2014/04/29

安全な妄想 【再読】

安全な妄想
安全な妄想
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長嶋有
平凡社
売り上げランキング: 104,175

■長嶋有
2011年9月平凡社刊の再読。

今回読み直して思ったことは「なんだかさびしそうな気がするのは気のせいか」。そういえばこのひとのエッセイには奥さんが出てこないね。
「蕃爽麗茶」をめぐる出版社との闘いに半ばあきれ、天気予報が間違ったときの予報士へのクレームに吹き出しそうになり、ホットコーヒーをあたため続けた話は何度読んでもほっこりする。状況ではなく、長嶋有というひとのその思い出の取り出し方、心情へのおもんぱかり方に。

赤塚不二夫の「ああ無理」にはもう笑わなくなった。前に読んだときは息も絶え絶えになるほど笑いが止まらなかったのに。「これが面白かったんだよな」と確認する感じで文字をなぞっている。
「前は泣いたのに、いまは泣かない」よりも「前は笑ったのに、いまは笑わない」のほうが多い気がする。何故だろう。「いまは~ない」の理由は、「泣く」と「笑う」で同じなんだろうか。同じ部分と、違う部分があるような気がする。感情の磨滅・摩耗・慣れ。笑いのほうが賞味期限が短いようにも思う。
「前はなんともなかったのに、いまは(泣けて・笑えて)しかたない」ということも少ない気がする。なんらかの体験を経て、そうなることもあろう、ということは想像できるのだが。
これは成長なのか、退化しているのか。

文中に出てくるアルファベットで匿名化された交流ある作家たちの名前を想像するのも楽しい。「歌人のH氏」は穂村弘だろう。「作家のS」は柴崎友香かな? 装丁家のNさんは名久井直子じゃないかと。若手のYというのは男性かと思っていたら後のほうで著者自ら山崎ナオコーラのことだと明かしてあった。ふーん。

装画は100%ORANGE、装幀は芥陽子。
カバーを外して本体に描かれた太陽→水金地火木土天のイラストに異様な迫力があるので驚く。前回はカバーのほうに気を取られて、気付かなかったのだろうか。100%ORANGEってこういうのも描くんだと感動。
著者公式サイトでの紹介文が「力いっぱい」な感じで面白いので引いておきたい。

デビュー10周年に満を持して放つ怪エッセイ集。連載時から異様なムードに読者驚嘆、同業者は呆れつつ喝采! 描きおろし多数の100%ORANGE氏のイラストはさらに面妖に。
震災中に連載された東京新聞「放射線」欄、LOVE書店の迷連載「ウットリ堂書店」、朝日新聞「作家の口福」、大反響を呼んだ「ジャパネット考」ほかも精選収録した(魔の)66編に悶えろ。


いろんな気持ちが本当の気持ち 【再々読】

いろんな気持ちが本当の気持ち
長嶋 有
筑摩書房
売り上げランキング: 741,160

■長嶋有
三度目の通読。
あちこちの媒体に載せられたエッセイを集めて本にしたものなので、初出時の通しタイトルというものは無くて、「いろんな気持ちがほんとうの気持ち」というのは角田光代『みどりの月』の文庫解説そのひとつだけに付けられたタイトルである。
この本の装画は法貴信也というひとの絵が使われていて(装丁は名久井直子)、『安全な妄想』の中でこのひとの絵を買うエピソードが出てくる。

ふだん忘れているのだが、長嶋さんって北海道の室蘭市育ちなんだなあ。あと、小説にはよくお父様がモデルになったらしきひとが登場するのだがこのエッセイには珍しくお母様が登場する。パタリロを自分のために買って来たりして、センスの良い方だなあと思う。

この本にも、『安全な』にも、本の最後に補稿があって、面白い。
なお、わたしが持っているのは単行本なのだが最近これが文庫化して、文庫にしか載っていないエッセイが収録されているらしく、それを読む為だけに文庫も買うのか?とちょっと逡巡。



いろんな気持ちが本当の気持ち (ちくま文庫)
長嶋 有
筑摩書房
売り上げランキング: 33,744


2014/04/28

いま教わりたい和食  銀座「馳走 啐啄」の仕事

いま教わりたい和食: 銀座「馳走 そっ啄」の仕事 (とんぼの本)
平松 洋子
新潮社
売り上げランキング: 90,040

■平松洋子
料理:西塚茂光
写真:日置武晴

平松洋子さんのとんぼの本は、以前、『一生ものの台所道具』というのを買ったことがあるのだが、いつもの台所道具に対するエッセイ本かと思ったら写真と道具紹介がメインで、しかも定番の包丁とか鍋とかの紹介だったから珍しさも無くて、まあこういうのを求めている方には需要があるんだろうけどなあ……という個人的にはイマイチな感想だったもので、今回の『教わりたい和食』のほうもネットで出版したのは知っていたんだけどなかなか食指が動かなかった。だって銀座の(おそらく一流の)和食屋さんなんて、たぶん一生ご縁が無いもの。見て、美味しそう~食べたい~と思ったってそうやすやすと行けるもんじゃなし、欲求不満になるだけじゃないの?と。

しかし散歩の途中に寄った小さな町の本屋さんでこれが置いてあって、「まあ、いちおう」と中身をパラパラ確かめてみたらあまりにもお料理の写真が美しくていっぺんに惚れてしまった。
ああ、写真は流石の日置さん!

銀座の和食店に行くことは無いけれど、
一流の料理人の料理を写真と素材だけ書いてあるこの本を見て素人が真似できるはずもないのだけれど、
そういう「実用」じゃないところでこの本はただただ目に鮮やかに迫るパワーがある。

3年間、平松さんが「馳走 啐啄」(そったく)に通って、季節ごとに海のものと山(野)のものの素材を選び、ひとつの素材につき5品ずつ作ってもらって、――――というスタイルで行われたものだそうだ。
雑誌「考える人」に2005年夏号から2008年春号に連載された「季節には味がある」に加筆したもの。

その素材を目次から書き写してみる。
 山菜 鯛 亀戸大根 蛤 白魚 筍
 鰻 茗荷 トマト 蛸 茄子 鯵
 里芋 鯖 きのこ 菱蟹 鮭 ずいき
 鴨 葱 白菜 なまこ 牡蠣 海苔

この本はレシピ本では無い。料理人・西塚さんの言葉として
「和食はレシピではないと思うんです」
「だしに頼りすぎてはいけない」
この2点が特に強調されていることからもこの本の意図は明らか。

なんていうか、和食って、素材を通して季節を味わうっていうか……真正面から見つめて受け取って、それを大事にいただく、そういう気持ちで作ることが大切なのかなってこの本を読んで感じた。それってけっこう難しいことだよね。っていうか、銀座の一流店が仕入れてくるものと、そのへんのスーパーで値段と相談しつつ買う安物とじゃあ全然素材が違うんじゃないのってひがみそうになるんだけど。まあでも、気持ちというか、姿勢は学びたいというか、理想を仰ぎ見ることも必要だろうし。

とにかくお料理の写真が綺麗でほれぼれして眺める。
文章を読んで、写真を眺めて。
最初は料理に目が行ったけど、二巡めはその器に注目して見つめたり。
まあ、どれもお皿やなんかが重複していないわ! 料理のコンセプトにぴったりの、なんて素敵な器たちでしょう…!
色の合わせ方とか、絶妙なんだよね。 

マンネリになりがちな家庭料理の、どこかでヒントくらいにはなる、かな?
西塚さん曰く、料理上手になるためのコツは、
「興味をもっておもしろがったもの勝ち。」だそう。

※本書にはレシピは載っていません。

2014/04/25

ジュージュー

ジュージュー (文春文庫)
ジュージュー (文春文庫)
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よしもと ばなな
文藝春秋 (2014-01-04)
売り上げランキング: 15,430

