2014/08/31

キャベツ炒めに捧ぐ

キャベツ炒めに捧ぐ (ハルキ文庫 い 19-1)
井上 荒野
角川春樹事務所 (2014-08-09)
売り上げランキング: 22,008

■井上荒野
初・井上荒野。
以前から気にはなっていたのだけれど、なんとなく文庫裏のアラスジとかナナメ読んでみるに、自分の趣味・守備範囲とはちょっと違うかな?と思って読んだことがなかった作家さん。
過日、大きめの書店で文庫の買いだめをしようと書棚を回っていた時にこれが表紙見せで置いてあり、「おっ、料理ネタ!?」ここ数年のマイ・テーマであるので飛びついた。井上荒野ってどんなふうか読んでみたかったし。帯などを見るに、タイトルだけ料理名で中身は料理ニュアンス程度というわけではなく、けっこうがっつり料理が絡む小説っぽい。
【小さな総菜屋で働く3人の女性の幸福な記憶と切なる想いを描いた話題作、待望の文庫化】だそうで。
しかも解説が大ファンである平松洋子! 鉄板である。

6ページからお話が始まる。一番最初のお話には「新米」とタイトルが書いてある。語り手の女のひとのモノローグに、後ろから声がかかる、それと同時に「きゃはははは」という笑い声が。
「きゃはは」ってひっさしぶりに読んだ笑い声を表す言葉だなあ、「昭和」っていうか、きゃぴきゃぴしてるっていうか、えーとなんというか二十年以上前のギャルっぽいイメージ。
お総菜屋で女性たちのお話、という予備知識が帯によってあるから、頭の中になんとなくぽわんと中年くらいの語り手の女性を思い浮かべており、この「きゃはは」の声の持ち主はそれより若い元気な女性を想像した。
というわけで、次の8ページを読みはじめてちょっと、静かな衝撃が我が心中に走った。
ろ、61歳!? この「きゃはは」の声の持ち主が!?
……そうか、まだまだわたしは修行が足らんのだなあ。しみじみ、己の固定観念を反省した。

このお話は最初に出てきた人がずっと通しで主人公なのかと思ったらそうではなくて、お惣菜屋さんで働く3人の女性それぞれが章ごとに交替で主観・一人称になって登場するスタイルの長篇小説である。

江子(こうこ)さん 61歳 お総菜屋ここ屋のオーナー。11年前に店を始めた。
麻津子(まつこ)さん 60歳 お惣菜屋ここ屋の開店当時からの従業員。
郁子(いくこ)さんの年齢は不詳、「最年長」とあるから62歳くらい? ここ屋新人従業員。

途中で調べてみたら井上(荒野)さんは1961年2月生まれだから2014年の現在でも53歳。この本の単行本は2011年9月刊。50歳そこそこのときに、60歳以上を主人公に据えて小説を書かれたということになる。

わたしにとっては50歳も60歳も未知の世界であるから、よくわからないのだが、何故この小説は著者と同じ50歳くらいの女性たちが主人公ではないのかなあ、と読みながら何度か思った。だって別れたご主人に未練たっぷりだったり、幼いころに亡くしてしまった息子のことを思い続けていて最近死別した夫に対する複雑な思いがあったり、若いころ失恋した幼馴染みにいまだに恋心を抱いていたりして……要するに、若いんだもん、いろいろなことが。
60歳ってこんなもんなのかなあ、50歳ならまあこうかな?って想像できる範疇なんだけど、うーん、自分の親とか見てる限りじゃこういうのは無さそうっていうか、でもまあ、個人差とか環境差とかあるしなあ。

年齢のことはぴんと来なかったが、それを考えずに純粋に「個人」としてとらえて読むとなかなか面白い話で、共感とかも出来る話で、下手したら35歳~45歳くらいのひとの話として読んでも違和感がないのだった。とくに麻津子さんなんて。60歳過ぎてこの怒涛の展開は、想像を超えていた。じ、人生って60歳越えてもまだまだ何でもアリなんだ!?うわっ、すごいな。40歳で不惑とかどこの国の話って感じだなあ。

こういうひとたちのそれぞれの人生事情は60年生きているならではの重みも、それに積み重なった年月ゆえの諦念もあって、でもそれだけを書いてあるんだったらいささかしんどかったかも知れないのだが、このお話の素晴らしいところは出てくる料理、お惣菜のリアルさ、日常性である、そしてかなり美味しそうで「作ってみたい、食べてみたい」と思わせる魅力に満ちていることである。
ゆりねの入った、たっぷりの豆腐をごりごり擦って作るひろうす(がんもどき)。
さつまいもと烏賊の煮たの。
さつまいもと鰤のアラを煮たの。
豆ごはん。
キャベツを炒めたの。
アサリの揚げたてフライ。
混ぜごはん。
いかにも毎日の食卓に出てきそうな、レシピが無くてもカンで作っても大丈夫そうな、ふつうっぷりが嬉しい。特にさつまいもと烏賊とか鰤のアラというのはこのお話の主人公たちが新婚時代に新妻が愛読した料理本に載っていたもので最近はあんまり見ない組み合わせということで、新鮮だった。どんな味なのか、興味津々!近いうちにぜひ作ってみよう!

レストランでも食堂でもなく、お総菜屋だからこそのポジションというか、味付けとか献立とかがあると思う。ああ「ここ屋」が近所にあったらちょっと手抜きしたいときとかにずるずる甘えちゃいそうだなあ。

60代の主人公たちの「アイドル」として20代前半のハンサム青年・進くんというのがレギュラーで登場するのだがこれがこの小説の「いい箸休め」というか、アクセントになっている気がする。
でもこの小説でいちばん恰好良くてダンディで素敵で惚れてしまいそうなのは(盛りだくさんすぎ?)、やっぱりダントツで白山氏よね~。旬氏はちょっと、わたしは「無い」かなー。あ、俊介さんは全然「有り」。いい旦那さんだと思うんだけどなあ。まあいろいろあって仕方なかったんだろうけど……。でも終盤いろいろ気付けてよかったと思う。
このひとたちのお話、もっと続きを読みたいな。

