2012/12/29

0能者ミナト <5>

0能者ミナト〈5〉 (メディアワークス文庫)
葉山 透
アスキーメディアワークス (2012-12-25)
売り上げランキング: 193

■葉山透
ネタバレも含むので白紙で読みたい方はスルー推奨 ( ̄∠  ̄ )ノ

…なんかこの、小説の続刊が数ヶ月単位でどんどこ出てくるという実態に感覚が慣れないので変な感じがする。むかし、新井素子の「星へいく船」シリーズとか氷室冴子の「ジャパネスク」シリーズとかあったけど、年単位だったような気がするんだが。凄いよなあ昨今のラノベ界というのは。消耗激しくないんかい?

というわけで口の減らない28歳のガキ(0能者=湊)が悪タレをつきつつも怪異に予想外の手段で立ち向かい解決しちゃって「ああその手があったか目からウロコー・コロンブスの卵ー♪」なシリーズ第5弾でっす。
今回も面白かった。主人公湊よりも16歳のヒロイン沙耶ちゃんと可愛げの残る10歳の少年ユウキ君のほうが出番が多く、活躍もメインでしていて、正直湊の才能は認めるがその傍若無人な言動が好ましいとはとても思えない許容範囲の狭いワタクシにとっては非常に読みやすかった。それにやっぱ、基本構造がミステリーなので、馴染みやすい。

中篇ふたつと、いつもの大人組3人の茶店で次巻への前振り。
」は夜泣き石の話という導入だったが実はその正体は殺生石で、九尾の狐をいかに倒すかというバトル・アクション(違)。沙耶ちゃんとユウキ君だけで退治する話なので、法力とか神道巫女パワーとかその類の描写が多いので。それをちょっとマニアックな第三者が評価するという快感を刺激する構造になってる。でも最後に見出した解決方法に使われた道具がね、ああやっぱこのシリーズだなあという。
殺生石も小学校のときに読んだ「日本の伝説」に出てきたなあ、このシリーズ読んでいるとやっぱあの本にリンクしていくのが多いなあ。でも松尾芭蕉云々は知らなかった。面白い。
このシリーズで最も半死半生な目に遭うことが多いユウキ君。湊の沙耶ちゃんへのツッコミが鋭くてうむぅと思った。天然ヒロインって、残酷なんだよね。

」は前巻のあとがきでちょっと触れられていた湊対詐欺師の話。湊のキャラがそもそも胡散臭い詐欺師っぽいというか実は悪ぶってても根は善人、というおおいなるテンプレがあるからそれに逆らうために「湊は善人じゃないよっ」ということが繰り返し強調して書いてあるこのシリーズだもんで(そしてまあ確かに殺人とかほんとの詐欺とかはしないから悪人では無いと思うんだけど)、どっちもどっちという話かなあとうっすら想定していたら結構智恵合戦みたくなっていて、怪異云々よりもそのへんの心理戦・駆け引き・狐と狸の騙し合いがなかなか面白かった。
それにしてもこの話に出てくるサトリの親玉は随分暴力主義というか粗暴だよなあ、サトリってこんな怪異だったっけ? 被害に遭ったひとたちが気の毒すぎる、とんだ巻き添えなんだもん。
小さな怪異さんは愛らしくて可愛かった。ちょっとだけだったけど、ユウキ君に遊んでもらえて良かったね。これからは悪いひとにつかまらないで済むといいなあ。骸との関係はなんとなく、シータとその力を悪用しようとするムスカを思い出してしまった。っていうか骸って本名なのか、そんな名前付ける親いるかあー?「幽遊白書」のあれは人間じゃなかったからなあ。
イタコさんが出てきたのも興味津々で読んだ、あれも独特の世界だよなあ。
高利貸しの高田老人の奥さんとのきゃぴきゃぴトークには脱帽。や、若いころならわかるけどそのノリ、その御年になっても健在ってまじっすかって感じ。

それにしてもサトリと数日寝食を共にする、しかも純真で自分を慕ってくれている姪も一緒に、ってどんな罰ゲームだ。凄い状況だなあ。理彩子さんは何故か急な出張で帰宅出来なくなったりしたんじゃないかしら?

2012/12/28

園芸家12カ月

園芸家12カ月 (中公文庫)
カレル チャペック
中央公論社
売り上げランキング: 50,329

■カレル・チャペック 翻訳;小松太郎
園芸のことを書いた有名すぎる名著。
もちろん以前からその存在は知っていたが、手に取って中身をチラ見するに、どうも本当に園芸のことしか書いていないっぽいのがわかり、これは文芸じゃなくて実用書に類するというか、園芸家じゃないと読んでもつまらないのではないかと棚に戻していたのだ。
いま現在も園芸家にはなっていないが、ベランダに鉢を並べ、その成長に一喜一憂して1年余り、いとうせいこう『ボタニカル・ライフ』は既に3回読んだ。
先日、つれづれなるままに書店に赴き、棚をつつーっと視線で流しているときにこの書が目に留まった。ああそういえば、まだ読んでなかったな、と思った。当然読んでおくべき名著なのに、まだだったな、と。

実際読んでみると、1929年くらいにチェコのひとによって書かれたものなのに、なんなんだろうこの共感というか親近感はという感じ。もちろんチェコと日本では気象条件やなんやかやが違うのでまったく同じというわけではないが、基本的に、植物を育てるうえでぶつかる壁は同じだし、水やりや日照時間やなんやかやに対する思いは「そうか、カレル・チャペックでもそうなのか」とびっくりしつつ共感のためいきをついてしまう。

基本的にユーモラスな感じで、園芸家の特徴などをおもしろおかしく、ときに自虐やペーソスを織り交ぜて描いてあり、ちょっと北杜夫とかそういう雰囲気、『ボートの三人男』とか近いかな。読めば読むほど味が出てくるというか。
好きなものに打ち込む熱狂ファンというのは冷静に見ると誰も少なからず奇妙な振る舞いをしてしまうものだと思うが、そういう第三者の視線を常にツッコミに想定してボケ倒してあるというか。
園芸家はまた同時に蒐集家でもある、というのはなんだか深く頷いてしまったな。あと、花を育てているというのは要するに土を育てることというかむしろそっちが大事だけどそれを実行したら庭がそれでいっぱいになってしまって花を植える場所が無くなってしまうから……というのとか、うーんそうかそうだよなあー、と。
冬の間は庭いじりをあまり出来なくて欲求不満になって、鉢植えを部屋に置けばいいんだ!と思いついて実行しようとするも家族に阻まれる、とか、ほんとどこにでもありそうなリアリティ。

本書には挿絵がたくさんあるがこれは著者の兄ヨゼフ・チャペックによるもの。
素敵なタッチのイラストで、これも楽しい。

解説に、著者のことやその時代についての説明があり、興味深かった。またたくさんある訳注がこれまた面白くて、園芸・植物のことについてなのだが、実に丁寧というか、注釈というよりは訳者氏のプチエッセイ?に近いものになっているものもあって、やはり庭と植物を愛するひとならではの、言わずにはいられないっという情熱が伝わってきておかしい。面白い。特にマンドラゴラについての奇想天外な謂れについて、なんとなくあちこちで拾い読みして「なんなんだろうその植物は」と思っていたのがここに全部まとめて書いてあった。抜くときにとてもおそろしい叫び声をあげるからそれを聞いたひとはびっくりして死んでしまう、とかね、凄いよなあ。

2012/12/20

私を知らないで

私を知らないで (集英社文庫)
白河 三兎
集英社 (2012-10-19)
売り上げランキング: 3177

■白河三兎
初めての作家さん。
このまえ偶然目にしたBSジャパンに「本の雑誌」前発行人の北上(次郎=目黒考二)さんが出ていらして、今年のベストテンを紹介していたのだが本作品を1位に上げられていて興味を持ったのだ。ちなみに「最初の展開からこのラストにたどりつくとは誰も想像できない!すごい!」と感動している北上さんの横で大森(望)さんが「いや、僕はそれほど……」と苦笑されていたのも面白かったな。
2009年にメフィスト賞を受賞してデビューした作家さんだそうだ。

この小説の語り手「僕」黒田慎平は序章では成人した大人のようだ(最後まで読むと彼のこのときの年齢は分かるようになっている)。本編は、彼が13歳、中学2年のときに転校した先で出会ったとてもきれいな少女(新藤ひかり)と、明るくハンサムなやはり転校生の少年(高野三四郎)との3人をメインに紡がれていく。

なかなか風変わりな設定で、出てくるキャラも個性的な子ばかりだし、読みはじめると自然に引き込まれ、どんどん読んでいった。面白かった。
ただ、リアリティとか共感とか心に迫るとかそういった類とは全然無縁の「作られたキャラによる作られたお話」だなあ、というのは常にあって、ある種のクセもアクもあるから、受け付けないひともいるような気がする。だいたい、「中学生ってこんなんだっけ?」という感じで、「なんであえて中学生の話にしたんだろう、高校生だったらだめなのかな、これだけ複雑な思考するのって中学生としては特殊じゃない?」とずっと考えていたのだが、最後まで読んだら「ああ、これは小学生では無理だし、高校生以上だと成立しない。中学生ならではの話だったんだ」とすごく納得した。

最初どちらかといえば重たい空気の設定で、中学生って、思春期っていろいろ逃げ道が無くて大変だなあ、と思って読んでいたのだが、次々いろんな展開があって、文化祭くらいから予想外の展開があって、そしてミステリーとしてのある事件があるんだけどそれはまあ伏線張ってあったその通りの展開だったんだけど、その解決方法はかなり想定外で、うーむそうかそういうトコロに持っていきたいがために主人公の性格設定とかいろいろ全部決まっていったわけね、と感心した。
なんていうか、いろいろ考えて、練って、「きれいに作りこんである」作り物、という感じだ。
複雑な家庭事情とか、現実にありそうな事件とか、深刻で重たいものも練りこんであって、それに対する根本的な解決がしてあるかというとそうではないのだが、しかし安易にどうなるものでもなし、それよりも著者が書きたかったテーマに向かっていきおいでうまいこと持っていったなあと思う。
「家族」というものについて、こんなのもありでは?
虚をつかれるような展開が、待っている。

感動はしない。別に好きでもない。
でもメインのストーリーだけでなく枝葉の設定などもうまく盛り込まれていて時間を忘れて読める面白さがあり、最後まで飽きさせない。しかも読み終わった後は清々しく、余韻はなにかくすぐったいような、甘酸っぱい想いすらあり、良かったな、と思える。
これが北上さんの今年の1位かあ~。
まあ、北上さんはヤングアダルト小説好きだし、家族小説好きだし、こういうの好きそうだよなあ。逆に大森さんには「またこのカラーか」という感じなのかも。読んでいて雰囲気が似ているというか思い出したのは『凍りのくじら』だ。あそこまでイタいキャラはいないけど、すべての台詞が作り物みたいなところとか、いわゆる「中二病」満載なところとかが。途中までは、「だって中学2年生の話だもん」と開き直るためにこの年齢設定というのもあるんじゃないのとツッコみつつ読んでいたくらいだ。『凍りの』の数倍爽やかだけどね。

この話を読んで、リアル中学生はどう思うのかを知りたい。

2012/12/18

なれる!SE 8 ――案件防衛?ハンドブック

なれる! SE8 案件防衛?ハンドブック (電撃文庫)
夏海公司
アスキー・メディアワークス (2012-12-08)
売り上げランキング: 136

■夏海公司
もともと専門用語とかはスルーの方向で読んでいるこのシリーズだけど、「最初にんな無茶なーっていう問題が起きて、とんでもねーってことになるけど、新人の主人公が何故かウルトラC(死語?)の頓智を働かせて華麗に逆転し、めでたしとなる」という起承転結がくっきりした作り、且つ、「主人公は負けないヒーローものと同じ」なんだと呑み込めてしまったので、「一気読みすると爽快だけど途中で置くとつらい」という認識になってしまった。リアル仕事がけっこう忙しいこともあって「フィクションでまで面倒くさいの嫌だから途中の詳しい仕事の説明的なとことかどうせ読んでもわかんないし、業界用語はナナメ読みしてとにかく最後まで読み切っちゃおう」というスタンスで読んでみたらマッハの速度で読み終わってしまった( ̄Д ̄;)。うーむ、なんのために読んでるのかわからんなこれじゃ。
そもそもこのシリーズに限らず小説というものの魅力はデティールを愉しんでこそというものだ。スジだけ追うなんて野暮の骨頂。
最初は未知の業界を覗き見する程度で十分楽しめたのだが巻を追うごとにSEさんの楽屋ネタがわからないと通じないマニア度が増していて、うーん、トーシロー読者はこのへんで卒業が妥当ということか。後見人についてちょこっと情報が足されたこともあり、立華ちゃんの隠された過去(?)とか多少気にはなるが……。

