2012/03/29

野蛮な読書

野蛮な読書
野蛮な読書
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平松 洋子
集英社
売り上げランキング: 15447

■平松洋子
料理のこと、キッチンを中心にしたエッセイを書くひと、と認識していたが某誌で小説の書評を書いているのをたまたま見かけたりしていて「お?」と思っていたらこういう本が2011年10月に出た。これまでもその著作のそこここに本好き読書好きの色が見えていたからこちらとしてはとうとう来ましたな、という感じだったがどうも平松さんの守備範囲をわたしのそれは結構違うようで、興味はひかれつつもためらっていた。

まあしかし読んでみた。カステラの話からはじまるのは「いつもの平松さん」だったが最初に出てくる文学作品は開高健である。評価の高い、素晴らしい作家なんであろうことは重々承知だがオノレの趣味に合うかどうかというのはまた別問題である。学生時代、とりあえず有名作家にはなんでも体当たりしていた時代に1作読んだことがあるだけなのだがそうかあ、平松さんは開高先生好きなのかあ。

こんな調子でいつもの料理や(美味しい)ものを食べる日常のあいだに小説やら映画やらの話題がはさまってくる。こまごまと丁寧に内容にふれているのもあれば、著者名とタイトルとあっさりとした感想だけのものも結構ある。しかしほとんどはその著者の世界をだいたい察して合わないと判断している作家、なんだか今まで興味がとんとひかれず手に取ったことのない作家の著作で、うーんなるほどなー、やっぱ読書の趣味って十人十色で書き手(=平松さん)のことが好きでもそのひとの好きな作家と一致するかといえばまたそれは全然別の話なんだよな……という、学生時代に悟った真理をまたも確信し直したのだった。

巻末に「この本に登場する書籍や作品」なるリストがあるが、文字通り、「出した」だけで内容にほぼ触れていないのと同義のものも一様に扱われている点はご留意されたし。

ふつう、こういう「この話が好きっ」というココロがあふれたエッセイを読んだら少なくとも数冊は自分も読んでみたいと思う作品が見つかるものなのだが、今回はほぼ無かった。というか、あったのはその本が出版された当時から気にはなっている作品だけで、そういうのに限って何故か平松さんの言及内容が少ないのだった。ためしに「合わないと思ってるだけで読んでみると案外?」と思って某著作を書店でぱらぱら試し読みし、レジに持っていきかけたが、やはりその作品のもつ雰囲気がわたしには「じとっ。じめっ」と湿気たっぷりにのしかかってくる気がして、やめた。

平松節はいつもどおりで、それはそれとして楽しんだ。断食日記が興味深くはあったが、そりゃ食べるもの食べないで運動してたら痩せるに決まってるんだけど、日常生活に戻ったら速攻体重も戻るんじゃないのかなあ? 痩せるのが目的じゃなく、なんかリセットする、って感じなのかなー。

2012/03/23

逃亡くそたわけ 【再読】

逃亡くそたわけ
逃亡くそたわけ
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絲山 秋子
中央公論新社
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■絲山秋子
前回読んだときの記憶で阿蘇山に行くシーンが、阿蘇山がなんか想像つかないほどでっかくて雄大な感じに描かれてて、良いなあと思ったということをよく覚えているのだけど、イマ自分が前に書いた感想を読んでみたら阿蘇山のあの字も触れていないのだった。だめじゃん。

今回読んで、あーそうそう「亜麻布二十エレは上衣一着に値する。」だったなあ、と冒頭で懐かしく思ったけど実際こんな腐るほどリフレインされていたんだっけか。それにしたら全然記憶から抜けてたんだけど、やっぱ阿蘇山と、汚した布団そのままエピソードはそれだけ強烈だったってことね。

この話の主人公はずっと、地の文も博多弁をしゃべっている。これが前回も書いたけど本当に良い味出してる。この本は2日間で少しずつ読んだが、今日など頭の中の思考が中途半端な博多弁もどきになっていた瞬間が確かにあり、なんでやねん、と我ながら思った。関西弁という超強力磁場の元で生きているから負けないが、しかしリアルに横の席に博多弁の同僚とかいたらあっさりうつりそうだな。

