丁寧に取材して書いてある。チェーン店には無い、個人店の店主それぞれの人と為りが反映されるのだけれども、個性それだけで突っ走ってしまっては商売にならない。やはり、そこは客とのやり取りの中で得たものや、リアルに出てくる売り上げの推移などを考慮して、どうやったら美味しくなるか、お客が集まるか、また来てもらえるかを試行錯誤の末、編み出されたもの。「初代の味を守っています」というお店も少なくないけれど、どうしても時代の変化(食材の変化・仕入れられる店・物の変化、売値と原価率の問題)は避けられず、マイナーチェンジをしたり、思い切って代替わりでメニューを見直したり。それでも、その店の「芯」は変わらないから、その思いが、いろんなものが積み重なって「いま」の味があるんだろう。

初出は文芸誌「GINGER L(ジンジャーエール)」1~18号に連載。雑誌全然チェックしないので初めて知った雑誌だ。
装丁は芥陽子。
カバー撮影は平松さんとよくタッグを組まれる日置武晴(表1:東京「甚六」)と小境勝巳(表4:水道橋「とんがらし」)。
文中の写真はすべてモノクロで、日置さんと小境さんそれぞれ担当。

目次に、出てくるお店+看板メニュー、感想メモを追記。
シチューと煮込み
東銀座「銀之塔」 土鍋でビーフシチューってところは家庭でも真似しても良いかも。お漬物にも神経が行き届いていそうなところが良いなあ。
森下「山利喜」の煮込み 「煮込み」というその言葉だけでもう美味しそう。だけどお店で注文したこと無いかも。「煮込み580円」って書いてあっても「なんの煮込みなの?」って思っちゃうかも…。

道頓堀の品書き
大阪道頓堀「たこ梅」関東煮(おでん) またたこ梅か! 平松さんのエッセイに何度取り上げられたか。大阪で働いているけど行った事無いんだよね…鯨のコロとか苦手だし…さえずりはどうかなあ? とりあえずここまで読んで辛抱たまらんくなり、本日祝日、急きょ予定変更しお昼用に朝からおでんの材料を買いに走りましタ。

ちょっと大衆酒場で
赤羽駅東口、大衆酒場「まるよし」 「せんべろ」って言葉平松さんの著作では、初登場かなあ…。
赤羽「OK横丁」の居酒屋「八起」 「豚王ぽ」で豚の尻尾とは! 豚の尻尾って食べられるのか…。
赤羽「まるます屋」 なんでもござれ。
お酒が強かったら、赤羽は天国みたいなところだろうなあ。美味しくて安くて気安いお店がたくさん。まだまだある。
赤羽「川栄」 鰻と鶏肉。すごいなあ。
赤羽「立ち飲みいこい」 ここも平松さんの著作で前も出てきたような気がする。支払システムが独特なので覚えている。

キッチンカーでランチを買う
大手町などのオフィス街のキッチンカー。「アジアンランチ」など。OL3人によるランチ談義もあって、面白い。お弁当の移動販売じゃなくて、その場で作る移動式のお店。こんなのがあったらランチタイムが充実するだろうなあ、でも毎日6、7百円はプチ贅沢かな、外食するよりは安いけど…週何日かがちょうどいいかも。

かつサンドの秘密
JR東京駅「万かつサンド」 かつサンドは美味しいけど少し高くてこれもプチ贅沢。東京駅ともなるといろんな美味しいお弁当がいっぱいあるから迷うだろうなあ。その中で「かつサンド」にするのはしょっちゅう東京駅に行ってればまあアリなんだろうけどもなあ…。JR秋葉原「肉ビル」(通称)=「万かつ」の「万世」。「排骨拉麺(ばーこーらーめん)」もいかにも美味しそう。

夢のかたち
代々木「ライオンシェア」キーマカリー。 キーマカレーはまだ食べたことが無い。ドライカレー(自作)はある。似てるけど違うらしい。
銀座「ニューキャッスル」 辛来飯。カライライス。つまりカレーライスのこと。量が4段階で「蒲田」「大森」「大井」「品川」だそうだ。「大森」と「大井」は東京じゃなくても想像がつくけど「蒲田」と「品川」ってのは…。
日本人のつくるカレーには夢のかたちがある。】というラストの一行。その後の[追記]にほえー。お客さんが跡を継ぐっていうのが凄いよなあ。すごーく「残したい味」だったんだろうなあ。

だからジューススタンド
中央線吉祥寺駅など「HONEY’S BAR」、その他「ジュースの森」「アシタ・バー」などたくさん。駅だけでなく、百貨店でもよく見かけるジューススタンドは、【ただし、玉石混淆である。】そうで、着色料、漂白剤、その他いろいろ添加物が入っているお店もあるそうだ。そんななかで、新宿御苑前「ぴーまん」、銀座「銀座青汁スタンド」、渋谷「遠藤青汁サービススタンド」、人形町「須賀屋ジューススタンド」などは平松さんの折り紙つき。スムージーブームで自分でも作ってみたことあるけどたしかに新鮮な野菜や果物を毎日入手してジュースにして、ってやってると馬鹿にならない金額がかかるんであっというまにやめてしまったもんなあ。しかも野菜中心だと栄養はあるんだろうけど美味しくないし…。

そこに立ち食いそばがあるから
銀座「よもだそば」、新橋「そば作」、中野「かさい」他、すべて立ち食いそば。立ち食いそばといえば「安い、早い、味は二の次」だと思っていたが店を選べば「安くて早くてしかも美味しい」というのがいくつもあるらしい。まあ、全部東京の話だけど…大阪はどうなのかなあ。立ち食いそばやるよりラーメン店のほうが儲かるらしい。ラーメン店、どこにでもあるもんな。街の蕎麦屋にはわりと行くけど、立ち食いそばかあ…まだその域には早いかなあ。

「立ち食いそばには『ナンバーワン』がない」
――大衆そば研究家・坂崎仁紀氏に聞く
「本の雑誌」の連載でも立ち食いそばをテーマにしてたし、平松さんのマイ・ブームなのかも。まあ、女性でもある程度年齢を重ねたから入れるようになったということもあるような気がする。

趣味のお茶漬け
新橋「鹿火屋」(かびや) 家のお茶漬けは「お茶」をかけるけどお店のは「おだし」をかけるんだね。美味しいけど、それメインに食べに行ったことはまだ無い。
日本橋「日本橋だし場」 かつを節にんべんのフラッグショップ。オープンの時テレビで紹介されていたなあ。

新橋駅前の楽園で
新橋「ニュー新橋ビル」通称「おやじビル」にて「オザワフルーツ」またも野菜ジューススタンド登場。「串かしく」。串揚げ。喫茶店「フジ」の焼きそばスパゲティは平松さん味見していわく「お祭りの屋台の味」。これも野菜ジュースの「ベジタリアン」ブームなんですね…。行き当たりばったりのマッサージ店入店体験談が面白い。居酒屋「ニューニコニコ」は外れだったので口直しに洋酒酒場「三番館」。日を改めてスタンド洋食「むさしや」の定食。
新橋ビルって大阪の駅前ビルみたいな雰囲気かなあ。いろんなお店があって玉石混淆で、おじさんの聖地。どこに行ったらアタリなのか素人にはわからないところも似てる…。