2014/08/29

散歩が仕事

散歩が仕事 (文春文庫)
早川 良一郎
文藝春秋 (2014-04-10)
売り上げランキング: 254,866

■早川良一郎
本書は1982年7月文藝春秋社から出た単行本が2014年4月に初文庫化されたものである。
帯には解説の江國(香織)さんの文章から「こんなふうに“声”のある文章を書けるひとが、いまどのくらいいるのだろう」と引いてある。
1982年。2014ひく1982は32年前。32年経っての文庫化というのはすごいなあ、正直埋もれてたのを掘り起こしたんだろうけどいったいどういう経緯でいま、なんだろうなあ。
1982年は元号でいうと昭和57年。
まだまだ日本が元気だった時代だ。

早川良一郎という方はどういうひとかをカバー折り返しのプロフィールから引く。
1919(大正8)年、東京生まれ。麻生小学校から麻生中学へ。中途でロンドン大学へ行く。日本大学文学部卒業。兵隊、海洋少年団本部を経て、経団連事務局に勤める。79年に定年退職。74年、初めての著作『けむりのゆくえ』で第22回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。他の著書に『パイプと月給』『さみしいネコ』などがある。1991年没。

本書は定年後の著者が気の置けない友人と「アッハッハ」と笑ったり、町で見かけたことや昔を思い出しての話などがのほほんとした感じで書かれている54のエッセイ集。
読んでいくと、家族構成はご自身と、奥さんと、娘さん、それと愛犬のチョビ(メス)だとわかる。また、下戸でお酒は飲めないこと、煙草をパイプでたしなむ愛煙家(パイプ愛好家)であること、朝が弱く寝坊の常習犯。そしてどうやらかなりの女好き(?)であること……。

定年後のおじさんというと「枯れた」というイメージがどうしても抜けないのだけど、実際はそうではないというのはまあ頭ではわかっているんだけど、やっぱり本書を読んでいると「おじさんと思って油断出来ないなあ。やっぱり(同世代じゃなく)若い女のひとが好きで、ミニスカートとか脚線美とか見てるんだなあ」としみじみ。まあ個人差はあるんでしょーが……。

仕事人間で定年したらガックリ、というタイプもよく聞くけれど、この著者はこういうふうに文章を書くというのもあったろうけれど、そのほかにも気楽なバカ話の出来る友人が複数いたり、ちょいちょい若い女性と出歩いたりして隅に置けなかったり、また愛犬に非常にメロメロで嬉々として餌をやったり散歩に連れて行ったりしており、すこぶる元気そうである。朗らか。多分、同席したひとを明るく楽しませるお人柄なんだろうな。

戦争とか兵隊時代のこともちらっと出てくるけれど重くならないようにさらりと書いてある。英国留学のことは本当に少ない。第一次ベビーブームの折の定年退職者がたくさん出るご時世だから今頃文庫化したんだろうか……にしては数年遅いような気がしないでもないが。

それにしてもナマの(というのも変だな、生きているときの)ハチ公が出てきたのにはびっくり。著者はその尻尾をうっかり踏んじゃったそうである。ハチ君は吠えずにだまってちょっと見上げただけだったそうである。えらーい!かしこーい!さすが、ハチ公!

2014/08/25

0能者ミナト <8>

0能者ミナト (8) (メディアワークス文庫)
葉山透
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス (2014-08-23)
売り上げランキング: 154

■葉山透
ミナト・シリーズ第8弾。
いやー今回も面白くて夕飯後のくつろぎタイムに何気なく手に取ったらぐんぐん引き込まれてやめられなくなり、イッキにラストまで読みそうになるところを終盤残り5ミリくらいのところで自主規制して休憩はさんだくらい。ラストに向けてぶっ続けて読むとあまりにももったいない、という貧乏症とも云えるが、まあ、いままでの経験上、ラストのまえにいったん一息入れて脳内クリアにしてから臨んだ方が余裕をもって丁寧に読めるので。

あとがきを読んだら長篇か短篇かというのすら、作者様おん自ら「プチネタバレ」と書かれているのでここから下は既読の方のみでお願いします。

★★★未読の方は、以下はネタバレしてるので読まないでね(⌒▽⌒)/

-------------------------------------------------------------------------
(* ̄(エ) ̄)/再警告!
こっから下はばりばり内容に踏み込んであるからまだ8巻を読んでいないかたが読むと楽しみが台無しになりますよ!

-------------------------------------------------------------------------
Ψ( ̄∇ ̄)Ψ あまりにも直球な言及部分は白文字にしました Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
というわけで、今回は長篇。
最初のお話が終わった時にわりと区切りが良かったので「あれ?これで終わり?思ったよりあっさりしたお話だったな」と思って次を読んだらお話が続いていたので「おおそうか」と思ったんだけど読了後あとがきを読んだら著者もこれで終わりじゃ物足りない、と思って続きを書いたみたいなことが書いてあって……アレなんスね、けっこーノープランで書かれてるんスね、ってげほごほがはっ!急に原因不明のさしこみがっ(インフルに非ず、あーシャレになんねー)。
メンデルの法則」とか懐かしかった。
というか、学生時代、「メンデルの法則」は結構好きだったので(なんかその理屈?というか仕組みが面白くて。そら豆の実験とか、結果とか、メンデルさんがコツコツ研究されていった成果とかが生命の仕組みって面白いな~って、好きだったテーマだったので)。
それを怪異に持ってくるとか、わー面白すぎー。この発想、ふつうしないよね、だって怪異から人間とかグロすぎるというかあまりにも鬼畜すぎる絵面なんだもん。その子の精神的な負担とか考えるだけで非道というか外道というか。
スズちゃんも一くんも、ほんっとよくぞあんなに素直にまっすぐスクスクと育ってくれたものですよ!
しかしその後の展開には一時正気を疑ったけどね……っていうかスズちゃん大人すぎ……環境適応能力っていうの?状況適応能力っていうの?高すぎない?ふつうもっとパニックになるもんじゃ……。
彼女と彼とそのアイのケッショウは将来的にどういうふうになるんでしょうねえー。今後も出てくるんでしょうかねえー。
っていうかこの事件の前提のあのマッドサイエンティスト的なオジサンの鬼畜ぶりが地味に後味で気持ち悪いわー。
そんで最後の方でほのめかされてた古典的な次回の敵(?)ってなんなんでしょうね?次巻で書かれるのかなあ。

