2013/06/30

活字狂想曲 ――怪奇作家の長すぎた会社の日々 【再々読】

活字狂想曲―怪奇作家の長すぎた会社の日々
倉阪 鬼一郎
時事通信社
売り上げランキング: 269,625

■倉阪鬼一郎
1960年三重県に生まれる。
早稲田大学第一文学部文芸科卒業、同大学院日本文学専攻中退。
大学職員、ガードマン、学習講座営業、フリーライターを経て某印刷会社に途中入社し、版下文字校正係として11年間勤務。この11年間の後半9年間にわたって同人誌「幻想卵」に連載された「業界の極北で」をもとに、全面的に改稿、適宜注釈を加えて1999年3月に上梓されたのが本書である。

今回3回目の通読をしたわけだが、やっぱりめっちゃ面白かった。
校正への興味があってそれも面白いんだけど、同時に著者が就職していた企業というのがかなりコテコテの「日本のカイシャ」で、毎朝朝礼があって目標を全員で身振り手振りつきで言ってカツを入れたり、QC活動なる業務に熱心だったり、いろいろ「濃ゆい」のである。そんな環境に反サラリーマン精神のひとが入っちゃった日には大変である。眉間に皺を寄せ、「度しがたい」「耐えがたい」と内心唱え続ける破目になる。これは、本人にとっても苦行であったろうけれど、雇った企業側、特に職場の同僚や上司にとってもかなり苦労の種であったろうことは想像に難くなく、双方にとってしんどかったろうなと思う。
そんな間違った場所に行っちゃった日々を綴った本書は、しかし猛烈に面白いのである。ユーモラスで、皮肉が利いていて、共感したり、ちょっと呆れたり、ときどき吹き出しそうになりながら楽しめる。文章そのものが味があって、良いんだよね。



活字狂想曲 (幻冬舎文庫)
活字狂想曲 (幻冬舎文庫)
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倉阪 鬼一郎
幻冬舎
売り上げランキング: 136,254


2013/06/28

世界音痴 【再読】

世界音痴
世界音痴
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穂村 弘
小学館
売り上げランキング: 46,099

■穂村弘
本書は、歌人穂村弘が2002年4月に出版したエッセイ集である。
穂村さんは1962年5月生まれ。文中には「38歳」という記述が何度か出てくる。そして当時はまだ独身で、会社員で、総務課長(最初「代理」だったが途中からそれが取れた)という自己紹介も。

穂村さんについての印象だけど、いろいろな媒体からのイメージを総合すると、①自分好き②女の子好き③家事全般ダメ という感じで、この本の段階ではご両親と同居していてお味噌汁ひとつ飲むにしてもお母様から「熱いよ」と声がかかるくらい世話をやかれている。ベッドの中でチョコの入った棒パンを食べてたり。随分甘やかされてるなあ、と思う。駅のエスカレータに乗りながらアンパンを食べるくだりなど、えええええ。という感じ。
だから本書を最初に読んだときには穂村さんはずっとこんな感じで自由恋愛して気ままにいくのかな、と思った。数年後、2005年に歌人で図書館司書のよしだかよさんと結婚されたと知ったときには正直、かなり驚いた。ほむほむも、身を固めたのか。どういう心理的変化があったのだろうといろいろ忖度したが、まあつまり、人間一寸先は闇。どこでどうなるかわからない、ってことかな(なんて大雑把な)。

初出紙は複数あるが、この本に収録された大半は日本経済新聞「プロムナード」に2001年1月~6月に連載されたもの(189ページ中128ページまで)。一番古いものは1994年の「短歌研究」。その他「信濃毎日新聞」「共同通信」「角川短歌」「中学教育」「Paju」「中部短歌」「キネマ旬報」「歌壇」「ユリイカ」、書き下ろしもいくつかあり、初出に加筆もなされているらしい。

穂村さんは、漫画家・吉野朔実さんと交流があり、彼女のエッセイ漫画に登場したときに(うろ覚えだが)こんなやりとりがあったのを覚えている。吉野さんが『酸素伯爵』というタイトルの本のことを知り、どんな内容か想像しているときの話だ。

 穂村「一般的には、そう思うんじゃない?(伊達眼鏡を指で押し上げつつ)」
 吉野「…一般的?(傍点付き。吉野さん、腕組みして不審げに眉をひそめる)」
 穂村「…僕は、そう思ったけど」
 吉野「じゃあ一般的じゃないじゃない」

――あ~穂村さんってそんな感じなんだ~。わかる気がする~。と、思った。
10年以上前の本を読みかえしたわけだが、予想以上に古さを感じず、記憶にあったとおりやっぱり面白いなあ、と楽しく読んだ。穂村さんの文章って、別に普通のことを書いているんだけど、なんていうか行間からも女性ズレしているというか、ある種の女性から何故かモテて、そういう女の子と軽くさらっと付き合える、という印象がビシバシ伝わってきて(印象ですあくまで、事実を知っているわけじゃないから)、なんだかそこはかとなく色気がある、ざっくばらんに云うならばなんだかエッチだよねー(暴言?)。

装丁:若瀬聡 カバー写真:小林キユウ 撮影協力:神保町「まわるお寿司 うみ」

2013/06/27

嵐のピクニック

嵐のピクニック
嵐のピクニック
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本谷 有希子
講談社
売り上げランキング: 46,267

■本谷有希子
初めての作家さん。本屋でぐるぐるしているときに帯に「大江健三郎賞受賞」とあったので興味を引かれ、最初の話をぱらっと見るとピアノレッスンの話だったので、懐かしく感じ、読んでみたくなった。
調べてみたら、このひとは劇団とか主宰していて、いろいろ芸術方面でマルチな活躍をされているらしかった。
デザインがジュディ・バドニッツ『空中スキップ』(白水社)を連想させるが、中身もそんな雰囲気があった。装丁が両方とも芥陽子さんで、納得。イラストは青山くるみさん。

アウトサイド 
自宅でピアノを教えている先生の狂気の話。わたしは個人宅でしか習ったことがないので、いろいろ思い出しながら読んだ。主人公がバカすぎる。後半の展開が急すぎて、しかもつまらない。わたしが読みたいのは先生の話であって、主人公のことはどうでもいいからだろう。書き出しの調子から私小説系の話かと思って読んでいたらそうでなく、前衛だった。

私は名前で呼んでいる
広告会社のばりばりキャリアウーマンの話。カーテンのふくらみの中の存在の話。幼いころからの妄想(?)は良かったが、仕事中に他のことを考えて部下を振り回す描写は不愉快。この終わり方は安部公房「棒になった男」を何故か思い出させた。