ホットケーキとパンケーキ
ホットケーキと云えばやっぱり『ちびくろサンボ』だよなあ。このあいだ読んだ米原さんのに詳しいこと書いてあったけど、平松さんも冒頭で触れられていて嬉しい。
神田「万惣フルーツパーラー」のホットケーキとフルーツサンドイッチ。
本郷「万定」「万定フルーツパーラー」
青山のパンケーキのお店「APOC」
ホットケーキとパンケーキはやはり違うものらしい。でも「パンケーキ」を注文して「ホットケーキ」が出てくるしなあ…よくわからん。パンケーキには砂糖を入れないっぽい。パン的なもの。おかずと食べたりする。

豚まんが愛される理由
大阪難波「551蓬莱」 奈良育ち、現在は兵庫なので自宅周辺に551のお店がない。通勤途中にも無い。大阪に近いからありそうなのに。神戸の中華街のパワーが強いからか。大阪のなんばウォークにあるけどそこで買ったことないんだけど別の場所のレストランには仕事絡みで行ったことがある。でも緊張する仕事関係のひとと食べたので味わう余裕が無かった。この文章を読んで、「近いうちに551の豚まんを買って帰ろう! 蓬莱に食べに行こう」と思った。
なお、よしながふみ『きのうなに食べた?』の最新刊11巻を買って読んでいたらここにも551の蓬莱の豚まんが出てきたのでそのリンクにびっくりした。東京にも浸透してきたってことなのかなあ。

黒板と筆ペン
ここへきてようやく「メニュー」へのこだわりを語る平松さん。初めて入った店の「メニュー」って楽しいし、「ああ、そういうお店なんだ」ってスタンスが垣間見えるよなあ確かに。
青山居酒屋「甚六」十年前につくった特注の額縁つき黒板に白墨で手書きのメニュー(表紙写真のお店!)。メニューは毎日変わる。並びもばらばら。消した後に書いていったらこうなったと。「初めてのお客さんは、メニューみてもなに頼んだらいいのかわからなくなっちゃうみたいで」そうだろうなあ。
吉祥寺「酒とお食事MIYAUCHI」は筆ペン書きのメニュー。これも毎日手書き。すごい。

メニューには、物語のはじまりがある。】そういうポリシーがある頼もしいお店を発見出来たら、それだけでそのひとにとっての「とっておきの宝物」だろう。


きのう何食べた? 通常版(11)  (モーニング KC)
よしなが ふみ
講談社 (2015-11-20)
売り上げランキング: 22
『きのうなに食べた?』は主人公のカップルがゲイですがラブシーンは一切ないのでそういうのに抵抗がある方にも安心しておすすめできます。個人的によしながふみの他の著作はどこか肌に合わない部分があるんですがこのシリーズだけはいけました。ネームがすごい量です。台詞で細かいレシピ、作り方を書いてあるのでお料理コミックとしても参考になります。自分より少し上の世代の親との問題とかリアルな面でも勉強になります。まだ続刊。

COYOTE №57 平松洋子 本の丸かじり [雑誌] その2

COYOTE No.57 ◆ 平松洋子 本の丸かじり

スイッチパブリッシング (2015-11-15)
■スイッチパブリッシング
前回はざっくり目を通しただけの紹介文だったので追記。
今回の企画には小川洋子、東海林さだおという人気作家もたっぷり参加しているので、それぞれのファンにも興味深い内容となっているが、あくまで主役は平松洋子。
なんで11月も半ば発売の雑誌の表紙にスイカなんだろう…とは思っていたが、中身を読んで納得、今回の対談の中で、ブローティガン『西瓜糖の日々』についてかなりおふたりとも強く影響を受けていたということが明らかになり、それを受けて物語まで書いたりしちゃってるのだ(実はそれはまだ読んでいない)。
『西瓜糖の日々』をまず読み返さないとなあ…。

この雑誌の平松洋子と小川洋子の対談の中で、平松さんがどういうものを書きたいと思っているかについてはっきり述べられているところがあり、今まで平松さんの著作を読んできてぼんやりと感じていたこと・平松さんってどういう過程でこういうものを書かれるようになったのかという疑問にくっきりと輪郭が付いたような気がして、思わず読みながら雑誌を握りしめる手に力がこもった。

  私が仕事を始めた当時、書く以上は正確に伝えたいという気持ちが強いいっぽう、タイ、ベトナム、韓国、朝鮮を始め東南アジアの料理に関する本はなかったし、レシピにまとめて作れる人もいなかった。ですから、正確なことを伝えようとするなら、自分で実際に料理を作るほかありませんでした。
(中略)料理研究家と間違えられたりもしましたが、自分ではそのつもりは全然なくて。
(中略)人の口から言葉としては語られなくとも、たくさんの事実のなかに潜んでいる物語をいったん自分の掌で汲み取ったうえで書きたい、伝えたいという思いが、私のなかには強くあります。

これを読めただけでもこの雑誌を買った甲斐があったというものだ…感動した。そうか、昔の平松さんの著作のプロフィール欄には「フードコーディネーター」とか書かれてる場合もあって、料理とか食べ物に関した著作が多くて、著作は「実用・料理」のところに置かれていることが多くて、うんでも、そうだよな、そういうことなんだよな。

何気に平松さんがいわゆる「村上春樹の良い読者ではない」ことが明かされたりする、でもそれも既に『西瓜糖』を先に読んでいたからだったとおっしゃっていて。うーん、例えばわたしは十代に村上春樹に出会って、『西瓜糖』を読んだのはもうイイトシになってからだったからなあ…。やっぱ作品との巡り合いって順番とか年齢とか絶対影響するよなあ。

2015/11/22

芥川龍之介再読週間⑧

奇怪な再会
奇怪な再会
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
奇怪な再会」(大正9年12月)
面白かった。「お蓮」の正体を何故だか終盤まで隠してあるのだけれど読んでいたらだいたい推測できるのに何故かなあと思わないでもない。あと、お蓮が狂っているのかそうでないのか曖昧なままにしておいたほうが良かったかも。妾になって、全部男に頼って生きていて、でも郷里に好きなひとがいて……ってどうしようもないなあ。

恋愛と夫婦愛とを混同しては不可ぬ」(大正13年)
随筆。いまで言う見合い結婚を「媒酌結婚」、恋愛結婚を「自由結婚」て昔は言ったのね。昔に書かれた文章だけど、芥川は享年35歳だというのに随分結婚に幻滅していたんだなあというか、他の小説とか読んでいても「女」というものを全然信用してなかったんじゃないかなあと思わされるのが多いんだよね。まあ一般論として平凡なことが書いてあるんだけど、余計なお世話、十人十色の問題だしなあと思わないでもない。