今回はスルガシステムと同じレベルの会社の、桜坂工兵と同じく新卒の新人{お約束で可愛い子ちゃん(死語2回目)}が超強力なやり手のライバルとして現れる。しかも出会いがしらにぶつかって、……って随分ベタな少女漫画的展開じゃのう。一見ドジッ子キャラでなんにもわかってないぽやぽや系と見えた彼女が実はとんでもない切れ者だった、というのもある種テンプレだろう。

前にあった、「大企業とだって互角に戦えるんだぜっ!」というのも燃えるシチュエーションだったが、こういう「どっちも、弱小だけどアイディアと能力だけでどれだけ戦えるか」という同じ土俵に立つ者同士のバトルというのはもう、壮絶だね。実際問題、入社後1年未満のイチ社員がここまで出来るって相当凄いというかちょっと考えられないくらい放任主義の組織だなあって感じてしまうんだけど、業界的には普通なのかなー。競合の件もここまで価格・能力主義で業界のしがらみとか馴れ合いとか無視できるというか考えないで良いって素晴らしいよね。一般的な感覚だとどうしても大手が強いし、昔からの取引先がまずはやっぱり信頼感があるんじゃと思っちゃうんだけど、たとえば価格競争でも現場レベルで情報根回しとかがあったりしないのかなーとか。談合だともちろん違法だからそこまでいかないレベルで。今回の事案だって、橋本課長と桜坂の間である意味情報交換あったでしょ。社会って詰まる所、ああいうのの積み重ねをいかに作れるか、っていうのがモノを言う気がしてるんだけど。
表紙見てまず「また新しいオンナかっ」と呆れ、ある意味尊敬しちゃったけどこういう展開とはね。

個人的には、8巻にして初登場、スルガシステムのソフトウェア開発部の福大さん、このひとの仕事師としての凄さをもうちょっと詳しく書いていただけると嬉しかったのになと思う。だってミーハーなこと言わせてもらうと「ソフトウェア開発部」っていう単語だけで「ごはん5杯はイケますっ(* ´ ▽ ` *)ノ」ってくらい萌えるんだもん。理由?そんなもん、無いけど、なんかクリエイティブな感じでかっこいいじゃなーいvvv(アホですまん)。

てゆーか出てくる女性はみんな可愛いのにたまに男性新キャラが登場したらこれかよ。容貌の説明なんか読者の想像に任せてくれればいいのに、「イケメンではない」ことを説明するためにえらく丁寧に描写してあって苦笑。
見てくれはともかく、立華ちゃんの説明で想像した図は性格的に相当気持ち悪かったけど実際出てきたら社会人としてまともだったからなんかほっとした。ヲタクだって、想像で萌えてるだけで、TPOさえ守れるなら全然だいじょーぶ(なにが?)。危ないのは現実と妄想の区別できない輩だけだから、うん。案外カモメちゃんとかとお似合いじゃないの~なーんてね☆あるわけないよねー主人公ハーレムであるべきこの手のシリーズで。

でもひとつ言いたい。
桜坂はクリスマスのくだりで、さもモテない男代表みたいなカオして気持ち代弁したりしていたが、いやいやいやいや。矛盾してるっしょー。あなたハーレムドリーム小説の主人公でしょうが、無駄にモテてる設定だろうがっ! 例えば姪乃浜梢ちゃんは100%、橋本課長とか薬院加奈子ちゃんとかでも「ごはん行きませんか?」って言ったらかなりの高確率でデートくらいは出来る設定になってるでしょうがっ。少なくともいままで読んできた感じではそういう立ち位置の筈だぞっ。立華ちゃんですら「室見さんに断られたらしかたないから姪乃浜さんで我慢しますけどー、ホントは室見さんと行きたいんです」とか対抗心を煽っていけば成功しそうな、そういう設定だろーがっ! 

というわけで諸君、桜坂工兵にダマされてはイカンよ(。・ω・)ノ (いま我に返ったがヲレは誰をなんのために説得しとるんだ)。

2012/12/17

停電の夜に 【再読】

停電の夜に (新潮文庫)
ジュンパ ラヒリ
新潮社
売り上げランキング: 21979

■ジュンパ・ラヒリ 翻訳;小川高義
前回初めて読んだのは2007年で、その年読んだベストテンの1位に上げるほど感動した。
だから「良い」のはわかっていたんだけど、表題作になっている話のテーマが結構強烈で忘れようがなかったので逆に今まで再読しないままだったのだが、今回5年ぶりに読みだすやいなや、まず文章からしてあまりにも素晴らしいのに感動してしまった。小川さん最高っス……ラヒリさんみたいな天才をこんな素晴らしい訳文でわたしたちに教えてくれて、有難う!!

短篇集。9つのお話、それぞれは繋がっていなくて、ばらばら。
著者はインド人の両親を持つけれど、生まれたのはロンドンで(1967年)、幼いときに両親と共にアメリカに渡って以来、ロードアイランド州で育った女性。だからアメリカ人。インドで生活したことは無いようだ。2001年に結婚し、ニューヨークに住んでいるらしい。
この短篇集にはインドが舞台の話もあるけれど、インドと全然関係ない話もあって、別に「異国情緒」がどうこう、という作家ではない。そういう特色を売りにしているわけではなさそう。

「停電の夜に」
5日間だけ、夜間1時間停電することになった。語り手(夫)とその妻の話。結婚して3年。どうやらこのふたりのあいだには気持ちのすれ違いがあるらしい。停電をきっかけに、お互いの打ち明け話をすることになったのだが……。
この結末はあまりにも衝撃的だったので憶えていたが、それをわかって読んでいてもまさか、とやっぱり驚いてしまうのだった。何故、と。
相手がなにを考えているかなんて、理解できると思うのが傲慢なのだろう。人間て、夫婦って、なんだろうなあ。と読後しみじみと考え込んでしまう。何故このふたりは一緒にいられないのだろう。なんとも切ないけれど、でもとても心に沁みる話だ。

「ビルザダさんが食事に来たころ」
10歳の少女の視点。まったくの幼い子ではないから思いやることなどはできるが大人の会話がまだ完全に理解できるほど世界の状況はわかっていない、その彼女が両親のもとに客としてやってくるピルザダさんのことを回想して書いている。
パキスタンの内乱があった年のことで、奥さんと7人の娘を祖国に残しひとりアメリカに仕事でやってきていたピルザダさん。
大切なひとの命の安否を何もできない遠い場所で祈ることしか出来ないつらさというのは想像を絶する。
幼いなりに純粋にその気持ちを思いやる少女なりの方法などがとても共感できて、良かった。

「病気の通訳」
観光地で通訳をする中年男性の話。
男のひとというのはこういうぐあいに考えるものなんだなあ、と興味深く読んだ。
いささか勇み足、というやつか。

「本物の門番」
これはインドが舞台の話かな。アパートというか、共同住宅みたいな建物の階段掃除をする老女が主人公。インドでは「流し」って買って持って帰ってくるものなのか……それを建物の入り口に置いて共同の「流し」にするとか、うーんすごいなあ生活のやりかたが全然違う、とかそういう読み方をしてしまったんだけどいいのかな?
最後の展開とか、あっけにとられてしまうよなあ。日本の話だとこういうオチは無いような気が。

「セクシー」
妻子ある男性と不倫関係にある独身女性の話。
なんでこういう男に寄っていく女がいるのか、わたしにはわからない。最初に目が合ったときには知らなかっただろうけど、言葉を交わしてすぐに妻帯者だと知らされて、そこでブレーキをかけないのはどうして?

「セン夫人の家」
11歳の少年が、母親が働いているあいだベビーシッターに預けられたその先がセンというインド系の夫妻の家だった。セン氏は大学で教えるためにアメリカにやってきたが、夫人はアメリカに馴染めず、インドを忘れられないようだ。魚を丸ごと食べたいのに売っている場所が少ないとか、車の運転をしたくないとか、そういう些末なことの積み重ねが苦しいというのもあるだろうけど、なにがいちばん悪いって、この夫がもうちょっと妻のつらさを理解してやらないのがいけないんだと思った。

「神の恵みの家」
皮肉とユーモアの利いた話。
アメリカで暮らすふたりのインド系男女が、その両親が知り合いだったとかで出会うきっかけを作られ、縁あって結婚した。そして新婚の住居を購入した。住んでみるとその家にはあちこちに「隠しもの」があったのだ。っそれはすべてキリスト教絡みの置物やタペストリーなどだった。ふたりともヒンドゥー教だが、妻は何故か次々出てくる品物を見つけては喜んでいる。それをまったく理解できないどころか腹立たしくてしかたない夫の視点。どうなることかとはらはらしつつ読んでいったが、うーんなるほどなあ。このふたりはなんのかんのいって、このバランスでずっとうまくやっていきそうな気がする。
それにしても、この奥さんの感覚は八百万の神を受け入れる日本人的には理解し易いんだけど、一般的なインドの方にはどうなんだろう。

「ビビ・ハルダーの治療」
これもインドの話。
原因不明の病気(ヒステリーとかその類?)にずっとかかっていてどんな医者にも匙を投げられて、親戚に厄介者扱いされているビビ(29歳)の話。
文明国ではそもそもこういう話は成立しないよなあ。

「三度目で最後の大陸」
初読みのとき、この話を読んで短篇なのにこの空間的にも時間的にも広がりのある物語の大きさはどうよ!と感激したことを覚えているのだが、今回冷静に読むとそれはまあ覚えているからびっくりもしない代わりに、そこに至るまでの語り手の独身時代から結婚に至る過程などや妻となった女性への他人としか思えない淡々とした筆致にいろいろ考えさせられ、そしてそのいっそ冷たいとしか思えなかった思考が下宿屋の100歳を越える老女の鶴の一声で一瞬にして溶かされる、その人生の不思議というかひとのこころの機微というか、そういう説明出来ない成り行きにううむと唸ってしまった。突飛だけど、わかってしまうのだ、ああそういうもんなんだよなって、どっちに転がるかなんて、実はそういう些細なきっかけだったりするんだろうなって。
奥さん、良かったね、ってなんかすごく思った。

以前読んだ時の感想はこちら

2012/12/13

趣味は何ですか?

趣味は何ですか? (角川文庫)
高橋 秀実
角川書店(角川グループパブリッシング) (2012-11-22)
売り上げランキング: 31776

■高橋秀実
はい、泳げません』で水泳のことを書き、無茶苦茶面白かったタカハシヒデミネさん。
今回のテーマは「趣味」ということで、取っつき易そうと読んでみたら予想とは随分違う方向に流れていき、さすが一筋縄ではいかない書き手さんだなあと思った。
本書の構成は以下のようになっている。

(導入部 英国の小話紹介)
序章 趣味の発見 ――人生の味わい
第一章 幕末をゆく ――官僚は「鉄道」と「坂本龍馬」がお好き
第二章 マニアの苦悩 ――「航空無線」を傍受せよ
第三章 硬めの愛 ――男は「蕎麦」、女は「ヨガ」
第四章 スタンプ巡礼 ――「八十八カ所巡り」から「切手」「消印」「手相」まで
第五章 地球に優しく ――「エコ」の醍醐味
第六章 備えよ常に ――楽しい「防災」
第七章 カメの気持ち ――「カメ」になった人々
第八章 本当はさめている? ――「ファン」「ゲーム」「ラジコン」心理
第九章 レーンを読む ――ひとりで「ボウリング」
第十章 時間潰しの作法 ――「武士道」に「階段」
第十一章 田舎の時間割 ――「ウォーキング」「茶道」「ガーデニング」の果て
第十二章 なぜ山に登るのか? ――「登山」の心得
あとがき 趣味の再発見


正直、わからない分野のことが多いが、ちょっと知っている分野のことから全体を推して述べることを許してもらえるならば、この本に出てくるひとは全然代表的なタイプじゃないと思う。場合によっては、極端だったりするのではないか。
「まあ、そういうのも、あるのか」とうなずくこともあったが「それはないやろー」と突っ込みたくなることもあった。趣味に対する男女の差というのもあったな。男のひとはだいたい、なんでも構えて考えすぎのような気がしないでもない。
本書を読むと、「つくづく、いろんな考え方があるんだなあ」と思う。

趣味とはすなわち熱中であり執着であるから、語り手にはみなそれぞれの持論がある。だけど著者である高橋さんは、聞き手として、話し手に寄り添わない。安易に同調してくれないのである。たまに、受け流すようでさらりと斬り込んだり、皮肉を盛り込んだりする。

趣味が無いと言い、編集者の意向に乗ってテーマを「趣味」とした高橋さんは、随所随所で「趣味」についての考察をめぐらす。「趣味」についてなんて、難しく考えるものじゃないと思うんだけど、考えることがお仕事のひとだから。
そして最後に高橋さんが出した結論とは!