パプリカ次郎 
外国映画のアクションシーンの背景側にいる露店主から見たらの話。この発想はすごいなあ。「のり」で人間にくっついていくというのもすごい。

人間袋とじ
足の薬指と小指をくっつけようとしていたというのはしもやけになったことがあるひとにはリアル。指が膨らんでしまうのだ。でもこれはそれがメインではなく、若い男女の話であった。女が男に醒める瞬間が書いてあって、面白い。

哀しみのウェイトトレーニー 
マンネリ気味の夫婦の会話から始まり、どんどんボディビルディングを極めていく妻の話、仕事先に犬がきてそれを止められる能力はあるけどその発想がまったくなくて、でも周囲は理解してくれずに冷たくなる、という、こういう繊細なものが書けるというのは素晴らしいと思う。

マゴッチギャオの夜、いつも通り 
この話を読んで最後のオチの付け方に本当に感心した。ただの猿とチンパンジーと人間の話ではないのだ。

亡霊病 
「病」とあるけどかかったら30分から1時間で悪化して死に至るんだからほとんど急死。しかも直前まで意識があってどんどん蝕まれていくのがわかるこれは怖い、はずなのに何故かユーモラスなお話。エクトプラズマを出しながらびゅんびゅん凄まじい速さで移動している絵を想像するだにおかしい。

タイフーン
大風に逆らって傘をさそうともがいているひとたちは実は!?それにしても何故クッキー。

Q&A
女性雑誌の型にはめられたスタイル賛美への皮肉が利いている。

彼女達
男どもが勝手な理想を押しつけ続けたことによって、ついに彼女たちは……。これは決闘、というよりバトルのイメージだなあ。

How to burden the girl
一人称の男語りの文体が絶妙。「父親しか知らない」ニートの、若いくせに壮年の親父言葉が重症を示している。気持ち悪い。隣家の彼女のぶっとびぶりはここまでくるとシュールすぎて現実とは思えず、かえってサバサバ読める。

ダウンズ&アップス
お世辞を言われることがなにがいけないのか、自分はとても心地よいとする売れっ子デザイナーがちょっと気まぐれを起こす話。この語り手のトーンが何か少しだけ村上春樹を連想させた。

いかにして私がピクニックシートを見るたびに、くすりとしてしまうようになったか
婦人服試着室に妙な客がきて、どんどんどんどん試着して、徹夜しても服が決まらず、ついには試着室ごと外へ、というエスカレート式の話。途中で筆者によるラフな挿し絵まで出てきたが、ここまで読んできた身にはもはや「このひとなら何でもアリやな」と冷静に受け止めた。妙に巧い絵でなく、ザザッとホワイトボードに書いたくらいのレベルにしてあるのが絶妙。

2013/06/25

増補版 誤植読本

増補版 誤植読本 (ちくま文庫)
高橋 輝次
筑摩書房
売り上げランキング: 17,804

■高橋輝次・編
こういう本は、資料的な価値も高いので、目次を写しておきたい。
Ⅰ誤植打ち明け話
 外山滋比古「校正畏るべし」|中村真一郎「誤植の話」|藤沢桓夫「誤植の話」|稲垣達郎「誤記、誤植、校訂」|河野多惠子「誤植」|竹西寛子「誤字」/「思いやり」|森まゆみ「誤植さがしの昼下り」|林真理子「誤植」|黒川博行「誤植」|泉麻人「屁と庇」|中山信如「屁の街」

Ⅱ著者の眼・編集者の眼
 生方敏郎「校正」|小林勇「校正」|杉森久英「校正恐るべし」|埴谷雄高「校正」|澁澤龍彦「校正について」|宮尾登美子「校正」|藤田宜永「校閲者に感謝」|山田宗睦「王政のレファレンス」|高橋輝次「冷や汗をかく編集者」|鶴ヶ谷真一「苦い思い出」

Ⅲ誤植・校正をめぐる思索
 大岡信「校正とは交差することと見つけたり」|長田弘「苦い指」|花田清輝「微妙な問題」|山口誓子「校正の話」|富安風生「僕のらくがき」|土岐善麿「活字について」|坪内稔典「粟か栗か」|森銑三「誤植」|佐多稲子「「ろ」と「る」について」|多田道太郎「誤植」|中井久夫「校正について」|林哲夫「錯覚イケナイ、ヨク見ルヨロシ」

Ⅳ近代作家の誤植・校正
 尾崎紅葉「十七校」|森鷗外「鸚鵡石(序に代うる対話)」|斎藤茂吉「鷗外全集の校正寸言」|内田百閒「十三号室」|小宮豊隆「誤植」|西島九州夫「『漱石全集』のことなど」|十川信介「誤植の憾み」|佐藤春夫「誤植というもの」|井伏鱒二「満身瘡痍」
 
Ⅴ校正の風景
 石川欣一「校正」|相澤正「校正を詠む」|吉村昭「刑務所通い」|串田孫一「校正」|永井龍男「心の用意 庄野潤三について」|市島春城「校正難」|天沼俊一「校正」|紀田順一郎「行間を縫う話」|野々村一雄「校正と索引つくり」|森洋子「凡人は校正地獄へ行く?」|高橋英夫「興味深いこと」

あとがきに代えて|文庫版あとがき
解説 誤って植えられた種(堀江敏幸)
本書のもととなったテキスト一覧|執筆者紹介|用語の簡単な説明

本書は、活字好き、本好きには確信をもっておすすめする。編者の勤勉さ、活字への愛情が伝わってきて、たいへん面白い素晴らしいラインナップ。特に印象に残ったエピソードを箇条書きしてみる。

・泉麻人さんのは「庇(ひさし)」とあるべきところが「屁」になっていた誤植の話。「尼」は「屁」に字の感じが似ているからイメージが良くない、何故あの字なのだ、という意見に、わたしも前々からぼんやりそう感じていたので共感。

・詩が、偶然の誤植によって、より良い作品になったというエピソードは面白い。

・校正者は基本的に辞書にのっとって修正を入れるだろうし、また一文の中の表記の意不統一を嫌うが、芸術家たる作家というものは、そんなことはわかっていて、あえて文脈や前後の並びから同じ言葉でも漢字にしたり開いたり、あえてイメージに沿う当て字的な漢字を書いたりもする、それを校正者がシカクシメンに修正してしまうのは如何なものか、という趣旨の文章がいくつかあり、中でも森鷗外の「鸚鵡石」は大変興味を持って面白く、うなずきながら読んだ。それにしても旧字表記で文語・口語表記混在とかむちゃくちゃややこしそう。