温泉だより」(大正14年4月)
こういう題名だから随筆かと思ったらフィクションだった。「ふ」の字やら「あ」の字やら連発されると甚だ五月蠅い。

たね子の憂鬱」(昭和2年3月)
タイトルが大島弓子っぽい。暗い内容だなあ。ほんと発狂ネタ多いなあ。このタイトルならコメディにすれば良いのに真面目に暗かった…。

カルメン」(大正15年4月)
役柄のカルメンと、それを演じる女優自身が「カルメンぽい」という話。そんなに女が憎いのか。

玄鶴山房」(昭和2年)
碌な人間が出てこない。子どもですら無邪気さが無く、卑屈で可愛げが無い。鶴の字が入っているのにめでたさのカケラも無い、暗くてじめじめして狡すっからい人間模様を描いた小説。

二人小町」(大正12年2月)
小野小町のところに黄泉の使いが現れて…。これも「女」を醜く描いた話。最後の部分は、それこそ若造の男の視点でしか無いと思うけどな。美人は老いたら死にたいと思うだろうっていうことで意地悪してるつもりなんでしょう。でも「生」に対する執着はそんなもんじゃないんじゃないかなあ。一瞬で老けるわけではなく、日々、少しずつ老いていくわけだから、そのあいだに人間の「こころ」も変わっていく、成長していくんだから。




2015/11/20

芥川龍之介再読週間⑦

開化の殺人
開化の殺人
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
黄檗の夢」(大正6年10月)
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
うーん、よくわからん。

酒虫」(大正5年4月)
前半の酒虫を退治する部分は覚えていたが後半の解釈部分を忘れていたが、後半が芥川っぽいなあ。

虎の話」(大正14年12月)
子どもが寝る前のお話に「虎の話をして」「もっと虎の話をして」とせがんでお父さんががんばる微笑ましい話。

微笑」(大正14年)
久米正雄との若いころの他愛ないエピソード。この内容に、このタイトルをつけた芥川はきっと微笑んでいたに違いない。

比呂志との問答」(初出不明)
短いので全文を青空文庫から転載させていただく。はじまりのところとか唐突で、なんの前振りもないんだよね。これってどういう形で発表されたのかしら。

 僕は鼠になつて逃げるらあ。
 ぢや、お父さんは猫になるから好い。
 そうすりやこつちは熊になつちまふ。
 熊になりや虎になつて追つかけるぞ。
 何だ、虎なんぞ。ライオンになりや何でもないや。
 ぢやお父さんは龍になつてライオンを食つてしまふ。
 龍?(少し困つた顔をしてゐたが、突然)好いや、僕はスサノヲ尊になつて退治しちまふから。

文学好きの家庭から」(初出不明)
芥川の自己紹介的な(【私の家は代々お奥坊主だったのですが、父も母もはなはだ特徴のない平凡な人間です。】…というはじまりかた)

」(初出不明)
夜見る夢について芥川の短いエッセイ的な。

開化の殺人」(大正7年6月)
メロドラマその1。殺人犯の告白。片想いを認めない往生際の悪いケチな野郎でしかも殺人犯だからなんと言い訳しようとも屑である。

開化の良人」(大正8年1月)
メロドラマその2。三浦氏がなにを言っているのかわからない。ここまで「真の愛」だの「純粋の愛」を現実に求めるのが若いんならともかく…。一種の狂気・変態であろう。にしてもそこまで慎重だったのなら奥さんにするひとやその家族をもうちょっと慎重に選べばよかったのによりにもよってこんな悪党つかんじゃうんだからよっぽどひとを見る目がないというか判断力がない「おぼっちゃん」だったのねえ。

結婚難並びに恋愛難」(初出不明)
美しいゼライイドの恋人についての話、寓話?

」(大正8年4月)
何度読んでも面白い、気持ちのスカッとする話だなあ。奈良(猿沢の池)の話だというのが嬉しい。「」とコラボしてるのも面白い。

田端日記」(大正6年)
数日間の日記。いろいろ人の家に遅くまで遊びに行ったりして元気。歯が痛いから歯医者に行ったらいきなり抜かれて腫れ上がって熱を出したりしている。最後の方に出てくる【三年ばかり逢った事のない人の事が頭に浮かんだ。どこか遠い所へ行っておそらくは幸福にくらしている人の事である。】って意味深だなあ。相手は女の人っぽいなあ。

2015/11/19

芥川龍之介再読週間⑥

蜜柑
蜜柑
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(2012-09-13)
kindle版
■芥川龍之介
永久に不愉快な二重生活」(大正7年10月)
理想と現実は違うという手紙。

」(大正6年9月)
「さうだ。蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必狭くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲だと思ふがいい。さうだ。蛇も我々蛙の為にある。世界にありとあらゆる物は、悉蛙の為にあるのだ。」
なかなか含蓄のある言葉である。

首が落ちた話」(大正6年12月)
で、結局どうしてあいつは、一度そう云う目に遭いながら、無頼漢なんぞになったのでしょーか。

西郷隆盛」(大正6年12月)
こりゃ一本やられましたな。

死後」(大正14年9月)
これは怖いわ、主人公の思考が怖い。「だって櫛部寓って標札が出ているじゃないか?」に慄然とした。

鼠小僧次郎吉」(大正8年12月)
コソ泥より大悪人のほうが有難がられる……まあ、質と程度によりますけどね。

蜜柑」(大正8年5月)
中学の時に国語の先生に教わってイイナーと思ってずっと頭の中に鮮やかなオレンジ色が輝き続けているのだけれど、今回久しぶりに読み直してわたしは主人公の苛立ちがものすごく共感出来て、蜜柑くらいでダマされるかなあという気がしないでもなかったが、まあ、リアルに見たら芸術家は許してしまうのかも知れない。主人公の思考回路は決して褒められるものではないが、人間、疲れているときはこんなもんじゃないでしょーか。

2015/11/18

芥川龍之介再読週間⑤

京都日記
京都日記
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(2012-09-13)
kindle版
■芥川龍之介
京都日記」(大正7年6月)
光悦寺:芥川ちょーご機嫌斜めっ。茶室多すぎじゃね?とか言ってるけどこの時点では2軒で、さらにもう1軒立つと聞いて怒ってるんだけど、ウィキペディアによれば【境内には大虚庵、三巴亭、了寂軒、徳友庵、本阿弥庵、騎牛庵、自得庵の7つの茶室が散在し、庫裏に接して妙秀庵がある。これらはいずれも大正時代以降の建物である。】と…。どーすんだ。
:【京都界隈にはどこへ行つても竹藪がある。どんな賑な町中でも、こればかりは決して油断が出来ない。】と書いてあるけどこれは大正の京都だよなあ。
舞妓:芥川がお茶屋で芸者遊びをしたときの話。

猿蟹合戦」(大正12年2月)
昔話の猿蟹合戦その後の蟹の運命とは。身も蓋もない…まあ現実的と云いますか。このアイデアを太宰も真似っこしたんだろうなー。

馬の脚」(大正14年1月)
手違いで死んじゃったところに馬の脚をくっつけられた主人公の話。すんごい発想だなあ!面白ーい。でも終盤の展開は発狂を怖れていた芥川のことを考えるとちょっとなあ、複雑…。

