2012/10/28

夕子ちゃんの近道 【再読】

夕子ちゃんの近道
夕子ちゃんの近道
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長嶋 有
新潮社
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■長嶋有
これもスジらしきスジのない、設定とか雰囲気とか会話とかそういうのが味わいがあって、いつまでも読んでいたくなる居心地の良い話。

メインはフラココ屋という西洋アンティーク専門店(元は。でも途中からいろいろ混ざって和レトロとかなんでもありになっている)。
そこの2階の、物置代わりになっている和室に居候している「僕」が主人公。
青年というほど若くはなく、たぶん30過ぎかな。
詳しい状況はなにも説明されない。
どうして働かずにここにいるのか(貯金はそれなりにある、と書いてあるからたぶん最近仕事を辞めたばかりなのだろう)、それまで住んでいたのはどういう環境なのか、家族はいるのか。

書いていないので、わからない。
わからないけれど、長嶋有の著作をコンプリートしている身としては、だいたいこんな感じじゃないかとアタリを付けている。
たぶん、主人公は職も失したばかりだけど、それと時を前後して奥さんが出て行ったんだ。子どもはいない。――で、ちょっとなにもかもゼロになって、人生の小休止してるのが、いまなんだ。
別に絶望したりはしてないし、どうしていいかわからない不安に陥っているわけでもない。
ただ、なんだかもう、茫然としている。
ちょっと、疲れちゃったし。

――そんな感じが、する。
少なくともこの主人公、ずっと親元暮らしのサラリーマンで独身で、……っていう感じはしないんだよなあ。登場する女性への視線のやりかたとかが落ち着いてるし。

まあなんにせよ勝手な一読者の想像でしかないのだが。

主な登場人物。
フラココ屋の店長(40歳。妻子あり)
店の隣に住んでいる大家さん(八木さんというカクシャクとしたおじいさん)
大家さんの孫娘の朝子さん(芸大の卒業制作に目下取組中)と夕子ちゃん(定時制高校生)
店長の昔なじみでフラココ屋の(買わない)常連客・瑞枝さん(35歳、ただいま離婚協議中、子どもはなし)
店長の昔なじみでフラココ屋の常連客(このひとは買う)でフランス人のフランソワーズ(既婚者、日本の大学で20年近く教鞭を取っていた)
店長の母親(実家であり、フラココ屋の本店というか、倉庫にしている蔵がある)
先生(夕子ちゃんの学校の先生。沢田さん)

店長はインターネット・オークションのほうもやるようになって、そうなるとそちらのほうが実店舗より忙しくなってきて、主人公は店のアルバイトもしている。
小道具屋の話には興味があって、でもこれにはそんなに詳しくモノの描写は出てこないんだけど、店のたたずまいとか、空気感が目に浮かぶようで、とても落ち着く感じだ。

この本を読んでいると「はあ、なんだかよくわかんないけど、いいなあ」と思う。何度でも読めると思う。

2012/10/25

消されかけた男

消されかけた男 (新潮文庫)
ブライアン フリーマントル
新潮社
売り上げランキング: 218511

■ブライアン・フリーマントル 翻訳;稲葉明雄
瀬戸川猛資氏がたいへんに誉めておられたので読んでみた。

この話の主人公はチャーリー・マフィンと云い、見かけはうらぶれた冴えない中年男、しかしその実態は凄腕のスパイという設定なのだがこの名前を見るたびにわたしの脳内では以下のような絵が浮かんできて仕方ないのだった。
チャーリー・マフィン → チャーリー(・ブラウン)がマフィンを持って嬉しそう。
読了後、これはぜひイメージ・イラストを用意せねばっ、と頑張って描いたのでここに置かせていただく。トレンチ・コート(適当)とサングラスは安直な「スパイ」からの連想である。
念のため断っておくが本書は徹頭徹尾真剣な話であり、スヌーピーやお菓子のマフィンに代表されるような家庭的な雰囲気の入り込む余地はない。と云って悪ければ、グラウンドが違う。
ユーモアが無いとは言わないが、あくまで真面目で格好良い、洒落の効いたスパイものであり、無能で権力主義の上司のハナを明かすという爽快なスジガキが鬱屈しているサラリーマンの心を打つ名作とされている。
英国情報局秘密情報部(MI6)。
まことに渋くてダンディな響きではあるが、MI6と聞いて最初に思い出すのはバンコラン少佐(『パタリロ!』)だったりするからもうなにがなんだか。