2014/08/24

それからはスープのことばかり考えて暮らした

それからはスープのことばかり考えて暮らした (中公文庫)
吉田 篤弘
中央公論新社
売り上げランキング: 26,572

■吉田篤弘
『つむじ風食堂の夜』の姉妹作ということで。
読みはじめたのだが、主人公も違うし、舞台も「月舟町」じゃないので「なんで姉妹?」と、気になって先に「桜川余話――あとがきにかえて」を読んだら、うーんそうか、隣町なわけね。っていうか著者の頭の中の思い出の地とこれらのお話はリンクしてて、同じ場所の話なんだ。「正確に言うと、これは『月舟町・三部作』の二番目の物語」なんだそうだ。ふーん。3つめのお話は『レインコートを着た犬』というタイトルだそうで、ググってみるとweb小説中公で連載中?の模様。

ちょっと長いタイトルで印象には残っていたんだけど、実際問題として「スープのことばかり考えて暮ら」す、というのはあまりにも現実味が無くて、だからこれはあくまでも抽象的な言い回し、雰囲気タイトルだと思っていたのだが、実際に読んでみると本当に主人公はある時点から「スープのことばかり考えて暮ら」すのだった。その理由は、なるほど、そういうお話でしたか、という。

このお話にはサンドイッチ専門のお店が出てくるんだけれども、このサンドイッチがむちゃくちゃ美味しそう! 別に変ったものを挟んでいるとか、特に高級志向というわけではなく、ごく平凡な、あたりまえの具なんだけど、作っているひとが誠実なのがいいのかな。注文を受けてから作り出すとかどんだけ優雅なの。

ほんとでもサンドイッチって美味しいのと不味いのの差が歴然とあるというか、コンビニのサンドイッチとちゃんとしたお店で食べるサンドイッチのあの雲泥の差はナニゴト!?っていっつも思う。ふつうのパンではそこまでの差を感じないんだもの、アンパンとかコロッケパンとかでは。
このお話に出てくるお店は「3」と書いて「トロワ」と読むんだけど、その店名の由来が意外で面白かった。駄洒落みたいなもんだよね。まさか駄洒落とは思わなかったわ。「おっさんか!」って感じなんだけど結果がオシャレ過ぎてなんということでしょう、みたいな。っていうか考えたのは吉田さんなわけで、吉田さんってそうかこういうこと好きなんだなーって。店名以外でも登場人物のリンクの仕方とかが駄洒落的な、これとこれとこれが繋がってる、っていう世界の作り方だよね。そんなに世間狭くしなくても、ってちょっと思っちゃうけど、まーそういうファンタジーなんだなあと。

あとがきに岸本佐知子さんを「姉と慕う」と紹介してあり、へー、と思った。クラフト・エヴィングさんは作家さんのいろんなところで「リンク」してるなあ。やっぱりこれはそういうお人柄というか、そういうのがあるんだなあ、なんて作品の雰囲気と関連付けたりして。

サンドイッチも美味しそうだけど、このお話のメインテーマの「スープ」もすんごく美味しそうで、しかもなんか不思議なパワーを秘めていそうだ。もはやただのスープとは思えない。どうなってるんだそのスープ。というかサンドイッチの何倍原材料費かかってるんだろう、いくらで売るのか知らないけど原価割れしないのかなそんなにいろいろ贅沢に食材注ぎこんで。とちょっと余計な心配をしてしまう。

っていうかね、サンドイッチって涼しい場所で保管してあるでしょう、パン屋さんでも。準冷蔵ケース的な場所で。
で、スープは熱々。
これをテイクアウトするのって、やっぱ袋は別で、うーんなんだか持って帰るのひと手間だなあ、とか思わないでもないというか……。
発想が机上の空論っぽいというか、まあ、わたしが面倒くさがりなんだろうけどね。イートインも出来る店ならなんの問題も無いのに!とか無駄な思考をしてしまったり。

このお話に出てくる小学生はふたりとも妙に大人びていて、独特。とくに宙返りをする子のほうはなんでこういうキャラになっているのかその意義がよくわからなかった。
というかまあそのことだけに限らず全体的に「意義」を考え出したら興ざめなこと限りなしいうお話なので、雰囲気をまったりと味わうべきなんでしょうな。

ちなみに単行本はこんな感じの装丁らしい。↓
手書きタイトルが山藤章二っぽくて面白い。

それからはスープのことばかり考えて暮らした

2014/08/22

タクアンの丸かじり

タクアンの丸かじり (文春文庫)
東海林 さだお
文藝春秋
売り上げランキング: 256,090

■東海林さだお
丸かじりシリーズの文春文庫最新刊(『ゆで卵の丸かじり』(単行本2011年4月/文庫本2014年7月)を読んで、「もっと昔の若いときに書かれたものを読んでみたい」と思って大きな書店で棚にあったいちばん古いナンバーのがこれ「タクアン」だった。
(これの前後軒並み絶版になっているみたいなんだけど、何故かこれだけ残っている、どうしてだろう)。
「週刊朝日」連載「あれも食いたいこれも食いたい」1990年8月~1991年4月連載分を掲載で、単行本は1991年10月刊、文庫1997年4月刊だ。
2011年から1991年は20年前。
東海林さんは1937年生まれなので、74歳と54歳の違い。
読んでみたら最新版とほとんど雰囲気というか読んだ印象は変わらなかった。つまり著者が年齢を重ねたからああいう感じになったわけではなくて、もともとこーゆーひとなんだろうな、あるいは50過ぎたら人間個性はもう固まっているということかな。

それにしても地味な内容である。総合的に面白かったけど。
ウィキペディアによれば、【バブル景気は、景気動向指数上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。
とあるから、この連載はまさにバブル末期、崩壊ギリギリくらいの頃に書かれたわけで、まだ世間は「ヒューッ」って盛り上がっていたんだと思うんだけど、そういう空気がほとんど伝わってこない。あえて探せばホテルのお昼で1万円のバイキング、吉兆のやはり1万円のお弁当を食べていることかな?
年齢にも景気にも左右されない、そういうところがこのシリーズが長く続いていることの理由のひとつなのかも知れないなと思った次第。