■よしもとばなな
わたしが以前このひとの小説を読んだのはずーっと前で、『TUGUMI』は確かに読んだ覚えがあるし、『キッチン』も多分読んだんだと思うのだけれども、つぐみって云う奔放な変わった女の子が出てきたなあ、くらいしか思い出せない。とりあえず当時ベストセラーになっていて、なんだかガーリーな少女向けな感じだったからとりあえず読んで、そしてそれで終わった。そうだ当時はまだ「吉本ばなな」だった。

というわけは「よしもとばなな」を読んだのは初めてということでもあるな。
『ジュージュー』はちらりと中身を確かめると美味しいハンバーグを作るお店の話ということで、料理ネタはここ数年わたしのマイ・ブームとして注目しているから読んでみようと思ったのだった。

表紙には二つ結びの変わった目つきの女の子のマンガみたいなイラストが使われている。
本文を読んでいくと主人公とその母が朝倉世界一というひとの『地獄のサラミちゃん』という漫画を超愛読していて、そしてこの表紙を描いたひとがその朝倉世界一というひとなのだった。おー。

さらに、というか、この話の最初は「どうにかなる」という歌詞で始まっていて、それは町田康の作詞なのだった。へー。

本書には「あとがき」と「文庫版あとがき」が両方載っていて、特に「文庫版あとがき」が面白かった。たしかになあ、これほんと悲しい話だよなあ、ほのぼのハートフル風に仕上げてあるんだけどさ。

むかーしむかしに「吉本ばなな」の作品を読んで、なんていうか、おしゃれだし、面白いし、こういう自分の考えを持った女の子の生き方って素敵だなと思ったけど、自分とはなにかが決定的に違うというか、自分は決してこういうふうに考えたり行動したりは出来ないよな、というような違和感を持った、だから彼女の作品を追いかけて読んだりしなかったんだということを、『ジュージュー』を読みながらだんだん思い出していく気がした。

しかし読み終わって感想をかくために『キッチン』とか『哀しい予感』とかそういう、昔のベストセラーをちょっと調べていたらなんとも面白そうなので読みたくなってしまったので、もしかしたら近いうちに読んじゃうかもしれない。本屋さんでぱらぱら見てみて拒否反応起こらなければ。

『ジュージュー』は好きなひとには良い話なんだろうけど、なんかあちこち生理的に受け付けないというか気持ち悪い設定があって、例えば進一と主人公と夕子さんの関係とか、「無いわー」という感じで、だけどまあそんな本人たちがイイって言ってんだからそんな狭量なことではだめだ、と自分に言い聞かせるようにして読んだんだけど、でもまあ、好きか嫌いかっていうと、イヤだねこういうのは。理屈じゃなくてただもう苦手だー。

2014/04/24

佐渡の三人 【再読】

佐渡の三人
佐渡の三人
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長嶋 有
講談社
売り上げランキング: 312,617

■長嶋有
初読みは2012年10月で、その年読んだ私的ベストテンの1位だった。の、再読。やはり非常に面白く、読んでて気持ちよく、堪能した。

ストレートな感想は前回書いたので、今回は変化球で。

本書を読みながらしみじみ思ったことは、この話に出てくる主人公のおばあさま・みつこさんの話し方がすぱっ、きぱっとした感じでなんか良いんだよね。
「それはないだろう!」(私はこれでいいんだ!)(私はなんでも無駄にしないだ)(ここにちょうどベッドを置けるな!)
( )に入っているのは原文がそうだからで、つまりこれは実際にみつこさんがそう発言したのを主人公が聞いたわけではなくて、いかにもそう言いそう、という主人公の想像上のアテレコなんだと思うけど、なんとも云えないユーモラスな感じがあって、読んでいてもそうだったが、書き写しながらまたわくわくした。語尾が「だ」とか「な」とか強い感じなのがイイんだよね。味わいぶかい。

前回読み終わってから後に、読売新聞の書評ページの著者来店とかいうコーナーに長嶋さんのコメント記事みたいなのが出てて、それに長嶋さんの著作と、実話とのスタンスみたいなのが書いてあって非常に興味深く読んだ。
今回読み終わってから後にネットでググったらこういうの(現代ビジネス 読書人の雑誌「本」より「『佐渡の三人』著者:長嶋有 真・佐渡の三人」も見つけて、これもふーんへーえと思って読んだ。

あと前回も思ったけど今回も、この話に出てくる主人公の親戚のおじさんたちはみんなそれぞれヒトとしてカッコイイなあというか、味がある、もちろんおばちゃんもおばあさまも大叔父さんも素敵だし。それぞれが主役級に「面白そう」なキャラ立ちしてるんだよね。

扱われているのが大往生とはいえ身内の死とか納骨とかなのに、ほんとうに暗さ、悲しさ、嘆きが書かれない、そういうふうに持って行っていない、そこが独特だなあ、そういう家風だということだろうか。むしろ泣いたトキコちゃんが何かとっても純粋培養された美しく珍しい存在のように読めてしまったその不思議。

今回読んでいて最後の方の「私」の独白になんだかぐーんと共鳴というか、当たり前のことなんだけど、あらためて「そうなんだよなあ!」と深くうなずいてしまったので、部分だけ読んでもあまり伝わらないかもしれないんだけど自分の覚えのために引いておく。

死んだらいなくなるというのは、そういうことなんだな。死ぬというのは身体的なことや観念的なことだけでない。

でも今日わかったことがある。私は、いろんなことをよく実感できていなくてもいいのらしい。こと私が死んだとき、実感しないせいで生じるあらゆることについて、あと全部、生きているひとが決めるんだ。

なんとかするって生きてるひとしかできないのだなあ。

つまりなんていうか、生きているひとのために「納骨」とかもあるんだよねという、あーそういう考え方が出来るんだよなあとあらためてしみじみ、モノゴトっていろんな視点で見たほうがカタマラなくていいなあと思ったんであった。

2014/04/23

この話、続けてもいいですか。

この話、続けてもいいですか。 (ちくま文庫)
西 加奈子
筑摩書房
売り上げランキング: 142,920

■西加奈子
本書は、2007年10月刊『ミッキーかしまし』と2009年6月刊『ミッキーたくまし』を再編集したもので、文庫化にあたり加筆訂正を行ったもの、だそう。
「ミッキー」というのは西さんに付けられたニックネーム。

そもそも西さんて『きいろいゾウ』が映画化されていたりベストセラーになった『さくら』があったりして有名な方なのでその存在はだいぶ前から意識はしていたのだけれど、わたしの守備範囲とは違うかなとか思っていて、このあいだ初めて読んでみようと思ったそのきっかけは又吉(直樹)さんの『東京百景』に西さんのことを書いた章があって、そこでこのひとはめちゃくちゃ話(トーク)が面白い、とか書かれていたからだった。
小説家さんなのでまずは小説を、と先日『通天閣』を読んでみて、そのあと「トークが面白い」というのだからエッセイはテッパンであろうというわけでこれを読んだ。

つまりまあ最初から結構ハードルは上がっていたわけであるが、まあ実際面白かったとは思う。この方と実際喋ったら「めっちゃ面白いひとやなあ」と感嘆するだろうなあというのはわかった。
しかしハードル上げ過ぎた、というか、文章のプロの世界には「面白いエッセイを書く作家」というのは実にたくさんおられるわけで、そういう中にあって、西さんのエッセイが突出して面白いかと云われると、どうであろうか、といった感じで、なんというか西加奈子という人物その存在や実際の言動は間違いなく「面白い」んだと想定できるエッセイだったというか、つまり、エッセイが面白いというよりは、西さんそのものが面白いので、そのひとの考えてることや体験をもとに書かれたエッセイは面白くなるに決まっている、ただ、惜しむらくは!
と、思ったんであった。
ただ、西さんのエッセイは、非常に僭越ではあるが、なにかもっと面白くなるノリシロ・可能性がある、という気がすごくしたのだ。
素材がこれだけ面白いのだから書き方次第ではもっと笑いを生むはず…!
というわけで、西さんの著作にはこれからも注目していきたい。