解説は三浦しをん。短い文章でもきっちり笑わせてくれ、ピリリと要所を突き、作品を褒め上げるべき立場も忘れない。
興味深かったのは、本書「序章」で高橋さんが国木田独歩の代表作として『牛肉と馬鈴薯』を上げているのに対し、しをんさんが「何故無難に『武蔵野』ではないのか?」と疑問を呈していることだ。高橋氏のくだんの文章を読むに、あまり深い意味は無さそうな気がするのだが……。

2012/12/09

47都道府県 女ひとりで行ってみよう

47都道府県女ひとりで行ってみよう (幻冬舎文庫)
益田 ミリ
幻冬舎 (2011-04-12)
売り上げランキング: 107490

■益田ミリ
初・益田ミリ。
以前から、本屋さんに行くとこのひとの本がちらちら目に入ってくるので読んでみたいと思っていた。本職は漫画家さんだけど、エッセイも手がけられているようだ。
本書はエッセイのほう。
タイトルで、面白そうな企画だなと前から気になっていたので、気軽に読めそうかなと購入した。
内容は、タイトル通り、企画当時の年齢で32歳~37歳の著者が思いつくまま都道府県のどこかに1か月1ヶ所のペースで1人旅し、それをエッセイにしてある。
興味を引く、良い企画だ。
なのに、

ここまで面白くないというかヒドいとはどういうことなんだ

という感じである。以下は具体的に貶しますので、益田さんのファンの方はお読みにならないでください。

最初アトランダムに自分の興味がある場所から読んでみて肩すかしをくらい、「あれ?」と思いつつあちこち読み、最後「やっぱり買ったからには全部読もう」と通して最後まで頑張って読んだのだが読んでいるうちにだんだん腹が立ってきたくらいだ。
どうもこの益田ミリというひとは性格的に1人旅に向いていない、と思う。
「1人」であることをずっと気にしていて、「1人であること」をマイナスにしか解釈していなくて、周囲の目が気になって仕方なく、「あのひとは1人だからさびしそう」と思われるんじゃないかと極端に気にし続け、それをカムフラージュするために演技したりする。自分は東京には友達がたくさんいるんだと言い訳を繰り返す。
……20代の若い自立していない女の子ならまだしも、30も半ばを過ぎてアホか、としか思えない。
誰も(自分が意識している半分も)他人なんか気にしてないし、それに他人にどう思われようと自分がきちんとしてたら揺らぐことなんかないわけで。しかもそれが何回も出てくる。まあたまに気弱になるのはわからないでもないけど、しつこく同じこと何回悩む?
旅先でひとりだからわからないことに遭遇るすることもあるようだが、そのときも地元のひとに質問することが出来ない(変な自意識が邪魔をするらしい)。そういう性格なら事前に下調べしていけばいいんだけど、それさえしていれば簡単にわかることも何にも準備していない。
また、食べ物の偏食が多いのはまあそれは仕方ないとしても、嫌いなくせに「名産だから」と注文し、「やっぱり無理だった」と残す、というのが1回なら許すが何回も何回も、中盤になっても出てくるのだから意味がわからない。
名産品だからと頼むのはやめよう、と書いたあとにも同じ失敗を繰り返しているのだから悪いと思ってないんだろうな。
たとえば海鮮丼を頼んどいて残し、実は魚介類に苦手なものが多い、とか。
牛タンを頼んで残し、そもそも牛タンは好きではないのだ、とか。
なんなのこのひと。
キライなら、頼まなければ良いじゃない。百歩譲って、海鮮丼で例えば貝が苦手ならそれを注文時に「抜いてください」って頼めよ。そんなことも出来ない30代って、しかもこれだけ恥ずべきことをしていて文章に書いて公にしちゃってる精神が意味不明。
あと、開き直って、歴史とか地理知らないと何回も出てくるんだけどその程度にも程がある、というもので……。ちょっとびっくりしてしまう。
文庫あとがきでは42歳になっている著者だが、やっていることは相変わらず、のようだった。
食べ物をこういうふうに粗末にする人間って信用できないな。
いままで旅行記・ルポ・エッセイをいろいろ読んできたけど、これはレベル違いのダントツ最低だった。
旅先のことが伝わらず、旅している著者がちっとも楽しそうでなくダルそうだったりぐじぐじぐずぐずして言い訳ばっかりしている、仕事がきたから引き受けたんだろうけど、編集部も人選誤ったよなあ。どうも旅にかかった費用は自腹切ってたみたいだけど、それは大変だなって思うけど(でもある程度は経費で落ちるような気がするんだが)。
なんのために47都道府県に「仕事で」行ったの?
趣味で行ってるんじゃないでしょう。

2012/12/07

古本道場 【再々読】

古本道場 (ポプラ文庫)
古本道場 (ポプラ文庫)
posted with amazlet at 12.12.06
角田 光代 岡崎 武志
ポプラ社
売り上げランキング: 70823

■角田光代 岡崎武志
なにげなく読みかえし始めたら面白く、ずっと読んでしまった、ってこれ前回もそうだったんじゃないか。
古本初心者の角田さんが古本師匠岡崎氏に弟子入りするというスタイルの企画本。
ポプラ社の名編集者、矢内さんがモデルという矢之助と岡崎師匠のかけあい漫才も楽しい。なんか毎回昭和?とかの流行歌歌ってるのもわからんけど面白いし。
これの京都とか大阪版もあればなあ。

2012/12/05

凍りついた香り 【再読】

凍りついた香り
凍りついた香り
posted with amazlet at 12.12.04
小川 洋子
幻冬舎
売り上げランキング: 686249

■小川洋子
これは2004年5月時点では絶版で、文庫化はしてたみたいなのだけど、何故か古本で単行本を入手している……何故だろう。表紙が気に入ったからか。文庫が見つけられなかったからか。なにかのついでで古書で買ったのか。自分の行動だけど、覚えていない。当時の日記の数日前とか読んでみたけどわからん。
うっすら……「表紙」へのこだわりだったように、思うんだが。

「面白かった」という記憶があったのだが久しぶりに読みかえして、面白いというよりも前面に拒否反応が出てしまったのは読み手の心境の変化ゆえか。いやでもこの主人公なんか好きになれない(変にしつこいし)、恋人の母親は気持ち悪いし、その弟もなんだか下心ありそうでイヤだし。

嫌な話だなあ、と思いながら我慢して読んでいって、プラハでのちょっと不思議な感じの出来事なんかは良いなと思ったけど、主人公の恋人の死の理由がはっきりしたとき、そのあまりの切なさというか悲しさというか、どう表現していいのかわからない感情になった。ひょっとしたら「儚い」というのもあるかもしれない、ひとのこころの脆弱さ。でも責めるわけではなくて。
もし、責めるとするならば、それは「彼」ではなくて「彼女」の無関心さ、無神経さだ。

という結論まで達して、弱っている彼女に対してそんなことを考えるのはひどすぎると思い直し、なんて残酷な話なんだと思った。

知らなければ良かったのに。
でもこの彼女、彼の弟と数年後には結婚してそうな気が果てしなくする、な。
彼の弱すぎる背中を思い、彼女のたくましいしなやかさを思う。
なんていうか……生きてるひとが「勝ち」なんだなあ。

初読み時感想はこちら

2012/11/30

沈黙博物館 【再読】

沈黙博物館
沈黙博物館
posted with amazlet at 12.11.29
小川 洋子
筑摩書房
売り上げランキング: 614132

■小川洋子
初読みは2004年3月。これは当時新刊で単行本入手出来た。第2刷だったけど。

「物語」だなあ~。としみじみ読みながら思った。
主人公の名前も、主要人物である少女の名前も出てこない、固有名詞一切無し、そして場所も日本では無さそうな、どこか異国めいた、でもじゃあどこの国かと考えてみてもなにもヒントは無い、いや、ひとつだけどうしても連想してしまった場所はあった、それは村上春樹の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「世界の終り」のほうである。冬が厳しいということと、一角獣とバイソンという違いはあるものの、その世界を象徴するような印象的な動物が出てくる点、主人公が専門的な技能を持つ職業人であること、そして何よりも作品を包む静かでかたくなな何かをはらんだ閉鎖的な雰囲気が。

優秀な博物館技師である主人公はある田舎町の大きな屋敷に採用面接を受けるためにやってきた。迎えに来たのはまだ少女といっていいほどの女性で、やがて彼女は依頼主である老女の養女であることがわかる。
気難しく、高圧的でわがままな変わり者である老女の希望は彼女が人生を通してずっと蒐集してきたあるものたちを収めた博物館を作ってほしい、というものだった。そのあるものとは、すべて村で亡くなったひとたちの遺品だった。それだけなら普通だが、実はそれらはすべて盗んで手に入れたものだった。そうでなければ、その死者に本当にふさわしい遺品など手に入らないから、というのが老婆の主張だった。

この物語には沈黙の伝道師というひとたちも登場する。彼らは修行のために自ら沈黙の中に身を置くのである。人の話を聞くことはするのだが、喋ったり、書いたりすらもしない。インプットだけでアウトプットはしないという修行。
主人公の技師がかかわることになった博物館の名前が何故「沈黙博物館」なのか、「遺品博物館」じゃないのか、と思わないこともないけれど、でもここに収められているのはいわゆる「遺品」とは少し違うようだし、なにしろこの物語をまったく伝えないだろう。

物語の中で、いくつか殺人事件が起こり、遺品盗難のために関連場所に行ったりしていた主人公は刑事たちに目を付けられるというミステリーみたいな展開もある。しかしこれはもちろんミステリーじゃなく、他でもない小川洋子の小説だから、犯人がわかっても、だからどうというのだ、という扱いなのだ。いやしかし、怖いと思うんだけどなー。

それにしてもこの作家の描写というのはところどころ嫌がらせかと思うくらい生々しいどろっとした描写があって、それが特徴なんだけど、でもやっぱりそういうの生理的にちょっと拒否反応が起こってしまいそうになるのであった。それを越えたところにある「何か」を知っているから読み続けるんだけど。

庭師が好きになれないなんて当たり前じゃないかと昔の感想を読んで思った。

2012/11/28

0能者ミナト <4>

0能者ミナト〈4〉 (メディアワークス文庫)
葉山 透
アスキーメディアワークス (2012-07-25)
売り上げランキング: 64988

■葉山透
シリーズ第4巻は長篇「船」。
出てくる怪異はずばりそのまんま、「船幽霊」。あー小学校高学年時に買ってもらってなんべんも読み込んでた偕成社『日本の伝説』全4巻(超名著!)に船ゆうれい出てきたなあ。なつかしい。

怪異対策として、豪華客船に乗ることになった湊と沙耶、ユウキの3人組。
最初の思惑としては、そうたいした怪異でもなさそうだし、豪華客船で旅行なんてふつうではなかなか出来ないから、さっさと怪異退治しちゃってあとはゆったり船旅を楽しんじゃおう、というノリだった。これは湊だけじゃなく、沙耶・ユウキも同様だった。

依頼した副船長は怪異など信じないタイプだったが、クルーが見たといい、妙な噂が広まると客離れにつながってしまうので仕方なく、という流れ。

豪華客船の客層は年配の金銭に余裕がある方々がほとんどらしいが、湊がいいオトナのくせにTPOもわきまえないでいつもどおりの超無礼をいかなる相手・場面でも貫くので、たとえば人柄の良さそうな老夫婦相手ならちょっとは礼儀正しくしてほしいんだけどなー、と思ってしまった。「相手によって態度を変える」というと良くないイメージだが、そうではなくて、最低限の礼儀をいついかなる場合も払えない、というのは、要するに礼儀を知らないとしか言えないわけであり、つまりはガキなんである。キライじゃないけど。このシリーズの売りのひとつみたいだし。ただ、もうちょっとなんとなからんのかな、と思うだけ。
そういう意味ではユウキは場にそった猫をかぶる技をちゃんと身に付けており、立派である。いつも礼儀正しくきちんとしている沙耶ちゃんが素晴らしいこと、偉いことは言うまでもない。