ここではないどこかへ行きたい、全部放り出してどこか遠くへゆきたいなあ、というのは大人になったらきっと誰しも一度は一瞬考えたことがある願望ではないだろうか。この小説の21歳の主人公は、それをほんとにやっちゃう。しかもかなり無計画に、衝動的に。なんとなくその場の思いつきで道連れにした「なごやん」がいたから移動手段も金銭面もなんとかなったけどひとりだったら結構初期段階でアウトだよね……。

ああ阿蘇山行きたぃ。
っていうかこの小説読んで地方のひとはなんでみんな標準語武装するんだよー、どこでも自分とこの言葉でしゃべったらどんだけ良いんだ、とちょっと思ったけどマジでしゃべられたら理解できんかったりするか、うーん。本で読んでるぶんには前後の状況とかも手伝って、ほぼわかったと思うんだけどね。
東京からみたら「博多」とか「宮崎」とかそういう区別じゃなくて「九州」でひとつのイメージ、というのは関西在住のわたしでもほぼそんな感じなので「あ~」と思った。「近畿」と云っても大阪と京都では随分違う、「大阪」と云ってもキタとミナミでだいぶ違うとか、そういうのが九州にもきっとあるんだろうなあ。

2012/03/21

文芸漫談 笑うブンガク入門

文芸漫談 笑うブンガク入門
奥泉 光 いとう せいこう 渡部 直己
集英社
売り上げランキング: 261707

■奥泉光・いとうせいこう・渡部直己
この本の存在については、だいぶ前にいとうさんの『ボタニカル・ライフ』が面白かったんで検索したときにその存在を知ったのだけど、そのへんの本屋さんにあんまり売ってなくていざ大きい書店に行ったときは忘れてたりして、それに当時は奥泉光を未読だったからどうかなーっていうのがあったのだけれども、双方既読となった先日たまたま見付けたのでようやく読むことが出来た。

本書は、いとうさんと奥泉さんが文学をネタの素材としてライブで漫談したものを「早稲田文学」の編集の方がテープ起こしして同誌に掲載していたものを書籍としてまとめたものだそうだ。その際に渡部直己氏による脚注が追記されたそうだ。渡部直己さんって太宰治の卒論書くときにいろんな論文読んだときに見かけた気がする、けっこう個性的な主張されてた、あの方かなあ?

ともかくもこれは最初っから活字で書かれたものじゃないということで、意外~いとうさんはともかく奥泉さんってそういうキャラだったんだ~、とちょっとびっくりした。しかも中身じっくり読ませていただいて、奥泉さんといとうさんがほぼ等分にしゃべりまくっているので再度びっくりした。いや、みうらじゅんとの『見仏記』では完全に一歩引いたキャラに徹しておられたので、常にそういう立ち位置、黒子となって個性的なメインを立てるスタンスの方なのかと勝手に思い込んでいたのだ。っていうかいとうさんやっぱインテリじゃん~難しいこといっぱい知ってるじゃん~『見仏記』や『ボタニカル・ライフ』では見られなかったインテリジェンスとかそのぶん一筋縄ではいかない性格とかが垣間見えてなかなか興味深かったっすよ。
まあ、意外性といえば奥泉さんの笑いを取りに行く姿勢、その情熱の間違った(?)かけ方に勝るものはアリマセンけどね。なんだい『桑潟准教授』が本来のこのひとの持ち味だったんかい。

「小説の書き方・読み方がクスクスわかる!」というのが本書に付けられたキャッチ・コピーなんだけど、まあ「クスクス」というのはそういう笑いが読んでいると自然にわいてくるであろうという意味でそれはその通りだったんだけど、これ読んで小説の書き方とか読み方が「わかる」というのはどうなんだろうなあ~。なんか、学生時代にいろんな文学系の雑誌ナナメに読んでたときに目にしたワードがやたら出てきてうーん懐かしいなあ、昔こういうのあったなあ、という感想、ま、純文学好きの高校生とか大学生には現役で役立つ……かな?