・夏目漱石というひとは、独特の漢字をあてたり、送り仮名も独特なものがあって、学生の頃に「教科書で習うのとは違う。でも夏目漱石レベルになると、教科書のほうが折れるわけだなあ」と感心したものだが、その著作を門下の作家が校正する場合のこだわり、先生への尊敬が伝わってきた。生原稿じゃなく、新聞の活字がベースなので信用出来ない、という記述があったりして、やっぱり「ふりがな」問題が旧字だとややこしいなあ。それぞれが、「我こそは」と思っている感じだ。

本書を読んでいると、書物にはすべからく誤植があるというメッセージがいろいろ書いてあるが、ふつうに気軽に小説などを読んでいるぶんには気付かないのか、あんまり行き当ったことはなく、いままででも十回もない気がする。いちばんびっくりしたのは、ある翻訳物の推理小説を読んでいたら、登場人物の名前の表記が途中の5ページぶんくらいだけ違っていて、前後は同じ、ということがあって、これは下訳を数名でされている結果なのだろうか、などと首を傾げた。気になったので出版社にメールで問い合わせてみたところ、やはり間違いだったようで、重版の際に訂正する旨の返事が返ってきた。

解説は堀江先生で、ユーモアたっぷりで、すごく面白い。
「あとがき」によれば倉阪鬼一郎の著作『活字狂想曲』を読んでこういうアンソロジーを編むことを思いつかれたとか、いろんなひとの校正・誤植にまつわる文章をまとめて読むことが出来て、大変面白く、今後本を読むときの気持ちに少し影響があるように思う。
当ブログに誤字脱字はたくさんある。イキオイで書いて、見直しはあんまりしないでアップしてしまうからだ。発見次第、適宜修正しているが、本書にもあったように自分で書いたものはついつい「目で読まずに頭で読」んでしまうから、なかなか難しい。

※森鷗外の「おう[Unicode:9DD7]」、内田百閒の「けん[Unicode:9592]」の字はご覧の環境によっては表示されないかもしれません。
「おう」は分解すると「匸(かくしがまえ)」という部首の中に「品」と書く「區」が左側、つくりが「鳥」。
「けん」は「もんがまえ」に「月」。
昔のパソコンでは「森鴎外」しか無理だったんですけどいまは書けるんですね。
とはいえ、テキストファイルで作成し、保存しようとすると「鷗」の文字に対して【このファイルは、ANSIテキストファイルとして保存すると失われてしまうUnicode形式の文字を含んでいます。】というメッセージが出ます。「閒」には出ません。


2013/06/20

絶叫委員会

絶叫委員会 (ちくま文庫)
穂村 弘
筑摩書房
売り上げランキング: 11,361

■穂村弘
本書は、「ちくま」に2006年4月号から2009年12月号にわたって連載され、筑摩書房から2010年5月に出た本が文庫化されたもの。
凄いタイトルだな、と期待でどきどきしながら読み始めると、第1回の冒頭にこうある。
 「絶叫委員会」では、印象的な言葉たちについて書いてみたいと思います。

穂村さんのいままでの人生の中で出会った、「?」や「!」な言葉たち。それをゴシック体で紹介し、何故そのセリフが印象に残ったのか、ということを状況から放たれるパワー、雰囲気、つまり行間ひっくるめてとても丁寧に説明してくれてある。
衝撃を受けたり、にやりとしたりしながらとても面白く読み、気に入ったところはまた戻って目でなぞってあれこれ考えたりして、さてそういう台詞をここで引用しようとして「単体」で見つめ直して「あれっ」と思った。さっき感じた面白さが100とすると、単体のそれは50とか60の輝きでしか無い。びっくりして前後の穂村さんの文章を読む。おお、何度読んでもじわじわ面白い。
例えば、以下のような部分。

 「怪人二十面相はこんな油断しないと思うんだけど、でも、江戸川先生が書くからには本当なんだろうね」
  怪人二十面相シリーズの一冊を読んだ知人の感想である。突っ込みどころが多すぎて、わなわなしてしまう。


「 」内よりも、わたしは「突っ込みどころが多すぎて、わなわなしてしまう。」に激しく反応してしまう。特に「わなわな」のあたりに。「わなわな」! ああ、知ってるけどこれリアルにあんまり使わない、っていうか機会が無い。面白い言葉だ!ぜひ使いたいものだ!と身もだえする。
そうか、このエッセイが面白いのは「紹介されている言葉」が面白いんじゃなくて、それを蒐集し(昨日今日の付け焼刃の関心ではないことは本書を読んでいると明らかになっていく)、愛でている穂村さんそのひとこそが、超面白いのだ。流石ほむほむ!
同じような意味のことを解説の(南)伸坊さんも書いておられる。

それにしても、「絶叫委員会」というタイトル、「絶叫」というのはかなり強力なインパクトを与える言葉だと思うが、本書のトーンは一貫して淡々とクール、静かなものである。何故「絶叫」なのかなあ、とか思っていたら筑摩書房HPに本書のPR文があった。「解説」によれば、南伸坊が編集者に打診されてそのときは穂村さんの著作を読んだことがなかったので断ったという例のやつである。誰が書いたのかと見たらうわあっ。我が敬愛する堀江敏幸ではないか! 「ちくま」編集部は伸坊さん→堀江先生にいったのか~スゴイな~。
堀江先生の紹介文はこれまた次元が高くて高尚で、本書をうはうはヨロコビながら愉しいだけで読んだオノレのちっぽけさを噛みしめさせる知性にあふれていた。そうか、そういうふうにも読めるのか。
そういえば第1回で取り上げられた「言葉」にこの短歌があった。