豪華客船クルーズについてはそれほど詳しく出てこなかったが知らない世界だったので興味深かったし、船ゆうれいをめぐる謎とサスペンスはスリルがあったし、謎解きに科学もひとつひとつ順を追って説明していくのとか非常に明快でとっても面白かった。

このシリーズはしかし、ものすごく科学的にいろんなことを解明していくので、この調子ですべてを説明しちゃうのではと思わせつつも根本的なところはやっぱり「怪異」である、というのがなんだか不思議な感じだなあ。でも“最新科学を理解して利用する怪異”とか……もうどっからツッコんだらいいのか状態。ていうかツッコむくらいならこのシリーズは読んでいられないんであるが。うーむ。
カタいこと言わずに楽しめ! ってことなんだろうな。
なんのかんの言ってるけど4巻はいままでで一番面白かったかも知れない。ま、1巻の第1話読んだ時の衝撃(あれこそ「なんじゃこりゃああ!」だったよ)には負けるけど。

でもなんとなく、京極夏彦の著作と比較しちゃいたくなるのも事実なのであった。

2012/11/26

0能者ミナト <2>

0能者ミナト〈2〉 (メディアワークス文庫)
葉山 透
アスキーメディアワークス (2011-06-25)
売り上げランキング: 13817

■葉山透
2巻目は長篇。
江戸時代に村人すべてを殺戮したという怪異「鏖(みなごろし)」。それの封印が解けてしまって、総本山(このシリーズではこの表現でしか出てこなく、いったいどの宗派の総本山なのかとかの説明が一切無いんだけど、まあ、寺系のいちばんエライところ、って言いたいんだろうなあ)も、御蔭神道(こっちは具体的な架空固有名詞が付いてる)も、その精鋭とか手練れとかが犠牲になっているというおっそろしーい状態。
お手上げざんす、となって双方がそれぞれ別々にミナトに「なんとかしてくれ」と依頼してきたわけだが何故か彼は「興味が無い」とそれを放り投げていた……。

このシリーズはミステリーではないのだが、謎みたいなのがあって、それを解明して怪異を解決するのは主人公の湊、という構成になっているから、その「解明」に触れるとネタバレになってしまう。そこがわからないからこそ読んでいくんだし、最初っからわかってしまってはおじゃんである。

今回の「種明かし」はなんと○○だったんだけど、正直、ちょっと拍子抜けしてしまった。だって、あれだけ残虐な殺戮シーンこれでもかと続いて、その途中では「一番怖いのは人間だ」みたいな事実も判明して、で、正体があれか。いや、理屈は合ってるんだけど……でも、それじゃあ、この感情の持っていき場が無いじゃない! みたいな。まあ、面白かったけどね、途中でやめらんないからずーっと読んじゃった。不気味になる鈴のエピソードも怖かったし、いろいろミステリアスで、引っ張られるのだ。終盤のあのシーンは壮絶な美しさだったなあ。

このシリーズ、最後に必ず「閑」が付くのかな? 閑話休題、みたいなシーンなんだけど、この話の年長(といってもみんな30歳未満)3人組の喫茶店会談みたいな、腐れ縁の腐れシーンみたいな。高い車乗ってるんだなあ理彩子さん、お金持ちだなあー。

あとがきで、ファンレターで「0能力者」とか「零能力」とか間違われている例が多いと書いてあって、前回の感想をあわてて見直したらわたしも1ヶ所「0能力」と書いてしまっている場所があって、修正した(滝汗)。
いやー、だって中身読むと「法力も霊力もなんにも0」というのが強調されているもんだから、ついつい、間違っちゃうんだよなあ。失礼しますた。

0能者ミナト <3>

0能者ミナト〈3〉 (メディアワークス文庫)
葉山 透
アスキーメディアワークス (2011-12-22)
売り上げランキング: 37498

■葉山透
3巻は2つのお話収録。
どっちも面白かった。
「蘇」は死なない男の話。
これは妖怪とかそういうのじゃなくて……おっと、これ以上喋ったらネタバレだー。
単に「死なない」だけなら放っといてもいいんだけど、この男が残虐な殺人鬼のヒトデナシなもんで、死刑にならないといけないんだけど、死んでくれないから湊に依頼がきたというわけ。
ユウキくん大活躍。

「夢」は夢魔の話。
こっちは沙耶ちゃんが受難。でも頑張ったぞ。
沙耶ちゃんの夢のなかで湊が婚約者で出てきたのはうーんまあ、十代の少女って年上の男の人に弱いもんね、という感じ。不良っぽさにも憧れみたいなのが心のどっかにあるっていうか。
でもこれはセクハラだよね……。っていうか10歳にしてユウキ君、イロイロ知りすぎじゃないのっ!?

「贈」最後に大人組3人の駄弁りがあるのは同じ。クリスマスネタだった。20代でアルマーニのジャケットプレゼントとか……センス悪すぎじゃないの、どこのオッサンだよ!?って感じ。成金くさいー。

2012/11/24

0能者ミナト

0能者ミナト (メディアワークス文庫)
葉山 透
アスキーメディアワークス (2011-02-25)
売り上げランキング: 5480

■葉山透
しばらく前に書店で表紙をよく見かけたシリーズ。以前、ウェンディさんと小説の話をしていて経緯は忘れたが「あれ(なんとなく表紙の雰囲気が新本格ミステリぽかったから)気になったんだけど結局買うまでは至らなかった」とか言ったら、「実家に全部揃ってるわよ」ということで、じゃあまあ急がないので、機会があったら貸してくださいと頼んであった。のを、忘れていた(!)のだが今回持ってきてくださったので有難くお借りした。

この小説の主人公は九条湊という推定年齢25,6歳の青年。水商売が集まっている地域のボロいマンションの上の方の階に住んでいて(ってこの設定『日暮旅人』もそうだったなあ。ラノベ界では流行ってるのか?)、初登場時はあろうことか自宅でテキトーに不法栽培した大麻でバッド・トリップしていた。この小説の舞台は現代日本で、怪異モノなので、神道の巫女さんとか法力僧とかいわゆるそっち系の能力がある登場人物が出てくる。でもミナトはそういう能力一切無し。法力も念力も神通力もなんにも無い。そのテの力は1ミリも無いのだ。霊感すら無い。そういう意味で「0能者」なわけだ(霊能力者の駄洒落だよね……)。
でも、その彼が、そういうジャンルの人たちに解決できなかった怪異を見事に払ってみせたことが何回もあり、お寺系からも神道系からも煙たがられている、ということらしい。まあ、メンツ丸潰れだし、己の信念の拠って立つところ全部ひっくり返すような存在だもんなあ。

メディアワークスの作品だから主人公こそ成人だけど、他のメイン・キャラは16歳の女子高校生にして御蔭神道の巫女である山神沙耶と、10歳にして総本山で天才法力少年と名高い赤羽ユウキ。この3人が珍道中をやってる。図を思い浮かべるだけでなんだかへにょっ、となりそうだ。しかし湊がなかなか露悪的で、口の悪さはなかなかのものなので、それを読むのはけっこう面白かった。怪異には科学とは正反対の陰陽道的な力で対処するというのがセオリーなのだがそういう能力が無いミナトは理詰めで科学の力を使ったりして物の怪退治をする、というのがこのシリーズの肝らしい。

いや……科学の力が通用しない、人間の常識を超えたわけのわからない存在だから怪異なんであって、それが科学的に解決出来るってどういうこと??? と、ちょっとびっくりしたが、まあ、これは、そういうお話なんだからそういうルールの世界だっていうことだ。うむ。

十代の青臭い、いわゆる中二的言動が主にユウキから発せられるのに少々辟易したが、純情少女・沙耶はその真面目さや礼儀正しさが清々しくて好感が持てるし、ストーリーもなかなか面白かった。謎や問題があって、それを意外な方法で解決していく、というパターンはやはり面白い。

以下はネタバレを含むので畳んどきます。

この巻では「嫉」という事件と「呪」という事件が解決される。もうひとつの「告」は幕間的な話。
「嫉」は解決方法が絵的に素晴らしくグローバルで面白く、コロンブスの卵だと思った。ま、ウルトラマンが昔っからやってたことだけどね。うおお、そういうのアリかー!とびっくりした。
「呪」は事件そのものと登場人物が面白かった。華子とか。リアリティは全然無いし説得力も無いんだけど、漫画的に面白い。解決方法はあまりにも取って付けた感があるというか、いろいろな意味で医学にもそれを必要としている患者の方々に対して失礼過ぎると思った。なんにも考えてないんだろうな。ていうかあのじーさんはいったいなにを考えていたんだ。狂っていたっていうこと? あと、双子があんなに変なキャラだったのは特に説明は無いのか。このひとたち、シリーズのほかのところでまた出てきてそこで判明したりとかは……なさそうだよなあ。

2012/11/22

どくとるマンボウ医局記 【再読】

どくとるマンボウ医局記 (中公文庫)
北 杜夫
中央公論新社 (2012-06-23)
売り上げランキング: 106257

■北杜夫
北さんは作家だけど、最初になった職業は精神科の医師で、それから二足のわらじでいらっしゃった時期がけっこうあり、その後、作家業に専念なさるようになった。
本書は、昭和27年(1952年)春、東北大学医学部を卒業し、国家試験に合格したところから始まる回想エッセイで、同年から昭和36年(1961年)までの慶應義塾大学病院神経科助手時代を主に描いてある。この時代には山梨県立北病院出向時代のことも含まれるし、『どくとるマンボウ航海記』で描かれる船医時代、その航海先で出会った夫人とのなれ初め、結婚から新婚時代も含まれるようだ。また、話の流れで本書を執筆している「現在」(単行本は中央公論社から1993年に上梓されている)のこと(お孫さんのエピソードなど)もところどころ入ってくる。

文庫化が1995年の3月なので、わたしが初めて読んだのはその頃だろうが、たいへんに興味深く楽しんだ記憶がある。高校時代から北さんの著作は新潮文庫と中公文庫のほとんどすべてをコンプリートし、気に入ったものは繰り返し何度も読んでヨロコんでいたので、印象深いテーマのものやエピソードはいまだに覚えている。
今回、手元に本が残っていないので著者没後の改版を買い直して読んだわけだが、細かい描写や忘れていることも多かったが、強烈だった部分はやはりよく覚えていて、懐かしくなぞり直した。
面白く読んだが、昔はもっと面白く思ったように思う、気のせいかな。

北さんは同じエピソードを話の流れで違うエッセイ上でも書かれるということがちょくちょくあり、記憶にある書かれ方と違うのもあったりして、そういうのは「ああ他も買い直して読み直したいところだなあ」と思ったりする、これはなんていうか、落語の聞き方とちょっと近い感覚があるなあ(意味不明かもしれないけど。つまり噺家さんというのは同じ話を何度もするから、例えば若いころの収録を最初に聞いて馴染んじゃうと後でもっと上手いはずの収録を聞くと違いがいちいち気になったりする、クラシックの指揮者による違いも同じかな)。

残念なのは、学生時代には読書日記などつけていなかったため、当時のわたしがどういう感想をもっていたかなどが記憶でしかないことだ。
というのは、今回読んでいて、ほんの数か所だけなのだが、「これは、とても正常な精神状態で書いたものとは思えない、躁状態が書かせた表現なのではないか」と思わざるを得ないところが気になったからで、「いや、それもユーモアなのだ。北杜夫の特徴なのだ」と自分でも考えたりしてみたが、しかし最近読みかえした『青春記』や何度も繰り返し読んでいる『航海記』でそんな困惑に陥ったことはまったく無いのだ。書かれた時期がだいぶ離れているので、作家とて人間だから、変化するのは当たり前なのだがこれはその範疇なのか…。昔読んだときはどう思ったのかなあ、と思ったので。

あと、精神科の治療についてまったくの素人なのでこれが少しでもわかっているひとなら「昔はこうだったのね」ともっと興味深く読めるだろうになあ、というのはあった。電気ショックとかが治療法として出てくるんだけど、これはちょっとググってみたらいまもあるらしい。しかし文中に出てくるさまざまな治療法は今はもうしないものや、変わっているものもたくさんあるようだ。いまの感覚で読むと、人間に対してそんな扱いは許されるのか、おそろしいことだ、というものが頻出するんだけど……。

『青春記』も本書も最近読み直したのは筆者が鬼籍に入って後の改版で、だからなにが一番「改められて」いるかというと、巻末の編集部の注釈だろう。
特にこの文庫のは興味深かったので引用しておこう。