日本では私小説、中でも自然主義がめっちゃ流行った時期があったから未だに「私は~」式一人称小説書くとそれ読んだ郷里の知り合いから「私=著者」と思い込んでる感想や疑問を投げかけられる、っていうのはすごーくよく分かるし、っていうかフィクションなんだけど、でも自分のことベースに書く純文作家って21世紀になったイマでもいるしね。

本書でいちばん面白くて成程なと思って印象に残ったのはアメリカ人のジェイ君のエピソード。日本人は日本語を解釈する共通認識みたいな、暗黙の了解みたいな「コード」を理解しているから「古池や蛙とびこむ水の音」の「蛙」は1匹か、せいぜい2匹だということを説明されなくてもなんとなくわかる。逆に「しずかさや 岩にしみいる 蝉の声」の「蝉」はたくさんの蝉じゃなければ成立しないことも。でもジェイ君にはそのへんの「わびさび」が分からなかったから「このカエルはとりあえず一万匹はいるな」とか自信満々で解釈してて、その間違いを指摘されると「なるほど。じゃあこの蝉は一匹、せいぜい二匹なんだなっ」と言ってまたも撃沈するという……。あああアメリカ人にかかるとそういう理解になっちゃったりするんだ、日本人だと感覚で、ニュアンスわかると思うんだけど……それが「コード」っていうことか。なるほどね~!

それにしてもあれだな、奥泉さんはよっぽど村上春樹が嫌いらしいね。でもって、どんなひとでも夏目漱石先生はやっぱ凄いと思うんだね。芥川とか太宰は濃いファンもいる一方でダメなひとはダメなのに。文学やってて「漱石はダメだ」って言うひとってほんといない気がする。

2012/03/16

武士道エイティーン

武士道エイティーン (文春文庫)
誉田 哲也
文藝春秋 (2012-02-10)
売り上げランキング: 1072

■誉田哲也
いや~……面白い。
16→17→18歳、と、だんだん面白さがアップしているように感じさえするが、これはまあ17、18歳を連続して読んだからかも知れない。
16、17歳は香織と早苗ちゃんのダブルヒロインで交互に語るだけだったのが、18歳では脇役たちが主役のスピンオフ的な短篇みたいなのが間々に挟まっていて(短篇小説と言い切れないのにはいままでの長篇の中で描かれたことが背後にあってこその、という色がけっこうあるから)、これが物語に奥行きを持たせてさらに、面白くなるのだ。つくづく、上手い。
本編では十代の少女の一人称だけに出てこない人生のエグみみたいなものが例えば桐谷先生視点の話ではゾロゾロと出てきたりして、なるほどな、と。「影」を描くことで、さらに「光」がいや増すみたいな効果もあって。
早苗ちゃんの姉の緑子さんの恋愛ストーリーには思わず胸キュンというかいまどきこんな爽やかな恋愛、少女漫画でも読めないよ! ってくらい素敵で、緑子さん応援しまくってしまったし。っていうか、もうちょっと後でやっぱりこのふたりくっつくとか無いのかっ、って思わず祈っちゃう。
吉野先生の話はなんかもう、うわっ昭和の少年漫画ですかスケバン漫画ですかって感じでベタな展開しまくりだけど思わず読んじゃったし。美緒ちゃんの話はあーそういうこと考えてたのか~みたいな、本編では想像できない一面で。これは本人じゃないとわかんない微妙な問題だよなあ、十代らしい悩み方だよなあ、と。

それにしても磯山香織というのは面白いキャラだなあ。読んでいると思わず吹き出してしまうことがしばしばある。本人めっちゃ真面目なんだが。超真顔なんだが。でもだんだんオトナになってきて、周囲のこととか人間関係とかだんだん見えるようになってきているのが頼もしくもあり、16歳ってのはやっぱ16なんだねえと改めて眩しく思い返したり。
一方の早苗ちゃんは相変わらず穏やかで、のほほん可愛い女子高生でありながら、いろいろしっかり段取りつけて考えているところがめっちゃ大人!って思う。わたし18歳のときこんな賢くなかったわ~、すごいエライわ~。

に、してもこの二人仲好過ぎ!っていうか、レナさんとのくだりとかもそうだけど、ほんとどこの熱愛小説デスカってくらい熱々の台詞が出まくりで、読んでてもうなんか……こっぱずかしい。逆に恋愛だったら書けないよーな、友情小説だから書けるよーな、うーん。
男同士の友情とはまた違う、少女ならではの、この距離感がなんか妙に懐かしいような、切ないような、――ピュアだねえ、ほんと、十代って最強だな。