なお、本書の中に『通天閣』のバーのマスターのモデルになったと思しき人物が登場して、興味深かった。

特に面白かったor共感した内容のタイトル選抜。
・良い方いろは ・Are you GA? ・テールズオブ合コン ・餅と乙女 ・IE★ ・少女漫画的恋愛指南 ・沖縄8度9分 ・カンサイ・スーパー・誕生日 ・クイアくれ ・青い眼がほしい ・ひどい首ね ・スキルアップのからくり

2014/04/20

ガケ書房に行ってきました


京都にガケ書房という個性的な本屋さんがあると知り、さっそく行ってきました。
ネットでは赤い車だったのに水色の車に変わってました。
開店時間は遅めで正午。
店構えと入口を写真に撮って、いざ突入。思ったよりも狭い。小さな町の本屋さんサイズ。

本屋にしては薄暗く、ヴィレッジ・ヴァンガードに近いけどああいう乱雑さ、物が多すぎてカオス、みたいなのは無くてむしろ狭いスペースを贅沢に使っている。棚ざしが少なく表紙を見せたディスプレイが目立つ。雑貨も多く、ペーパークラフトとかCDもたくさん。中古と新品が同じ感じで並んでいる(さすがに棚は分かれている)



これはフリーペーパー?と思ったら500円とかモノによっては1,000円とか書いてある、同人雑誌なのかなあ、商業誌なんだろうか。あまり普通の書店で見かけないサイズと紙質の雑誌が数冊ずつ積んであったりする。
ごく普通の書店で売ってる本も雑誌も(この本屋の基準に合ったものは)置いてあるけれど、たぶんここでしか見つけにくいようなのが大半で、しかし内容は読者を選びそうなものなので、思わずノリで買いたくなる。なんかおしゃれな感じの表紙が多いし。雰囲気に流されて買うにしてはちっとも安くなく、しかも完全な表紙買いをしてしまうと結局中身はマニア向けだから読まずに終わりそうだなあとあえて冷静に自分をセーブ。2000円~3800円とかするのが少なくなかったからだ。しかも小説は少なそうだった。
サブカル系、乙女系。詩や建築系が多いかな。全体的に売り物としての点数が少ないのでいくら「セレクトショップではない」と云われても実質はそういう感じだよなあ。わざわざここに来てそこらで簡単に買える本は買いたくないという気持ちにもなったし。

古本でない、他店で見かけないような単行本の多くは1冊を「みほん」にしてあって自由に中身を確かめることが出来るようになっており、商品はビニールで覆ってあって、この親切は大変嬉しかった。

古本は昔の古本のイメージそのままで、例えばブックオフに並んでるのとは違う。全体的に薄茶色い。久々に見たなあ、こういうの。他の古本屋さんに「棚貸し」というシステムを取り入れてあって、なかなか選び抜かれた感じだ。わたしはどうしても読みたい本が古本でしか入手不可能、という場合を除いては新刊主義なので、あえて棚をあまり見ないように自主規制した。

平日昼間ということもあって、お客さんはわたしのほかに2,3人程度。1周目に棚にあった漫画が2周目には無くなっていて、あ、ついさっき誰かが買ったのかと面白く思う。

↑この写真は自宅にて。

とりあえず1冊、好きな作家の装丁で知った名前の画家さんの画文集を見つけて(中身を確かめることが出来て、素敵だったので)購入。
山本祐布子『旅日和』。
出版は「COTO」、Louleという会社の出版部門だと本の最後に書いてある。
ここもそうだけど、置いてあった作家や出版社は京都絡みのものが非常に多く、後で作家のプロフィールを調べるとなるほどなあ面白いなあという感じだった。

2014/04/19

明暗

明暗 (新潮文庫)
明暗 (新潮文庫)
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夏目 漱石
新潮社
売り上げランキング: 31,540

■夏目漱石
漱石の絶筆。未完ということがあって、いままで読まずに来たが、青空文庫で最初の方を試しに読んでみたらなかなかスジが面白くて展開が気になったのできちんと読むべく文庫で購入した。

これが『猫』『草枕』『坊っちゃん』と同じ作者かと思う。『虞美人草』も不愉快な女が出てきたけどそれが超パワーアップしたような。
主人公だけのじゃなくて、この話ではそれぞれの立場でそれぞれの思考が書かれているので、男女それぞれの内心の心理描写がこれでもかと延々続いてそれがいちいちリアルでまーみんな身勝手なことー、って感じ。エゴっていってもここまで自分の配偶者を信じられない、思いやれないものかしら? 結婚半年なんて、まだまだ幻想でいいのに、欲しがってばっかりいるんだもの。

とりあえず出てくる人物のほとんどが嫌いで、最初は味方していてもその心中のあまりにも自分中心さ、姑息な立ち回り、持って回った言い回しを読んでいるとだんだん嫌いになっていくのであった。こういうの読んでて面白いというのもまあ週刊誌的な俗な興味でわからなくもないが、でもあんまり愉快じゃないなあ。

最初のほうはお延が虚栄心が強くて依存心も高くて嫁いだくせに自分の親戚の家や叔父のほうばっかり見てる気がして、それなのに「自分がこれだけ尽くしてるのに夫がちっとも自分に応えてくれない」と不満たらたらで、結婚半年でそれって大丈夫なのか?って感じで嫌いだなあと思って、彼女がなんらかの反省に至ることを期待して読んでいったのだが、読んでいるうちにその夫の津田の持って回った言い方や勤め人で独立した家庭の主人のくせに実家の親から送金に頼っていてしかもそれが金持ちの家出身の妻に対する見栄であるというので馬鹿らしくなって嫌いになり、お秀は立場的にお延を嫌うのはもっともだと同情したがそれにしても理屈ばっかり言うし自分の感情で誤解したものをひとに言いつけたりして小賢しく立ち回るので「お前はほかにやることないんか。そんなに暇なんか」と嫌いになり、吉川夫人も出てきたときは別に鷹揚で良い夫人だと思ったのが津田夫妻のありよう、とくにお延が嫌いと見えて夫の前の愛人と会うようにセッティングしたり、お延をもっと立派な妻に教育し直してやろうとか言い出して、いくら上司の妻という立場であるとかいろいろあるにしても立ち入り過ぎで「お前はほかにやることないんか(以下同文)」と大嫌いになった。
その他、小林はまわりくどい言い方だが仮にも友人を強請るような真似をするし下品だし下劣だから嫌い。お延の従妹の継子も自分の見合い相手の判定を自分ではしようともせずにひとに頼ろうとするそのなんでもかんでも自分では決められない性質が鬱陶しくて嫌い。その妹も勝手なこと言ってるけどまだ幼さの残るほんの少女だから可愛げがある。津田の京都の父親は自分と息子のお金の問題を自分が出すのが嫌だから娘の夫に理屈を言って出させようとする姑息さが嫌いだし、延子の叔父岡本は尊大で無神経だから嫌い。
この小説に出てきて別に嫌いじゃないのは津田の家の女中さんくらいかなあ。
清子に至ってはなんだかよくわからん。けど逃げて正解だったね。

たしかにこれだけの人間のそれぞれの心の動きをここまでリアルに描き出したこととか、それによってその人間関係の複雑さなどを表現してることとか、明治の作品なのに平成のいま読んでもほとんど違和感なく読める(時代的な道具立てなどはともかく「人間」って100年やそこらじゃ根本は変わらないのねと思える)ところなんかが傑作とされるゆえんなのかなあと思う。
けど、これだけ嫌いな人間ばっかり出てくる話なので、わたし個人としては、どうにも不愉快な話だったなあ、というのが、未完であれ最後まで読んだとき「やれやれ疲れた、やっと終わった」というのがごく正直な感想である。
ドロドロの昼ドラ、恋愛ドラマが好きという読者にはぴったりかも。っていうかこれ新聞連載だもんなあ、たしかに毎朝手に汗握るよね、こんなの載ってたら。それこそ夫婦で読んで感想言い合ったりしたのかしら当時の読者さんたちは!?