おぎん」(大正11年8月)
切支丹もの。おぎんは子どもだから素直な気持ちで言ってるんだけど、地の文はどうなのかなあ。でもこの話はわかりやすかった。

神様の微笑」(大正10年12月)
これも切支丹もの。日本の神道は根強いからキリスト教を広めるのは難しいぜという話でいいのかな。

好色」(大正10年9月)
この話のアラスジは中学のときに国語の先生から聞いてラストの驚くべき展開を「ほへー」と思ったものだが、あらためてじっくり読むと変態だよね、男はもちろん女もちょっとどうかと思うよ…作るなよ、んなもん…。平中が「噛みしめて見た」りするもんだから「ぎゃー! キモーい!」。

るしへる」(大正7年8月)
これも切支丹もの。デウスのことをDSとかDS如来とか書いてあるんだけどゲーム機の「DS」をどうしても連想しちゃってなんだか笑いそうになった。真面目な話だら余計に変だよ~。
提宇子のいわく、DS は「すひりつあるすすたんしや」とて、無色無形の実体にて、間に髪を入れず、天地いつくにも充満して在ませども、別して威光を顕し善人に楽を与え玉わんために「はらいそ」とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。
とこんな感じ。
キリスト教の西洋語を昔風に音表記して平仮名にしてあるから妙に可愛くなっちゃうし。例えば【「じゃぼ」と云う天狗】とか書いてあるんでなんだか迫力が…。


2015/11/17

紙の動物園

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ケン・リュウ
早川書房
売り上げランキング: 20,342
■ケン・リュウ 編・訳:古沢嘉通
又吉(直樹)さんがテレビ番組でオススメしたことで有名な本を紙の本で購入して家に持って帰るのが億劫なので会社に置き本して少しずつ読んだ(純文学系と思って読んでみたらSFだったのでびっくりした)。

ケン・リュウ(劉宇昆)は1976年生まれ。10歳くらいのときに家族でアメリカに渡った在米中国人。
翻訳者解説にある彼の経歴が凄い。ハーバード大学卒業後マイクロソフトに入社し、ロウスクールで法務博士号を取得し弁護士になり…という感じ。既にたくさんの作品を書いているらしいが、アメリカで本になるより先に翻訳書のほうが出版されたという。
本書は翻訳者選の短篇15篇を収録。

紙の動物園」★
この話を読みはじめたときは「文学」だと思っていたのでなんで紙で折ったヒョウが動くのかわからなくて比喩的な、文学的な表現かと思い、もう少し読んで「あれ? SF的な要素が入ったファンタジーなのかな」とやっと気付いた。この話の主人公も胸糞悪いがまあ少年だったから仕方ない面もあろう、金で妻を買ってその人間性を尊重しない父親も屑だが教育が無いのかアメリカに住んでいるのに息子の為になんの努力もしない母親も弱すぎる。病気で死んでその後に手紙で泣かせるその安直なストーリーには正直白けた。母親の手紙には感情が揺さぶられたけどこんな「泣かせ」の為の舞台設定で泣かされること自体腹立たしい。この話の素晴らしい点は折り紙の動物が動くという設定。

もののあわれ
どうして中国生まれアメリカ育ちの作者が日本のこういう微妙な感情を書こうとするのかなあ。表面だけなぞられてる感じが不愉快。しかもこれ『たったひとつの冴えたやりかた』の劣化版…。

月へ」★
高い高い木にどんどん登っていって、月に手をかけて月に到着、という最初のほうのシーンだけが良かった。後は何が云いたいのかよくわからなかった。

結縄」★
「結縄」は【古く、文字のなかった時代に、縄の結び方で意思を通じ合い、記憶の便としたこと。】縄を結う文化と、DNAの螺旋的なものを関連させて解明するという発想がなかなか面白い。有り得ないだろうけど、有るような気にさせられる。

太平洋横断海底トンネル小史
海底トンネルの工事に携わった日本の統治時代の台湾人の話。何が云いたいのかなあ。

潮汐
海辺の塔に住む父と娘の話。波にのまれて亡くなった母親へのセンチメント。最後の展開もお約束通り。

選抜宇宙種族の本つくりの習性
いろんな星の本作りの話、という素材は面白そうなのになんでこんなにつまらないんだろう。

心知五行」★
脱出ポッドで辿り着いた星は漢方を暮らしの中心に据えている文化だった。以前中島たい子『漢方小説』を読んであったのでそれを思い出しながら興味深く読んだ。ストーリーは型どおりだが設定が面白い。「紙の動物園」でお母さんが云ってたことと同じだけど、「頭で感じるか、お腹・胸で感じるか」っていうところだよね。食べるものが体だけでなく思考も、つまりその人間そのものを作っていくという考え方に共感。未来人の、悪いものは全部排除してきれい=健康っていうのもわからんではないけどそれじゃあ味気ないよね…。

どこかまったく別な場所でトナカイの大群が
家族それぞれが次元の違う空間に暮らす時代の話。ママは三次元で古代人だそうだ。設定は面白い。アニメーションにしたら面白いんじゃなかろうか(2次元では表現不可能か…)。

円弧」★
前半は昔のアメリカによくあったティーンエイジャーものみたいな展開。身体の中をいろいろ入れ替えて不老不死が実現していくその過程でまさにその施術者的の妻となった女性の話。『生ける屍の死』のエンバーミングを連想した。


途中で放棄。よくわからない。

1ビットのエラー
上に同じ。

愛のアルゴリズム
上に同じ。

文字占い師
前半は良かったのだが中盤以降の日本の侵略絡みのとこらへんからなんだかなあという感じに。きなくさい。微妙な問題をしつこく絡めてくるなあ。

良い狩りを」★
美しすぎる妖狐とそれを狩る職業の父。少年時代それを手伝って妖狐の娘と出会った「ぼく」は大人になって彼女と再会する。彼女の悩みに応じて作業した結果は…うわあ…そういう話なの!? ギョッとしちゃった。解説で紹介されている「きつねうどんかと思ったら蒸しパンだった、みたいな」という評はまさに云い得て妙!