解説は有川浩。ラノベ小説家ならではのキャラ分析視点がめちゃ面白かった。
「盛りすぎ盛りすぎ!(※設定を)」って(笑)。

2012/03/13

武士道セブンティーン

武士道セブンティーン (文春文庫)
誉田 哲也
文藝春秋 (2011-02-10)
売り上げランキング: 6233

■誉田哲也
『武士道シックスティーンの続篇。
いま気づいたけどこの表紙のイラスト、面白いなあ。アマゾンの画像だと最初から足元の崖ガラガラが見えているんだけど、リアル書店さんで買うとこの部分には帯がかかってて、だからいっけん普通に磯山さんと早苗ちゃんが並んで立っている構図となる仕掛けである。デザインは誰だっ、と確認したら池田進吾(67)さんだ、でたっ、名前にカッコ年齢、みたいなのが付いてる変なひとだっ(いま調べてみたら年齢じゃなくて、ロクナナと読むらしい。1967年生まれ、とあるからそこからなんだろうなあ)。

小説の感想だが、素直に面白かった。
シックスティーン読んだ時も面白いとは思って、なるほど売れてるわけだ、おそらく17歳も18歳もこれくらいの完成度には達してるだろうから、「ハズレナイ本」の保険本として、本屋さんになーんにも読みたい本がないのにでも読みたいっ、ってときのために取っておこうとなんとなく思った。逆に言ったら速攻17歳買わなくても大丈夫レベルだったんだけど、それはこのシリーズが「待て次号!」的引きをしてないからで、16歳も17歳も読み終えて、わりとすっきり、あー面白かったなー良かったなー、って思える。っていうか解説によればそもそも最初は16歳だけで終わる単発モノとして書かれたんだそうだ。そこへ読者さんの要望が行って続刊が出る運びになったんだそうだ。ほぉー。

「セブンティーン」を読んで、「早苗ちゃんの章はなんか共感しやすいなあ」「磯山さん(だって香織ちゃんって柄じゃないんだもん)、随分大人になったなあ、部活にちゃんと馴染んでるやん、先輩してるやん」としみじみ思った。
磯山さんはこのすっかりちゃらけた現代社会において(というと語弊があるが比較の問題で、武士が武士として機能していた時代と比べたらばのハナシってことで)「武士道」を手本にして生きる女子高校生だから、当然無駄にみえる軋轢も多いし、読んでいるとツッコミの嵐というかここまで徹底するかと笑い出してしまうことはあってもあんまり共感とかはなかったんだけど、この巻では彼女の生き方にうなずけるところがあった。特に後半。
早苗ちゃんも、福岡に転校してそこでいろいろまた新しい人間関係とか出来て、基本的に問題なく溶け込んでいっているようだったのだけど、まあそこは多感で純粋なお年頃だからいろいろ悩む点もあって、だけど彼女もおとなしくておっとりしてるようで芯が強い子だから。
終盤の展開(決闘とか。果たし状書くシーンは笑ったなあ)は「エンタメじゃのう~」というすごくわかりやすい盛り上げ方があって、まあ正直ベタな展開なんだけど、でもベタっていうのは強いんだよね。素直に面白くて、単純に感動させられてしまった。

それにしても早苗ちゃんの二十代、三十代はなんとなく想像がつくんだけど、磯山香織のそれはホント、想像つかん。
いったいどんな大人になるのかしらねぇ……。

2012/03/09

石の来歴/浪漫的な行軍の記録

石の来歴 浪漫的な行軍の記録 (講談社文芸文庫)
奥泉 光
講談社
売り上げランキング: 359730

■奥泉光
というわけで奥泉さんのルーツをたどるというほどでもないけれど、「石の来歴」を読んでみたくて、探したら収録されてて現在容易に入手できるのは講談社学芸文庫だけだった……文庫なのに、400ページ無いのに、税別で¥1,600円もするといふ。だが、巻末に「著者から読者へ」という、この2つの作品に対する舞台裏みたいな一文があったのが面白く、よしとしよう。例によって解説と、年譜(作成は著者自身だった)、著者目録も収められている。