結論としては、わたしにはまだ早かったような。
もう10年くらい経ったら読み直してみたい。

2014/04/18

通天閣

通天閣 (ちくま文庫)
通天閣 (ちくま文庫)
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西 加奈子
筑摩書房
売り上げランキング: 148,080

■西加奈子
初・西加奈子。
2006年11月単行本刊の2009年12月文庫化したもの。2007年第24回織田作之助賞受賞作。
44歳の工場で働く中年男と、25,6歳の若い女性の主観が交互になっている。
その合間合間にフォントを変えてちょっと風変わりなホラー系?の小説みたいなのが挿入されている。これはそれぞれが見ている夢なのかなあ。象徴してるのかなあ。
大阪はミナミ、通天閣周辺が舞台でかなり濃いベタベタの関西弁で書かれている。

中年男は、大学を中退してぶらぶらしている20歳のとき子連れの年上女と出会い、4年間結婚していたが、それ以降はずっとやもめ暮らし。他人とのかかわりを極端に嫌い、例えば昼食に行く店は2軒しかなくてしかも同じメニューしか頼まないので店員に覚えられ、「いつものですね」と笑顔を向けられる、そのことに迷惑・不愉快さを感じる、自転車の空気入れをやってもらう間の店主との関わり合いが嫌と云う。職場ではいちおう古株なので、単純作業である仕事のスピードはものすごく速く効率的なのだが、そこでの人間づきあいなどは余計なものとして嫌っている。女などが転がり込めないようにと選んだという狭い部屋は通天閣のすぐ近くにあり、旅先で購入した電池を抜いて動かなくした置時計をいくつも置いてある。掃除はほとんどしていないようだ。というかこのひとは自堕落というか、女の人と別れて以降人生を放棄してしまったらしく、およそ前向きさ、活気というものが無い。とっつきにくそうなキャラではあるが人間観察はかなり細やかなので、他人に無関心というのとは違うようだ。

女の子のほうは、大学卒業後出会った彼氏と半年前まで2年間同棲していて、花屋さんで働いていて、そのうち結婚できたらいいなあと思っていたのに、突然彼氏がニューヨークに映像の勉強をしに行く、3年くらい帰らないとか言って出て行ってしまい、月15万のバイト収入ではそこに住めなくなる、かといって同じ大阪だけど実家(母親が再婚相手と暮らしている)に帰るのは彼氏を諦めてしまうことのようで嫌だというのでスナックでチーフとして働くことにした。ホステスには向いていなく、でもスナックみたいなところで働きつつ彼を待ち続けることで彼が反省し早く戻ってくるのではないかという望みによるものだと云う。よくわからない理屈だが、本人は真剣かつ必死である。客観視すると一目瞭然なのだが。

このなんとも云えない「残念」な感じのふたりの日常が交互に語られていくわけだが、読んでいくうちにその関係がわかってきて、ふーんと思う(別に感動的とかではない)。

成長記とか、明るい上昇の変化とかがあるわけではないのだが、中年男の職場に臨月の嫁をかかえた吃音の新人が来て彼とは話をするようになったりするのは良かったかな。最後の最後で思いもよらない展開が彼を待っているし。
女の子のほうの職場のスナックは店長・ママ、女の子たちすべて「あちゃー」という感じで、変というかなんというかもう滅茶苦茶なので、スゴイなあとびっくりしながら読んでいた。性格が悪くて嫌がらせをするとかはまったくないので暗くはないのが救いなのだが、わたしだったら1日も勤まらないだろうなあ。
とりあえず彼氏問題に決着が着いて、ママと通天閣に上って話をするシーンは感動的なのだけど本人はそんなので誤魔化されたくないようだ。うんまあ、失恋はつらいし、すんごくしんどいよね。

でも考えてみればこの「いい話」なエピソードでも重要な小道具として出てくるし、彼女の通勤は自転車だし、おお44歳の主人公の通勤も自転車であったぞ、しかも最終的に自転車ドロの汚名を着せられるというのもあるぞ。
そうか、この小説はタイトルの通天閣だけではなく、「自転車」も隠れた主役だったんだなあ。

解説は津村記久子。また変なところに感動したもんだなあ、やっぱちょっと変わってはるなあ、と思ってしまった。

2014/04/17

どちらとも言えません

どちらとも言えません (文春文庫)
奥田 英朗
文藝春秋 (2014-04-10)
売り上げランキング: 5,573

■奥田英朗
2009年2月~2011年3月頃「Number」に隔号連載されたエッセイというかスポーツコラム、2011年10月単行本刊の文庫化したもの。
単行本の装丁がいつもながらカッコ良くセンスが良くて、文庫も同じ写真を使ってくれてあってほっとした。
写真はArchive Photos/Getty Images.デザインは中川真吾さん。

軽い内容だとわかっていたので単行本購入をケチって文庫になるのを待ちわびて買ったのだがビバ・奥田英朗。面白かった! ただしやっぱ時事モノは同時期に雑誌連載で読むのが一番、無理でも単行本出版時くらいに読まないと新鮮味・臨場感に欠けるのはどうしようもなかった。
雰囲気としては『延長戦に入りました』に近いけど、あれより考察が深く渋くスルドクなっているような気がした。「面白いところに目をつけるな」という奇抜さよりは、「ほほう、なるほど、そういうことか」「へえー、そうだったんだ、知らなかった!」と教わることが多かったような。時にはなんとなくモヤモヤしていた感情にきちんと説明を付けてもらったり。それに、以前から言ってるけど奥田さんってサービス精神めっちゃ旺盛だから、笑わせてくれるんだよね。

わたしは特にスポーツ好きではないので詳しいことは知らないのだけど、それでも充分面白かった。逆に熱狂ファンじゃないから、冷静に、ちょっと引いた視線で分析してある奥田さんの説明に共感できるのかな。っていうか、スポーツについて語っているけど、社会全般として日本のマスコミの風潮とかにも話が及ぶから、わかりやすいのかも。日本人の芝生に対する貧相すぎる対応とかね。ほんと、公園に芝生ひいて「入るな」って意味わかんない。ジャイアント馬場さんが純粋に読書を楽しんでいらした、というエピソードも素晴らしい。そう、読書っていってもひとによって目的が違うんだよね、知識・教養の為とか実用的にする読書もあれば、ただ余暇の愉しみとしてするそれもある。本読まないひとにかぎって全部前者だと思ってるのがね、うっとうしいんだよな。