2015/11/16

芥川龍之介再読週間④

手巾
手巾
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
手巾」(大正5年9月)
この話を今回読んでわたしは暫く愕然として次の作品を読もうという気になれなかった。ショックだった。この短編をわたくしは再読の筈である。細かいことは忘れていたが「息子を亡くした母親がその事実を笑顔さえ浮かべながら話していたが、彼女の内心の悲しみは手元のハンカチを握りしめる、そこに現れてた」という内容はクッキリ覚えていたからだ。読みながら、ああそうこの話はここが良いんだよねとすら感じ入っていた。だから最終部のある部分を読んで脳天をかち割られたかのような衝撃を受けたのだ。芥川はこう書いている。

  ストリントベルクは云ふ。――
  ――私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味と名づける。……
  先生は、本を膝の上に置いた。開いたまま置いたので、西山篤子と云ふ名刺が、まだ頁のまん中にのつてゐる。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。さうかと云つて、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破らうとする、得体の知れない何物かである。ストリントベルクの指弾した演出法と、実践道徳上の問題とは、勿論ちがふ。が、今、読んだ所からうけとつた暗示の中には、先生の、湯上りののんびりした心もちを、擾さうとする何物かがある。武士道と、さうしてその型と――
  先生は、不快さうに二三度頭を振つて、それから又上眼を使ひながら、ぢつと、秋草を描いた岐阜提灯の明い灯を眺め始めた。……

ここここの部分に記憶が有ると無いとでは作品の結論が全然ちがっているじゃないか、少なくとも芥川が書こうとしたのはこの最後の部分であり、ここが肝だったことは火を見るよりも明らかじゃないか、なのになんで「前振り」の部分だけしか記憶に無かったんだろう…っ。

もうなんだか自分が信じられなくって、嫌んなっちゃった。
でも、もしわたしが芥川さんと話を出来たとしたら、「あのー、たしかに〝演技"で顔で笑って手で泣く、っていうのはクサい手法だと思いますけども~、西山のお母さんがなさったのはリアルなんですから、それを一緒にするのはちょっと違うんじゃございません?」とは言いたい。長篇で、西山のお母さんの普段からのキャラクターとか息子との関係とかをもっと書きこんであって、それで「あの場であのハンカチを握りつぶしていたのは嘘くさい」と読者に思わせるだけの裏付けがあるんならともかく。
ちょっとググってみたら芥川はこの作品を新渡戸稲造『武士道』への皮肉・揶揄の意味で書いたらしい。芥川らしいなあ、と思うけど。
西山のお母さんがお気の毒だと思う気持ちと、その健気な様を見てとってそれを「日本の女の武士道だと賞讃」することを一緒にしたら芥川の視点は見えてこないってことかなあ…うーん…。

」(大正6年3月)
嘘や噂話は得てしてこんなもんだという話。ところで芥川君は狸と貉は違うと思ってたひとなのかなーというどうでもいいことをちょっと考えた。この話は貉の話なんだけど文中に「ついには同属の狸までも」「佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生」という箇所があったので。

南京の基督」(大正9年6月)
薄汚い豚野郎がいけなくなって、可憐な金花嬢が回復したのでめでたし、めでたし。と思って読み終わったら、最後に【本篇を草するに当り、谷崎潤一郎氏作「秦淮の一夜」に負ふ所尠からず。附記して感謝の意を表す。】とあって、ほほー。谷崎先生の件の話は残念ながら未読であります。

杜子春」(大正9年)
すっかりアラスジは覚えているけれどもやっぱりよく出来た物語で読ませるなあ。2回もおんなじ間違いをする杜子春を許してくれる鉄冠子はやさしいなあと思った。泰山の南の麓にある桃の花が一面に咲いている家を畑ごともらってそこで住むといい、ってなんて夢のような境遇なんだろうと羨ましくなった。


2015/11/14

COYOTE №57 平松洋子 本の丸かじり [雑誌] その1

COYOTE No.57 ◆ 平松洋子 本の丸かじり

スイッチパブリッシング (2015-11-15)
■スイッチパブリッシング
いま発売中の「Coyote」は平松洋子特集!
まだざくっと見ただけだけど、『洋子さんの本棚』の裏バージョンともいえる小川洋子との対談も載っている!
そして西荻窪、にしおぎつながりで東海林さだおも。
夏に西荻行っといて良かった~、でもこれ読みこんだらまた行きたくなるかも~。

ちょっとオクサン! 平松サンがメガネかけてらっしゃるわヨ~! なんかロイド?じゃないけどフチ太めでさりげにオサレな感じよ~!

初めて買った雑誌で、柴田元幸押しのイメージがあったけどこんな特集もしてくれるんだね!!嬉しい。
11/12発売となっている平松さんの新刊はまだ買えてません…小さい本屋に置いてなかった…2軒回ったのに。やっぱ大きいとこ行かないとダメかー。

追記。
平松さんの新刊『味なメニュー』紀伊国屋(大きい本屋)で無事購入、堪能、感想書きました。
COYOTE №57 平松洋子 本の丸かじり [雑誌] その2」も書きましたのでよろしかったらあわせてお読みください。


味なメニュー
味なメニュー
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平松 洋子
幻冬舎
売り上げランキング: 6,280

芥川龍之介再読週間③

羅生門
羅生門
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
芋粥」(大正5年8月)
これは虐めを書いた小説だよなあ。しかも「ひとは見かけ・風采が大事」というメッセージを誤って受け取りかねない話。わたしはこれを高校の国語の授業で習ったのだがこんなものを教科書に採用した選考委員の良識を疑う。自由意思の読書で各個人で読むのは全然問題ない。強制的に読む気のない生徒にまで読まざるを得ない状況にするのに適切な作品だと思わないだけだ。主人公・五位の生涯の夢をこういうふうに叶えてしまうことへの恐怖に非常に共感できる面白い小説だから。

河童」(昭和2年2月)
「河童の国に行ってしばらく暮らしてきた」という設定だけはメルヘンだが内容は記憶にあったよりも暗かった、違う、内容が暗いんじゃなくて主人公の思考回路が暗いのだった。厭世観で何見ても批判と皮肉。これじゃしんどいよ。

」(大正12年7月)
これは子ども向けの児童文学かなあ。と思ったら初出は「女性改造」だった。ふーん。犬を飼っているうちの子どもなのに、少年は「うちの犬」じゃなかったら「畜生!まだ愚図愚図しているな。これでもか? これでもか?」と砂利を投げつけて追い払おうとするし、少女は「ほんとうに図々しい野良犬ね。」と地団太を踏んでいるのにびっくりした。君たちどういう教育受けてるのって感じ。

仙人」(大正11年3月)
これも面白かったのでオチを覚えていた。でも冒頭に書いてある「皆さん。私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。」は全然覚えていなかった。これ大阪の昔話だったのかあ~。
この話を読むと「仙人」つながりで「杜子春」を読んでおくべきかなと思うが内容はくっきり覚えていていま読みたい気分じゃないのでパス。

」(大正5年3月)
これもある意味「保吉もの」? 自伝的な話かなあ。お父さんの気持ちも能勢君の十代ならではの突っ張りもわかるから、なんとも言えない寂しさを感じる。
「ちゃくい」という言葉が出てきてどうやら「ズルい」的な意味らしいが、これどういう言葉なのかなあ、ググると「方言」だと書いてあるのもあるけど…。

偸盗」(大正6年4月)
「羅生門」の続篇的な話。非倫理でどろどろでぐちゃぐちゃで浮かぶ画像はことごとく血と泥と肉と…。ラストだけ妙に「美しく」してあって変な感じ。こういう話は好きではないのだが、それでも途中で読むのを止めさせないのはスキャンダラスなことに興味をひかれているからか。この話で一番読んでいて苛々したのは猪熊の爺である。こういう意地汚く執着深く欲深い人間を書くのが嫌になるほど巧いなあ。

羅生門」(大正4年9月)
「偸盗」を読んだからにはと思ったがやはり好きじゃないので流し読み。これも学校の教科書に載っていた。最後の1行に関する論争は興味深いよなあ。
同じ(青空文庫)からのデータなのに、「羅生門」だけ表紙が紅のじゃなくて黄緑系でしかもわざわざタイトルが英語表記……なんで?