こんなふうについ茶化してしまうのは、本書があまりにも理想的なスパイ小説だったからであり、あまりにも「世の男性はこういうのを好きで憧れるんだろうなあ」という感じだったからであり、美しく賢く優しく心から夫を愛している妻がいるのにもかかわらず、仕事のためととか言いつつ愛人を作りその愛人は主人公を愛していないといいつつ涙を流してくれたりする設定にムカついたからである。スパイものなので、時にひとが使い捨て駒のように死んでいくのもまるでエンタメ至上主義の映画のようで遠い目になってしまうし。まあ、主人公に同化しちゃえばとっても素敵なドリーム小説なので、陶酔できて幸せだろう。

誤解があるといけないので最後に断っておくが、本書は娯楽小説としては上級の出来であることは認めるのにやぶさかではない。
本書を読むと、英国や米国よりソ連(当時)のほうがカッコよく思えて仕方ないんだけどそれでどうも良いらしいのだからよくわからん。著者の権力主義への反骨精神ゆえ、ということだそうだ。

2012/10/24

どくとるマンボウ途中下車 【再読】

どくとるマンボウ途中下車 (中公文庫)
北 杜夫
中央公論新社 (2012-04-21)
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■北杜夫
再読、とは言っても前回読んだのはざっと15年くらい前ではないかと推定され、本も手元に残っていないから買い直した2012年4月25日の改版分で、今回読んでる最中も全然思い出す節が無く、終盤に至ってやっと「あ、これ覚えてる」というエピソードが出てきたくらいなもんである。

本書の親本は1966年1月に中央公論社から刊行された、と奥付にさらりと書かれており、あまりにも何気なく書かれているのでいま改めて書き写すまで「中央公論新社」から出たものだと思い込んでいた。ええっと、中央公論社っていつまであったんだっけ。ググってみた。

中央公論社は1990年代に経営危機に陥ったため、読売新聞社(現:読売新聞東京本社)が救済に乗り出し、1999年に読売の全額出資によって中央公論新社が設立され、営業を譲り受ける。】(ウィキペディアより抜粋)

話を戻して。
1966年は昭和41年。東京オリンピックが1964年だ。つまり、日本が元気なときだったんだろうな。
本書は「途中下車」とあることでわかるようにマンボウ先生の旅行?にまつわるエッセイ集だが、新幹線がまだ珍しかったのか、初乗りのときの話とかが出てくる(ググると新幹線開通も1964年)。

『どくとるマンボウ航海記』で大ベストセラーになり、一気に知名度が上がった著者なので、世間からは「さぞや、旅好きで」と思われているのが「誤解」だというスタンスで書かれている。本当はかなりめんどくさがりやの出無精なのに、編集者にせっつかれて仕方なく……というわけだ。ちなみにここに出てくる鉄道ファンの編集M氏というのは宮脇俊三のことでまず間違いあるまい。

北さんのユーモアというのは大爆笑で笑いが止まらないという種類のそれでは(少なくともわたしにとっては)ないが、文章に品があり、著者のお人柄がよく顕れていて、こころオダヤカに健やかに読める。そして時々「面白いことを書かれるもんだな」と感心する。
作品によってはその度合いが違って、例えば「航海記」なんかはかなり大袈裟に面白おかしく書かれているわけだが、「途中下車」は他の数作品と比べてもトーンが割合落ち着いているように感じる。これは鬱のときに書かれたものなのかなあ。買い物で他愛なくだまされまくるエピソードなんかは躁っぽいけど。

ヒマラヤ登山の話、インスタントラーメンの権威のくだり、駅弁の話などが特に興味深かった。

2012/10/22

雑誌「考える人」2011年秋号+2012年冬号





すごく久しぶりに雑誌を買った。
梨木香歩『エストニア紀行』の最初のほうが「特別寄稿」としてこの2冊に載っていて、単行本には収録されていなかった写真が載っているらしく、それを見たいが為だった。ネットでも購入できそうだったが、大きめのジュンク堂の近くに仕事で行く機会があったので、帰りに寄ったらきちんとビニール封されて棚にあった。

中身の、木寺さんの写真だが――――正直、わざわざ雑誌をそれ目的に買ったにしては大した量が載っているわけではなく、少しがっかりした。平松洋子さんの書籍なんかは文庫でもカラー写真多数で楽しいんだけど、あれが特別なのかな、やっぱり。あんまりあそこまで載っててしかも普通のお値段って無いもんなー。