目次を書き写す。特に共感・面白かったものに★印。
PART1
スポーツにおける悪役の経済効果考。
プロ野球おやじの目に映ったJリーグ。
WBCでわかってしまったアメリカ式の行く末?
校歌好き早稲田大学は内輪で盛り上がる?
どれほど野球選手をリスペクトしているか。   ★
中年男子は昔日の雄姿にむせび泣く。
スポーツの階級と門外漢のジャパニーズ。  ★
広島新球場と日本人の芝生コンプレックス。  ★
プロ野球の監督には利権がいっぱい。
引退セレモニーはもういらない。  ★
スポーツチームはオーナーの道楽である。
いまこそ振り返る十二年前の恥ずかしい過去。
<<サッカーW杯狂想曲>>
改めて考える日本人サッカー不向き論。
根が深いスポーツの力関係。
サッカー、番狂わせゾーンの快楽
W杯でサッカー選手の顔を考える。
PART2
メダルの価値と五輪の大本営発表。  ★ 
用具はドーピング? ならば原点回帰を。  ★
結果待ち競技と観る者のジレンマ。
野球選手と名前の相性についての考察。  ★
嗚呼、花の運動部はどこへ行った。
我が国にもビート・ライターを。
ジャイアント馬場と柴田錬三郎。  ★
猛暑日と運動部の相性についての考察。
スポーツは報復合戦の宝庫なのである。
日本シリーズが国民的行事だった頃。
才能の配置は神様が決めるのだった。
”個性より基本”は日本人独特の価値観。  ★
スポーツにおける阿吽の呼吸について。  ★
スポーツの楽しみは、語る楽しみなり。  

2014/04/15

海うそ

海うそ
海うそ
posted with amazlet at 14.04.14
梨木 香歩
岩波書店
売り上げランキング: 713

■梨木香歩
真っ白な状態で扉をひらいた。
まず、見返しにいきなり地図。「遅島」とある。実在なのかなあ、と思いつつ見ると地図の左上のほうに四角で囲んで「海うそ」とタイトルと同じ言葉が書いてある。地名は囲んでいないから、ここで「海うそ」が出るとかそういう?っていうか「海うそ」って何だろう? 
この時点の想像では、「うそ」って「嘘」かなあと。「海に関する不思議なナニモノカ」かなあと。表紙の雰囲気などから『沼地のある森を抜けて』に近いイキモノをなんとなく想像していた。

目次。
龍目蓋―影吹 イタビカズラ/ヤギ 二階屋
龍目蓋―角小御崎 アコウ/ニホンアシカ モノミミ
龍目蓋―森肩 珊瑚樹/ミカドアゲハ 灘風
龍目蓋―波音―森肩 ミツガシワ/カモシカ カギ家
森肩―耳鳥 芭蕉/キクガシラコウモリ 耳鳥洞窟
耳鳥―沼耳 イタヤカエデ/コノハヅク 根小屋
沼耳―呼原 オニソテツ/ツマベニチョウ 良信の防塁
呼原―山懐 ハマカンゾウ/クイナ 口の権現・奥の権現
山懐―尾崎―森肩 ウバメガシ/イセエビ 恵仁岩
五十年の後
参考文献


★★★以下は、この物語の内容に触れた感想になっています。
ネタバレありです。
未読の方は、作品を最後まで読まれてからにしてください。★★★


読みはじめると、この物語の「私」は男性で、K大学の文学部地理学科に籍を置いている人物だとわかってくる。年齢はまだ若そう、三十代なかばといったところか。現地調査(フィールドワーク)のため、この島を回っているのだ。『f植物園』の雰囲気もあるかなあ、どちらにせよ『家守綺譚』とは違うようだなあと思いつつ読み進む。
地元の老夫婦の家に宿を借り、島のあちこちを見聞きして歩き、島に唯一立つ二階建ての洋館に住む老人(外国航路の客船に乗っていた)を紹介してもらって話をしに行ったりする。こういう展開は良いなあ、好きだなあ。
やがて本格的な調査のため、山に詳しい地元の若者と島の南部の山と遺跡をめぐる旅になり、「私」はかつて島に存在した宗教やその修行者たちの世界を垣間見る体験をする……。
最後の章までは、いつもの梨木香歩の世界というか、少し時代が前のこともあって(着物の柄物の半襟が流行とか出てくる。昭和初期、戦前の設定)、島のもともとあった宗教の迫害とかそういう問題は出てきても、基本的にのんびりした空気にひたって読むことができた。
だが、最終章を読んで衝撃を受け、これまで自分が読んできた「私」ってそういう過去を抱えていたのか、っていうか「慢性鬱」って、とてもそんな人物には読めなかったけどな、などといろんな感情で混乱し、途方にくれてしまった。それで滅多にないことなのだが、最後まで読んだ後、もう一度最初から読み直した。でも二回読んでも三回読んでも、この物語の主人公にそんなに問題があったとは思えない。ごく普通の、常識的な、年相応の、礼儀をわきまえた好人物としか思えないけどなあ。ちゃんと地元のひとと交流もしてるし。
とにかくまだ自分の中で全然消化できていないのだけれども、この小説は最終章である意味それまでの感想がひっくり返るような、本書のテーマってそれだったのか! ということが書いてある。
でもよく考えるといきなり五十年後になってる、って卑怯だよなあ。っていうか、いきなり五十年後になるのではなくて、その過程もそれまでと同じ濃度で書かれていたら、例えば新たな出会い、結婚、子どもが出来てそれをふたりで育てていく日常とかも出てくるわけで、そのなかで奥さんと「私」の関係もまた伝わってくるだろうし、読み手としてもいろいろ考えたり出来るよね。
だって144頁までは三十代で、145頁からはいきなり八十代のおじいさんになっちゃってるんだよ? それだけでもこっちはものすごくギャップがあるというか、しばらく戸惑うっていうのに、それであの許嫁に関する衝撃新事実が明かされるわけだもん。
梨木香歩大好きだし、この物語もすごく良かったので、決して文句を言っているわけではなく、ただ、びっくりして茫然として、どう理解していいのかわからない戸惑いの最中に今もある、そのうえでの感想だということをご了解いただきたい。
岩波書店のホームページにはこう書いてあった。
愛する人びとの死,アジア・太平洋戦争の破局,経済大国化の下で進む強引な開発…….いくつもの喪失を超えて,秋野が辿り着いた真実とは.
本書は,作家梨木香歩さんによる,東日本大震災後初の書き下ろし作品です.震災後,梨木さんは喪失というテーマと格闘し,この渾身の小説を書き上げてくださいました.ぜひご一読ください.〈創業百年記念文芸〉

なるほど、「喪失」…。
たしかに、両親を相次いで亡くし、その前に許嫁も死んでしまったということはこの物語の最初から何度か書かれてきたことで、特に許嫁のことは胸に堪えたらしく、動物の目を見てその瞳を思い出したりしていた。だけど、てっきり病死だと思っていた。自殺、しかも雪山に自ら入って凍死自殺というと全然違ってくるよなあ。
「死」は残った生きているひとたちにものすごい影響を与えてしまう、突然の死ならそれはもう凄まじく、というのは本書以外の小説を読んでずっしりと感じたことがあるテーマだったのだが、今回もまたそれを考えた。
いまのところの結論としては、許嫁の死の原因が秋野さんにあるとは思えなく、なにか彼女のほうにあったんじゃないかなと、それを知ったところで楽になるとかそういう話ではなかったかもしれないが、しかし彼のその後の結婚生活にまでずっと(おそらくはマイナスの方向に)響いてしまっていたというのはなんともやるせないなあ。

2014/04/13

戦後短篇小説再発見6 変貌する都市

戦後短篇小説再発見6 変貌する都市 (講談社文芸文庫)

講談社
売り上げランキング: 64,674

■講談社文芸文庫編 ■戦後短篇小説再発見
2001年に順次刊行された講談社文芸文庫の叢書のひとつで、『10表現の冒険』は数回再読して中の数篇は愛読している。しかしもう絶版になってしまっているのでもっと買っておけばよかったと思う今日この頃、ジュンク堂に行ったら期間限定再版というのがあったらしく、棚に並んでいた。アンソロジーは買ったものの読めなかったというもったいない経験が何度かあるので雰囲気買いはしない。
第6巻の出版社の紹介文には【孤独な人々の夢が集積する都市空間――焼跡の廃墟から大都市の砂漠まで、都市居住者の内面を捉える12篇】とある。