恋人同士を指す言葉としていまは「カップル」が主流かなと思うのだが、この本の中では「ツーショット」というのが比較的前半に、「アベック」というのが比較的終盤に出てきた。時代だなあ。「ツーショット」というのはググってみるとウィキペディアにいくつかの意味が挙げられているが、本書で使われているのは「2」の意味でだろう。
1.ツーショット (撮影技術) - 二人の人物を同一の画面におさめるクロースアップのこと。
2.男女カップルを指したり男女が二人きりになる、デートするという意味の俗語。1988年頃、とんねるずがテレビ番組『ねるとん紅鯨団』で1.の意で用いたことから誤用が広まり、『現代用語の基礎知識1990年版』に若者用語として掲載された。

ねるとんだったのかー。ねるとん観たことないけど。
ついでに「アベック」もウィキペディアから引くと、
・avec - 「と一緒に」を意味するフランス語の前置詞。英語の "with" に相当。
・一組の男女を意味する言葉。かつて日本で頻繁に用いられた和製フランス語。カップルを参照。

フランス語から来てたのかー。

そのほか、時の首相が海部さんだったり、「おどるポンポコリン」が出てきたり、20年前だなあというのがちょこちょこある。
面白く読んだのは、たくあんを漬ける過程→たくあん漬けあわや失敗か?→その後どうやら無事に漬かりました、の3回。初期投資に随分モノイリなんデスな。
あと、ラーメン屋が薄味で生姜味でまずかったけど全部食べちゃったの回。
お漬物をお新香と言わないので、ふーんと思った。意味は分かるけど自分では使わない言葉だ。わたしはお新香食べる派。

テーマといい文章といい素晴らしいなと思ったのは新宿西口の鯨カツを売りにする店の話。この話だけ都合3回読んだ。
この店の2階が良い、という話なのだが、よくある1階に厨房があって2階には料理だけミニエレベータ?みたいなので上げるという方式。「ブー」というブザー音が鳴ると1階に聞こえるわけでもないのに必ず「おー」と返事をするおじいさんとか、後に注文した天ぷら定食が先にくる仕組みなので鯨カツの客に「ちゃんといま揚げてますからね」と言うおじさんとか、ずっと寝ている飼い猫とか、いいなあ。このお店、まだあるのかなあ。

2014/08/16

ゴースト・ヒーロー

ゴースト・ヒーロー (創元推理文庫)
S・J・ローザン
東京創元社
売り上げランキング: 8,800

■S・J・ローザン 翻訳:直良和美
リディア・チン&ビル・スミス・シリーズ第11弾。
装画もお馴染みの朝倉めぐみ。

第1弾から楽しんで読んできている大ファンのシリーズであるが、第10弾がリディアがずっと「囚われのお姫様」だったので正直つまらなかったので、第11弾はどうかなあと少々危ぶみながら読みはじめたのだがそれは杞憂だった。
面白かった~!!
しかも最初から最後まで。完璧。

今回はリディアが主役の番。
天安門事件で亡くなったはずの中国人画家の新作が出てきた、という噂の真偽を確かめてほしい、というわりと大人しめの依頼に思われたが、調べていくといろんな事実?が出てきて……。

★注意
以下、ネタバレはできるだけしていないつもりですが、ミステリーなので、未読の方にはスルーされることを推奨いたします。



いろんな仕掛けやどんでん返し?があって、きちんと練られたスジで伏線の回収も見事にばっちり美しく、最後まで素晴らしい。しかもそれが心情的にもちゃんと丁寧に追ってあるから説得力があるんだよね。やっぱり、ミステリーはこうでなくっちゃ!

今回はビルの知人で美術品専門の私立探偵という新キャラ、ジャック・リーが登場する。彼はこのあいだ出た短篇集の中で既に登場しているということだがそんなの覚えてないよ……。
でもこの彼がハンサム(だと書いてある)で、頭の回転も素晴らしく、しかもセンスがよくておしゃれで性格も明るくてユーモアがあるとっても好男子!
おまけに、リディアと同じ中国系(彼は親世代からアメリカ人なのでリディアよりさらにアメリカ人に近いんだけど)。これは、リディアたちは気にしないんだけど、彼女のお母様にとってはポイントが高いんだよね、少なくとも白人のアメリカ人のビルよりは。
あービル、リディアに紹介したくなかっただろうなあ(ニヤニヤ)、なぁんて邪推しちゃったりね。
彼のおかげもあっただろうけど、ユーモラスなシーンがちょこちょこ挟んであり、全体的に明るい雰囲気のお話だったので、すごく楽しんでわくわくしながら読めた。悪い奴には因果応報!なのもすっきり出来たし。ここまで回収する?っていうくらい問題点を次々に解決していくさまには手に汗握りつつ静かに感動。おお、目先の利益につられていなくて素晴らしいぞ。
インターネットで誰でも検索して調べるのが当たり前になっている時代ならではの動きが面白かった。リディアの親戚のライナスはコンピューター・セキュリティー会社の経営者、と書いてあるけどまあ「ハッカー」なんだろう、優秀な。このライナスが大活躍! 調べられることを前提としていろいろホームページとかソーシャル・サービスとかに細工して「情報」を作っちゃう。逆に、ネットで調べただけでわかった気になると危険なんだなあ、なんて思ってしまったり。

そういえば今回は殺人は無かった。銃撃はあったしギャングも出てきたが。天安門事件が絡んでいたので「凄惨なシーンが無かった」とはとても思えないけど…。
ビルとリディアの甘いシーンもほぼ無かったなあ。いつもの恋心をまぶした(?)かけあいトークはあったけど、進展無し。
ジャック・リーがとってもナイスなキャラだったので、今回だけで前線突破しようとしてあっさり敗れて消えてしまうのは惜しいなあ、と思っていたのでそういう展開にならなくてよかった。準レギュラー化希望! 当て馬大好き!(ヒドイ)。
イヤだって、ジャック・リーはリディアにすごくお似合いね、とは思うけどなんせシリーズ11作にわたって忍耐強く待ち続けているビルのことを思うとやっぱり彼には幸せになってほしいと思うし……。でもリディアもジャック・リーは気になるみたいだ、いったいどうなるんだろう、萌える! 素敵! ラブロマンスはこうでなくっちゃ!(違)