2011年秋号はアマゾンなんかだと11月号、2012年冬号は2012年2月号で、これは季刊誌なのでナンバーでいうと38号、39号にあたる。

38号の特集は「考える料理」で、川上(弘美)さんの手料理とかがメイン。関心がある特集で良かった。
表紙のこの女性、川上さんだったのだ! ロングヘアの写真しか拝見したことがなかったのでまさかそうとは思わなかった。
お茄子の特集、あの「コート・ドール」斉藤政雄シェフの特集なんかも目を惹かれる。面白かったのは、業界各人にアンケートを取った「私の好きな料理の本ベスト3」という企画だ。向田邦子の料理本はけっこうかぶってるなあ、とか、やっぱ小林カツ代は基本よね、とか。
平松さんの連載が載っていたのも嬉しい。写真はお馴染み日置さん。
おっ、と思ったのは、「高山なおみのロシア日記『犬が星見た』をめぐる旅」が連載第1回目だったことだ。高山さんはアマゾンで平松さんのを購入しているからか、「おすすめ」でずっと上がってくるのだが未読のままだった。それを武田百合子のあの名著を媒介にして試し読み(じゃないけど)出来るとは。想像したよりも全然料理人ぽくないふつうの飾らないエッセイだった。うーん、特にどこも悪くないけど逆に「文庫本も買ってみようかな」と思わせるなにも無い、まあまだ今のところは。でもこれは企画が良いから本になったら買うかも知れない。

39号の特集は「ひとは山に向かう」。
こちらは前号の連載の続き以外に特に気になったもの無し。

コウケンテツの鍋、汁もの、煮込み ――うまいおかずレシピ50

コウケンテツの鍋、汁もの、煮込み―うまいおかずレシピ50 (別冊すてきな奥さん)
コウ ケンテツ
主婦と生活社
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■コウケンテツ
雑誌「考える人」の料理特集を読んで、そのあと本屋に行ったら、なんだかそういえばわたしは自分でレシピ本とか全然買ってないよなー、マンネリ化しがちか、もっと新規開拓するべきでは、という気分になった。まことに影響されやすい単純な、もとい、素直なにんげんであることよ(と云っても誰も損はしないだろうから云ってみる)。

人気の向田邦子レシピ本を探してみたら店頭在庫は無かった。まあ、ショッピングモールの書店だもんな。多くを望んではいかんよな。
大人しく料理本コーナーで物色する。おお、小林カツ代。ぱらぱら中身を見ると本当に基本というか、正しい日本のゆうごはん、といったメニューが並んでいる。しかしこういうのはいちおうレシピ無しで作れるんだよなー。
もっと変わったのがイイ、自分のアタマでは考えつかない新境地を!

カツ代さんの息子ケンタロウさんのレシピ本はなかなか面白そうだった。いやしかし、なにかピンとこない。そういえば同じくテレビで見かける若手料理研究家の男性がいたな……ということで思い出した。

コウ・ケンテツさん。
イケメンだ。いやそれで選んだわけではない。
テーマが素晴らしい本を出しておられたのだ!
「煮込み」。
おおおおお。煮込みとはほんとうになんと素晴らしい響きなのだ。なんだかもう、その言葉だけでうずうず料理人(誰?)の血が騒ぐではないか。
中身をさりげなく確かめると面白い組み合わせの煮込み、鍋料理の類ばっかりだ。炒め物とか蒸し物はいっさい無く、潔くワンテーマでどーんと勝負の一冊なのだ!

というわけで、買ってぱらぱら眺めてみた。美味しそうだ。作るのも楽しそうだ。
だが、レシピ本をちゃんと「活用した」と言い切るにはせめてこの本の半分くらいは自分の手料理として、作れるようになったアカツキ、でなければならないのだろう。

その前になんかこの本見てると煮込み用の鍋を新たに買いたくなってくるのが困ったもんだったりするが……(いまあるので作れ)。

2012/10/20

ボタニカル・ライフ 植物生活 【再々読】

ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)
いとう せいこう
新潮社
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■いとうせいこう
3回目の通読である。
小学生時代から祖父の影響で苗木を庭に植えて育てたりしていたので、こういうエッセイは非常に面白い。去年からわたしもベランダーの仲間入りをし、少しずつ鉢を増やしている。虫とか根腐れとかその逆の水やらなさすぎとかいろいろ失敗をした。そういうのがあるから、すくすく元気に葉をみなぎらせているのとかを見ると「ああ、順調に育ってて嬉しいなあ」としみじみ有難く思うのだ。

