■アリス・マンロー 翻訳:小竹由美子
表題作を含む10篇収録。
マンローは数年前に2冊読んで「小説は巧いけど、あんまり好きではないなあ。だってこの人絶対性格悪いよなあ」という感想だったがこのたびノーベル文学賞を受賞したというので再評価すべきかと久しぶりに読んでみた。
短編だけど、ひとつひとつが重いというか深いというか、噛み砕いて嚥下し、消化するのにものすごいエネルギーが要る感じ。
昼休みに少しずつ、ゆっくり時間をおいての吸収で。
結論としては、印象は変わらず。
以下はストーリーの内容にふれた上での感想になっています。
ネタバレあり。白紙で読みたいという未読の方はどうぞスルーしてください。
「次元」
いったいこの女の人の身に何が起こったのかは伏せられていて、読んでいくうちに徐々にわかってくる。セラピーに通わなくてはならないほどの精神的ショックを受けたということは相当な悲劇だろうと予想し身構え進んでいく。男の異常な性格がわかるがそれに唯々諾々と従っているこの女性もふつうとは思えなくて、「事件」の後も夫の面会に通い続ける気持ちが理解できなかった。そして最後の最後であの展開。びっくりしてしばらくページを見つめて考え込まねばならなかった。はあ、そういうもんなの、人間ってそういうふうに変わるときがある? しかし不思議と説得力があるのだ。
「小説のように」
ふたりとも賢くて、現代的で、同志のような気持でいた夫婦だったのに、夫はいつのまにか心変わりをして全然垢抜けない子持ちのダサい女と暮らすことを選んでしまった。自分のほうが美人で有能でイケてるのに! 主人公のプライドはズタズタ。
というのが前半で、後半はいきなりそれから何年(何十年?)も経った時点の、裕福で社会的地位も教養もある夫との落ち着いた暮らしをしている主人公になっている。現在は満ち足りた生活である彼女はある日パーティでひとりの若い娘の顔が妙に気が障ることに気付く。そして後日その娘の書いた本を見つけて読む。そこにはあの頃の自分が書かれていた……。
前振りの衝撃と、その後の幸せ、それをつなぐ「いまに至る期間」についての説明が一切無いことが、著者の意図なんだろうなあと思う。自分の拠って立つべき自信を奪われ、地にはいつくばった主人公がどういうふうに再生したのか、その苦悩の期間がすぱっと省略されている。だからこそ、幸福である「いま」に「昔」が入り込むその些細なとげが主人公にとって気になって仕方ないのだということがよりわかりやすくなっている気がする。
双方複数の離婚と再婚をしていて、それぞれに前妻前夫がいて、そのみんなが集まって談笑するパーティが出てくる。わからん。そこまであっけらかんとしてるものなのかなあ。カナダだからかなあ。
「ウェンロック・エッジ」
ルームメイトのニナは若いけれども既に波乱万丈の人生を送ってきていた。早すぎる妊娠、出産、男の出奔を経ていまは性格の歪んだ金持ち老人に囲われている。女子大生である主人公はある日、その老人から食事に招かれる。屋敷に行くと秘書から全裸になることを命令される。しかし結局老人は彼女に指一本触れるでもなかった……。
なんなんだろうこの話は。変態?でもそれが主眼じゃないのよね。変な話だよなあ。人間の尊厳とかそういうことかなあ。命令されて聞いてしまった時点で実害がなくとも精神的トラウマは残る、自分はそういうことに従ってしまったのだという悔いと共に思い出すっていう……。恐いわねえ。
「深い穴」
家族でピクニックへ行き、ふざけて深い穴に落ち両足を折って意識を失った長男を父親が助けに降り、母親がひっぱりあげて助けた。めでたしめでたし、という話ではなくて、その少年は穴に落ちる前からちょっと独特の思考をする感じだったのだけど、長じて妙な団体とか思想にかぶれていって家族や社会的な輪から完全にはずれていく。父親は完全に息子を切り捨て、母親は戸惑いつつ会いに行ってやっぱりわけがわからないと絶望する話。
なんだかなあ。説明出来ないんだけど、この息子、大嫌い。
「遊離基」
Kotobankによれば、遊離基とは【フリーラジカルfree radicalまたは略してラジカルradicalともいう。通常の分子は偶数個の電子をもち,これらが対をつくっているが,遊離基には全体として奇数個の電子が含まれ,対になっていない電子がある。】とのこと。
主人公は老いた女。癌を患っていて、当然自分が先に逝くだろうと思っていたら健康診断もバッチリだった夫があっけなく突然死してしまって、だれも自分の気持ちなどわからないと慰めに寄ってくる周囲をわずらわしく思っている。
この家に家族3人を身勝手な理由で殺害したキチガイ野郎がやってきて……。
強盗相手に主人公が身を守るために昔の夫の女の話とかして毒殺したとか嘘をつくんだけど、例えばクリスティーのミステリだと間違いなくこの主人公は強盗を殺すことになるんだけど、最後のあれはえーと、事故?それとも?