 「俺の靴どこ」が最後の言葉ってお母さんは折れそうに笑って

「笑って」という言葉にダマされそうになるがこの句の「俺」はまだ少年なのだという。剣道の試合の後倒れて、亡くなったのだそうだ。その「最後の言葉」について「折れそうに」「笑って」いる「お母さん」。なんという悲痛な「笑い」であろうか。母親の悲しみ、断腸の思いが痛いほど伝わってきて、そうだ、最初っから物凄い衝撃を受けたのだった。
おそらく全篇このレベルのトーンで編まれていたら「絶叫」どころか「咆哮」し、最後はどっかで爆発してしまっただろうが、安心されたし、他のほとんどのテーマはもっとソフトで脱力系だ。小学生の下ネタとか、若者同士の「動物」っぽい他愛ない会話とか、恋人同士の第三者がうっかり聞いてしまうと恥ずかしすぎる会話だとか、「天然」とよばれるひとたちの「突っ込みどころが多すぎる」発言とか。
ただ、そういう他愛ない言葉たちの、やわらかな羽根ぶとんを何枚も積まれて忘れそうになっていたが、その一番下には「折れそうに笑って」というエンドウ豆が置かれていたのだった。「本当のお姫様」である堀江先生はそれをきっちり感じ取って、「眠れない」。
言葉も、作品も、受信手のそれぞれで、どのように受け止められるかは実は送信手にも決められない。だからときに思いもよらないドラマが生まれるんだろう。

2013/06/18

主題歌

主題歌 (講談社文庫)
主題歌 (講談社文庫)
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柴崎 友香
講談社 (2011-03-15)
売り上げランキング: 418,454

■柴崎友香
2008年3月単行本刊、の文庫版。中篇1つ、短編2つ収録。

主題歌
(「群像」2007年6月号)
会社員の女性が主人公。その視点で書かれた三人称小説と思って読んでいたら別のひとの主観も書かれていたので「おやっ」となった。でもいわゆる神視点でも無くて……ちょっと変わったスタイル。
別に同性愛者というわけでも両刀というわけでもなく、異性愛者なのだけど、可愛い女の子が大好き、という人種がいるというのはわからないでもないけど、その実際の会話とか思考回路にここまで大好きなんだなあとびっくりした。そういえばしょこたんもアイドル写真集買ってるとか言ってたけどこんな感じなのかと納得。それでそういうひとたちの日常をさらっと書いた話かと思っていたら結婚式の二次会の弾き語りのシーンがあって、そのへんから最後までなんだかよくわからないけど静かに胸にせまってくるメッセージがあって、良い話だなあ、としみじみと思った。「伝える」「伝わる」ってこういうことなんだよなあ。まごころ、という言葉を体の奥底から実感するような。

六十の半分
(「朝日新聞」関西版2006年1月5日、12日、19日、26日)
短編で、その中でも章によって主観が変わる。後で解説を読んだら新聞に4回に分けて連載されたものとわかり、なるほどなー。
この話は別に悪くないんだけど、なにが言いたいのかよくわからなかった。いろんな三十歳が出てきて、いつもの雰囲気。

(「Melbourne 1」2006年11月)
『きょうのできごと』に似たタイトルの章があったが、登場人物の名前に見覚えがない(と思う)から違う話かな? 場面の雰囲気はちょっと「主題歌」のスピンオフっぽい。どうでもいい相手に突然興味を持たれてすごい迷惑、というか手をふりほどけない。「理解できないからそういう強い拒絶を示した場合の相手の反応が読めない、しかも力は間違いなく相手が強い」から怖いんだよなあ。こういう、あえて小説に書かれるほどでもないささいな日常のシーンをメインじゃないところでさらっと書き込んであるのがすごいなあと思う。

カバー装画は喜多順子さん、デザインはおおっ!サスガの名久井直子さん。
ちなみに単行本はこんな↓感じ、やっぱりお花は良いなあ。

主題歌
主題歌
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柴崎 友香
講談社
売り上げランキング: 610,168


2013/06/13

サンドウィッチは銀座で

サンドウィッチは銀座で
サンドウィッチは銀座で
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平松 洋子 谷口 ジロー
文藝春秋
売り上げランキング: 72,360

■平松洋子
「オール読物」連載「いまの味」の単行本第1弾。
谷口ジローの挿し絵(漫画風)に抵抗があったのだが2013年2月刊の第2弾『ステーキを下町で』を先に読んですごく良かったのでこちらもぜひ読もうと。
2011年1月単行本刊。手元にきたのは第3刷。
少し大きめのソフトカバーの単行本で、20.8×15cm。
ちなみに『ステーキ』は18.8×13.2 cmである。いわゆる四六版だ。わずか2㎝程度の違いなんだけど、『サンドウィッチ』を持ってみるとあんまり小説の単行本にはないサイズで大きく感じる。
第2弾で一般的な大きさに変わったということは、評判が良くなかったのかなあ?でも同じシリーズで装丁も同じ雰囲気(画伯の柔らかいトーンのカラーイラストがすんごく繊細で美しい!)なのだから、揃えてほしかった気がしないでもない。

さて、内容だ。
わたし、谷口さんの絵は嫌いじゃないの。「あぐ」とか「むぐ」とか擬音を台詞なみに書かれるのが抵抗あるだけで。そういう意味では、第1弾は絵中心、台詞も説明的なポイントのみで非常に良かった。ネットで著者おふたりの対談記事があったので興味深く拝読したけど、それによるとほとんどの場合で時間の都合で挿し絵描く前に原稿が出来てないらしく、写真だけを頼りにするらしい。ああそんな感じだった。読んで、見てると、そのへんはわかる。
平松節は、絶好調。1つ1つの章がコンパクトなので、ピリッ・キュッ、と旨味が凝縮されているような、読んでいてすっきりした潔さが気持ちいい。
この本を読んでいると食欲がわくなあ。銀座はまあ無理だけど、近場の喫茶店に美味しいサンドウィッチ無かったかしら?とか思案しつつとりあえずコンビニのは駄目だからパン屋さんのカツサンドを買ってみたり。去年も今年も鰻の価格はウナギノボリでスルーの方向だったけど、いつも横目で見ている近所の鰻専門店、飛び込んでみようかな?とか考えたり。

目次をベースにお料理、取材店を拾い出してみる。地名もセットに。・・・以下は、忘備録代わりのメモ。

春を探しに 
 いわ井(銀座)、光明寺(鎌倉)、七草(世田谷)
・・・山菜を天ぷらで。”春”をまるごといただいちゃおう!

それゆけ! きょうもビールがうまい 
 たち飲み 吟 新橋店(新橋)、天鴻餃子房 錦町店(神田錦町)、ビヤレストラン ニュートーキョー 数寄屋橋本店(有楽町)、ベル・オーブ 六本木店(六本木)、銀座松坂屋 麦羊亭(銀座)、ベアード・ブルワリー 中目黒タップルーム(上目黒)、ビアライゼ’98 新橋店(新橋)
・・・梅雨どきから初夏はいろんなビールを!ラガーだけがビールじゃない!