いとうさんは、寒くなってくるとベランダから室内に鉢を移したりしておられるが、というか室内とベランダの鉢をふつうにそのまま状況や育ち具合によって入れ替えたりなさっているが、やはり外に置いてあるものを部屋に置くと虫とか土とかイロイロあって、まあこのへんは気にするかどうかの個人の性格の問題なのであるが、去年の経験からいうとうちはそれは避けるべき、なのであった(室内にある植物は最初っから室内用の観葉植物として販売されていたものだけで、逆にこれは外には出せない)。

いとうさんは花とか実とか付けないとつまんない派らしいが、わたしは別に花が無くとも良い派である。まあ、花が咲いてるとそれだけで綺麗だし、華やぐけどね。緑の新芽とかも良いのだ。

庭が無くとも、植物を愛でることは出来る。というスタンスで書かれているガーデナーのブログが本書なのだが、正直、かなり「オトコの手料理」な世界だとは思う。NHKの「趣味の園芸」のような細やかさ、丁寧さ、用意周到さは著者の性格からして違うようだ。だけど、こういう慈しみ方・楽しみ方もあるんだなあ、ということで。失敗談が多いのも参考になるしねー。

2012/10/18

戦後短篇小説再発見10 表現の冒険 【再読】

戦後短篇小説再発見10 表現の冒険 (講談社文芸文庫)

講談社
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■講談社文芸文庫編 ■戦後短篇小説再発見
へんてこりんな話ばっかりの純文学アンソロジーで、作品によっては何度も読んで面白がっている。今回は全部読みかえしてみた。

内田百閒 「ゆうべの雲」★★★★
夢をこんなにも上手く書いてあるのにいつも感動する。灯りをつけてもすぐ明るくならないところとか「ネ申」っすよね。

石川淳「アルプスの少女」
すまん、ヲレには何が面白いのかわからない。

稲垣足穂「澄江堂河童談義」
前半の、芥川龍之介や谷崎潤一郎など実在の文豪が出てくるところは良かったが、後半はあまりにも興味の対象から外れすぎていて共感不可能。

小島信夫「馬」★★★
歯がゆい。
しかしなんともいえない味があって、狂気なのか正気なのか探りながら読んでいくのが面白い。

安部公房「棒」★★
昔はこういうキレキレのやつにシビれたものだが。だんだんヒネてこういうわかりやすい前衛には感動しなくなってしまう。まあ、何度も読んで覚えているからなんだろうけど。って、好きなんじゃん。ばれたか。

藤枝静男「一家団欒」★★★★
なんだろう、なんか好きだ、この空気感。
包帯でぐるぐる巻きになった、でも身体から解放されて精神が自由になっているからか、ものすごくライト。そして家族の良いところだけ妙に感動的に書いてあるところが変で、だけど明るいのは読んでてほこり、とする。

半村良「箪笥」★★★★
説明はつかないのだけれど。
独特の文体が良い味を出している。

筒井康隆「遠い座敷」★★★★★
座敷を通って集落から集落へ移動出来るとか、もうその設定を書いてくれてあるだけで何度感激して読みかえしたことか。

澁澤龍彦「ダイダロス」★★★★
一度も浮かんだことのない船の、その中にかかっている掛け軸のお姫さまの話、言っとくけど全然メルヘンではない。しかしこの高潔さが良い。

高橋源一郎「連続テレビ小説ドラえもん」
ナニガオモシロイノカマッタクワカラナイ。
今回久しぶりに読みかえしたけど、やっぱりわからんかった。
こういうのはドラえもんじゃなくてサザエさんでやってほしかったように思う。

笙野頼子「虚空人魚」
タイトルが素晴らしい。中身はタイトルほど甘くない。

吉田知子「お供え」★★★★
この、まあ無い、という設定なのになにか妙にリアリティがあるディテールの積み重ね方とかすごいよなあ。花の名前とかすごく丁寧に書いてある。登場人物の言動とか主人公の心の動きとか、そういうところがきちんと表現されているから、この異様な設定が成立するのだ。