  今日の人権意識に照らして、本文、または引用文中に不適切と思われる表現や言葉、そして、いまでは使用されなくなった病名などが多出いたしますが、著者が他界していることと、当時の時代背景や作品の文化的価値を鑑み、原文のまま掲載いたしました。
  なお、精神科疾患においては、現代では研究が進み、作品が書かれた当時とは、その治療方法も、医薬品も、そして治癒状況も飛躍的に向上していることを申し添えます。  (編集部)


解説は、インターン時代1年後輩にいたという作家の なだ いなだ。

2012/11/18

おぱらばん 【再読】

おぱらばん
おぱらばん
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堀江 敏幸
青土社
売り上げランキング: 510794

■堀江敏幸
前回読んだのは2006年3月。
創作なのかエッセーなのかその境界が曖昧なのが氏の、特に初期の作品に顕著に見られる特徴だが、今回読みかえしてみて、たぶん芯の部分は実体験、話の終盤は創作もありとかなのじゃないかなーと思ったけど、それはどんどん思考がエスカレートしていって、妄執みたいなのにぐるぐる取りつかれてジ・エンドという作品がいくつかあったからだ。

このひとの作品をまとめて初めて読んでいた時期も思っていたことだけど、本当に年齢のわりに落ち着いているというか淡々と知的な冷静さがあるというか、そしてわたしが読んでる作家の中でダントツにノーブルだなあぁと思う。いや別に家柄がどうとかそういうんじゃなくて、文章から受ける印象ただそれだけの次元なんだけどね。
お高くとまってるとかそういうんでもなくて。なんか、このひとの前に出てくだらないダジャレとか言うのにはものすごく勇気が要るだろうし、スベっても堀江先生はきっと上品に(その場を白けさせてはいけないという配慮から)小さく笑ってみせたりするんだろうなあ(という妄想)。

15の話があるけれど、最後の1つだけアスタリスク(*)で離してあって、これは明らかにエッセーだからか、それとも舞台が他はフランスの話なのにこれだけ日本だからか。

それぞれの話についてメモ程度に。好きな話に★をつけた。まあ全部良いのだが。

おぱらばん ★
中国人の、自然に敬いたくなる「先生」の話。卓球をする話。パリでアジア人同胞を実感する話。
BLEU,BLUES,BLEUET
夜遅く、道に迷う話。惚れた女性に良い様に利用されるフランス人友人の話。虚しい哀しさ。
ドクトゥール・ウルサン ★
変わった造りの診療所の話。頭痛の話。
留守番電話の詩人 ★
2頭の河馬とそれを愛した文人作家、そのファン心理で絵はがきを探している話。
洋梨を盗んだ少女
洋梨を盗もうとした少女と、絵描きの話、絵の話。
貯水池のステンドグラス ★
なんともミステリアスだけど大変に「純文学」な冒頭の作品を書いた作家を目指す友人が命をかけた話。詩人とは、作家とはという話。
床屋嫌いのパンセ ★
床屋が嫌いだという話。こういう床屋の店主は味があるなあという話。『草枕』の床屋の亭主といい、『どくとるマンボウ』で紹介される友人の手紙に出てくるパリの床屋のプロフェッサーの話といい、うらびれた客足のとぎれがちな床屋のあるじというのは良い。
ボトルシップを燃やす ★
少年時代の空家の冒険。シベリアの探検記、映画への連想回顧。最後、瓶の中の船が燃え上がるシーンが壮絶に美しい。
音の環
幼いころの祖父の思い出。横たわって、耳に響くもの。『ビセートルの環』との連想。
黄色い部屋の謎 ★
すべての家具が黄色い部屋に届け物をすることになった話とそこにあった不釣り合いなベンチとそれで想起されたミステリーの話と少し偏屈な(?)芸術家・画家の話。
クウェートの夕暮れ ★
フランスの大臣にジャーナリストとして接したエピソード、その頃読んでいた小説とリンクするように空港までタクシーで物を受け取りに行く話、そして事故る話。
手数料なしで貸します
パリで貸家を探す話、それにまつわる映画の話。
 ★
メトロで人種差別を受ける話、移民の話、それらから想起される映画の話、民族の話。
珈琲と馬鈴薯 ★
ひなびたアーケードの八百屋と、馬鈴薯メインで珈琲も副業で売っている聾唖の店員の話。
*
のぼりとのスナフキン ★
登戸でおりる話。スズキコージ『やまのかいしゃ』の話。ムーミンシリーズ礼賛、スナフキン的生き方への憧れの話。

2012/11/09

貴婦人Aの蘇生 【再読】

貴婦人Aの蘇生
貴婦人Aの蘇生
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小川 洋子
朝日新聞社
売り上げランキング: 213983

■小川洋子
前回読んだのは2004年。『博士の愛した数式』に感動し、著者の著作を他も読みたい・全部読みたいと「wktk」していた頃だ(ああいま、安易な表現方法に逃げちゃったなあ。わくわくてかてか)。要はまだ「未知の世界」に対して、楽しみで、テンションが上がっていて、好奇心いっぱいに探検しようとしていた時期。気持ちの受け入れ体制がかなり前のめりの状態で読んだ、ということだ。

当時は著作のほとんどが絶版で、その多くはネットの古本屋でないと入手が難しかった(本書は2002年の刊行だったのでまだ新刊書店で求めることが出来た。そのすぐ後に第1回本屋大賞受賞でブレイクし、過去の著作も文庫で容易に入手可能になったのは喜ばしいことだ)。

小川洋子はわたしの中で「好きな作家」の最上位グループに属し続けている。文章、文体、世界観への信頼感。
今回久しぶりに読んで、漠然とした記憶と印象よりもずいぶん「気持ち悪い」描写が故意に細かくねちっこく書き込まれてある作品だったのだなあと思った。まあこの作家はずっと昔からそうだし、今も変わらないのだが。

この物語の語り手は女子大学生だが、ほとんど無色透明な存在で、黒子に徹している。彼女の母親の年の離れた兄(主人公から見ると伯父)と彼が壮年期に結婚したロシア人の年上の妻、つまり伯母のことを書いた小説である。

伯父は本書の冒頭時点で故人になっているが、彼の趣味に動物の剥製の蒐集があり、それらが物語の中で大きな存在感をはなつ主軸になっている。
もうひとつのテーマは皇女アナスタシア(伝説)。ユーリ伯母は実は歴史的惨殺を逃れたロシアのロマノフ王朝の生き残りの王女では、という説が物語の途中ある人物から発信され、主人公の視点から読んでいると「んなわけない」というスタンスなのだが、それなのにずっとずっと読んでいるとそのへんの境界がおそらくわざとだろうが究極に曖昧にされていくのである。肯定は最初っからされていないのだが、「でも完全に、絶対的に否定することもできないのでは?」という空気、そもそもそういう「旗印」ってこういう、周囲の認識で「作られていく」ものじゃないか、本物との違いってなんなんだろうと考えさせられるような。

主要人物として登場するのは「私」と「ユーリ伯母」と私のボーイフレンドの「ニコ」、剥製マニアのフリーライター「オハラ」。そのほかに多くの剥製たち。

オハラというのは日本人の小原という胡散臭い男なのだが、最初の登場のときに名乗り、地の文でしばらく「男」と表現されたあと、突然「オハラ」と表記され(あまりにも人物にそぐわないハイカラさで思わずびっくりして前後を見直してしまった)、そしてそのあとはずっとそのままである。オハラといえばスカーレット・オハラを連想してしまうが、この男と『風と共に去りぬ』を関連付けるものは(たぶん)無いと思うのだが……。
小原が書く文章上の彼と、「私」視点の彼があまりに違う、そのギャップも興味深かった。

2012/11/07

午後は女王陛下の紅茶を 【愛蔵書】

午後は女王陛下の紅茶を (中公文庫)
出口 保夫 出口 雄大
中央公論社
売り上げランキング: 264662

■出口保夫・文 出口雄大・イラスト
これは文庫なんだけど、著者の息子さんが描いたとっても素敵なイラスト(色鉛筆画)がたくさん載っていてすごくキレイで楽しい本。
中身はエッセイだけど、紅茶のハウ・ツー本といったほうが近い。
紅茶にまつわる茶器とかお茶っ葉のこととか薀蓄が書いてある。それも、日本の、というよりはイギリスの話が多くて、とりあえずこの著者は紅茶も好きだけど英国が大好きなんだなあ、ということがよく伝わってくる。英国通、紅茶通を以って自任している、という感じだ。だから独断と偏見、ではあると思うので、異論のある向きもあるかもしれない。
たとえば出口先生曰く、紅茶は受け皿の付いたティーカップで飲んでこそ、のもので、それは「優雅さ」を大切にしたいからだと。コーヒーカップに注ぐなどはダメだそうだ。
家で気軽に紅茶に親しむのに一番最適なのはマグカップだと思うんだけど、おそらく出口先生はそういう飲み方はされていないだろう。
どっちが良いということじゃない。いろんな楽しみ方、親しみ方があってイイのだ。だって日常品だもん。嗜好品だもん。

それにしても、マグカップでしか飲まないとわかっているのに、この本を久しぶりに読みかえすとボーンチャイナの超素敵だけど高っかい茶器とか欲しくなってくるのがね~。あと茶器以外にもいろいろグッズがまた良くてね~。物欲が刺激されまくる。

16年前に書いた感想文(恥)はこちら
この本を読んでそれまでコーヒー派だったんだけど、そしてティーバックくらいでしか紅茶を淹れなかったんだけど、ちゃんと茶葉で淹れる派になったのだった。コーヒー派なのはそのままだけどね。

2012/11/05

わが職業は死 【再読】

わが職業は死 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P.D. ジェイムズ
早川書房
売り上げランキング: 86573

■P・D・ジェイムズ 翻訳;青木久恵
ダルグリッシュもの。
こちらは『皮膚の下の…』のような長い描写はあまり無くて、淡々と事件と事実が積み重ねられていくイメージだ。
やはり内容をすっかり忘れきっていたのだが、この話、近親相姦スレスレの感情を妹に対して抱く男がいたり、権力をカサにきて部下を追い詰める男がいたり、女性の同性愛同棲者がいたり、次から次へ男性に手を出すタイプの毒婦がいたり、だいぶ精神的に不安定な思春期の少女がいたり、アル中の女がいたりして、それらのことは通常だったら日常生活のなかに紛れ込んでいることなんだけれども、殺人をきっかけにしていろいろ穿り返されていく。みんな自分の身を守りたいから嘘をついたりして、殺人事件の方にも影響を与えていく。文中のどこかにあったが、「殺人事件」というのは「周囲を汚染する」のだそうだ。うーむ。

殺人犯というのはみんなそうなんだろうけど、この犯人も静かに少しずつ頭のどこかが狂っていて、それが大きくなっていったのに、表面上はまともな社会人として通用していて、もちろん本人も自分はまともだと信じ切っていたのだった。それが描かれるところを読んでいるとじわあっと恐ろしさが込み上げてくる。突然、なにかで爆発するのも怖いけど、そうじゃなくて、日常の中で気づかれないうちに歪が広がり腐っていくのだ。

2012/11/02

皮膚の下の頭蓋骨 【再読】

皮膚の下の頭蓋骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129‐2))
P・D・ジェイムズ
早川書房
売り上げランキング: 118855

■P・D・ジェイムズ 翻訳;小泉喜美子
『女には向かない職業』で有名なコーデリア・グレイもの。

前に一度読んだことがあり、良かったという感触だけは覚えているのだが例によってほとんどのことを覚えておらず、それどころか終盤になっても誰が犯人だったか思い出さない我が頭蓋骨の中身を疑いたくなることしばしだったが、それはともかく、この小説は殺人犯人が判明したときにもはやそれは大した罪では無いとさえ感じてしまうより邪悪な人間が出てくるのであった。凄い話だ。

読了後、「凄い!なんだこの小説は!前回わたしはいったいどんな感想を書いたんだ!」と思って見てみたら存外にクールなようで、うーんどうだったんだろう6年前の心境は。

冗長とも言われかねない情景描写や心理描写がこれでもかと書き連ねられるが不思議と煩く感じず、むしろそのことによって各人の人柄・それぞれが抱える葛藤・問題・事情が明らかにされ、表層に出ていることとの対比が読者には見え、ミステリーとしてだけでなく小説としての面白さにつながっているのである。