「顔」
顔半分に大きな痣を持って生まれた少年が主人公。
父親は彼の存在を否定し、母親は彼を溺愛し、学校にもやらず甘やかして育てた。
敷地内の小さな離れには父親の愛人?とその娘がいて、少年と少女は仲の良い遊び友達だった。が、ある日少女が赤いペンキを顔にかぶり少年の模倣だとしたことから二人は決別することになる。少女はふざけてやったと思っていたが何年も経って少年が大人になってからある事実が明かされる……。
この少女の愛というかなんというか、は凄いなあ。でも幼すぎて、どうなんだろう、長じて彼女は自分の頬の傷をどう思っていたんだろう。
「女たち」
田舎の村に、白血病の夫とその妻と妻の母親が住んでいて、主人公はその家に週何回か手伝いにいく下女みたいな立場。この妻は大卒で大学教授というインテリで、古い因習に固まった村人や主人公の母親は陰口をたたいていた。
この家にやたら陽気で人懐っこいマッサージを専門とする女が出入りするようになる。妻と主人公以外はこの女を受け入れているように見えたのだが……。
女の戦い?だわね。水面下の。めちゃくちゃ微妙な人間関係とか好悪の微妙な変化、食い違いみたいなものを実に巧く掬い出して描いてある。こんなの書くかあという感じ。あるよね、みんなに好かれている明るいひとだけどでも自分はなーんかイヤなの、みたいな。
「子供の遊び」
2週間の夏季キャンプで出会って、偶然同じ帽子をかぶっていたことや名前が似ていたことから双子のように扱われ、仲よくなったマーリーンとシャーリーン。いろんな打ち明け話をして秘密などを話していくなかで、主人公は自分の家(二世帯住宅みたいな感じで日本のように親子ではなくて他人が住んでいる)にいる障害児学級に通う少女ヴァーナが自分に関心を持ってつきまとい、周囲の大人にとっては些細なことだけれども自分にしたら脅威でいじめられているとしか思えないことをしてくるから理屈抜きで嫌悪感を持っているのだと打ち明ける。そしてそのキャンプもあと数日で終わるというときになって、障害のある子どもたちが彼女らのキャンプに合流し、その中にヴァーナもいた。
大人たちの、ハンデのある人間への対応と、それを「偽善」と断じる主人公の子ども視点、ただ本能的にヴァーナを恐れ、キャンプでも目を合わせないように逃げる心理などが克明に描かれていて、容赦がない。マンローの視点はこれを認めているわけではないし、これを読んで「差別だ」というのは明らかな読み間違いであるが、例えばこれをそのまま日本のテレビで放映することは不可能だろうなあとは思う。
主人公ともうひとりの少女はその夏、ある罪を犯し、そしてそれは表面化することなく彼女らは成長し、大人になった。現在ひとりは病により死の床にあって、懺悔し許されることを願っている。しかしもういっぽうの主人公は……。
よくこんなの書くなあ。
「木」
いろんな樹木にすごく関心があって大事に考えているロイ。
家具の布張りや表面の磨き直し、椅子やテーブルの修理もするけれど、それよりも彼にとって重要なのは森を歩き、木を見て回り、薪になるものを切り出していくこと。
森林を持っているひとと個人的に交渉して許可を得て、ひとりで入って行って仕事をするのだ。ちょっと危ないなあと思っていたら案の定というか、商売絡みの心配事に頭を悩ませていたからなのか、ふつうだったら考えられない初歩的なミスをしてロイは森の中でバランスを崩し、結果的に足をかなり痛めてしまう。立ち上がることさえ困難な状態で、這って戻ろうと努力するロイを助けにきたのはなんと妻であった。彼女は昔は陽気で活気があったのだが、最近は鬱のようになっていて、暗く考え込んでいることが多かった、その妻が、というのがおおおという感じ。
木があると寄って行って撫でてしまう木材フェチなので、萌えながら読んだ。ロイみたいに見ただけで何の木かわかるほど詳しくはないので、ロイの樹木への愛はすごいなっと面白く読めた。
「あまりに幸せ」
これはフィクションだけれども、実在のロシアの女性数学者ソフィア・コワレフスカヤの実際の人生を下敷きにしてあるらしい。
短篇というか中篇だけど、登場人物が多く、おまけに時系列が現在と過去を行ったり来たりしてややこしい。しかもコワレフスカヤさんにはなんの関心も無いんだもの! 「壊れやすい」みたいな名前だわね、とか思いつつざっと読んだけど、整理しようと思ってウィキペディアで彼女の人生の概略を見たらその段階で既にめちゃくちゃややこしかった。1850年1月15日~ 1891年2月10日。
【当時のロシア人女性は国内で高等教育を受けることができなかった。しかも夫や父親の許可証なしに家族と別居して外国へ行くこともできなかったのである。そのため、ドイツやフランスの大学へ留学することに憧れていた上流階級の進歩的な女性たちの間では、やむをえず偽装結婚する者が多かった。】とウィキペディアにあるが、こういう時代だったからこそ彼女の人生は波乱万丈にならざるを得なかったと言えるかもしれない。