夏まっ盛り。食べるぞ、うなぎ 
 川豊(成田市)、後藤だんご店(成田市)、川勢(上荻)
・・・夏は、鰻で精をつけるべし!

池袋で中国東北旅行 
 大宝(西池袋)、東京中華街(西池袋)、知音小吃広場(※閉店)、阿里郎(池袋)、楽楽屋(西池袋)、永利(池袋)
・・・東京で本場中国東北の味が。メジャーなメニューに逃げることなかれ!

いただきます、社員食堂 
 文藝春秋社、女子栄養大学、横河電機、新潮社、ポーラ、共産党本部、琉球新報(沖縄)
・・・社食が美味しい会社は良い会社!?レスポンスが早いから、作り手もやりがいがあるらしい。

いつもこころにオムライス 
 たいめいけん(日本橋)、明治軒(大阪 心斎橋)
・・・卵を贅沢に、1人前4個! コレステロールのことは一時的に忘れて、堪能しましょう。

座敷でゆるり 
 風流お好み焼 染太郎(西浅草)、よし田(銀座)、みの家(江東区森下)
・・・靴を脱いで囲む食卓だからこその味わい。オトナの味。

サンドウィッチは銀座で
 銀座木村屋 2fカフェ(銀座)、洋菓子舗ウエスト(銀座)、はまの屋パーラー(有楽町)、銀座千疋屋(銀座)、みやざわ(銀座)、ロックフィッシュ(銀座)、チョウシ屋(銀座)
・・・「サンドウィッチ」はどれだけ情熱かけて作られているかで全然違う食べ物。銀座のこのこだわりの逸品をみよ!(ああ食べたい)。

冬を惜しんで、ひとり鍋 
 与太呂(大阪 道頓堀)、どぜう飯田屋(西浅草)、第二力酒蔵(中野)、西玉水(大阪 島之内)
・・・ひとり鍋をするひとは、美味しいものが大好きなひと。それぞれに流儀がある。

熊を食べにゆく 
 比良山荘(滋賀県大津市葛川坊村町)
・・・熊は、繊細な味らしい。いやでもちょっと抵抗があるなァ…。

さらば、昭和の大衆食堂「聚楽台」 
 聚楽台(上野※閉店)、くいだおれ(大阪 道頓堀※閉店)
・・・昭和の人間模様、なんでもあった大衆食堂礼讃。ちょっと誉め過ぎな気もしないでもない。郷愁込みの味なんだろうね。むかーし、くいだおれで食べたことあるけど、どうだったっけな?

百年も、二百年も
 自由軒(大阪 難波)、たこ梅(大阪 道頓堀)、夫婦善哉(大阪 難波)、ランチョン(神田神保町)、神田まつや(神田須田町)、竹むら(神田須田町)
・・・町の風景、歴史に溶け込んでいるような守っていきたい味と店。織田作之助の世界。

おわりに 風景の一部になりにゆく

2013/06/11

また会う日まで

また会う日まで (河出文庫)
柴崎 友香
河出書房新社
売り上げランキング: 332,566

■柴崎友香
25歳OLの主人公・有麻。
ふだんは大阪で生活している彼女が東京に遊びに来た、その数日間を書いてある。目的は、高校の修学旅行2日目の夜にあった、特別な感情を抱いていた異性の友人とのささやかな、だけどずっと記憶に残っている出来事と、彼の気持ちを確かめたくて。恋愛とすっぱりわかるほど明確な感情で無く、でもお互いに「特別だ」と想いあっていた?と感じている。そのへんが曖昧なままずっとここまで来たのは、確かめるのが怖いから、かな。宝物みたいに胸の中に大事にしまってある想いが勘違いだったり思い込みの一方通行だったら怖いよね。あのひとが好きだ、とかいうわかりやすい感情だったらむしろここまで引き摺らないような。

恋愛と何が違うの?っていうのは、うまく説明できないけど例えば有麻はやっと念願の相手と数年ぶりに会えたときに彼がもうすぐ結婚することを知らされ、まあ普通にショックは受けるけどそれは失恋とかじゃなくて自分の中のイメージとギャップがあるからだ。結婚しても自分が彼にとって「特別」であることに影響はない、らしい。何故ならそもそもの高校時代のそのときだって彼には可愛い彼女がいたからだ。そして彼には無害な(?)美形のストーカー・凪子がいることも判明するのだけど、彼女とも別に反目しあうわけでもない、ただお互いの出方を探るような面はあるけど、それは「彼にとってどちらが特別なのか」という気持ちが働くからだろう。

こういう心理は他人事としては理解できるけど、自分がそういう考え方をするかというとあんまり無くて、異性の友人を「特別」だと思うとしたらそれはやっぱりどう誤魔化しても恋愛感情だろうし、彼女がいたり、まして結婚するとか聞かされた日には速攻「あー自分は彼にとって特別じゃないんだな」と理解し、気持ちを切り替え忘れなければ、と思うだろうからだ。
相手の男も随分いい加減。
もうすぐ結婚するというのに凪子を部屋に泊めるのも、主人公に泊まっていけばと提案するのも許し難い。手を出す出さないの問題じゃなくて、最低限の礼儀でしょうが。だってほんとはどっちだったかなんて証明しようが無いんだから。主人公が最初他の異性の友人の家に泊めてもらうのは双方に恋人がいなさそうだからまあ良いとして、でも自分だったら絶対しないことだ。
深い関係にならんかったらなんでもええんかあ。相手の女のひとの気持ち考えてみい。あんたら倫理観どないなってんねん。っていうかこれが「ふつう」なんか。多数派なんか。かなんわー。
そんなことを脳内でぶつぶつつぶやきながら読んだ。同性の友達の家でご家族がいるというのでもわたしは神経を使うから泊まりたくないくらいだ。別にお金が無いわけじゃないし、やっぱ性格とか考え方が違うんだなあ。

というわけで共感とかはほとんどしなかったのだけど、柴崎さんの小説は文章が良くて、会話が特に素晴らしいので、心地よく読んだ。東京が舞台だけど、登場人物が関西弁ばっかり喋るので馴染みやすかった。

全然この話のメインでないちょっとしたシーンなんだけど、自分の仕事内容を外国人に質問されて「アシスタント」と答えるのが妙にリアル。仕事にアイデンティティを感じられていなくて、本当は「良い写真を撮りたい」だけじゃなく、仕事に出来たら、というか、とりあえずもっと自分で納得できる仕事をしたいんだろうなあというのが一言で伝わってきた。
こういう、あらすじには表れない、細かな絶妙のデティールの積み重ねが巧いんだよなあ。だから読んでいられるっていうか。出版社の用意した煽り文句はそのへんが全然分かってなくて、っていうか確信犯的に「恋愛」を押してる感じがして、突っ込みどころありまくりで、まあ販促的にはそっちのがいいんだろうなあとか思った。