ディリス賞受賞作。

2014/08/14

四十日と四十夜のメルヘン 【再々読】

四十日と四十夜のメルヘン (新潮文庫)
青木 淳悟
新潮社
売り上げランキング: 399,331

■青木淳悟
表題作は3度目だがやはり好きだ。
よくわからないところもあるし、文学的なことなどは解説などを読んでああまあ、そうなのかなあ? くらいのノリなんだけど、そういう解釈とか理解とは別の次元で好きなのだ。
好きな理由
①これといって大きな事件などは何も起こらない、平穏な日々を描いてある
②出てくるのがスーパーでの買い物、その行き帰り、フランス語学教室、フランス語教室の先生の話、創作講座、創作講座の先生である作家の作品について、公民館での染め物教室、チラシ配りのバイト、マンションの部屋の中のこまごましたこと、主人公がチラシの裏に書く日記と創作(メルヘン)などで平凡な大人しい感じであること
③主人公の生活が徒歩中心
④恋愛が一切ない
⑤嫌なひと、嫌な出来事が出てこない
⑥同じ4日間のことを何回も繰り返し書いてあるがそのたびに違う切り口なので飽きない
⑦『ニコライ先生その日、その日』という具合に単語のチョイスが何気に絶妙、その繰り返しなど心地好い仕掛けがある

今回は3回目なので「主人公は女性」とわかっているんだけどやはりどうしても「男性」として読んだほうがしっくりくるのだった。少なくとも終盤まではね。これ、主人公前半と後半で違うんじゃないのかなあ。でも後半の隣室の女性目線が「わたし」になったときに「隣室の女」って出てくるしなあ。うーん。

もう1篇の「クレーターのほとりで」は、前回は読まなかったので2回目。
途中まで真面目に読んでみたけどなんだかこれは好きではなくて、何故好きではないかというと泥臭いというか生々しいというか出てくるのが文字通りケモノじみているというか、低次元の軋轢が不愉快であるからというか。
すっ飛ばして終わりの方を読んだらいきなり「たま」の「今日 人類がはじめて 木星についたよ」が出てくる。なんだかずっこけてしまう。
1回目は未知なので通読したけど、これはもういいかなあ。

初読み時感想はこちら 再読時感想はこちら

2014/08/11

貧乏お嬢さま、古書店へ行く

貧乏お嬢さま、古書店へ行く (コージーブックス)
リース ボウエン
原書房
売り上げランキング: 49,299

■リース・ボウエン 翻訳:古川奈々子
シリーズ第2弾だが、1,2と読んで3以降は読まなくていーわねー、という結論となった。
前巻の「メイド」もお飾り程度だったけど今巻の「古書店」もほとんど出てこない。殺人の舞台になったけど、それが古書店である意味などほとんど無い。原題は"A Royal Pain"。
なんでこの邦題になったのか、内容を中心に考えられたとはとても思えない。信用できないなあ。

今回は女王様の提案でドイツの王女様をお預かりすることになったジョージー。
貧乏貴族の悲しさで、ロンドンの家には召使も料理人もいない。てんやわんやで急ごしらえの対応をすることになる。現れた王女は18歳で、とても可憐な容姿。いままで修道院にいたという。この王女様(ハニ)が好奇心旺盛でかなりぶっとんだキャラクターで、ジョージーは散々振り回される。

やがて続けざまに殺人事件に遭遇し、嫌味な警部補からは疑われ、もうこの荷を下ろしたいと思っても王妃様からはいろいろ期待されて任務を仰せつかってしまい……。

今回はミステリーとしての出来はイマイチだったかなあ。途中で「状況的に犯行可能な人間」は1人しかいないことに読者は気付くと思うんだけど、主人公はそっち方面はハナから疑わないので最後までひっぱり、最後の方の少ないページでどたばたと雪崩をうつように種明かし的な展開がある。
ミステリーは二の次、なんだろうなあ。
お嬢様の生活とか王室とのやりとりとかそういうのは丁寧に書いてあるから。そういうのを求めて読むにはもってこないだろう。英国ファンとか、貴族フェチとかには。
でも前回王妃様が良いと思ったんだけどこの話を読んで「深遠なお考えからの言動」ではなく「単なるバカな母親が思い通りにならなくて周りにどうにかさせようと我を通そうとしているだけ」というのがよくわかり、幻滅。しかもその問題とは自分の息子の恋愛問題なのだ。この話は1932年だけど、現代の皇太子もダイアナ妃と結婚する前からつきあっていた既婚女性との不適切な関係をずーっと続けているので、どうしてもかぶってしまう。英国王室ってそういう気質なのかなー。

主人公自身の恋愛面も相変わらず同調できないというか、貴族どころか、普通の常識ある女性なら話さないような下劣な話を一流ホテルのティールームで大声で会話する主人公と友人とか……酷すぎる。
ああこの作者はあくまでこの男性を影のある謎多きハンサムなヒーローに仕立て上げたいのね、というのはよくわかったけどなんだかなー。
コージーでほのぼの、というわりには殺される人数が多すぎるのも残念。

2014/08/10

貧乏お嬢様、メイドになる

貧乏お嬢さま、メイドになる (コージーブックス)
リース ボウエン
原書房
売り上げランキング: 21,285

■リース・ボウエン 翻訳:古川奈々子
アマゾンのおすすめで別の作品が上がってきてちょっと興味がわいたのだが、調べたらそれはシリーズの2作目だったのでまず1作目を読むことにした。
コージー・ブックスというレーベル、初めてだ。大きめの書店でもちょっと探しにくかった。原書房。

「コージー」を推しているんだし、正直ミステリーとしてはB級で、若い女性が主人公、ほのぼの系で恋愛が絡んでる軽い読み物なんだろうと最初から全然期待せずに読んだが、思ったよりちゃんとした本格ミステリーだったので楽しめた。むしろ恋愛が全然萌えなかったなあ。いや、いちおうラブシーン的な物はあるんだけど相手の何がいいのかわからないというか主人公に同化・共感できないまま読んだからなのか「ふーん」としか思えなくて。まあ、ハンサムだとは書いてあったけどまさかそれだけとは!