若く、控えめで知的なコーデリアは男性読者はもちろん女性読者にもファンが多いだろう。
屈強なマッチョではないが、かといってか弱きお姫様でもない。コーデリアはまっすぐ芯の通った強さを持ち、感情的にならず、公平で、優しいこころの持ち主である。
彼女の若さ(というか幼さ)は、たとえばサイモンが17歳らしい自己中心的考え方から自己弁護のあまりしつこく己の望む回答を引き出そうとするのに対して「爆発」してしまうところなどで、これは読んでいて微笑ましかった。
優しさは、特に印象的だったのは終盤の砂浜のシーン。自分に対しても誰に対しても攻撃的なローマが手紙を受け取って衝撃を受けたのを知ったときの対応で、コーデリアを尊敬した。

2012/10/28

夕子ちゃんの近道 【再読】

夕子ちゃんの近道
夕子ちゃんの近道
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長嶋 有
新潮社
売り上げランキング: 535664

■長嶋有
これもスジらしきスジのない、設定とか雰囲気とか会話とかそういうのが味わいがあって、いつまでも読んでいたくなる居心地の良い話。

メインはフラココ屋という西洋アンティーク専門店(元は。でも途中からいろいろ混ざって和レトロとかなんでもありになっている)。
そこの2階の、物置代わりになっている和室に居候している「僕」が主人公。
青年というほど若くはなく、たぶん30過ぎかな。
詳しい状況はなにも説明されない。
どうして働かずにここにいるのか(貯金はそれなりにある、と書いてあるからたぶん最近仕事を辞めたばかりなのだろう)、それまで住んでいたのはどういう環境なのか、家族はいるのか。

書いていないので、わからない。
わからないけれど、長嶋有の著作をコンプリートしている身としては、だいたいこんな感じじゃないかとアタリを付けている。
たぶん、主人公は職も失したばかりだけど、それと時を前後して奥さんが出て行ったんだ。子どもはいない。――で、ちょっとなにもかもゼロになって、人生の小休止してるのが、いまなんだ。
別に絶望したりはしてないし、どうしていいかわからない不安に陥っているわけでもない。
ただ、なんだかもう、茫然としている。
ちょっと、疲れちゃったし。

――そんな感じが、する。
少なくともこの主人公、ずっと親元暮らしのサラリーマンで独身で、……っていう感じはしないんだよなあ。登場する女性への視線のやりかたとかが落ち着いてるし。

まあなんにせよ勝手な一読者の想像でしかないのだが。

主な登場人物。
フラココ屋の店長(40歳。妻子あり)
店の隣に住んでいる大家さん(八木さんというカクシャクとしたおじいさん)
大家さんの孫娘の朝子さん(芸大の卒業制作に目下取組中)と夕子ちゃん(定時制高校生)
店長の昔なじみでフラココ屋の(買わない)常連客・瑞枝さん(35歳、ただいま離婚協議中、子どもはなし)
店長の昔なじみでフラココ屋の常連客(このひとは買う)でフランス人のフランソワーズ(既婚者、日本の大学で20年近く教鞭を取っていた)
店長の母親(実家であり、フラココ屋の本店というか、倉庫にしている蔵がある)
先生(夕子ちゃんの学校の先生。沢田さん)

店長はインターネット・オークションのほうもやるようになって、そうなるとそちらのほうが実店舗より忙しくなってきて、主人公は店のアルバイトもしている。
小道具屋の話には興味があって、でもこれにはそんなに詳しくモノの描写は出てこないんだけど、店のたたずまいとか、空気感が目に浮かぶようで、とても落ち着く感じだ。

この本を読んでいると「はあ、なんだかよくわかんないけど、いいなあ」と思う。何度でも読めると思う。

2012/10/25

消されかけた男

消されかけた男 (新潮文庫)
ブライアン フリーマントル
新潮社
売り上げランキング: 218511

■ブライアン・フリーマントル 翻訳;稲葉明雄
瀬戸川猛資氏がたいへんに誉めておられたので読んでみた。

この話の主人公はチャーリー・マフィンと云い、見かけはうらぶれた冴えない中年男、しかしその実態は凄腕のスパイという設定なのだがこの名前を見るたびにわたしの脳内では以下のような絵が浮かんできて仕方ないのだった。
チャーリー・マフィン → チャーリー(・ブラウン)がマフィンを持って嬉しそう。
読了後、これはぜひイメージ・イラストを用意せねばっ、と頑張って描いたのでここに置かせていただく。トレンチ・コート(適当)とサングラスは安直な「スパイ」からの連想である。
念のため断っておくが本書は徹頭徹尾真剣な話であり、スヌーピーやお菓子のマフィンに代表されるような家庭的な雰囲気の入り込む余地はない。と云って悪ければ、グラウンドが違う。
ユーモアが無いとは言わないが、あくまで真面目で格好良い、洒落の効いたスパイものであり、無能で権力主義の上司のハナを明かすという爽快なスジガキが鬱屈しているサラリーマンの心を打つ名作とされている。
英国情報局秘密情報部(MI6)。
まことに渋くてダンディな響きではあるが、MI6と聞いて最初に思い出すのはバンコラン少佐(『パタリロ!』)だったりするからもうなにがなんだか。


こんなふうについ茶化してしまうのは、本書があまりにも理想的なスパイ小説だったからであり、あまりにも「世の男性はこういうのを好きで憧れるんだろうなあ」という感じだったからであり、美しく賢く優しく心から夫を愛している妻がいるのにもかかわらず、仕事のためととか言いつつ愛人を作りその愛人は主人公を愛していないといいつつ涙を流してくれたりする設定にムカついたからである。スパイものなので、時にひとが使い捨て駒のように死んでいくのもまるでエンタメ至上主義の映画のようで遠い目になってしまうし。まあ、主人公に同化しちゃえばとっても素敵なドリーム小説なので、陶酔できて幸せだろう。

誤解があるといけないので最後に断っておくが、本書は娯楽小説としては上級の出来であることは認めるのにやぶさかではない。
本書を読むと、英国や米国よりソ連(当時)のほうがカッコよく思えて仕方ないんだけどそれでどうも良いらしいのだからよくわからん。著者の権力主義への反骨精神ゆえ、ということだそうだ。

2012/10/24

どくとるマンボウ途中下車 【再読】

どくとるマンボウ途中下車 (中公文庫)
北 杜夫
中央公論新社 (2012-04-21)
売り上げランキング: 256284

■北杜夫
再読、とは言っても前回読んだのはざっと15年くらい前ではないかと推定され、本も手元に残っていないから買い直した2012年4月25日の改版分で、今回読んでる最中も全然思い出す節が無く、終盤に至ってやっと「あ、これ覚えてる」というエピソードが出てきたくらいなもんである。

本書の親本は1966年1月に中央公論社から刊行された、と奥付にさらりと書かれており、あまりにも何気なく書かれているのでいま改めて書き写すまで「中央公論新社」から出たものだと思い込んでいた。ええっと、中央公論社っていつまであったんだっけ。ググってみた。

中央公論社は1990年代に経営危機に陥ったため、読売新聞社(現:読売新聞東京本社)が救済に乗り出し、1999年に読売の全額出資によって中央公論新社が設立され、営業を譲り受ける。】(ウィキペディアより抜粋)

話を戻して。
1966年は昭和41年。東京オリンピックが1964年だ。つまり、日本が元気なときだったんだろうな。
本書は「途中下車」とあることでわかるようにマンボウ先生の旅行?にまつわるエッセイ集だが、新幹線がまだ珍しかったのか、初乗りのときの話とかが出てくる(ググると新幹線開通も1964年)。

『どくとるマンボウ航海記』で大ベストセラーになり、一気に知名度が上がった著者なので、世間からは「さぞや、旅好きで」と思われているのが「誤解」だというスタンスで書かれている。本当はかなりめんどくさがりやの出無精なのに、編集者にせっつかれて仕方なく……というわけだ。ちなみにここに出てくる鉄道ファンの編集M氏というのは宮脇俊三のことでまず間違いあるまい。

北さんのユーモアというのは大爆笑で笑いが止まらないという種類のそれでは(少なくともわたしにとっては)ないが、文章に品があり、著者のお人柄がよく顕れていて、こころオダヤカに健やかに読める。そして時々「面白いことを書かれるもんだな」と感心する。
作品によってはその度合いが違って、例えば「航海記」なんかはかなり大袈裟に面白おかしく書かれているわけだが、「途中下車」は他の数作品と比べてもトーンが割合落ち着いているように感じる。これは鬱のときに書かれたものなのかなあ。買い物で他愛なくだまされまくるエピソードなんかは躁っぽいけど。

ヒマラヤ登山の話、インスタントラーメンの権威のくだり、駅弁の話などが特に興味深かった。

2012/10/22

雑誌「考える人」2011年秋号+2012年冬号





すごく久しぶりに雑誌を買った。
梨木香歩『エストニア紀行』の最初のほうが「特別寄稿」としてこの2冊に載っていて、単行本には収録されていなかった写真が載っているらしく、それを見たいが為だった。ネットでも購入できそうだったが、大きめのジュンク堂の近くに仕事で行く機会があったので、帰りに寄ったらきちんとビニール封されて棚にあった。

中身の、木寺さんの写真だが――――正直、わざわざ雑誌をそれ目的に買ったにしては大した量が載っているわけではなく、少しがっかりした。平松洋子さんの書籍なんかは文庫でもカラー写真多数で楽しいんだけど、あれが特別なのかな、やっぱり。あんまりあそこまで載っててしかも普通のお値段って無いもんなー。

2011年秋号はアマゾンなんかだと11月号、2012年冬号は2012年2月号で、これは季刊誌なのでナンバーでいうと38号、39号にあたる。

38号の特集は「考える料理」で、川上(弘美)さんの手料理とかがメイン。関心がある特集で良かった。
表紙のこの女性、川上さんだったのだ! ロングヘアの写真しか拝見したことがなかったのでまさかそうとは思わなかった。
お茄子の特集、あの「コート・ドール」斉藤政雄シェフの特集なんかも目を惹かれる。面白かったのは、業界各人にアンケートを取った「私の好きな料理の本ベスト3」という企画だ。向田邦子の料理本はけっこうかぶってるなあ、とか、やっぱ小林カツ代は基本よね、とか。
平松さんの連載が載っていたのも嬉しい。写真はお馴染み日置さん。
おっ、と思ったのは、「高山なおみのロシア日記『犬が星見た』をめぐる旅」が連載第1回目だったことだ。高山さんはアマゾンで平松さんのを購入しているからか、「おすすめ」でずっと上がってくるのだが未読のままだった。それを武田百合子のあの名著を媒介にして試し読み(じゃないけど)出来るとは。想像したよりも全然料理人ぽくないふつうの飾らないエッセイだった。うーん、特にどこも悪くないけど逆に「文庫本も買ってみようかな」と思わせるなにも無い、まあまだ今のところは。でもこれは企画が良いから本になったら買うかも知れない。

39号の特集は「ひとは山に向かう」。
こちらは前号の連載の続き以外に特に気になったもの無し。

コウケンテツの鍋、汁もの、煮込み ――うまいおかずレシピ50

コウケンテツの鍋、汁もの、煮込み―うまいおかずレシピ50 (別冊すてきな奥さん)
コウ ケンテツ
主婦と生活社
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■コウケンテツ
雑誌「考える人」の料理特集を読んで、そのあと本屋に行ったら、なんだかそういえばわたしは自分でレシピ本とか全然買ってないよなー、マンネリ化しがちか、もっと新規開拓するべきでは、という気分になった。まことに影響されやすい単純な、もとい、素直なにんげんであることよ(と云っても誰も損はしないだろうから云ってみる)。

人気の向田邦子レシピ本を探してみたら店頭在庫は無かった。まあ、ショッピングモールの書店だもんな。多くを望んではいかんよな。
大人しく料理本コーナーで物色する。おお、小林カツ代。ぱらぱら中身を見ると本当に基本というか、正しい日本のゆうごはん、といったメニューが並んでいる。しかしこういうのはいちおうレシピ無しで作れるんだよなー。
もっと変わったのがイイ、自分のアタマでは考えつかない新境地を!

カツ代さんの息子ケンタロウさんのレシピ本はなかなか面白そうだった。いやしかし、なにかピンとこない。そういえば同じくテレビで見かける若手料理研究家の男性がいたな……ということで思い出した。

コウ・ケンテツさん。
イケメンだ。いやそれで選んだわけではない。
テーマが素晴らしい本を出しておられたのだ!
「煮込み」。
おおおおお。煮込みとはほんとうになんと素晴らしい響きなのだ。なんだかもう、その言葉だけでうずうず料理人(誰?)の血が騒ぐではないか。
中身をさりげなく確かめると面白い組み合わせの煮込み、鍋料理の類ばっかりだ。炒め物とか蒸し物はいっさい無く、潔くワンテーマでどーんと勝負の一冊なのだ!