2013/06/09

ムーミン谷の十一月 【再読】

ムーミン谷の十一月 (講談社文庫 や 16-8)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 216,400

■トーベ・ヤンソン 翻訳:鈴木徹郎
このお話しにはなんとムーミン一家が登場しません。ちょっと長めの旅に出ていて、ムーミン谷を留守にしているという状況なのです(家具にほこりが積もっている描写があります)。

出てくるのは、スナフキン、ちびっこホムサのトフト、フィリフヨンカ、ヘムレンさん、スクルッタおじさん、ミムラねえさんの6人で、最初のうちは交互に彼らの章があって、途中からムーミンハウスで合流します。仲良くできればいいんですけど、みんな自分の都合と希望を強く持っているから思うようにいかないと怒っちゃう。フィリフヨンカなんて、ムーミン一家が留守なことに腹を立ててる始末。

それぞれ勝手なんですが、読んでいくととても童話とは思えない深い発言が出てきて、たとえば「女が料理とかするべきじゃ!」って決めつけられてフィリフヨンカが「料理をするのは好きだからやるのはいいけど、命令されるのはイヤだからやらないわ!」って反発するところとかね。

この6人ではスナフキンとミムラねえさんが人気キャラだと思うんですけど、彼らがたくさん出てきていろいろ様子を知れるのも嬉しいです。

2013/06/06

ムーミン谷の夏まつり 【再読】

ムーミン谷の夏まつり (講談社文庫 や 16-4)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 131,670

■トーベ・ヤンソン 翻訳:下村隆一
「夏まつり」というタイトルから、さぞや楽しくわいわい準備をして、祭りで最高潮、という流れかと思ったら全然そういう話ではない。
初夏の美しいムーミン谷だったのに火山が噴火し、津波がおしよせてきて、ムーミン谷は水に浸かってしまう。ムーミンハウスも1階は水没。家具も食料も水の中。ここらへんのくだりは、お話が事態の深刻さのわりに呑気に書いてあって(2階の床をくり抜いて上からキッチンを眺めるときれいだとか、ムーミンがもぐってカップとか取りに行ってコーヒーを古い椅子を壊して火を熾してわかすだとか、非常時キャンプみたいなノリで書いてある)、そんなに悲しい感じじゃない。
また、そのあと、流れてきた劇場に移り住むんだけど(ムーミンたちは「劇場」という存在を知らなくて、変な家!と首をかしげつつ住む)、一時岸に流れ着いたときにムーミンとスノークのお嬢さんだけ木に移って寝ていたら夜の間に家が岸から流れて行ってしまって家族離れ離れになり、さらにそのあとミイが流れの中に落ちてしまって行方不明、とか状況だけ読んでいるとかなり大変なことになるのにムーミンパパもママもミムラねえさんもあんまり慌てなくて比較的冷静というか……。もちろん「どうしましょう!」「なんてこと!」的な悲しみはあるんですけどね、なんていうかものすごい信頼感というかポジティブシンキングで、でもどっかで元気にやってるわよ、そのうち絶対会えるから大丈夫、って信じてるらしいのです。で、実際そうなんですけどね。
劇場には劇場スタッフだった住人がいて、何故か最終的にはパパが脚本を書き、お芝居をすることになっている。

このお話では、スノークのお嬢さんが女の子たちでしゃべっているときにケンカになってしまい、「洋服を着ていないくせに!」と言われるシーンがあって、ムーミンシリーズでは動物とか妖精とか出てくるけどそういえば服を着る・着ないの区分けはどうなってるのかなあとか、なんでスノークのお嬢さんはあれだけおしゃれなのに服は着ないんだろうとか、それは服を着るのがふつうというこちらの考え方の押しつけでしかないよな、とかいろいろ考えました。
また、一人旅をしていたスナフキンが「するべからず」「べからず」ばかり言っている公園番にニョロニョロの種を撒いて仕返しするところが痛快で、だけどそのあとムーミンたちが犯人扱いされてつかまっちゃったり、公園にいた小さい子どもたち24人の世話をスナフキンがしなくちゃならなくなって途方に暮れたり、いろいろヤマやタニがあって面白かったです。

ところでちびのミイはムーミンたちより体の大きさが「小さい」とは思ってたけど、このお話を読んでいたらムーミンママの裁縫箱に隠れられたり、スナフキンの帽子に乗れたりするくらい、つまり子どもと抱っこ人形くらいのサイズ差があることが判明し、びっくり。せいぜいムーミンの胸くらいの背丈はあると思っていたんだけど。アニメでは、そうだったような気がするんですが。うーん?
ちなみにウィキペディアによるとスナフキンとミイは異父姉弟だそうですが、このお話では「前に会ったときは小さすぎて覚えていない」とか言ってるだけで姉弟らしい会話は無かったです。っていうかミイのほうがお姉さんとか、違和感ありまくりなんですけど……。原作とアニメの違いのせいかしら。

ムーミン谷の冬 【再読】

ムーミン谷の冬 (講談社文庫 や 16-5)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 133,743

■トーベ・ヤンソン 翻訳:山室静
ムーミンたちは冬のあいだ、松葉をどっさりお腹につめてあたたかい毛布にくるまって春がくるまで眠るのだけれども、ある年の冬、なぜだかわからないけれど、ムーミンひとりだけが突然ぽっかりと目を覚ましてしまったのでした。

初めての、冬。
雪とか、氷とか、寒くて長い長い夜(北欧の国ですもんね)。いいえそれだけではありません。夏のあいだはムーミンやしきの水遊びに使う小屋におしゃまさんや、その他「目に見えない」いろんな小さな生き物が冬のあいだだけ、やってきて棲んでいたのです。いつもの「はい虫」とはまた違うのかな。
大きな大きな雪で出来た馬(目は鏡で出来ています)は、ただの作りものと思っていたらしゃべったり走ったりするし、それよりも大きな氷姫とかも出てくるし、スキーが上手でやたらほがらかなヘムルも出てきます。そしてなんとムーミンのご先祖様まで! ムーミンは千年前は毛むくじゃらだったとか!でもご先祖様がいまもそのままずっと長生きしてるってどういうこと??? まあ、細かいことを追及するのは野暮ですね。