主人公は21歳のジョージー。彼女は英国王族ウィンザー家の親戚にしてスコットランドのラノク公爵令嬢。王位継承順位は34番目。
身分はすんごく良い彼女だけど、ラノク公爵家の家計は火の車。いじわるな兄嫁のさしがねか、お小遣いもカットされてしまった。そしてまったく意に沿わない縁談を押し付けられそうになって……。

1932年が舞台なので、お嬢様育ちの彼女がひとりで生活しようとすると石炭を暖炉に運び込まないといけないとか、そういう時代。ミステリーだと思って読んでいるので石炭室から死体でも出てくるんじゃないかと構えて読んでいたんだけどそれは無く、なんと171頁までミステリーらしき事件はなんにも起こらないのだった。どうなってるんだこの話、と思っていたんだけれど殺人死体が出てきてからはようやく話が動き出す。しかも濡れ衣を着せられるのを防ぐためにがんばる話かと思ったらそれだけじゃなく、どうやらジョージー自身も殺人者に狙われているのでは、という展開になり……。

原題は"Her Royal Spyness"であることからもわかるように、王妃様が登場してジョージーに頼みごとをしたりする。このメアリ王妃様がなかなかチャーミングでこの方のファンになりそう。あと、主人公のもと警察官のおじいちゃんもとっても素敵。女優のお母様もなかなか良い。
古き良きイギリスの日常生活とかがたくさん出てくるのでミステリーじゃない部分も楽しめる。ほんと、もーちょっと恋愛面でドキドキときめくことができたら言うことなかったのにな。
あ、あと「メイド」に関しては「本物のメイドさん」からは程遠い労働しか彼女はしないので、お飾り程度の設定かなあと。

それにしても本文によればジョージーはけっこう美人の部類に入るようなのだけれど、この表紙イラストじゃあ育ちの悪い色黒のそばかす娘、しかも育ちの良い貴族のお嬢様にはとても見えない。
タイトルとレーベルと表紙で損してる気がちょっとしちゃうなあ。

冥途・旅順入城式 【再読】

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)
内田 百けん
岩波書店
売り上げランキング: 61,384

■内田百閒
『冥途』(稲門堂書店、1922年)という本と『旅順入城式』(岩波書店、1934年)という本が1冊にまとまった文庫。
『冥途』は18篇、『旅順』は29篇から成る。

このあいだなんだったかで(ちくまの解説かな?)小川洋子が内田百閒の文学は「土手」がキーワードであり、岡山ならではみたいなことを書いてらして、「そういえば、土手がよく出てくる!」と膝を打ったものだが、今回本書を読み返しているとやはり「土手」が効果的に使われてるなあと感心した。
最初の短篇「花火」も土手を歩いているシーンから始まる。

特に気になった作品について感想。
『冥途』
「山東京伝」実在のひとの弟子になっている、という設定がすんごい、なんだかリアルに夢っぽくてイイ。
「尽頭子」窮地に陥ったところをぎりぎりの嘘で云いぬけようとするところとか夢っぽいなあ。
「件」予言をすると云われてもなにも浮かんでこないからといって適当な予言をしないところがリアルに夢っぽい。
「流木」お金を拾って警察に届けようとするけれどもいろいろあって「泥棒泥棒」とか呼ばれるに至る経緯がリアルに(ry
「短夜」これは昔「まんが日本昔ばなし」の絵本で読んだ「かみそり狐」と同じ内容だということに遅まきながら思い至った。
「石畳」前のひとの作法を覚えていなくて大勢の前でそれをやらないといけないとかリア(ry
「波止場」この不条理さがわけわからんのだけど妙に説得力がある展開というかやっぱり夢にありそうなんだよなあ。
「豹」何故か自分だけが追いかけられるというのが本当に夢にありがちなんだけど最後のオチが想像外というかびっくり。
『旅順入城式』
「昇天」これは夢とかじゃなく普通の小説としてしみじみ味わい深い。
「山高帽子」長いという字を使った言葉遊びの手紙が面白い。芥川龍之介がモデルと思われる人物が登場するのが非常に興味深い。狂気の話。芥川は狂気は遺伝すると思って恐れていたんだよね……。
「影」これはホラーっぽい。怖いのは対象ではなくて語り手だというのが面白い。続きを読みたくなる強烈な余韻。
「映像」これも怖い話。神経衰弱かな、とも読めるんだけど。
「猫」映像の主人公の続きみたいな、自分の頭の中でどんどん追い詰めて行ってるよなあ。
「狭莚」雷獣(正体は鼬?)をめぐる顛末がこれは実体験なのかなあと思う、昔の子どもにありそうだよなあ。
「先行者」このタイトルで何かと思ったら「先を行く者」なんだなあ文字通り。怖がっているんだけど、怖いかな?
「秋陽炎」このお坊さんはなんだったんだろうか。
「蘭陵王入陣式」これを舞う主人公って百閒先生っぽい(『阿房列車』からのイメージ)。
「木蓮」こういう話で、木蓮が効果として使われているのが新鮮で、ふーんと思った。

2014/08/06

東京日記 【再読】

東京日記 他六篇 (岩波文庫)
内田 百けん
岩波書店
売り上げランキング: 20,256

■内田百閒
7篇収録。6篇は戦前、1篇だけ戦後。百閒50歳の頃に書かれた作品とのこと。
とりあえず前編通じて夢っぽい、現実の道筋では話が通らない。続けて読んでいると頭の中がおかしくなりそうだ。こんなことを書くひとの頭の中はどうなっていたんだろうと思う。また、猫や犬が「嫌な物」として書かれている。現代の作家ではあんまり見られない現象のような気がする。みんな動物好き、犬も猫も可愛い愛すべきお友達として出てくる気がする。百閒先生といえば借金王で鉄っちゃんだけど、借金の話が全然出てこない。鉄道のことも出てこない。何故だ。創作に徹しているからだろうか。でも主人公はみんな中年の男性で、少し百閒先生の面影を引き摺っているような気もする、というかどうしてもそういう読み方をしてしまう。解説は川村二郎。

白猫
「週刊朝日」1934(昭和9)年7月29日号
下宿の隣の部屋にちょっとおかしな男女連れが来て……。
百閒先生は基本的に猫お嫌いだったのだよね、たしか。『ノラや』のノラは別として。ということを猫の書き方から思った。文中に、40歳を過ぎている女の人が白粉を塗ってたらどうだとか、もうおばあちゃんのくせに、とかいう女中さんの言葉が出てきたりする。昔(と云っても昭和だけど)は40代ってそういう扱いだったのかなあと最初に読んだときもびっくりした。