織田作之助「神経」 ★★★
戦後すぐくらいの大阪は千日前を中心とした日常風景、思考などの随筆風。話し方、喋り方の「型」の話ではじまって、宝塚のレビューを「男子一生の仕事ではない」とか今では到底メディアに載せられない暴論で腐し、天下の徳川夢声も貶す。誰彼個人がダメというのではなく「型にはまった喋り方」が気に食わないらしい。そこから劇場ファンでそこの溝で変死していた若い娘の話になり、ずるずるとそこらの商店やなんやの思い出話とつながっていく。飴屋と本屋。おおと思ったのは「波屋書店」が登場すること。そこの当時の店主「参ちゃん」と馴染みだったようだ。最初のほうは愚痴っぽいなあと閉口していたのだが途中から面白く読めた。特に自分が雑誌に書いた内容をある方向性(戦後だけどがんばって立ち上がる明るい面)に意図的に書いてしまった、と悔やんだり悩んだりするところらへんの心境などが良かった。それにしてもこのコテコテの大阪弁はもはやテレビの芸人さんくらいからしか聞けなくなったなあ。

島尾敏雄「摩天楼」
空想の中の架空の街、空をだんだん上昇していく妄想は少し「飛ぶ男」を連想したがだんだん悪夢っぽい展開になっていく(どんどん出口が塞がれていくとか個人の夢なのに似たパターンがあるなあと思う、何故だろう、人類共通の恐怖なのか映画などの影響か)。読み終わって「だからなんだと言いたいのだろう」と思ってしまった。

梅崎春生「麺麭の話」 ★
子どものころから戦中戦後の日本の話を読んでいていつも強く感じてきたことは「食足りて礼節を知る」ということで、「衣」も大事かもしれんがとにかく飢餓はいかん。明日どころか今日の食べ物も満足に無いという状況は人間から尊厳や情、思い遣りなどのあたたかみを奪ってしまう。この話の主人公は公務員だが貧しく配給は食料不足で育ちざかりの息子に満足に食べさせてやることも出来ない。空腹である。おまけにぎゅうぎゅうで身動きも儘ならないレベルの満員電車に乗っている。最悪だ。そこで重箱を抱えてよろよろしているお婆さん(自分より明らかに弱い存在)にいいがかりをつけ、わざと酷いことをしてしまう。読んでいて非常に息苦しく不愉快だった、現代でも満員電車は自分本位の巣窟みたいになっているからリアル過ぎて。
貧しくてパンを盗むというと『レ・ミゼラブル(ああ無情)』だけど、そこらへんがあるのかなあ。

林芙美子「下町」 ★
夫がシベリアから帰ってこなくて、幼い息子を抱えて慣れない行商をしはじめるおかみさんが三十歳で、話の中で「おばさん」と呼ばれていることが時代だなあと思う。知り合った男との交流にささやかな心の浮きを覚えていたその矢先の展開に「うーむ」と思う。でも最後のところで明るい表現になっていて、なんのかんのでたくましさを感じた。

福永武彦「飛ぶ男」 ★★
大昔の学生時代にその発想は気に入ったがカタカナ混じりの部分が読みづらくて一読したきりだったのを今更ながら真面目に読んだ。昔も思ったのだが、この主人公は病院のベッドで寝たきり(寝返りはうてるが体を起こして窓の外をみることは出来ない)という設定なのだけど、書かれているのは「体が不自由なこと」では無くて、もちろん闘病の話とかでもなくて、もっと比喩的な不自由、精神・こころ・思想なんかの不自由なんだと感じる。たとえば右側の風景(ドア・廊下に通じる・窓が鏡越しに見える)は過去で、左側(高い空が見える開けられた窓)は未来だという象徴が繰り返し書かれること、具体的な病気の記述が一切ないこと、医者や看護婦が人間臭さを感じさせない描写になっていること、見える範囲の「空」の描写、聖書を踏まえた描写やなんやかや総合的に観念的。

森茉莉「気違いマリア」
森茉莉には熱烈な愛読者が多いがわたしは苦手で、今回も途中からナナメにして読んだ。生理的に無理なのだ。下宿の洗い場が汚いのだとか嫌悪してるその詳細をいちいち書き込んでるのが読まされる身にも勘弁してくれという感じだしそのあとの「わたし令嬢育ちだけど案外さばけてるのよ」「敬愛する父が変わっていたのだから娘たるわたしも当然キチガイなのよね」式文章も読んでいて苦痛なだけだ。

阿部昭「鵠沼西海岸」
障害のある兄を持った弟(現在は大人)が少年時代のことなどを思い出したりしつつ手前勝手なことを延々語る話。最後に初恋の相手の女性からピシャッとした返事がくるので多少胸がすくが、どこまでも自分中心の思考でしかなく、これのどこらへんが「短篇の名手」なのか、よくわからない。少年時代の、他人に自分の家の中のことを知られたくないという感情はわからないでもないが、大学生になった年にその兄が亡くなって、三十過ぎの現在はあまり幸せでない状況に陥っている。それを、いまさら初恋の少女に手紙を書き、「彼女に会いに行くことで、僕はこの不幸から抜け出せるような気がしていたのだ。それに、おかしなことだが、僕は彼女のほうでも僕のこの人生の出発を辛抱づよく待っていてくれていると思い込んでいたのである。」とあるんだから、呆れるばかりだ。1969年に書かれた話。この作品の良さが全然わからない。
 
三木卓「転居」
最初薬屋さんの女店主の話でそれがらみの展開があるのかと思ったらそれはそこまでで、引越しのために近所の商店街をまわって集めた段ボールを自分の狭いアパートの部屋に運び入れたあたりからちょっと雰囲気が変わってくる。荷造りするために書棚や押し入れの中にしまってあったものたちを出していくと、それはすなわちそのモノにまつわる過去の出来事やなんやかやが連想的に思い出されて、そしてそれはこの主人公にとって全然楽しいことではないというかむしろ苦しい悲しいものらしかった。

日野啓三「天窓のあるガレージ」 ★
反抗期の少年の「城」は家の横にある車を留めなくなったガレージだった。父親との反抗期特有の会話とかが(いまやどっちの気持ちもわかるから)親って大変だなあ、でも思春期って少年自身もしんどいよね、としみじみ。おとなになってしまえばあれはなんだったんだという焦躁の日々。蜘蛛の描写がちょっと思わせぶりで妙な色気があって面白い。なんでかなあと考えていたら梨木香歩『家守綺譚』に出てくるカラスウリの話で家守の主観に入れ替わっていたというエピソードを連想させたからのようだ。

清岡卓行「パリと大連」 ★
パリをモデルに作られた町・大連で育った著者にとってパリを歩くことはいたくノスタルジーを刺激される体験であったという話。植わっている木のことを役所に聞きにいって、それが日本の槐(エンジュ)だったことで、不思議な感動を覚えたという話が良い。

後藤明生「しんとく問答」 ★★
大阪府八尾市の遺跡を訪ねたルポっぽい内容で、「写ルンです」という固有名詞が頻出する。文学散歩などが好きなので、歴史散歩の細かい具体的な描写(道を尋ねたときの相手の反応とか、フレームにうまく対象物が入らなくて四苦八苦するさまなど)なかなか面白かった。