それとお馴染みのキャラクター、ミイもいたずらもののリス君によって眠っていたのを起こされ、スキーふうに滑ったり氷の上をスケートしたりと冬をたちまち満喫しています。ミイはほんとにどういう環境下でも我が道を行ってて良いなあ。ミイは「悲しむ」のはしないんだそうです。喜ぶか、怒るか。悲しんでも、なんにもならないからなんですって。さすがねえ。
いつものメンバーはほとんど眠ってしまっているので、今回クローズアップされたのはおしゃまさん。彼女はとってもクールで現実的で、いつもあれこれかまってもらえるムーミンはちょっと物足りなかったみたいだけど、最後のほうの湖のくだりでもわかるように根は親切なひとだったんですねえ。
そういえば、「夏まつり」も「冬」もスニフが出てきませんでした。

2013/06/05

ムーミン谷の仲間たち 【再読】

ムーミン谷の仲間たち (講談社文庫 や 16-3)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 164,618

■トーベ・ヤンソン 翻訳:山室静
短篇集。9つのお話。小さい子にも面白いかもしれないけど、少し世の中のことがわかりかけてから読むといっそう「深いなあ」という感じかな。

春のしらべ
いろんな束縛とか人の目とかが大嫌いなスナフキンがちょっとだけ情にほだされる話。スナフキンの人生観、考え方がよくわかります。
なお、スナフキンというのは英訳版ムーミン・シリーズから来ていて、原語ではSnusmumriken(スヌスムムリク)というそうです。発音が難しいから英訳に従ったそうです。

ぞっとする話
空想好きのホムサはそれを本当のことみたいに親に言って、「嘘をついてはいけません」と叱られ、ミイのおばあちゃんの家に逃げて行ってそこでミイと会ってオソロシイ話を聞かされ…。ミイのほうがうわ手でしたな。

この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ
タイトルのまま。マダムたちのお付き合いってこういうイメージですね。表面だけお上品に取り繕ってるの。「杞憂」という言葉の成り立ちとかもちょっと思い出してしまう、でもこういうひといそうだなあ。

世界でいちばんさいごの竜
ムーミントロールが小さな竜をつかまえる。だけどその竜はスナフキンになついてしまう…。まるで恋愛みたいな、複雑なオトコゴコロ。ショックだけど、それを受け止めるムーミンと、竜をさらっとスマートに手放してしまうスナフキンがうーん、すごいなあ。

しずかなのがすきなヘムレンさん
ヘムレンさんはずっと親類に手配された遊園地のキップ切りの仕事をしていたけれど、年金をもらったら静かに暮らしたい夢があった。いざその夢をかなえてみたがそこへ子どもたちがやってきて…。ちょっと、ミルハウザーの小説とか思い出しました。遊園地を造る!子どもたちの手で! 絵本にしたらきれいでしょうね。

目に見えない子
母親に嫌味ばかりいわれて心を痛め、とうとう目に見えなくなってしまった女の子がおしゃまさんにより助け出され、ムーミン屋敷に連れられてくる話。この子が最後に笑顔になって、よかった。

ニョロニョロのひみつ
パパのメランコリック。一歩間違えればパパ蒸発。

スニフとセドリックのこと
物に執着するスニフが大事な犬の人形(セドリック)を手放して後悔しているのをスナフキンがなぐさめようとするが…。スニフに比喩は通じないんだね。まだ小さいんだなあ。

もみの木
ムーミン一家は冬眠するので、「クリスマス」を知らなかったが、ある年、たたき起こされて「クリスマスがやってくるから大変」と言われ…。
「春のしらべ」にもこの話にも"はい虫″が出てくるけど、著者の描いた挿絵を見るととても同じ種族には見えない。前者は動物に似ていて、この話のはコロボックルに似ている。疑問に思って調べてみたら、公式サイトの「DATA」ページに【「knytt(クニット)と、kryp(クリュープ)という二種類の生ものが「はい虫」と訳されている。】とあって、なるほどー。

2013/06/03

ムーミン谷の彗星 【再々読?】

ムーミン谷の彗星 (講談社文庫 や 16-2)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 236,714

■トーベ・ヤンソン 翻訳:下村隆一
ムーミン・シリーズ、原作では「たのしい」よりも前に1946年に書かれたモチーフを、著者が1956年、そして1968年にも書き直した完成版だそうです。

「たのしい」の解説にもあったように、ちょっと暗いテーマ。彗星が地球のムーミン谷にだんだん近づいてきて、どんどん暑くなるわ、空は赤くなるわ、海は干上がり嫌な臭いをはなつわ……。
そんななか、天文台に彗星について調べに冒険に出かけたムーミンとスニフはスナフキンやスノークのお嬢さんと出会います。
「たのしい」では書いてありませんでしたが、どうやらスニフはムーミンたちより「小さい」つまりまだ幼い頑是ない坊やだから、わがままや「ぼくが、ぼくが」の主張をしてもみんな怒らないでいるのですね。でもスニフって言動がちっとも可愛くないんだもの。やっぱり好きにはなれないな。

↓いまは新装版が出ている模様。
新装版 ムーミン谷の彗星 (講談社文庫)
トーベ・ヤンソン
講談社 (2011-04-15)
売り上げランキング: 41,425


2013/06/02

たのしいムーミン一家 【何度目の再読かは不明】

たのしいムーミン一家 (講談社文庫 や 16-1)
トーベ・ヤンソン
講談社
売り上げランキング: 177,090

■トーベ・ヤンソン 翻訳:山室静
この文庫版のムーミン・シリーズの原作は子どものころ読んだわけではなくて、成人してから購入しました。それまでムーミンはアニメで見たり、ファンシー・グッズで親しんだりしていましたが、講談社文庫で揃っていたので「そういえば、そもそもの原典を読んでいないな」と思って読んだわけです。

アニメではノンノンとかフローレンとか呼ばれていたムーミンのガールフレンドの名前が無くて「スノークのおじょうさん」と地の文ではあり、自らを紹介する段では「わたしはスノーク家のむすめ」としか名乗っていません。これは、平安時代の女性が「菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)」とか「藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)」とかしか公式には出てこないのと似ているようですが、でも彼女たちだって実生活ではなんらかの名前を家族間では持っていたはずで、スノークのおじょうさんとはちょっと違いますね。