「石の来歴」は1994年第110回芥川賞受賞作である。
先に読んだ「著者から読者へ」でこの2つの作品は太平洋戦争とか70年代の学生紛争がテーマだ、という情報を得ていたのでそれをふまえて読み始めたら意外にそればっかりが前面に出てくるんじゃなくて、石の蒐集をするちょっと変わった無口な男性が出てきて、石の話がずっと書いてあって(単なる石集めじゃなくて地質学的なところまで踏み込んでいく)、おまけに彼の職業が親から継いだ古本屋から発展して新刊も並行して扱い、一部貸本屋もしたというものだったから、なかなか読みやすくて興味を惹かれやすかった。やがて結婚して子どもが出来て、その幼い息子が父の趣味に関心を抱き、一緒に石を探しに行くという展開、だがひたすら地味に、静かに紡がれていたそのささやかな幸福はある日突然襲った凶事により滅茶苦茶に打ち砕かれる。しかしそこから後すらも主人公の基本的な生活リズムと心情はそう大きくは揺らがないのであって、それは読んでいると何かものすごい違和感を覚えるところだった。こういうものなのか。というかこのひとはいったい何を抱え込んでこういうふうに生きているんだろう。
すっかり純文学然とした空気に入り込んでいたら中盤で社会派小説みたいな展開が混ざって、眉根にしわを寄せっぱなしだったから最後の展開にはちょっと意表を突かれてしまって、思わず二度読み直した。SFやん!
そう来るか。

「浪漫的な行軍の記録」は2002年に書かれたもので、「著者から読者へ」によればこれは「石の来歴」で書きたかったが消化不良で終わってしまったものを書き直した作品だそうである。
今度の主人公はもうけっこう年齢を重ねたご老人で、太平洋戦争を経験したひと。戦争ものか、重くて暗いな、こういう真面目なの久しく読んでいないんだよなと読みはじめてみると基本的な視線が揶揄っぽいというか普通の戦争ものと違っていて、意外にユーモラスな調子があり、現代と過去の時系列を混ぜてあること、主人公自身の記憶の混濁があるらしいこと、それだけでないどこか時空を歪ませた著者のブラックホール、タイムトンネル的な意図的な描写が後半になるにつれどんどん増えていくことなど、SF的な要素もあって、いったいこれはどう転がるんだという感じだった。自己の意思無く命令によって無感動に歩き続ける行軍は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に出てくるマーサ教を連想させもした。さすがに終盤になると書かれる内容のえげつなさと主人公の思考の混沌で同じような場面がぐるぐる延々続く気がしてきて正直ダレてしまったが、なんかこの2つの作品を続けてセットで読めたことはテーマがはっきりしてわかりやすく、良かったと思う。

2012/03/05

桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活

桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活
奥泉 光
文藝春秋
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■奥泉光
これには前作『モーダルな事象』というのがあって、やはり順番的にはそっち読んどかなきゃだろうと本作に興味を持って読んでみたいがために前作を注文して購入して読んで、それが結構面白かったんで別に良いんであるが、結論からいうと、前作読んでなくても今作読むのに特に支障は無かった。というか、雰囲気が違いすぎというか表紙の雰囲気そのまんま反映しててサスガというか、これはなんとも軽いノリの、今風の、著者ノリノリな小説だった。

わたしが住んでいるのは関西弁圏だからまた違うんだろうけど、いまの標準語圏の大学生はこういう感じの喋り方をする人種が少なからずいる、というのはテレビなどを観ていて伝わってきていて、とりあえずこの小説に出てくる学生の喋り方はそのイメージのまんまで、正直美しい日本語とはかけ離れていてずっと読んでいると「うぎゃあああ」となってくるんだけど、そこは地の文がユーモラスで軽めの文体でありながらそれなりに落ち着きを保っており、安心である。ああ奥泉さんノリノリなんだな、楽しんでいるんだなと余裕をみせることが出来る。作中で学生たちが日常的にコスプレをしたりしているんだが、いわばこれは「文体の学生コスプレ」なのかも知れない。
昭和に書かれた通俗小説なぞ読んでいると、女性が「殿方におまかせしますわ」「よくってよ」とか喋っていて、昔はこんな喋り方リアルにしてたんかいな、すごいなーと思うことがあるのだが、いまから何十年後かの読者がこれを読んでどういう感想を抱くんだろう、そのときの日本語口語はどうなっているんだろう……てなことをしばし考えたりした。さらにクダけるんだろうか。それってもはや砕け散ってないか。