羅生門の後に」(大正6年5月)
阿蘭陀書房『羅生門』上梓に際して書かれた一文。内容には触れていない。書いたときは学生だったとかそういうこと。漱石に「鼻」を誉められたこともここに書いてある。

」(大正5年1月)
鼻を小さくするための一連の作業がなんとも気持ちよさそうだなあといつ読んでも思うけど実際これを真似たら大火傷だよなあ。

2015/11/12

「保吉もの」 芥川龍之介再読週間②

kindle版
■芥川龍之介
芥川の小説のうち、いわゆる【保吉もの】を集中的に。発表順序など関係なしにアトランダムに読んだ。フルネームは堀川保吉(ほりかわ・やすきち)。
海軍学校で英語を教えているが本業は作家であることなど、芥川龍之介のプロフィールと重なる点があることからモデルは著者自身だと云われている。
タイトル、(発表年月)と記す。

あばばばば」(大正12年11月)
初々しかった若妻が子どもを産んで母親になったら…という視点で描かれた話。ま、昔の女のひとは特に変化が著しかったのか、産む前はよほど社会的に制約が厳しくて「かくあるべき姿」の猫をかぶっていたのか、わからんけどねと思う。男の身勝手な解釈だなあという感想。

十円札」(大正13年8月)
ちょっと昔のことを振り返った話。東京に遊びに行くお金がない、そういうときに尊敬する先輩教師が…。保吉の内心の葛藤がすごく丁寧に描かれていて、わかるなあその気持ち、とうなずきながら読んだ。まあ、個人的には「お金がないのに借金してまで遊びに行くってどうなの」とは思うけど。

早春」(大正14年1月)
話の4分の3は堀川の友人、中村氏と三重子嬢の恋愛(逢引)にまつわる話。というか中村氏が振られた話かな。そして最後の部分で10年後のことが書かれる。だからどうなんだという気がしないでもない。

魚河岸」(大正11年7月)
飲み屋で友人と3人で呑んでいるときに横柄な客が来て…。「鏡花の小説は死んではいない。少くとも東京の魚河岸には、未だにあの通りの事件も起るのである。」と書いてあるところまでは分かるがその後「しかし洋食屋の外へ出た時、保吉の心は沈んでいた。」「妙に陽気にはなれなかった。」とあって難しい。要するに、身分とか地位とかそういうことで態度が変わる人間のことを書いてあるんだと思うんだけど。「保吉の書斎の机の上には、読みかけたロシュフウコオの語録がある」と続くから、これがキイかなとググってみたら「フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー」というのがそうらしく、彼の格言はネット上に上がっているだけでもいくつもあった。

少年」(大正13年4月)
「一、クリスマス」は大人の保吉が乗合自動車の中で遭遇した11歳の少女のあどけなさが車中の笑顔を誘ったエピソード。「二、道の上の秘密」は保吉4歳のときに「大きい教訓」について。「三、死」も4つ頃の話。「四、海」は保吉が5、6歳のときの話。「五、幻燈」は7歳のとき。「六、お母さん」は8歳か9歳のときの話。いずれも驚くほど共感が沸かなかった。

寒さ」(大正13年4月)
海軍学校の教官室で理学士の先生から伝熱作用の話を聞かされる。その数日後、保吉は轢死のすぐあとに行き合い、汽車に轢かれた踏切り番の血が線路の間にたまっているのを目にする…。血の描写が生々しくて、まともに読めなかった。

文章」(大正13年3月)★★
海軍学校で、授業の他にいろいろ雑用を頼まれるが、中に校長がよむ「弔辞」の原稿を作るというのがあった。だけど亡くなったひとのことをほとんど知らない場合は…。「保吉はやむを得ず弔辞に関する芸術的良心を抛擲した。」という文章を読んでその後の展開は容易に想像がついたけど、うん、まあ、「サラリーマン」ってこういうこと腐るほどあるよなあ。すまじきものは宮仕え。ことに芸術家はね。芥川のような繊細な神経のひとはね…。

お時儀」(大正12年9月)★
これは淡い恋の話。毎朝駅で見かけるお嬢さんに思い掛けないところで会ったときに思わず御辞儀をしてしまって、後からくよくよ悩む青年時代の話。知らない者同士だけど顔は覚えている、って現代でも通勤タイムにあるのですごく共感しやすかった。それにしてもこれで「不良少年」と思われる時代って…。「おじぎ」ってこういう漢字でも書くんだなあ。

子供の病気」(大正12年7月)
芥川には長男の比呂志、次男の多加志、三男の也寸志の息子がいたが、その次男がまだ二つ(おむつをしている、と書いてある)のときの病気の顛末。この話の中に知らない青年が「僕は筋肉労働者ですが、C先生から先生に紹介状を貰いましたから」とお金を無心にやってくるのでびっくりした。しかもお金が手元に無かったから本を渡してやると礼も言わずに持って帰るその無礼さ。翌日もまた金を貰いに来る。子どもが病気で入院かというときだったので断っているのに帰ろうとしないのだ。なんという図々しさだろう。「自分はこの時こう云う寄附は今後断然応ずまいと思った。」と書いてあるところを見ると、当時は珍しくないことだったんだろうか。芥川の子どもが小さい頃に亡くなったということは「無い」と知っているから大丈夫だとは思いつつもやはり読んでいて親や親類の者たちの気持ちを考えるだけでも大変そうで、しんみりした。小さい子の病気はかわいそうだし、こわい。

保吉の手帖から」(大正12年4月)★★
いくつかのエピソードで成っている。「わん」は粗野で偉そうな若い海軍の武官(同じ学校の人間)に対する怒りを皮肉で仕上げてある。「西洋人」は珍しく詩を語らない好々爺のタウンゼント氏と、若いスタアレット氏のそれぞれの紹介的なエピソード。「午休み―或空想―」は鶺鴒が保吉を案内したり、ポオリ・ゴオギャンとそっくりな機関兵とすれ違ったり、大砲が息をしたり、蜥蜴が重油に変わったり。テニスをしているのがシャンパンを抜いているのだというのは確かに音が近くて似てるなーって感心した。その後も毛虫が保吉の噂話をしているのを聞いたり、幾何の図が伸びたり縮んだり、…すごくユーモラスで面白い。夢を見てたってことなのかなあ。「恥」は学校で教えている時分に、教科書の下調べをしているところが終わってもまだチャイムが鳴らないという焦りの話。「勇ましい守衛」は海軍学校の几帳面すぎる守衛に保吉が絡む話。