長春香
「若草」1935(昭和10)年1月号
長野初さんの思い出。
ドイツ語を百閒先生に習いに来ていた当時の才媛さん、結婚して離婚してその後習いに来られていた、という、うーんいまの朝ドラの蓮さまもそれで女学校に来られてたけど、お嬢様はそうだったのかなあ。
あっけなくひとの命がついえてしまう運命が悲しい。

柳撿校の小閑
「改造」1940(昭和4)年5,6,8月号
柳さんがけっこーわがまま。
淡い恋の物語でもあるけれど、なんだか共感できない。

青炎抄
「中央公論」1937(昭和12)年10月号
悪夢みたいな、理路整然としない展開で頭の中がぐるぐるしてぼうっとしてくる。騙されるような、あやかしのような、これは罠なのか……。

東京日記
「改造」1938(昭和13)年1月号
これもどれも夢に出てくる話のような、少しずつ現実からずれている。「夢十夜」が23続くかのような。

南山寿
「中央公論」1939(昭和14)年3月号
法政大学を辞めた後のいろんな気持ちが反映しているのか、これも現実では有り得ないような、迷信かどうかみたいな妙な心理状態とか錯覚?幻覚?主人公の精神衰弱?みたいな展開の変な話。「南山の寿」という言葉が出てくるけどこの短編のよみかたは「なんざんす」で良いんだよね?全然「南山の寿」っていう内容じゃないからなあ。

サラサーテの盤
「新潮」1948(昭和23)年11月号
この話も現実離れしているが、本書の中でいちばんストーリーがあるというか、「あらすじが書ける」話である。ドラマチックでもあるし、いろいろ解釈しやすいというか、わかりやすい。昔の玄人の女のひとってこういう感じかあ……というふうにも読んだ。故郷の訛りをかすかに残した美人と会って、そのひとと結婚するのかと思いきやそれはあっさり東京に戻って結婚し、相手は「年来の恋女房」だとか書いてあると「うーん、浮気!とか男同士の友情で云わないのか玄人相手は浮気じゃないのか……」などと複雑な心境になるがこれは時代の差?それとも男女の違い?
おふささんの「私は世間の普通の御夫婦の様に、後に取り残されたのではなくて、中砂は残して来たなどとは思っていませんでしょう」という台詞が胸に沁みた。

2014/08/04

その街の今は 【再々読】

その街の今は
その街の今は
posted with amazlet at 14.08.03
柴崎 友香
新潮社
売り上げランキング: 421,425

■柴崎友香
というわけで読み返してみたら、記憶にあったのよりも主人公の女の子(28歳)がダメというかダメ男好きな子で、「そらあかんわー」「やめときぃなー」とおばちゃん的ツッコミしながら読んだ。だって結婚したばっかなのに速攻出張にかこつけて結婚前に何度か遊んだ女のとこ遊びにくる男とかどんだけクズ……! それわかってるのに惹かれてる主人公もたいがい意味不明なんだけど……!
勤め先がつぶれて再就職先決まらなくてカフェでバイト中、彼氏が出来るような友達に終わりそうな……ってそういう不安定なことしてるから付け入れられるんだよ、さっさとバシッと就職決めてがっつり稼がな!

前に読んだときはどう思ったのかと思って自分の感想を読んでみたが、うーん、うまいこと誤魔化してるなあ。
初読みのとき(2006年)からは8年経っているので、というのもあるんだろうけど、「恋愛より古い街のことが書いてあるのを評価したい」というのは基本変わらない。
ちなみに大阪のミナミの地理とかがばんばん出てくるが、あまり出歩かない人間なのでぼんやりとしかわからない、織田作とかああいう世界かなあ~もうちょっと入り込んでも面白いんだろうけど通り過ぎる感じなんだよなあ。図書館とか通ったらいいと思うんだけど行かないんだよねこの主人公。

それにしても最新刊『春の庭』には恋愛が無くって、こういういまどきの若い女の子も出てこなくて、柴崎さんの新境地だったんじゃないか、とあらためて思った。これからこっち路線で行くのかなー。作家さんて編集さんに「恋愛ものプッシュ」されるんだそうで(長嶋(有)さんがどっかで書いてらした)、芥川賞取ったし、これからは好きなように書けるんじゃないか、ということで次作が楽しみであるなあ。

いまは文庫版が出ています↓
その街の今は (新潮文庫)
柴崎 友香
新潮社
売り上げランキング: 153,129


2014/08/03

ゆで卵の丸かじり

ゆで卵の丸かじり (文春文庫)
東海林 さだお
文藝春秋 (2014-07-10)
売り上げランキング: 4,032

■東海林さだお
「丸かじりシリーズ」第33弾。
初出は「週刊朝日」に連載。単行本は朝日新聞出版から2011年4月刊。
思い込みで突っ走ってるなあ、まずその前提に異見があるんだけど、というのがいくつもあった。昭和12年生まれかー。大家というか、もはや自分の考えをヨソから言われて変えるとかいうのはなさそうな。のほほんざっくばらん風にしてるけど、実はものすごくこだわりが強くて頑固だよね。
「己を知るには敵を知れ」とか書いて「ずいぶん探したけどありませんでした。」って書いてあるのがなんともはや。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と間違っただけの話で、「勘違いしてしまった」と言うならともかく「探したけどなかった」は無いわー。
このシリーズの初期のほうのを読んでみたい。

【目次】
ラーメンに海苔は必要か★/ワカメミソスープの危機/ラー油を食べる?/蒸しパンのムリムリ★/チクワ天そば騒動記/苺をどう食べる?/茹で卵は正しく食べよう/どじょういんげんは長すぎるか/いまが旬、冷やし中華/こともあろうに「十八穀ごはん」/羊羹のニッチャリ/納豆の現状報告/悲しからずやトコロ天/種なし梅干しおにぎりの謎/かき氷のサクサク/決行!炭酸水!/カット西瓜は邪道?/第4のビール出現/煮干し出世物語/さんま大出世物語/モツ煮込みを“いただく”/おでんの大根の理想の厚さは?/しきりにポップコーン/ふと、飴を舐める/「香り松茸、味しめじ」でいいのか/食器の軽重を侮るなかれ/ゲソでげっそり?/紅生姜ブーム、来る/ツナ、マヨに出会う/再びがんばれ!デパート大食堂/鍋の具に自由を!/ラーメンの具を愚考/カツカレーうどんのカツカツ/スープ炒飯の矛盾/お雑煮は暗い?