というわけで、買ってぱらぱら眺めてみた。美味しそうだ。作るのも楽しそうだ。
だが、レシピ本をちゃんと「活用した」と言い切るにはせめてこの本の半分くらいは自分の手料理として、作れるようになったアカツキ、でなければならないのだろう。

その前になんかこの本見てると煮込み用の鍋を新たに買いたくなってくるのが困ったもんだったりするが……(いまあるので作れ)。

2012/10/20

ボタニカル・ライフ 植物生活 【再々読】

ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)
いとう せいこう
新潮社
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■いとうせいこう
3回目の通読である。
小学生時代から祖父の影響で苗木を庭に植えて育てたりしていたので、こういうエッセイは非常に面白い。去年からわたしもベランダーの仲間入りをし、少しずつ鉢を増やしている。虫とか根腐れとかその逆の水やらなさすぎとかいろいろ失敗をした。そういうのがあるから、すくすく元気に葉をみなぎらせているのとかを見ると「ああ、順調に育ってて嬉しいなあ」としみじみ有難く思うのだ。

いとうさんは、寒くなってくるとベランダから室内に鉢を移したりしておられるが、というか室内とベランダの鉢をふつうにそのまま状況や育ち具合によって入れ替えたりなさっているが、やはり外に置いてあるものを部屋に置くと虫とか土とかイロイロあって、まあこのへんは気にするかどうかの個人の性格の問題なのであるが、去年の経験からいうとうちはそれは避けるべき、なのであった(室内にある植物は最初っから室内用の観葉植物として販売されていたものだけで、逆にこれは外には出せない)。

いとうさんは花とか実とか付けないとつまんない派らしいが、わたしは別に花が無くとも良い派である。まあ、花が咲いてるとそれだけで綺麗だし、華やぐけどね。緑の新芽とかも良いのだ。

庭が無くとも、植物を愛でることは出来る。というスタンスで書かれているガーデナーのブログが本書なのだが、正直、かなり「オトコの手料理」な世界だとは思う。NHKの「趣味の園芸」のような細やかさ、丁寧さ、用意周到さは著者の性格からして違うようだ。だけど、こういう慈しみ方・楽しみ方もあるんだなあ、ということで。失敗談が多いのも参考になるしねー。

2012/10/18

戦後短篇小説再発見10 表現の冒険 【再読】

戦後短篇小説再発見10 表現の冒険 (講談社文芸文庫)

講談社
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■講談社文芸文庫編 ■戦後短篇小説再発見
へんてこりんな話ばっかりの純文学アンソロジーで、作品によっては何度も読んで面白がっている。今回は全部読みかえしてみた。

内田百閒 「ゆうべの雲」★★★★
夢をこんなにも上手く書いてあるのにいつも感動する。灯りをつけてもすぐ明るくならないところとか「ネ申」っすよね。

石川淳「アルプスの少女」
すまん、ヲレには何が面白いのかわからない。

稲垣足穂「澄江堂河童談義」
前半の、芥川龍之介や谷崎潤一郎など実在の文豪が出てくるところは良かったが、後半はあまりにも興味の対象から外れすぎていて共感不可能。

小島信夫「馬」★★★
歯がゆい。
しかしなんともいえない味があって、狂気なのか正気なのか探りながら読んでいくのが面白い。

安部公房「棒」★★
昔はこういうキレキレのやつにシビれたものだが。だんだんヒネてこういうわかりやすい前衛には感動しなくなってしまう。まあ、何度も読んで覚えているからなんだろうけど。って、好きなんじゃん。ばれたか。

藤枝静男「一家団欒」★★★★
なんだろう、なんか好きだ、この空気感。
包帯でぐるぐる巻きになった、でも身体から解放されて精神が自由になっているからか、ものすごくライト。そして家族の良いところだけ妙に感動的に書いてあるところが変で、だけど明るいのは読んでてほこり、とする。

半村良「箪笥」★★★★
説明はつかないのだけれど。
独特の文体が良い味を出している。

筒井康隆「遠い座敷」★★★★★
座敷を通って集落から集落へ移動出来るとか、もうその設定を書いてくれてあるだけで何度感激して読みかえしたことか。

澁澤龍彦「ダイダロス」★★★★
一度も浮かんだことのない船の、その中にかかっている掛け軸のお姫さまの話、言っとくけど全然メルヘンではない。しかしこの高潔さが良い。

高橋源一郎「連続テレビ小説ドラえもん」
ナニガオモシロイノカマッタクワカラナイ。
今回久しぶりに読みかえしたけど、やっぱりわからんかった。
こういうのはドラえもんじゃなくてサザエさんでやってほしかったように思う。

笙野頼子「虚空人魚」
タイトルが素晴らしい。中身はタイトルほど甘くない。

吉田知子「お供え」★★★★
この、まあ無い、という設定なのになにか妙にリアリティがあるディテールの積み重ね方とかすごいよなあ。花の名前とかすごく丁寧に書いてある。登場人物の言動とか主人公の心の動きとか、そういうところがきちんと表現されているから、この異様な設定が成立するのだ。

2012/10/17

エストニア紀行――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

エストニア紀行: ――森の苔・庭の木漏れ日・海の葦
梨木 香歩
新潮社
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■梨木香歩
エストニアって云われても「バルト三国」くらいしか浮かんでこなくて、昔、ソ連から独立したというニュースを聞いたときの記憶がぼんやり浮かぶだけ。なっきーの新刊告知でタイトルを知った時最初にわたしがしたことはグーグルマップでエストニアの位置を調べることだった。スカンジナビア半島の向かい。ヘルシンキが対岸にある。北の国、だ。

実際に本を手に入れてみれば紀行文なのに地図もなにも無くて、知りたいひとはこれを機会に調べて欲しいというスタンスかと思う。木寺紀雄さんによる写真が数ページ、中ほどにあってまずそこをぱらりと見やるととても鮮やかな色彩で思わず凝視してしまう。織物の赤、木の実の赤、木々の緑、渡る虹。うーん、でも表紙に選ばれたのはこの地味な葦原なのね。なるほど。

この紀行のサブタイトルは「コウノトリに会いたくて」でもあると思う、植物にも動物にもずっと親しい好奇心と愛情を持っている著者だけどヒトが住む場所と彼らはなかなか共存できない。人間がいかに多くの種を絶滅に追いやったかということが繰り返し梨木さんの絶望的な実感として語られる。そして、そんななかコウノトリは珍しく人里に棲む鳥で、その姿をせめてもの救いのように追い求めてしまったのだと、そんな心境を吐露しておられる。

この旅は、女性編集者、写真家、通訳、案内人とのチームワークみたいな面もあって、どっちかというと独自の視点と考察でその世界観を構築していくタイプの梨木さんだけど、こういうそれぞれがプロの仕事に徹する、尊敬できるひとたちと組んだときに取っていくスタンスとかも興味深くて、面白いのだった。カメラマンの木寺さんが着ていた独特のジャケットに対する内心のコメントとか、なんだかユーモラスでおかしい。あと、怪談とかしちゃうんだね。得意だそうだ。その流れでまさかのゴシック・ホラーみたいな展開もあって、怖いというか不思議というか、なんというか切ない哀しい話でしんみりしちゃうんだけどもさ。
なっきーって生きてるひとも、死んでるひとも、植物も動物も、あんまり扱いを変えないというか、真正面から受け止めようと努めてる感じだなあ、とかいうことを本書を読んでまたしみじみと思った。そうそう、森と同化というか溶け込もうとしてるシーンもあったよなあ。元祖森ガール、ってそうじゃないけど。

ふだんの生活圏から離れて、自分の背骨をまっすぐに立て直すための場所に行く。近い遠いの差はあれど、わたしも時々そうやってバランスを取っている。
誰の身にも「森」(つまり、それに類するもの)はあるのだろう。

エストニアのひとはみんな茸に詳しくて、茸がどっさり生えているから茸狩りとか目の色変えてやるらしい。日本ではよくうっかり毒キノコ食べちゃってニュースになってるけどそのへんは経験値が違うから大丈夫なんだろうなあ。そういえば映画「かもめ食堂」でも茸のエピソードは出てきた。あれはヘルシンキが舞台だけど。

留守を知らせるための印を「合理的だ」としてそれで成り立つ泥棒のいない国、お金持ちにはなれないけれど自給自足で生きていける国、自分の身の丈にあったぶんだけ働いて生活しているひとびと。
浮世離れ、まではいかないにしても、なかなか、別世界、ではあると思う。

一読しただけなので、また少し時間をおいて読み込んでいきたい。

2012/10/14

佐渡の三人

佐渡の三人
佐渡の三人
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長嶋 有
講談社
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■長嶋有
長嶋有という作家の書くものは身内をモデルにしたようなしないような話が一連のシリーズもののようにある。どういう設定かは読んでみるまでわからない。今回の「私」は女性で、道子という。しかし純文学系作家であることや大雑把な世代は著者自身と重なる。また、その父親は古道具屋をしていて名前がヤツオ、というのは『ジャージの二人』などと同じだ。今回は「私」に弟がいる。そして祖父母が出てきてかなり重要な役柄を担っているというのが今までにない設定だ。
4つの短篇として読めないこともないが、話のステージは同じだし、前の話を受けて続いていたりするので長篇のようにも読める。連作短篇っていうのかな。初出は以下の通り。

「佐渡の三人」         :「文學界」2007年1月号
「戒名」            :「群像」2009年3月号
「スリーナインで大往生」    :「群像」2011年11月号
「旅人」            :「群像」2012年6月号

それぞれの「アラスジ」をいっぺん書いてみたのだが、それはたしかにそうなのだが、そのアウトラインだけだとこの小説の面白さをなんっっっにも伝えてくれないことが判明し、潔くざくっと削除した。
長嶋有の小説はスジじゃないんだ。一言一句、表現されるそのシーン、台詞、描写によって場の空気が構築されている、その全体が、めちゃくちゃ面白いのだ。
なにしろ、アラスジを書くためにさらりとなぞりなおそうと1ページ目に戻った筈が気が付くとまた普通に読み込んでしまっていた。読んでいく過程が心地よい。はっと気が付いて「これは、何度でも読んでいられるな」と驚いてしまった。

最初の話だけではあえて書かれていなかったことも全編読むと出てきたりするが、なんにせよちょっと毛色の変わった一族だなあと思う。そしてなんだか登場人物一覧を作りたくなってくる。今回珍しくいろんなひとが出てくるからだ。他の作品からの繋がりもあるし、「どれどれ、どうなってんだこの家族」と身を乗り出す感じ。

道子(私。純文学作家。両親離婚後母親に引き取られた。30代。独身。)
(私の弟。高校中退後ひきこもり。両親離婚後父親に引き取られたが祖父母の家に同居し、数年前彼らが寝たきりになってからはその介護をしている。)
ヤツオ(私の実父。古道具屋店主。)
長節(私の実父の父。私の祖父。医学部教授・病院長だった。権威が好き。)
みつこ(長節の妻。私の祖母。ワンマン。改築魔)
ヨツオ(私の実父の長兄。言語学教授。おっ、が口癖。私の書いた文章をマメに読んでくれる。祖父母の隣の家に住んでいるが、多忙なため滅多に会えない「ボーナスキャラ」。)
ムツオ(私の実父の次兄。医学部教授。ヨツオ以上に多忙でよっぽどでないと会えない。やはり医者の息子がいる。)
トキコ(朱鷺子。ムツオの娘。ドイツの交響楽団に属する伴奏ピアニスト。)
スミ(トキコの妹。直接は登場しないが名前だけ出てくる。)
愛人(私の祖父の愛人。ヘルパー。私は一度も正面から会ったことが無い。)
おじちゃん(私の祖父の弟。大叔父。名はシンサク。長節の隣に住んでいる。元新聞記者で「本物の文学青年(老年?)」。)
おばちゃん(大叔母。シンサクの妻。私が遊びに行くといつもコーラかスプライトをふるまってくれた。商店街の福引でパリ旅行を当てたことがある。)
リュウ君(大叔父と大叔母の息子。私がこどものころから大人で、ずっと働かず家にいる、たまにしか出没しない「隠れキャラ」。)
クミさん(大叔父と大叔母の長女。リュウ君の姉。)
カナちゃん(大学2年生。クミさんの娘)
お坊さん(佐渡の、私一族の墓があるお寺の住職)