或恋愛小説」(大正13年3月)
これも堀川保吉が雑誌社の主筆と次回作について構想を語るという形になってるから「保吉もの」か。「恋愛至上主義」の話がウケがいいからという主筆のリクエストだったが…。
芥川って肥った女性についての目が厳しいなあ。

2015/11/11

「妙な話」他 芥川龍之介再読週間①

妙な話
妙な話
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(2012-09-27)
kindle版
■芥川龍之介
なにげなく「妙な話」(大正9年12月)を読んだら、内容はすっかり忘れていたのだがすっごく面白かった。それで、これを機会に芥川龍之介再読週間をやることにしてkindleでは無料なのを良いことにちょこちょこ読んでいる。芥川の愛読者は多いのでウカツにモノも言えない心境であるが、開き直って文学上の解釈などは空の彼方と云うことにしておいて、自分の忘備録として「感想メモ」だけをしたためさせていただく。以前にせっかくちくま文庫の全集をまとめ読みしたのに細かい感想を全然書いていなかった…。

妙な話」は途中までは夫想いの貞淑な妻の不思議なエピソードと思わせて置いて最後の数行で「あっ」と云わせるスゴい話だった。わたし個人の解釈としては、「赤帽」は千枝子の無意識が創り出した幻影のたぐいだと思う。彼女の潜在意識にある罪悪感がそういうふうに見せたのだろう。でもこういうふうに美談をぐしゃっと潰すその冷酷さと鮮やかさが、芥川と云う人の人間観察の容赦なさを表しているんだとしたら……おっそろしーというかカナシーというか。

アグニの神」は予想通りの展開をする、こういうパターンの話は芥川以降腐るほどお話でも映像文化、アニメなどで腐るほど描かれているからだ。ただ芥川の話はラストの切り上げの潔さがすごい。ラスト3行、もう一言なにか解釈めいたことを言いたいところを言わないところが。エレンという西洋の名前に「恵蓮」という漢字が用いられていることが印象に残った。

煙草と悪魔」まるで星新一のよく出来たショート・ショートのようなのでいっぺん読んだら忘れられない。お話として面白い。

悪魔」はラスト2行のために書かれた話だろう(そういうの多いな)。一昔前のテーマだと思うけど、男の人って、いまもそうなのかなー。

かちかち山」は童話の「かちかち山」のこれもパロディ、というのだろうか? とにかく文章が美しい。

桃太郎」は童話の明らかなパロディ。桃太郎が粗暴で鬼が島の鬼さんたちが気の毒だという視点。面白い。

お富の貞操」はどういうことか説明は出来ないんだけど、「なんだかそういうことってあるような気がする」という変な説得力がある話。結局、新公がどういう立場の人間かははっきりとは書かれない(二十年後に相当の位置にいることは書かれるけど)。でもこの内容でなんでこの題名なんだろうなあ…逆じゃないのかなあ。

寒山拾得」安倍公房的な、わかったようなわからんような不思議な感じの話。

魔術」最初に読んだときに感心してすごく面白かったのでいまだに話を覚えているけれども何回読んでもやっぱり面白い話。ミステリチック。

芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介
筑摩書房
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2015/11/05

旅行者の朝食

旅行者の朝食 (文春文庫)
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文藝春秋 (2012-09-20)
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kindle版
■米原万里
本書は2002年4月に単行本が上梓され2004年10月文庫化したものの電子書籍版である。
いつのまにか食べものに関する雑文が貯まってはいたが、それを一冊の本にまとめるのには逡巡した。担当者が文藝春秋の藤田淑子さんでなかったら、今も逡巡していたことだろう。瞬く間にあれこれの拙文を音楽形式に見立てて並べ替え、「あと百枚ほど加筆してください」と命じるや、刊行期日を決め、広告を打ち、要するに外堀を埋めてしまった。】ということで、最後の「初出一覧」を見ると1998年~2002年のあいだにあちこちの媒体に載せた食に関するエッセイに「大幅に加筆をしたものと書き下ろし作品で構成されています」とのこと。「文藝春秋」「読売新聞」「小説CLUB」「東海総研MANAGEMENT」「旅」「望星」など。
東海林さだおの文庫解説の文章は別の本にも収録されていてかぶってる。この本の文庫解説は東海林さんだったらしいが、電子書籍版では例によって省かれているからして、うーむ、読みたかった。

他の米原さんの著作と比べてこの本はうんと気を楽にして、リラックスして楽しく読むことができた。
これが美味しいとかどこそこの店が、というグルメエッセイもあるし、食べ物にまつわる言葉のエピソードや、海外で口にした珍しい食べ物の話など。読んでいたらお腹が空く本かもしれない。
米原さんは家系的に食いしん坊が多いのだそうで、書いてある内容からも随分健啖家でいらしたようである。神戸の異人館めぐりをするはずが…の回で召し上がっているその量とかける金額にびっくりしたなあ。ランチで9千円…。

一番興味深く読んだのは「トルコ蜜飴の版図」で、小学生のときプラハに住んでいてロシア人の友だちからもらった「ハルヴァ」が「味しいなんてもんじゃない。こんなうまいお菓子、生まれて初めてだ。たしかにトルコ蜜飴の百倍美味しいが、作り方は同じみたいな気がする。」云々、と書いてあり、いままでの人生でお菓子を食べてこんなに感動したことがわたしにはあっただろうか?などとちょっと考えたりしてしまった(お菓子はだいたい、いつも、美味しいのでどれが抜きんでて、というのは難しいなあ)。
「ハルヴァ」はどこにでも売っているものではなく、ソ連に旅行に行く父親に頼んでもなかなか見つからない。なかなか再会出来ない「あの味」をめぐってあっちで探しては似たものを食べ、こっちで文献をめくって手がかりを探し…という感じ、すごく面白かった。でも文章で読んでいる限り、わたしが好きなお菓子とはちょっとタイプが違うみたいなのであんまりソソられなかった。もし食べたくなったらすごく苦労するのかな。それとも現代ならわりと簡単に入手できちゃうのだろうか。他の章に書いてあったけど「なかなか食べられないものを食べている」というのもスパイスになるようだけれども。

他に面白かったのは本書のタイトルにもなっている「旅行者の朝食」というロシアの言い回し、これを聞いたロシア人はみんな大笑いするんだけど文献などにあたってもその理由がわからない、知り合いにきいても笑っているばかりで教えてくれない、という状態だったのだが、あるときその理由が判明する…。

サンボは虎のバター入りホットケーキをほんとに食べられたのか?」でちびくろサンボの絵本を読んだら最後に虎がぐるぐる回ってバターになっちゃって、それでホットケーキをたくさん食べるシーンがあってこれを読むとホットケーキが食べたくなったものだ、という回想には激しく同意。実際は「バター」でも「ホットケーキ」でも無かったんだというのはちょっとガッカリだなあ。

