2014/06/18

こちらあみ子

こちらあみ子 (ちくま文庫)
今村 夏子
筑摩書房
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■今村夏子
本書は、第26回太宰治賞(2010.5.10発表)を受賞した「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)と書き下ろし「ピクニック」を収録した単行本(2011.1.10刊。第24回三島由紀夫賞を受賞)に、さらに3年半ぶりの書き下ろし「チズさん」と町田康の解説と穂村弘の書評(2011.3.20掲載)を加えて文庫化(2014.6.10)されたもの。

第24回三島由紀夫賞 選考委員(小川洋子、川上弘美、辻原登、平野啓一郎、町田康)
第26回太宰治賞 選考委員(加藤典洋、荒川洋治、小川洋子、三浦しをん)

こちらあみ子」は中篇。
単行本を書店で見かけたときからすんごい素敵な装丁と印象的なタイトルに買おうかどうか迷って、でも保留にしていた。「こちらあみ子」というのは何故か宇宙人への呼びかけとイメージしていて、つまり主人公は架空の存在に語りかける不思議ちゃんという想像だったのだが、もちろんこれはそういう話ではないのであった。

最初、つつじがきれいに咲いていたり裏の畑があったり、野生のすみれが咲いたりしている家にいるあみ子が登場する。勝手口があって、裏の畑に通じる坂に出るためにはいったん家の表側に出ないといけないらしい。この冒頭部分を読んで脳内に展開される絵の美しいこと! ただ裏の畑の世話を「祖母の役目」と云っているのにちょっとひっかかりを感じた。そこへ竹馬に乗って遊びに来る少女が登場する。なかなか奇想天外だ。さらに読むと彼女は前歯が3本無いと、「イー」をすると口に黒い空洞があると書いてあり、「随分無頓着な?」と違和感をおぼえた。
そうしてあみ子の昔語りがはじまる。

あみ子の立場からいえば「どうして好きなひとに前歯を折られるに至ったか」を説明するための語りなわけだが、次から次へと「?」とひっかかりや違和感が登場するので正直歯のことなんて途中はすっかり忘れてしまっていた。
小学生のあみ子は2つ上の兄と一緒に登下校する。あみ子は授業もきちんと受けられないし、家で宿題もちゃんとしないし、両親の言いつけも守れないことがままあるようだ。母は習字の先生を家の座敷でしていて、あみ子はまだそこに入れてもらえない。そこに習いに来ていた「のり君」にふとした出来事からあみ子は注目するようになり、その子が自分のクラスメイトだということを初めて認識し、以降、ずっと一途に想い続けるようになる。なおこの「母」に対して読み手は習字教室での畳みかけるような叱り方やカメラのシャッターを押されたときの突き放し方に違和感があったのだが、途中で初対面のときから自分のことを『お母さん』なんて呼ばなかったのに、というような一文が出てきてああ継母であったかと判明する。

あみ子はいろんなことを考えていて、読んでいるとこちらもそれに同化していく感じで、彼女が「弟の墓」を作ってそれを母親に見せようとして庭にひっぱって行き、それを見て動かなくなった母が突然泣き出すシーンなどは頭の中であみ子の部分と母親の気持ちを忖度できる読み手の部分がごっちゃになって、なんだかすごいことになった。
あみ子はどうして母が泣いたかわからない。自分のしたことと結果が結びつかない。この小説は一人称ではなく三人称で、その当時のあみ子にわかっていなかったことはもちろん、いまのあみ子にもわかっているのかは不明だ。でも読んでいた身には確信を持って言えるのだけれどもあみ子は100%善意なのである。
母親の頑なさ、余裕の無さも気になるけれどやはりこの家族で一番どうにかしなくてはいけなかったのは父親で、彼があまりにも気弱というか受け身というか「どうにもしない」ところが歯がゆく感じる。でもそんな、家族の問題点を探して解決策を探るとか、そういうところにこの作品の本意は無いんだろうってこともわかってはいる、ただつい考えてしまった、だってあみ子があまりにも無垢で純粋だから。

クラスメイトの、あみ子に名前も顔も覚えてもらえない存在の少年が非常に良くて、特に最後のところはしみじみジーンとした。あみ子にちゃんと向き合ってくれるから、あみ子の真剣が伝わって、そんで「そりゃ、おれだけのひみつじゃ」とかもうもう、このシーンは良すぎて何回も読んじゃった。
とりあえず一読では感想がまとまらず、通しで二回読んだが、今後も読み込んでいきたい。

ピクニック
短篇。七瀬さんもおかしいかもしれないけどこの語り手(ルミたち、って複数形なのがまた異様)も相当異様で、いっけんにこやかに七瀬を応援しているようでどんどん追い込んでいくのとかすごく不気味。最初、七瀬さんが堅苦しいほど礼儀正しいし、ちょっと変わってるし、おまけに虚言めいたことまで言い出すのでこのひとが変だという話かと思って読んでいくとルミたちのほうがもっと違和感がある存在なのだった、だいたいルミ「たち」ってなんなんだよ。にこにこして「ねー」って感じで集団で、集団でしかなにか出来ない、女の中にはそういう性質の悪いのが確かにいる。
そして異常のなかで唯一まともな反応をしていた新人の子が物語の中では異物扱いになっている、それが最後のほうでとうとう取り込まれて同化している。なんだ君は見込みがあったのに、残念だなあ。
それはそうと、若い女の子たちがローラーシューズを履いて給仕するのが売りのお色気に重点を置いた店なのかと思いきや、実は料理が美味しくて飲み物が安いからお客がたくさん来る、とかそういう脇の設定が面白くて良いなあ。

チズさん
短篇。「まっすぐ立つことができない」介護の要るお婆さんがチズさん。この物語の語り手はヘルパーさんなのかと思いきや、どうも違うようだ。「チズさんちには、たまに遊びに行った。」ってそういう関係。けっこうふつうに家に入り込んでスーパーで買い物をしたりしてる。いったいなんなんだろう。そういうのってあるのかなあ?
最後のほうでチズさんの息子と嫁と孫が遊びに来る(という穏やかな表現が似つかわしくない、身勝手な振る舞いに立腹ものなんだけど)となんとこの語り手は手近なドアに隠れて鍵をかけてしまう(後でトイレとわかる)。そして最後はふたりで語り手の家に逃げようとするのである。その雰囲気は「そら、逃げろ!邪魔者がやってきたぞ」という感じ、ふつうは祖母の家に孫一家が来るってそうはならないはずなのに、この話の視点で読むと彼らは間違いなく闖入者なのだ。変な話だなあ。