2012/10/17

エストニア紀行――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

エストニア紀行: ――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦
梨木 香歩
新潮社
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■梨木香歩
エストニアって云われても「バルト三国」くらいしか浮かんでこなくて、昔、ソ連から独立したというニュースを聞いたときの記憶がぼんやり浮かぶだけ。なっきーの新刊告知でタイトルを知った時最初にわたしがしたことはグーグルマップでエストニアの位置を調べることだった。スカンジナビア半島の向かい。ヘルシンキが対岸にある。北の国、だ。

実際に本を手に入れてみれば紀行文なのに地図もなにも無くて、知りたいひとはこれを機会に調べて欲しいというスタンスかと思う。木寺紀雄さんによる写真が数ページ、中ほどにあってまずそこをぱらりと見やるととても鮮やかな色彩で思わず凝視してしまう。織物の赤、木の実の赤、木々の緑、渡る虹。うーん、でも表紙に選ばれたのはこの地味な葦原なのね。なるほど。

この紀行のサブタイトルは「コウノトリに会いたくて」でもあると思う、植物にも動物にもずっと親しい好奇心と愛情を持っている著者だけどヒトが住む場所と彼らはなかなか共存できない。人間がいかに多くの種を絶滅に追いやったかということが繰り返し梨木さんの絶望的な実感として語られる。そして、そんななかコウノトリは珍しく人里に棲む鳥で、その姿をせめてもの救いのように追い求めてしまったのだと、そんな心境を吐露しておられる。

この旅は、女性編集者、写真家、通訳、案内人とのチームワークみたいな面もあって、どっちかというと独自の視点と考察でその世界観を構築していくタイプの梨木さんだけど、こういうそれぞれがプロの仕事に徹する、尊敬できるひとたちと組んだときに取っていくスタンスとかも興味深くて、面白いのだった。カメラマンの木寺さんが着ていた独特のジャケットに対する内心のコメントとか、なんだかユーモラスでおかしい。あと、怪談とかしちゃうんだね。得意だそうだ。その流れでまさかのゴシック・ホラーみたいな展開もあって、怖いというか不思議というか、なんというか切ない哀しい話でしんみりしちゃうんだけどもさ。
なっきーって生きてるひとも、死んでるひとも、植物も動物も、あんまり扱いを変えないというか、真正面から受け止めようと努めてる感じだなあ、とかいうことを本書を読んでまたしみじみと思った。そうそう、森と同化というか溶け込もうとしてるシーンもあったよなあ。元祖森ガール、ってそうじゃないけど。

ふだんの生活圏から離れて、自分の背骨をまっすぐに立て直すための場所に行く。近い遠いの差はあれど、わたしも時々そうやってバランスを取っている。
誰の身にも「森」(つまり、それに類するもの)はあるのだろう。

エストニアのひとはみんな茸に詳しくて、茸がどっさり生えているから茸狩りとか目の色変えてやるらしい。日本ではよくうっかり毒キノコ食べちゃってニュースになってるけどそのへんは経験値が違うから大丈夫なんだろうなあ。そういえば映画「かもめ食堂」でも茸のエピソードは出てきた。あれはヘルシンキが舞台だけど。

留守を知らせるための印を「合理的だ」としてそれで成り立つ泥棒のいない国、お金持ちにはなれないけれど自給自足で生きていける国、自分の身の丈にあったぶんだけ働いて生活しているひとびと。
浮世離れ、まではいかないにしても、なかなか、別世界、ではあると思う。

一読しただけなので、また少し時間をおいて読み込んでいきたい。

2012/10/14

佐渡の三人

佐渡の三人
佐渡の三人
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長嶋 有
講談社
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■長嶋有
長嶋有という作家の書くものは身内をモデルにしたようなしないような話が一連のシリーズもののようにある。どういう設定かは読んでみるまでわからない。今回の「私」は女性で、道子という。しかし純文学系作家であることや大雑把な世代は著者自身と重なる。また、その父親は古道具屋をしていて名前がヤツオ、というのは『ジャージの二人』などと同じだ。今回は「私」に弟がいる。そして祖父母が出てきてかなり重要な役柄を担っているというのが今までにない設定だ。
4つの短篇として読めないこともないが、話のステージは同じだし、前の話を受けて続いていたりするので長篇のようにも読める。連作短篇っていうのかな。初出は以下の通り。

「佐渡の三人」         :「文學界」2007年1月号
「戒名」            :「群像」2009年3月号
「スリーナインで大往生」    :「群像」2011年11月号
「旅人」            :「群像」2012年6月号