村上春樹「レキシントンの幽霊」 ★★★
村上春樹の単行本で既読で、好きな話である。あらためて読んで、やはりこれだけ群を抜いて好きというか、別格というか、次元が違うような新しい時代、みたいなものを感じた。まあ日本じゃないっていうのもあるんだろうけど。舞台が日本で日本人の友人の家の留守番をしたときの話だとしたらと想定すると全然違ってくるよね。そういえば小学生のころ読んだ学研の『ゆうれいとおばけの不思議』とかいう本(タイトルは不正確)に「日本の幽霊は単独で、外国のそれは複数で出ることが多い」って書いてあったような記憶が……。っていうかもし外国でもたとえば先祖ひとりの幽霊が主人公の枕元に立った、とかいう話だったらまた全然違うわけで。
あとこれ、完全に「夢だった」という読み方も出来るんだけど文中の語り手はその可能性にはいっさい触れないのはもう絶対的に自信を持って「現実」だからなのか。
なにげに犬のマイルズ君が存在感あるというか、可愛い。夜中に水を飲みに起きたらそれに気づいて「嬉しそうに」身を摺り寄せてくるとかなにそれその超絶可愛いケナゲな存在!って感じ。坂田靖子『バジル氏の優雅な生活』に出てくる変わり者の友人宅の盲目の犬も同じ名前なんだけど、偶然かなあ。 

2014/04/10

青豆とうふ

青豆とうふ (新潮文庫)
安西 水丸 和田 誠
新潮社 (2011-06-26)
売り上げランキング: 23,143

■安西水丸・和田誠
当代きっての文章も書くイラストレーターふたりが交互に文章係と絵描き係をやったというなんとも楽しい企画本。内容しりとりになっている。
2003年9月講談社刊の単行本が2011年6月新潮文庫になったもの。
「青豆」というと『1Q84』(2009年5月)のヒロインの非常に印象的な苗字として記憶に鮮やかだが本書の名付け親はまさしくその村上春樹。安西さんが居酒屋で村上さんに連載のことを話し、「ひとつ、タイトルを……」と頼んで、ちょうどそのとき食べていたつまみが青豆豆腐だったところから付けられたんだそうだ。このエピソードについては和田さんのまえがき、安西さんのあとがき、文庫特典の解説?的おまけで村上さん自身と三度にわたって書かれていて、それぞれの書き方に人柄が出ていて面白い。
安西水丸や和田誠のイラストはあちこちで目にしていたけど、文章をまとまった形で読んだのははじめてだった。安西さんの経歴ってなんていうかバブリーというか、おしゃれの最先端って感じだなあ。電通勤務後ニューヨークで仕事して…とかカッコ良すぎるけど、イラスト見てる限りそんなキレキレのひとが描いたとはとても思えない力の抜け加減なんだよね。イラストレーターの仕事を見ていて思うけど、「絵がうまい」ってなんなんだろうなあ。デッサンとかが狂ってないとか正確だっていうのが重視される分野・場合もあるんだろうけど、そうじゃない評価基準っていうのが絶対あるよね。味っていうか、雰囲気っていうか、センスっていうか。
文章は気軽に読めるエッセイで、映画やアイビーファッションなどの話など。特に印象に残っているのは怪奇的体験(結局なんだったんだろうと気になる)、ファンレターの話(後年ご本人に会って手紙を見せられたというのがすごい)、寺山修司さんの話(腰の低い方だったんだなあ)など。取材の話で言ったことがめちゃくちゃ捻じ曲げられて伝えられるのが「ええっ」という感じなんだけど、そういうことって別に珍しいことでもなさそうに書かれているのでそういう面にも「ええっ」。いいのかそれで。
ちなみに和田さんは1936(昭和11)年生まれ、安西さんは1942(昭和17)年生まれで、つい先日(2014年3月19日)鬼籍に入られた。本書を購入して数日後の訃報だったので、非常に驚き残念に思った。あらためてご冥福をお祈りしたい。

以下目次(新潮社のHPからほぼコピペ)。
まえがき :和田誠
安西 ハゲの話
和田 ハゲの話→カツラ→編集長の伝説→取材の話
安西 取材の話→建築家→フランク・ロイド・ライト
和田 フランク・ロイド・ライト→映画の中の建築→ループタイ→アシモフ→カレル・チャペック
安西 カレル・チャペック→ロボット→理科室の人体模型
和田 理科室の人体模型→山口百恵→美空ひばり
安西 美空ひばり→似顔絵→スノードーム→ワールド・トレード・センター
和田 ワールド・トレード・センター→キングコング→初めてのNY→お小遣い
安西 お小遣い→よい子の会→GIキャップとアメリカ兵→英語向きの声→市原悦子
和田 市原悦子→昔観た舞台→来日したシナトラとビートルズ→寺山修司
安西 寺山修司→サラリーマン時代の失敗→芸の話
和田 芸の話→学生時代の歌
安西 学生時代の歌→予言→占い
和田 占い→怪奇的体験
安西 怪奇的体験→白い着物の女→騙された話
和田 騙された話→得な人柄→ニセモノ
安西 ニセモノ→京都好き嫌い→ファン
和田 ファン→ファンレター→淀川長治→ジェイムズ・ステュアート
安西 ジェイムズ・ステュアート→IVYファッション
和田 IVYファッション→ブルックス・ブラザーズ→マルクス兄弟→アルファベット順とアイウエオ順
安西 アルファベット順とアイウエオ順→カシオペア座→ニックネーム
和田 ニックネーム→和田違い→粋な計らい
安西 粋な計らい→食い逃げ→ローマ→映画で観た景色
和田 映画で観た景色→俳優の歳のとり方→ハゲの話
あとがき :安西水丸
『青豆とうふ』文庫版のおまけ 村上春樹

2014/04/07

人質の朗読会

人質の朗読会 (中公文庫)
小川 洋子
中央公論新社 (2014-02-22)
売り上げランキング: 6,164

■小川洋子
本書の単行本は2011年2月25日刊。
神秘的な雰囲気な真っ白な小鹿?が印象的で、その少し前に出て書店でみかけて素敵な装幀だなと覚えていた『こちらあみ子』(2011年1月12日刊。迷ったけど結局未読)とおそらく同じ作家さんの手による。
土屋仁応という方の作品で「小鹿」(2010年)が「人質」、ググったら「あみ子」のは「麒麟」だそうだ。

当時、小川洋子の新刊ということでぐぐぐっと引き寄せられたのだけど、「人質の」というのに引っかかってしまって、実際内容はタイトルどおり人質になってしまったひとたちの「朗読会」らしかった。しかもその人質たちが最終的には助からない、という設定であることも書評誌かなにかで知ってしまって、そういうのはちょっとしんどそうでつらいからひとまず保留にしておくか~ということにしたのだった。

今回文庫化したので、気にはなっていたので、読んだ。
帯がついていて、WOWOWでドラマ化したらしい(2014.3.8放送済み)。ふーん。
それがらみで、解説は主演の俳優、佐藤隆太さん。
「大切なのは、じっと耳を澄ませること /それは絶望ではなく、今日を生きるための物語」というコピーが書いてある。「じっと」というのは小川洋子っぽいというか、キイワードだよなあ。

それで読んでみたらやっぱりすんごく「小川洋子ワールド」なのだった。
最初に短い章があり、人質が全滅してしまうことが申し渡される。
どうしてそういう状況で「朗読会」が? というのが疑問だったのだけれども、それについての説明を読んでああそういうこと、と思えた。

  今自分たちに必要なのはじっと考えることと、耳を澄ませることだ。しかも考えるのは、いつになったら解放されるのかという未来じゃない。自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ。それをそっと取り出し、掌で温め、言葉の舟にのせる。

そのうえで、次の章から人々が1つずつ、自分の中にある思い出を語り始める。
話の一番最後にそれぞれの現在の職業・年齢・性別と、この旅行に来た理由が記してある。短篇を読んで、ああその後そうなったのね、というのがそれぞれ確認出来て、読み終わった後にもうひとつ「書かれなかった」そのひとの人生の期間についてしばし思いを漂わせる。しっかり根を下ろして成功したんだ、とわかるケースが多くて、なんだかそれで少し救われたようなほっとするような気になる。年齢がすなわちそのひとの享年であるとわかっているから、余計に。