     *   *   *

前作で既に大学教員としてはかなり底辺にあったクワコーこと桑潟幸一「助」教授であるが、本作では「准」教授となって登場し、そのダメダメっぷりはまるで転がるストーンの如く、いまや「大学教員として」どころか全正規雇用者の中でもかなり底辺に位置するんでは、と思われるところまで堕とされてしまっており、著者様、いくら面白くするためとはいえあんまり殺生なとしばし落涙させられたというのは嘘だけれども、不勉強で非努力家で甲斐性なしのダメ男とはいえいちおうインテリに属するクワコー先生が道端に落ちている捨てられた野菜拾って食べたりしなくちゃ生活できんという設定にまてしちゃうトコロが漫画的というか、容赦無いなあ、と思う。働きたくともクチが無く、就職超氷河期が続いて非正規雇用者の割合が年々増加の一途でワーキングプアがいっぱいの世相を反映してるんだろうか、ううむ。っていうかクワコー先生、転職する前にお給料がいくらになるのか確認してないところが恐ろしいというかそこらへんの感覚がやっぱいわゆる「象牙の塔」の住人なのね。一般社会でそんな転職有り得ないでしょ。

前作は純文学出身ミステリ風オカルト風、といった感じだったのだけれど、今回は純文もオカルトもどっかへぴゅーっと飛んで行っちゃってて、ミステリ風エンタメ、というかぶっちゃけラノベみたいな感じ。で、日常の謎解きがスパイス。長編ではななく、短編3つ。女子大生がメインに出てくるけどクワコーが全然モテてないのがある意味救いだ。これでラブとか入っちゃった日には「どこのオヤジのモーソーだ」と唾棄すべき駄作となること請け合いで、そうはならずにひたすら学生たちに親しまれつつも「犬」的に軽くあしらわれ、それを諦念の沼奥深く沈み込んだ主人公が甘受していくその心理描写などきちんとしていて、やはり遊びゴコロ満載であっても「詰めとくべき点はしっかり詰めとく」姿勢で書かれているんだなと思う。メインはみんなしっかりキャラ立ちしてるし、シリーズ化するんだろうか、してもおかしくないよな、っていうか続篇出たら買っちゃうと思う。ジンジン可愛いし。木村部長のファッションの謎も知りたいし(謎なんてないのかもだけど)。

それにしても表紙の赤い自転車に乗っている男性のイラストは遠目には若いイケメン風なんだけど、実物をじっくり見ると口のワキのほうれい線などがちゃんと書き込まれていて、ちゃんとリアリズムなのだった。メインの女子大生たちの描きわけも良くて、眺めていて楽しくって可愛い。なにより作品の雰囲気とぴったり合っている。編集さんエライ。装丁って大事だね。装画・加藤木麻莉さん。

海馬が耳から駆けてゆく ①

海馬が耳から駆けてゆく〈1〉 (新書館ウィングス文庫)
菅野 彰
新書館
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■菅野彰
借りた本。
2000年9月に文庫化したもので、現在新書では入手が難しいようだ。
著者はふだんはBLとか書いてる方だそーだ。そのエッセイ集。
気が抜けた感じのイラストはトドで、このタイトル「海馬」は脳のカイバのことだけど、トドを「海馬」と書いたりもするので引っかけてあるらしい。

当時26,7歳の著者が家族や自分の身や周囲に起こった出来事を面白おかしく書いてあるのだが、その「日常」のぶっとびレベルが高すぎて、なんていうか、どこからツッコんだらいいのかわからん、ためしにツッコんでみたら3行で3か所くらいツッコミどころがあった。

電車の中で読んではいけない爆笑本であることは確かで、作品として面白いのは素晴らしいんだけど、でも同時にこれがすべて実話というのが考えてみると恐ろしく、大丈夫なんかと思ってしまう。

もうちょっと考えたらいいのになあ、とか、なんでそこで引き返さないんだ、とか、ごく普通のツッコミなんだけど、だってそれ下手したら死んでるやん、っていう命に関わるレベルのボケがいっぱいあるのがとっても怖い。極道でもやさぐれたおっさんでもなく、若いお嬢さんの身辺雑記にしてはあまりにも常軌を逸しているので、こんなひともいるんだなあ、これでもだいじょうぶなんだなあと勇気づけられる(違)。
わたし自身は世間的にはいちおう常識人の仮面をかぶっているが、おっちょこちょいな面、考えが足りない面があるので、以って他山の石としたい。