それぞれの「アラスジ」をいっぺん書いてみたのだが、それはたしかにそうなのだが、そのアウトラインだけだとこの小説の面白さをなんっっっにも伝えてくれないことが判明し、潔くざくっと削除した。
長嶋有の小説はスジじゃないんだ。一言一句、表現されるそのシーン、台詞、描写によって場の空気が構築されている、その全体が、めちゃくちゃ面白いのだ。
なにしろ、アラスジを書くためにさらりとなぞりなおそうと1ページ目に戻った筈が気が付くとまた普通に読み込んでしまっていた。読んでいく過程が心地よい。はっと気が付いて「これは、何度でも読んでいられるな」と驚いてしまった。

最初の話だけではあえて書かれていなかったことも全編読むと出てきたりするが、なんにせよちょっと毛色の変わった一族だなあと思う。そしてなんだか登場人物一覧を作りたくなってくる。今回珍しくいろんなひとが出てくるからだ。他の作品からの繋がりもあるし、「どれどれ、どうなってんだこの家族」と身を乗り出す感じ。

道子(私。純文学作家。両親離婚後母親に引き取られた。30代。独身。)
(私の弟。高校中退後ひきこもり。両親離婚後父親に引き取られたが祖父母の家に同居し、数年前彼らが寝たきりになってからはその介護をしている。)
ヤツオ(私の実父。古道具屋店主。)
長節(私の実父の父。私の祖父。医学部教授・病院長だった。権威が好き。)
みつこ(長節の妻。私の祖母。ワンマン。改築魔)
ヨツオ(私の実父の長兄。言語学教授。おっ、が口癖。私の書いた文章をマメに読んでくれる。祖父母の隣の家に住んでいるが、多忙なため滅多に会えない「ボーナスキャラ」。)
ムツオ(私の実父の次兄。医学部教授。ヨツオ以上に多忙でよっぽどでないと会えない。やはり医者の息子がいる。)
トキコ(朱鷺子。ムツオの娘。ドイツの交響楽団に属する伴奏ピアニスト。)
スミ(トキコの妹。直接は登場しないが名前だけ出てくる。)
愛人(私の祖父の愛人。ヘルパー。私は一度も正面から会ったことが無い。)
おじちゃん(私の祖父の弟。大叔父。名はシンサク。長節の隣に住んでいる。元新聞記者で「本物の文学青年(老年?)」。)
おばちゃん(大叔母。シンサクの妻。私が遊びに行くといつもコーラかスプライトをふるまってくれた。商店街の福引でパリ旅行を当てたことがある。)
リュウ君(大叔父と大叔母の息子。私がこどものころから大人で、ずっと働かず家にいる、たまにしか出没しない「隠れキャラ」。)
クミさん(大叔父と大叔母の長女。リュウ君の姉。)
カナちゃん(大学2年生。クミさんの娘)
お坊さん(佐渡の、私一族の墓があるお寺の住職)

道子の父親(ヤツオ)はずっと出てくるけど実母は一度も(伝聞ですら)出てこないので詳細一切不明。
老いた祖父母が寝たきりで、一族に引きこもりが複数いて、祖父には愛人もいて、なんだか書きようによってはいくらでも重たくなりそうな素材を扱っているのにちっともそうならない。どこか他人事で暢気である。これは「私」だけでなく一族に共通する性格に因るところが大きいだろうと思っていたらこんな箇所があった。この数行にすべてがある、と思えたので少々長くなるが引用する。

  私たち家族は、ウケるということをしてきている。
  変な家ではあるが私たちの家だけに特殊さが集中しているわけではあるまい。きっとどんな家にもそれぞれ変な部分や、問題があるだろう。家を構成する一人一人にもだ。<中略>
  そのどれにも有効な手をうてずに、その代わりに「ウケる」ということをする。<中略>
  もちろん、世間の多くの人が「冗談めかす」ということを知っているし、する。冗談めかすことで、深刻ななにかを相対化する。他者に心配をかけまいという優しさを発揮する。
  だけどこの家では、一人でただ冗談めかすのではない。家中で「ウケる」ということを、父も弟も、皆が皆の役目のようにやる。悲しみにユーモアを「混ぜる」のではなくて、「同時」なものにする。悲しいことを減らすのではない。まぎれさせるのでもない。「ウケる」ということにさえしたら、その時間は悲しいのではないのだ。なくなってないのに。
  だからとにかくウケるということにだけは敏感だし、絶対に逃さない。手をかざして他を制しながら背面キャッチする外野手のように、ウケる場所に迷わず走っていく。