連続感想。
ラーメンの海苔はあっても無くてもいいなあ。わかめの味噌汁じゃなかったら目がテンって変なの。食べるラー油ブームは辛い物苦手なので遠目に見ていた。蒸しパンは大好き!チクワ天の置き方にここまで固執するとは。半分だけ食べるとかもったいなー。苺スプーンって使ったことない。茹で卵は剥いてから食卓に出す、自分で剥くときは両手で剥いて右手に持ち替える。どじょういんげんって初めて聞いた、さやいんげん、って言ってた、その一種なのね! 「冷やし中華はじめました」って貼り紙見るとウキウキするんだけど東海林さんは逆なんだな。
羊羹は見た目のすべすべさが美しいと漱石は褒めていた、そういえばあの触感は独特かも。かき氷のシロップはたっぷりが良いに同意。みそ汁を炭酸で……ちょっと無理かも。カット西瓜は食べたことないけど便利そうね。食べる煮干しはカルシウム補給出来ていいよね。さんまが高くなると悲しい。「いただく」そういえば氾濫してるかも。コンビニおでんの大根は全部同じ大きさなの!?
軽い瀬戸物食器とかたまに売ってるね。たしかにツナマヨが無くなったら困る。鍋の具に自由を、は面白い。ラーメンの具はネギが無いとなあ。カツカレーうどんのカツが美味しそうだけどやっぱりご飯がほしい。スープ炒飯はスバヤク食べないと無茶苦茶になりそう。お雑煮大好き。別に暗くないわ!

春の庭

春の庭
春の庭
posted with amazlet at 14.08.02
柴崎 友香
文藝春秋
売り上げランキング: 91

■柴崎友香
第151回芥川賞受賞、のニュースをテレビで観て意外に思った。芥川賞というのは純文学の新人が対象だと思っていたので、柴崎さんを新人とは思っていなかったからだ。

ウィキペディアによれば【「芥川賞は対象となる作家を「無名あるいは新人作家」としており、特に初期には「その作家が新人と言えるかどうか」が選考委員の間でしばしば議論となった。】とあるが、【現在ではデビューして数年経ち、他の文学賞を複数受賞しているような作家が芥川賞を受賞することも珍しくなくなっている。近年ではデビューして10年たち伊藤整文学賞、毎日出版文化賞と権威ある賞を受けていた阿部和重が作家的地位も確立していた2004年下半期に芥川賞を受賞し「複雑な心境。新人に与えられる賞なので、手放しで喜んでいられない」とコメントした。】と続けられており、なるほどなあ、と思った。

さて、『春の庭』である。
とてもきれいな装丁で、加藤愛子(オフィス・キントン)による。カバー写真は米田知子「kimusa26(2009)」で、窓枠が額装のようになっている緑が鮮やか。黒と浅葱色のコントラストが美しい本だ。

柴崎さんは『その街の今は』などが特にそうだったが、ふつうの町の街並みをすごく丁寧に拾って細かく歩く速度で描いていく作家さん、というイメージがあって、本書もその特色がよく表れていた。読んでいてとても気持ちがよくて、いつまでも読んでいたくて、わざとところどころ休憩を入れて、長くその作品世界にいれるようにしたりした。

派手なことはなにも起こらない小説で、人間模様も表面的な近所づきあいの域を出ない。柴崎さんは恋愛をしばしば書くけどこの作品では恋愛もなし。主人公の仕事の様子や職場の風景もほぼ出てこない。出てくるのはいま住んでいるアパートと、そこに住んでいる住人と、隣接している凝ったつくりの一戸建ての家そのものと、そこに住んでいるひとくらい。
この凝ったつくりの一戸建ては昔、写真集の舞台になったことがあり、アパートの住人の女性(西さん)がこの家のファンで、中を見たくてうずうずしている、というのがこの小説の小説らしい点、かもしれない。その写真集のたいとるが「春の庭」と云うのである。
なんとなく、昔話題になった『東京日和』を連想したりしたけど、『東京日和』を読んだことがあるわけではない。ただ、夫婦がその日常をスナップ写真のように撮った本、というので思い出した。
いまその家にはぜんぜん違うひとが住んでいて、中の様子も少しずつ変わっている。東京オリンピックの年に建てられた家というからそれなりの年季が入っている。
この家に住むことになったひとを書いてある小説では全然無くて、そこに憧れているけど住めない(家賃は月30万だそうだ)女性をメインに書いてある小説というわけでも無くて、主人公「太郎」はあくまでもそこから一歩引いた傍観者の立ち位置にいる。
そしてこの小説は三人称だけれどもずっと「太郎」を中心に描かれていたので、そういう話だと思って読んでいたら、いきなり、章代わりでもなんでもなく本当に突然、物語も終盤にさしかかった118頁になって「わたしが」が地の文で出てきたのですごく面食らった。「わたし」って誰!と最初の方に戻ったりした。まあそのまま読んだらすぐに設定から「わたし=太郎の5歳上の姉」だと判明するのだが。

太郎の住むアパートの部屋に姉が訪ねていくシーンからいきなり三人称から「わたし」の一人称に変わるのである。そんでそこからはずっと「わたし」一人称かと思ったらまたしばらくすると三人称に戻るのである。でもあんまりにも地続きで変わるので、もしかしたらこの小説は三人称だと思っていたけれども実は最初から「わたし」の一人称で、だけど「わたし」が省略されていただけなんじゃないか、つまり「わたし」が「太郎」から聞いて書いていった伝聞の話というふうにも読めるんじゃないかと思って、最後まで読んでからもう一度最初っからしばらく読み直してみたが、よくわからなかった。あえて三人称じゃなく一人称だと解釈して読む効果があるのかどうか不明だ。

最後の方でいきなりサスペンス風の展開があって、「えっ残り数ページでこういうの出てきてどうすんの」と思ったらあっさりオチがあって「なーんだ、でもそりゃそうだよな」と思ったり、うーん完全にまったりと弛緩しきって読んでいたら終盤でどきどきさせられちゃった。著者はどういう意図でこういう人称の変化とかスジとかを書いたんだろう。

ググったらこういうインタビュー記事があった。(「本の話」web)

まあなにはともあれ、自分が既読の作家が直木賞を受賞するというのはいままでちょくちょくあったけれども、芥川賞でそれは初めてだったので新鮮だ。
おめでとうございます。