キャビアをめぐる虚実」のファスナーのくだりにはギョッとさせられたのでそのあとしゃらっと「あれは嘘である。」と書いてあってさらにギョッとした。同じ文章の中で「あれは」とか昔のことみたいに書いて変なの、と思ったけどこれはもしかして後で「大幅に加筆して」の部分なのかな、それならわかる。でも「追記」とか書いて区切ったほうがいいような気も。このエッセイでロシア式サービスとフランス式サービスのことが書いてあって、昔はフランス料理は全部の料理がいっぺんに出されていて、ロシア式は順番に持ってきて冷たいものは冷たいままに、熱い料理は熱いままに食べられたとあって、へえー。初めて知った。いまのフランス料理の出し方はロシア式を取り入れたものなのだそうだ。さすが寒い国、理にかなってるってわけね。

目次を章分けをブッ飛ばして写す。何故ぶっ飛ばすかというとめんどくさいうえにしゃらくさいだけの章分けだからね。
卵が先か、鶏が先か/ウォトカをめぐる二つの謎/旅行者の朝食/キャビアをめぐる虚実/コロンブスのお土産/ジャガイモが根付くまで/トルコ蜜飴の版図/夕食は敵にやれ!/三つの教訓と一つの予想(東海林さだお『ダンゴの丸かじり』解説)/ドラキュラの好物/ハイジが愛飲した山羊の乳/葡萄酒はイエス・キリストの血/物語の中の林檎/サンボは虎のバター入りホットケーキをほんとに食べられたのか?/ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家/狐から逃れた丸パンの口上/「大きな蕪」の食べ方/パンを踏んで地獄に堕ちた娘/キャベツの中から赤ちゃんが/桃太郎の黍団子/『かちかち山の狸汁/『おむすびコロリン』の災難/神戸、胃袋の赴くままに/人類二分法/未知の食べ物/シベリアの鮨/黒川の弁当/冷凍白身魚の鉋屑/キッチンの法則/家庭の平和と地球の平和/日の丸よりも日の丸弁当なのだ/鋭い観察眼/食い気と色気は共存するか/氏か育ちか/無芸大食も芸の内/量と速度の関係/叔父の遺言/あとがき、または著者による言いわけ

2015/11/03

オリガ・モリソヴナの反語法

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)
集英社 (2015-01-09)
売り上げランキング: 4,406
kindle版
■米原万里
本書は2002年10月に単行本が上梓され、2005年10月文庫化したものの電子書籍版である。
米原万里といえばルポ・エッセイだと思っていたがこれは著者が初めて書いた長篇小説。米原さんご自身の経験が面白いのだから「創作」には興味がなかったのだがたまたまアマゾンのレビューをちらっと見たら絶賛の嵐で、試しに冒頭を読んでみたら彼女のエッセイやルポの空気感と温度差が全然無くて、まるで「作られた感」を感じさせない。あんまりにも自然に話の中に吸い込まれていくのでびっくりした。それでいて、少女時代から始まるこの物語は、小学生の頃に読んだ外国の良質な児童書が持っていた独特の雰囲気もどこかで漂わせていた。ソビエトで生きた人々の歴史と人生を描いた真面目な深刻な話かなあと予想していたらそれを謎解きの形でこちらの好奇心を刺激してどんどん話に引き込んでいく素晴らしいストーリー構成。

話の中にエッセイで出てきたエピソードが出てきたり、実際の歴史上の出来事を生きた人々が描かれていてかなり綿密に取材して書かれたものらしいことはびしびし伝わってきて、ノンフィクションのようであるが、これはフィクションである。「フィクションであると断っているからこそより実態に近いところまで肉薄して書けるという場合が少なからずある」という真実が世の中にはあるが、本書なんかはまったくその良い実例のひとつなんではないだろうか、と読みながら何度か考えた。

ロシアって怖い、ソビエト連邦って怖い、といままで読んだり観たりしたものから思っていたが、米原万里のエッセイではむしろ彼女が少女時代に出会った温かい人々との交流が主に描かれていて、ソビエトのふつうのひとって「素朴で親切でやさしいんだよー」というメッセージが、そして(ソビエトの怖いひとはホントに怖いんだよー)ということが書かれていたが、この小説を読んで「ソビエトの怖さってやっぱり半端なく怖い」と心底からゾゾーッっと思い知らされた。こういうのは中学とか高校でナチスのユダヤ人迫害とか、スターリンの粛清とか学校で習ったときにも感じて震え上がったものだが、あんまりにも状況が酷過ぎてこれが昔本当にあったことだと脳で理解していても我が身のこととしてリアルにそれを追体験することを心が受け付けない。少女時代の尊敬する先生の隠された「真実」を知りたいという主人公の気持ちと、その種のことを自らの経験として生きた証人がまさに目の前にいて、喋っている、生きている間に次の世代に伝えておきたい、そういう老いたひとが必死に伝えようとしている姿と。調べて解ける謎と、新たにわき起こる疑問と、ひとからひとに繋がって少しずつ明かされていく「事実」。

巻末にある池澤夏樹との対談の中で著者は以下の様に述べている。
本当は私、ノンフィクションを書きたかったんです。そのほうが迫力があるし、そもそもオリガ・モリソヴナは、実在した先生ですから。ソビエト当局が「彼女を解雇しろ」と校長に命令したのに対して、先生たちが、彼女がすばらしい教師で、彼女を失うことはいかに大きな損失かという、電文にしてはあまりにも長すぎる嘆願文を書いた。そこに私の知っている先生たちの署名があった。ロシア外務省の資料室で、それを読んだときには、もう涙がとまらなかったですね。これを追求していって、資料を当たって、本当にあったことを書けば、感動的なノンフィクションになると思ったんです。ところが、それ以降、まったく資料が出てこない。出てこない以上は、その周辺資料を読むしかない。それでああいう物語になりました。
この小説が凄いのは、心を打つのは、やっぱり「真実」が大きな大きなウェイトを占めていて、「真実」を伝えるためにどうしても「創作」という形をとらざるを得なかった、そういうことなんだなとこの対談を読んで思った。

凄い小説を読んだ後は本当に感想が書ける気がしない、しばらく茫然として「わたしの感じたこの感動を伝えるにはとにかく読んでくれとしか言えないなあ」と思うのだが、今回もそうだった。いちおう書いたけど。

あ、大事なことをひとつ。この小説を読んでの感想をひとことで言うなら「面白かった!」だというのが凄い、これだけ重たくて実際の人間のしんどくてつらい人生を追っていながら、小説として見事に面白い、暗く沈んでいない、それはいま生きている、主人公や取材された方々の目がキラキラと生きているからに他ならないと思う。澱みない、絶望しない、力強さ。「さすが、おふくろです。ハハハハ、ラーゲリ帰りは、しぶとい、しぶとい!」終盤のあるシーンで息子さんが笑って著者たちを励ます。こういう、かえって何気ないところで油断して、胸を衝かれた。

なんで、いままで読んでいなかったんだろう。巻末対談で池澤さんが【タイトルがわかりにくい。】と云っていらして、「まさに!」と苦笑してしまったひとは少なくないはずだ。こんな凄い小説だったとは…。