2012/10/12

夜明けの睡魔 海外ミステリの新しい波 【愛読書】

夜明けの睡魔―海外ミステリの新しい波 (創元ライブラリ)
瀬戸川 猛資
東京創元社
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■瀬戸川猛資
解説に拠れば早川の「ミステリマガジン」で連載が始まったのは1980年7月のことらしい。調べてみたら単行本は早川書房から1987年10月に出ている。そしてわたしの手元にあるのは1999年5月28日の文庫初版である。創元ライブラリ。出版元は何故か東京創元社である。なんでハヤカワ文庫じゃないの?

1999年3月に50歳の若さで亡くなってしまわれた、瀬戸川氏の名前は北村薫などのエッセイなどにも登場していた。ワセミス出身で、本書を読めばひしひしと伝わってくるが、ほんっとーーーに、ミステリがお好きだったようだ。

この文庫には宮部(みゆき)さんが帯にコメントを寄せられていて(「私もいつかここに取り上げてほしかった」)、そもそもはそれに吸い寄せられるようにして購入したのだが、一読するや夢中になり、以降繰り返し何度も読んできた。
今回、久々に読みかえしてみたがやはり面白い。取り上げられている海外ミステリを既読の場合、実際読んだ感想と比較して、なるほど瀬戸川さんはユニークかつ一本筋の通った見方をされているなと思う。ミステリというものに対する愛情が濃いのだ。惚れ込んでいるのだ。まずスタンスが違う。こういうひとがいたら、さぞ感想を言い合うのが楽しいだろう。

これはミステリの案内書である、それは確かで、本書をきっかけに読んだ海外ミステリはいくつもある。でもそれだけじゃない、この本は書評として、それだけで既にめちゃくちゃ面白い、優れたエンタメになっているのだ。

瀬戸川さんの、ミステリへの熱い想い。子どものようなきらきらした視線で、青年のような情熱を持って語られる作品紹介は、とおりいっぺんの書評では収まらない。
行間から、著者の身振り、手振りがうかがえるようで、思わず笑い出してしまいそうになる。ああ、好きなんだなあ、楽しいんだなあ、って。そしてその作品を是非とも読んでみたくなる。
もちろん、誉めるだけではない。ダメなモノはだめ、ユルセナイものはゆるせない、とオノレの意思をくっきりはっきり表明する。感情的になっているのではなく、どこがどうでだから、とちゃんと書いてあるので、成程ね、とうなずくことが出来る。

現在、本書は古書でしか入手できないようだが、「ミステリーとミステリの違い」とか問われ身を乗り出すタイプなら間違いなくハマること請け合い。
ちなみにこれの姉妹版?の映画版『夢想の研究』も面白いぞ。

夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)
瀬戸川 猛資
東京創元社
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2012/10/07

焼き餃子と名画座  わたしの東京 味歩き

焼き餃子と名画座: わたしの東京 味歩き (新潮文庫)
平松 洋子
新潮社 (2012-09-28)
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■平松洋子
東京の、いろんな町の「ヒラマツさんのいきつけ」の美味しいお店、その料理の品々をいつもの平松節で紹介してある。順番に読むのもよし、あちこち覗いて気になった場所から攻めるもよし。
あー、これは平松さんのミシュランだな、と読んでいて思った。
決して高級店では無い。老舗ばかりとかでもない。
昔からある、ほんとうに美味しいものを知っているお客が集まる場所。
東京にはお店がいっぱいあるなあ、としみじみ感じた。

ひとから「ここはオススメ」と教わって知るのもあるだろうけど、自分の勘でお店を探す。その中には「あら、間違えた」ということだってそりゃあ、ある。そのへんのことにも触れられていたのが、興味深かった。はずれがあるから、アタリを見つけたときのヨロコビがあるんだよね。

関西在住なので気軽に「じゃあ行ってみようか」とは出来ないけど、例えばとんかつの話を読んでいるその日のお昼は自分の知っている美味しいとんかつのお店に行ってしまったり、海南鶏飯の話を活字で味わううちに影響を受けて晩ごはんに鶏の炊き込みご飯を炊いてしまったり。

家庭の味も悪かないけど、やっぱ、プロの作った「美味しい」はいろいろ全然違う。まず素材の仕入れから違う。調理道具も設備も、そして作る人の腕も。
平松さん、これの京都・大阪版とか書いてくださらないかなあ。

平松さんの本にはお馴染みのカラー写真も。
今回は食べ物の写真じゃなくてお店の雰囲気がいきいきと伝わってくる写真。カメラマンは齋藤圭吾さん。
巻末には2回目の東海林さだおとの対談があって、楽しいぞ!