第一夜 杖 ・・・太った男についての粘着的な描写が小川洋子っぽいなあという感じ。因果っぽい話だったから全篇こんな感じなのかと少し思ったがそうではなかった。
第二夜 やまびこビスケット ・・・何故こういう大家さんに自ら接触の機会を増やしていくのかなあ、性格が違うなあと思った。ビスケットの型が気味悪い系が多いのが著者らしいなあと。内臓型のビスケットとか…。  
第三夜 B談話室 ・・・なんだかこういう夢がありそうな。どんどん自分の番が近づいてくる。同じ会に続けていくんじゃなくて次々変わっていくのが意外だった。どれも少しずつ奇妙な、現実には無さそうない会だなあ。       
第四夜 冬眠中のヤマネ ・・・ぬいぐるみがおじいさんの手作り。目が作者と同じに潰してあるというのは堀江敏幸『熊の敷石』を思い出した。背負って競争の展開にはおどろいたな。
第五夜 コンソメスープ名人 ・・・このコンソメスープを飲みたいかと云われると……。小川洋子が料理を書くとこうなるんだねえ。呪詛入ってそうというかなんというか。
第六夜 槍投げの青年 ・・・これも一種の「よろめき」なんだろうか。
第七夜 死んだおばあさん ・・・この語り手はいったいどういうひとなんだろうと思った。最後のつけたしが書いてあるところがやっぱり意味を持たせたいのかなあ、有ると無しじゃ違ってくるけど、うーん。
第八夜 花束 ・・・どんな形であれ、こういうふうに終わるとは予想していなかった。良い話、というのとも微妙に違うんだけど、でもなんだか清々しいというか、語り手がすっきりできて良かった、かな。
第九夜 ハキリアリ ・・・これだけ人質が語った物語ではない。最初に読んだときは9つある話にもう1つ付け足された、というだけの気持ちで読んで、最後まで読んで、結局この本は「最終的に助からなかった人質たちが語った」という設定にする意味があったのか、別にふつうの「朗読会」じゃいけなかったのかとモヤモヤした片付かない気持ちになり、もう一度本書を端からぱらぱらと見直して、最終話の最後のパラグラフをふたたび読んで、やっと「ああ、そうか、そういう意図だったのか」と思ったが、でも納得というのではなくて、少々慄然としたというか、なんともいえない「怖さ」というか、小川洋子の容赦なさ、怜悧な底恐ろしさみたいなものを感じて、わたしはこの物語をどう扱っていいのか少々持て余したままだ。

  各々、自らの体には明らかに余るものを掲げながら、苦心する素振りは微塵も見せず、むしろ、いえ平気です、どうぞご心配なく、とでもいうように進んでゆく。余所見をしたり、自慢げにしたり、誰かを出し抜いたりしようとするものはいない。これが当然の役目であると、皆がよく知っている。木々に閉ざされた森の奥を、緑の小川は物音も立てず、ひと時も休まず流れてゆく。自分が背負うべき供物を、定められた一点へと運ぶ。
  そのようにして人質は、自分たちの物語を朗読した。


ひとつだけ言えることは、最終的には死が待っているけれど、自分の人生の物語を書いている時点では死は確定されたものではなくて、書いている当人もまだ希望を持っていて、じっと目と耳を研ぎ澄ましていまと過去を見つめてそれをノートに書きつづっていた少女がかつて存在し、その日記はこの「人質たち」と同様にやはり死後に出版されて多くのひとに読まれた。アンネ・フランクのことであり、そして小川洋子は彼女の熱心な愛読者・探究者として有名である。このことは絶対に無関係ではないと思う。


アンネ・フランクの記憶 (角川文庫)
小川 洋子
角川書店
売り上げランキング: 133,145

こちらあみ子
こちらあみ子
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今村 夏子
筑摩書房
売り上げランキング: 161,044


2014/04/04

問いのない答え 【再読】

問いのない答え
問いのない答え
posted with amazlet at 14.04.03
長嶋 有
文藝春秋
売り上げランキング: 24,985

■長嶋有
今年の1月に読んだ本をもう再読してしまう。
こんなに早く「再び読む」というのは異例なんだけど、別に深い理由とかはなくて、単に自室の本棚の「長嶋有コーナー」の幅に入らなくて棚ざしではなくその部分に平置きしてあったから目に留まりやすくてなんとなく手に取って読みはじめたらやっぱり面白いのでそのまま続けて読んだんである。さすがによく覚えているんだけど、読んでいる最中にファスナーが開いていくように(という比喩は変だけど)思い出していく場所もあって、やはり記憶にばらつきがあるのだな、というのを実感した。

二度目の感想だからどう書こうかと思って、まず一度目も思って書き忘れたことを最初に急いで書いておくと、文中に京都の一乗寺の雑貨屋みたいな本屋が出てくるんだけどそれってココのことだよね?恵文社一乗寺店。叡山電鉄とは書いてなくて、「地下鉄を乗り継ぎ」って書いてあるんだけど、しかも「雑貨屋」って書いてあるんだけど。叡山電鉄に乗りながらそのことに関する記述がまったく無い、っていうのは不思議な感じがするんだけど、うーんまったくそういうのに関心なかったらそんなものなのかなあ(わたし別に鉄ちゃんじゃないけど変わった路線とかには萌える)。

もうひとつ記しておきたいのが本書でなるほどな、ふーむ、長嶋さんはこれを書きたかったんだと(勝手に)思ったシーンで、それは「フキンシンちゃん奮闘する!」の章で114頁から120頁くらいのところで書かれていることなんだけど全部は無理なので部分的に写させてもらう。

  今、思う。いいけど、約束できるけど、それは実はおやすいごようなんかではない。(中略)
  私のことを忘れないでいてくれる? というのは大変な願い事だ。
  だって、忘れてしまう。私のことを好きになってとか友達になってという願いに似た欲求のようだけど、まるで違う。榴美の願いに対し明らかに不当な要求をしたことを、言われた榴美自身が気づいていない。
  悲しいことや辛いこともすべてを覚えていたら人は生きていけない。忘れるというのは人間にとって大事な作用なのだ、とかいう。誰がというのでなしに、大勢が。
  そうなのかもしれない。
  他方、忘れないようにという警句もこの世界にはたくさんある。ノーモア、ノーモアっていう。碑を立てて頑丈な石に彫り込む。(中略)
  私のことを忘れないでいてくれる? と願うことは、本当に約束を守ってもらえると期待していることをまるで意味していなかった。(中略)
  忘れてしまうのも、忘れないでという重い要求の重さが伝わらないのも、榴美だけでない。友達になってという言葉と同じように受け止めただろうし、当然だ。


ここを読んで何が心に響いたかというと、世の中でわりとよく気軽に出てくるような「忘れないで」という約束や「忘れてはいけない」といういましめのワードを言うほうも言われるほうも、実はそんなに真剣に重く深く、言葉通りに守り切ろうという決意を持って発信しているわけではないんじゃないか、実はそれはもっと凄い意味を持った言葉なんだよ、という長嶋さんのような言葉に対して誠実にむきあっている作家からのメッセージを感じ取ったような気がしたからだ。こういう繊細さというのかな、そういう面があるから長嶋有の小説というのはいっくらほのぼのしたり飄々としてみせたりしたって、心に入り込んでくるんじゃないのかなと思う。

今回再読して、やっぱり少佐とクニコさんがダントツで好きだなあと思った。一二三ちゃんも良い。
いつか、クニコさんとか少佐が主人公のお話が読めるといいなあ。