この原作は1948年に書かれたもので、講談社文庫では1巻目になっていますが、「解説」によればシリーズの最初に書かれたものはこれではなく、1945年の「小さいトロールと大洪水」、次に1946年「ムーミン谷の彗星」という順だそうです。
どうも、この二作は出してもあんまり売れなかったみたいで、それは内容が童話にしては暗かったかららしい(山室氏解説によると「生命の不安にたいするおびえがあった」「そういう作風では、童話が成功するのはむずかしいことですし、もともとそれは童話にふさわしい題材とはいえないでしょう」)。本書「たのしいムーミン一家」は大成功で、英訳され、「ヤンソンさんの名をたちまち世界じゅうに知らせました」ということになったようです。

今回また数年ぶりに読みかえし、やっぱり面白いシーンはよく覚えていました。
スニフがすんごいわがままで嫌われる要素満載で書かれていてちょっとげんなり(発言のたびに「きいきい叫びました」とか書いてあるし、物欲は高いわ、自己顕示欲は高いわ)、なんでヤンソンさんはここまでムーミンの友だちを嫌なやつに書くんだろうと疑問に思えてしようがありません。むしろ、悪役として出てくるモランとかのほうがまともに書いてある気すらする、っていうかモランのなにがいけないの? そういうふうに生まれついたってだけじゃないの。
トフスランとビフスラン(ちっこいやつです)は、みんなのものを次々にぬすんで自分たちのものにしちゃう盗癖があるんだけど、何故かおとがめなし。スノークのおじょうさんがそれを無くして困っているとか訴えても返さないんですよ、おかしくないのかなあ。「なくしちゃったものを、誰かが見つけて自分のものにするのはOK」という文化なのかしら、ヤンソンさんのお国では…。
あと、じゃこうねずみの入れ歯を飛行おにの帽子にいれておいたらなにに変わったかが書いていなくて「わからないひとはお母さんに聞いてみましょう」って書いてあるんだけどこれもいろいろネットでググってみたけど答えが無い問題のようですね。
記憶にあったよりもスノークのおじょうさんがわがままでやきもち焼きのつまんない女の子でした。

などとマイナス面ばっかり書いてしまいましたけれども、総合的に、童話としては面白いんですよ、ほんとに。それは、「ふしぎ」と「ぼうけん」と「まほうのようなこと」が出てきて、学校も会社も無くて、みんな楽しく暮らしているという夢のようなムーミン谷だからなのかな。いろんなわがままとかもみんななんのかんので受け入れて、流していく。独特の空気だなあと思います。

2013/06/01

短歌の友人

短歌の友人 (河出文庫)
穂村 弘
河出書房新社
売り上げランキング: 15,875

■穂村弘
久しぶりの「ほむほむ」。
単行本は河出書房新社から2007年12月に上梓。この文庫版は2011年2月刊。
穂村さんの著作は2000年から2005年くらいのときにマイブームがあって、短歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(2001年)『ラインマーカーズ』(2003年)、歌論集『短歌という爆弾』(2000年)、エッセイ『世界音痴』(2002年)『もうおうちへかえりましょう』(2004年)『現実入門 ほんとにみんなこんなことを?』(2005年)『本当はちがうんだ日記』(2005年)、『ぼくの宝物絵本』(2010年)、共著(沢田康彦、東直子ほか)『短歌はプロに訊け!』(2000年)『短歌があるじゃないか。一億人の短歌入門』(2004年)をすべて単行本で既読で、NHKラジオ「土曜の夜はケータイ短歌」(2008年3月終了)に選者として出られてリスナーからの投稿短歌について語られるのとかも聴いていて、本書もその延長線上の雰囲気だと思って何気なく買って読み始めたら、そうじゃなかったのでびっくりした。
吉野朔実の漫画にも登場する穂村さんは、レンズの入っていない伊達メガネをかけ、のぼーっとしているようで知的で軟派で、それでかなりの「変人」、というイメージがあってエッセイとか読む限りではそう間違ってはいないと思うのだけど、これはものすごく真面目な、真剣勝負の歌論集だったのだ。現代短歌論。近代短歌についても比較材料として少々。気軽に楽しむ、というのとは違うけれど、すごく丁寧に説明してくれているので、素人でも興味を持って読むことが出来る。

最初、「はじめに」を読んで、巻末の初出一覧をながめ(ほとんど短歌の専門誌)、それからぱらぱらと紹介されているいろんな現代歌人による短歌を読んで、変わった短歌ばっかりだなあ、と喜んだりして、気になった歌の章を先に読んで、「解説」を読み、あらためて頭から少しずつ通して読んでいったが、紹介されている短歌が難しかったりすると一度普通に読んだだけでは呑み込めなくて、二度三度文章をなぞったりした。しかし散文と違って、わからない歌は最後までよくわかっていないのだと思う。特に、掲載誌が新聞とかのはそうでもないけど、後半の短歌専門誌に載った評論なんかは難解度が高い。短歌と酸素の濃度の話とか。この「酸素」というのはもちろん比喩なのだけれども、読んでいて書いてあることはまあわかったけれど、じゃあここへポンとなんらかの短歌を置かれて「これは酸素濃度が高い作品か、逆に酸欠なのか」と訊かれて正解を答えられるかというといまいち自信が無いなあ。
近現代短歌の肝は「かけがえのない私の一度きりの人生」なんだという解釈も、わかるようで、うーんそんなオールマイティなというか、それはむしろ当たり前すぎて声高にわざわざ言うとナルシストみたいだとか逆にそこまで詠み込んであるのばかりだろうかという疑問とか、いろいろ。例えば『サラダ記念日』は恋愛、とかじゃないの?って思っちゃう。そりゃ「かけがえのない私の一度きりの人生における恋愛」っていう解釈が出来ないはずはないんだけども。

韻文というのは作者が思いを「圧縮」しているので、読み手側にそれを「解凍」する能力が求められる、それが短歌とか俳句とか詩なんだそうで、深くうなだれつつ実感するところである。こんな調子であるから、「読めた」と思っているものでも「実は全然読めてなかった」ことは十分あり得る。穂村さん曰く歌人の「読み」と一般人のそれとではやはりレベルに差があるらしい。本書は、プロがプロの作品をどのように「解凍」していくのか、その実例の一部で、たいへん勉強になるし、面白かった。
ひとりのひとが書いているので、気になる・教材として例に出しやすい短歌というのは限られてくるらしく、複数の章で頻出する短歌がいくつかあり、切り口によっていろいろ読むところがあるということだなあとか。

解説は高橋源一郎。タイトルに反応して「友人論」を延々やっている。
なお、「はじめに」によれば『短歌の友人』というタイトルは担当編集者が付けたもののようである。