2012/10/02

恐竜物語 【十代からの愛蔵書】

恐竜物語 (新潮文庫)
恐竜物語 (新潮文庫)
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レイ・ブラッドベリ
新潮社
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■レイ・ブラッドベリ 翻訳;伊藤典夫
「恐竜物語」で検索すると最初に上がってくるのがムツゴロウさんこと畑正憲原作/角川春樹脚本・監督の映画"REX 恐竜物語" (1993年7月3日公開)だが、ここでご紹介するのは1952年から1983年の間に書かれたレイ・ブラッドベリの恐竜が出てくる作品ばかりを集めた短篇集。
数名の画家による挿し絵がたっぷり収まっていて、とても贅沢なのに価格は通常文庫並という素晴らしい1冊。東逸子さんのイラストは表紙だけ。
残念ながら絶版になって久しいようである。愛読書というよりは愛蔵書。

「恐竜のほかに、大きくなったら何になりたい?」
Besides a Dinosaur, Watta Ya Wanna Be When You Grow Up? (1983)
ファンタジー。
大きくなったら何になりたいか、というのは幼い子どものときから時期に応じていろんなレベルで考えるテーマだと想うけど、真面目に大きくなったら恐竜になる”と決めて、そうするにはどうしたら良いか具体的な方法を祖父に訊いたりするのって何歳くらいまでが上限なんでしょうかねえ…。
ちなみにこの作品の主人公は12歳。
今回再読してこの年齢設定にもの凄く違和感を感じてしまったのだけれど、私自身がこの話を最初に読んだのは十代の頃で、そのときそんな感想を持った記憶が無く、それよりもクライマックスで少年の寝室を祖父が訪れたときに起こる不思議な現象が挿し絵とともに強烈に印象に残っていたわけで、ブラッドベリの魔術にやられたということか。


「いかずちの音」
A Sound Of Thunder (1952)
タイム・マシンで恐竜が実在する時代にハンティングに出掛ける話。
過去の世界になんらかの影響を与えてしまったならば、それがたとえどんなにささやかなことであっても未来にはとんでもない結果をもたらしてしまう……というオソロシイ教訓をわたしはこの話を読むことによって骨に刻んだ。

「見よ、気のいい、気まぐれ恐竜たちを」
Lo, the Dear, Draft Dinosaurs! (1983)
陽気な詩。踊る恐竜たち。恐竜讃歌。

「霧笛」
The Fog Horn (1951)
これは他のブラッドベリ短篇集でも読んだことがある。叙情的名作。
濃霧のなかを灯台が霧笛を鳴らして船に合図を送る。その音が、その姿が、海の奥底、深い遠いところで眠っている恐竜をして仲間を思わせ、呼び寄せる……。
なんという発想、なんという哀しくも美しい物語だろうか。

「もしもわたしが、恐竜は死んではいない、と言ったとしたら」
What If I Said: The Dinosaur's Not Dead? (1983)
警句めいた詩。シュール。

「ティラノサウルス・レックス」
Tyrannosaurus Rex (1962)
皮肉たっぷり。映画の作り手側(芸術・職人的立場)と雇い主側(経営的立場)の人間の軋轢と、場を丸く収めるために弁護士が思いついた方策と結果。嘘も方便、というか。
弁護士上手いな、オトナだなとは思うけど、なにか、釈然としない気もする。わかるものには皮肉・批判が伝わる手段が残った形のままであるにも関わらず雇い主がほくほくしているので見事な決着なんだけど、作り手側にどうしても同情してしまうというか、だから雇い主をぎゃふんと言わせるか、白黒ハッキリつけてスッパリ切ってもらったほうが憤懣やるかたない思いにはふんぎりがついたというか。でもそれじゃお金にならないし、社会的にはどうよって話だし、まあ「賢い」んだけどね。

これは当時の新潮文庫のチラシ。