道子の父親(ヤツオ)はずっと出てくるけど実母は一度も(伝聞ですら)出てこないので詳細一切不明。
老いた祖父母が寝たきりで、一族に引きこもりが複数いて、祖父には愛人もいて、なんだか書きようによってはいくらでも重たくなりそうな素材を扱っているのにちっともそうならない。どこか他人事で暢気である。これは「私」だけでなく一族に共通する性格に因るところが大きいだろうと思っていたらこんな箇所があった。この数行にすべてがある、と思えたので少々長くなるが引用する。

  私たち家族は、ウケるということをしてきている。
  変な家ではあるが私たちの家だけに特殊さが集中しているわけではあるまい。きっとどんな家にもそれぞれ変な部分や、問題があるだろう。家を構成する一人一人にもだ。<中略>
  そのどれにも有効な手をうてずに、その代わりに「ウケる」ということをする。<中略>
  もちろん、世間の多くの人が「冗談めかす」ということを知っているし、する。冗談めかすことで、深刻ななにかを相対化する。他者に心配をかけまいという優しさを発揮する。
  だけどこの家では、一人でただ冗談めかすのではない。家中で「ウケる」ということを、父も弟も、皆が皆の役目のようにやる。悲しみにユーモアを「混ぜる」のではなくて、「同時」なものにする。悲しいことを減らすのではない。まぎれさせるのでもない。「ウケる」ということにさえしたら、その時間は悲しいのではないのだ。なくなってないのに。
  だからとにかくウケるということにだけは敏感だし、絶対に逃さない。手をかざして他を制しながら背面キャッチする外野手のように、ウケる場所に迷わず走っていく。


2012/10/12

夜明けの睡魔 海外ミステリの新しい波 【愛読書】

夜明けの睡魔―海外ミステリの新しい波 (創元ライブラリ)
瀬戸川 猛資
東京創元社
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■瀬戸川猛資
解説に拠れば早川の「ミステリマガジン」で連載が始まったのは1980年7月のことらしい。調べてみたら単行本は早川書房から1987年10月に出ている。そしてわたしの手元にあるのは1999年5月28日の文庫初版である。創元ライブラリ。出版元は何故か東京創元社である。なんでハヤカワ文庫じゃないの?

1999年3月に50歳の若さで亡くなってしまわれた、瀬戸川氏の名前は北村薫などのエッセイなどにも登場していた。ワセミス出身で、本書を読めばひしひしと伝わってくるが、ほんっとーーーに、ミステリがお好きだったようだ。

この文庫には宮部(みゆき)さんが帯にコメントを寄せられていて(「私もいつかここに取り上げてほしかった」)、そもそもはそれに吸い寄せられるようにして購入したのだが、一読するや夢中になり、以降繰り返し何度も読んできた。
今回、久々に読みかえしてみたがやはり面白い。取り上げられている海外ミステリを既読の場合、実際読んだ感想と比較して、なるほど瀬戸川さんはユニークかつ一本筋の通った見方をされているなと思う。ミステリというものに対する愛情が濃いのだ。惚れ込んでいるのだ。まずスタンスが違う。こういうひとがいたら、さぞ感想を言い合うのが楽しいだろう。

これはミステリの案内書である、それは確かで、本書をきっかけに読んだ海外ミステリはいくつもある。でもそれだけじゃない、この本は書評として、それだけで既にめちゃくちゃ面白い、優れたエンタメになっているのだ。

瀬戸川さんの、ミステリへの熱い想い。子どものようなきらきらした視線で、青年のような情熱を持って語られる作品紹介は、とおりいっぺんの書評では収まらない。
行間から、著者の身振り、手振りがうかがえるようで、思わず笑い出してしまいそうになる。ああ、好きなんだなあ、楽しいんだなあ、って。そしてその作品を是非とも読んでみたくなる。
もちろん、誉めるだけではない。ダメなモノはだめ、ユルセナイものはゆるせない、とオノレの意思をくっきりはっきり表明する。感情的になっているのではなく、どこがどうでだから、とちゃんと書いてあるので、成程ね、とうなずくことが出来る。

現在、本書は古書でしか入手できないようだが、「ミステリーとミステリの違い」とか問われ身を乗り出すタイプなら間違いなくハマること請け合い。
ちなみにこれの姉妹版?の映画版『夢想の研究』も面白いぞ。

夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)
瀬戸川 猛資
東京創元社
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2012/10/07

焼き餃子と名画座  わたしの東京 味歩き

焼き餃子と名画座: わたしの東京 味歩き (新潮文庫)
平松 洋子
新潮社 (2012-09-28)
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■平松洋子
東京の、いろんな町の「ヒラマツさんのいきつけ」の美味しいお店、その料理の品々をいつもの平松節で紹介してある。順番に読むのもよし、あちこち覗いて気になった場所から攻めるもよし。
あー、これは平松さんのミシュランだな、と読んでいて思った。
決して高級店では無い。老舗ばかりとかでもない。
昔からある、ほんとうに美味しいものを知っているお客が集まる場所。
東京にはお店がいっぱいあるなあ、としみじみ感じた。

ひとから「ここはオススメ」と教わって知るのもあるだろうけど、自分の勘でお店を探す。その中には「あら、間違えた」ということだってそりゃあ、ある。そのへんのことにも触れられていたのが、興味深かった。はずれがあるから、アタリを見つけたときのヨロコビがあるんだよね。

関西在住なので気軽に「じゃあ行ってみようか」とは出来ないけど、例えばとんかつの話を読んでいるその日のお昼は自分の知っている美味しいとんかつのお店に行ってしまったり、海南鶏飯の話を活字で味わううちに影響を受けて晩ごはんに鶏の炊き込みご飯を炊いてしまったり。

家庭の味も悪かないけど、やっぱ、プロの作った「美味しい」はいろいろ全然違う。まず素材の仕入れから違う。調理道具も設備も、そして作る人の腕も。
平松さん、これの京都・大阪版とか書いてくださらないかなあ。

平松さんの本にはお馴染みのカラー写真も。
今回は食べ物の写真じゃなくてお店の雰囲気がいきいきと伝わってくる写真。カメラマンは齋藤圭吾さん。
巻末には2回目の東海林さだおとの対談があって、楽しいぞ!

2012/10/02

恐竜物語 【十代からの愛蔵書】

恐竜物語 (新潮文庫)
恐竜物語 (新潮文庫)
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レイ・ブラッドベリ
新潮社
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■レイ・ブラッドベリ 翻訳;伊藤典夫
「恐竜物語」で検索すると最初に上がってくるのがムツゴロウさんこと畑正憲原作/角川春樹脚本・監督の映画"REX 恐竜物語" (1993年7月3日公開)だが、ここでご紹介するのは1952年から1983年の間に書かれたレイ・ブラッドベリの恐竜が出てくる作品ばかりを集めた短篇集。
数名の画家による挿し絵がたっぷり収まっていて、とても贅沢なのに価格は通常文庫並という素晴らしい1冊。東逸子さんのイラストは表紙だけ。
残念ながら絶版になって久しいようである。愛読書というよりは愛蔵書。

「恐竜のほかに、大きくなったら何になりたい?」
Besides a Dinosaur, Watta Ya Wanna Be When You Grow Up? (1983)
ファンタジー。
大きくなったら何になりたいか、というのは幼い子どものときから時期に応じていろんなレベルで考えるテーマだと想うけど、真面目に大きくなったら恐竜になる”と決めて、そうするにはどうしたら良いか具体的な方法を祖父に訊いたりするのって何歳くらいまでが上限なんでしょうかねえ…。
ちなみにこの作品の主人公は12歳。
今回再読してこの年齢設定にもの凄く違和感を感じてしまったのだけれど、私自身がこの話を最初に読んだのは十代の頃で、そのときそんな感想を持った記憶が無く、それよりもクライマックスで少年の寝室を祖父が訪れたときに起こる不思議な現象が挿し絵とともに強烈に印象に残っていたわけで、ブラッドベリの魔術にやられたということか。


「いかずちの音」
A Sound Of Thunder (1952)
タイム・マシンで恐竜が実在する時代にハンティングに出掛ける話。
過去の世界になんらかの影響を与えてしまったならば、それがたとえどんなにささやかなことであっても未来にはとんでもない結果をもたらしてしまう……というオソロシイ教訓をわたしはこの話を読むことによって骨に刻んだ。

「見よ、気のいい、気まぐれ恐竜たちを」
Lo, the Dear, Draft Dinosaurs! (1983)
陽気な詩。踊る恐竜たち。恐竜讃歌。

「霧笛」
The Fog Horn (1951)
これは他のブラッドベリ短篇集でも読んだことがある。叙情的名作。
濃霧のなかを灯台が霧笛を鳴らして船に合図を送る。その音が、その姿が、海の奥底、深い遠いところで眠っている恐竜をして仲間を思わせ、呼び寄せる……。
なんという発想、なんという哀しくも美しい物語だろうか。

「もしもわたしが、恐竜は死んではいない、と言ったとしたら」
What If I Said: The Dinosaur's Not Dead? (1983)
警句めいた詩。シュール。

「ティラノサウルス・レックス」
Tyrannosaurus Rex (1962)
皮肉たっぷり。映画の作り手側(芸術・職人的立場)と雇い主側(経営的立場)の人間の軋轢と、場を丸く収めるために弁護士が思いついた方策と結果。嘘も方便、というか。
弁護士上手いな、オトナだなとは思うけど、なにか、釈然としない気もする。わかるものには皮肉・批判が伝わる手段が残った形のままであるにも関わらず雇い主がほくほくしているので見事な決着なんだけど、作り手側にどうしても同情してしまうというか、だから雇い主をぎゃふんと言わせるか、白黒ハッキリつけてスッパリ切ってもらったほうが憤懣やるかたない思いにはふんぎりがついたというか。でもそれじゃお金にならないし、社会的にはどうよって話だし、まあ「賢い」んだけどね。

これは当時の新潮文庫のチラシ。

2012/09/30

黒後家蜘蛛の会 1 【再々読】

黒後家蜘蛛の会 1 (創元推理文庫 167-1)
アイザック・アシモフ
東京創元社
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■アイザック・アシモフ 翻訳;池央耿
ブラックユーモアというかピリリとスパイスの効いたミステリー、後に残らないパズラー。12篇。
忘れたころに読みかえす。大きなトリックは無いけど、キャラ立てがきいてて(いちばん目立っているのは「まえがき」と各話毎にある(!)「あとがき」で登場するアシモフなのが面白い。日本の作家はここまで自信過剰になれないよなあ。
ちょっと気の利いた小噺、程度の謎解きなのでたまに「なんじゃそれー」と脱力しないこともないが、気軽に楽しめる。

「会心の笑い」
盗まれたものは何?

「贋物(Phony)のPh」
カンニングはどのように行われたのか?

「実を言えば」
決して嘘を言わない男?

「行け、小さき書物よ」
マッチブックに隠された暗号とは?

「日曜の朝早く」
珍しく殺人事件。

「明白な要素」
超心理学的現象は本当にあるのか?

「指し示す指」
遺産相続をめぐるダイイング・メッセージの謎。

「何国代表?」
狙われているのはミス・どこの国?

「ブロードウェーの子守歌
アパートで聞こえる謎のハンマーの音の正体は?

「ヤンキー・ドゥードゥル都へ行く」
無意識下での言動をもとにスパイを探せ!

「不思議な省略」
“アリスの不思議な省略”とは。

「死角」
情報を流したスパイは誰だ?

2012/09/28

三四郎 【十代からの愛読書】

三四郎 (新潮文庫)
三四郎 (新潮文庫)
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夏目 漱石
新潮社
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■夏目漱石
この作品は1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載されたもので、『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。
文章や描写に噛めば噛むほど味が出るのはどの作品にでも言えることかと思うが、『猫』や『坊っちゃん』、そしてこの『三四郎』は明るくて気楽に読めるのが好きだ。

「三四郎は難しい高嶺の花に恋したもんだなあ」とか「美禰子さんは野々宮さんに惚れてるんだけど相手がクール過ぎるのかね」とか下世話な感想を持ったりする、なんにせよ明治の話だろうが昭和・平成だろうが若い男女の恋愛ということで「基本的なことは変わらんのだなあ」としみじみ思う。美禰子が最後に選ぶ結婚相手とかね……なるほどなあ、女心って難しいなあ、でもわからないでもないなあ、とか。スジだけそのまま昼ドラに出来そうだよなあ。

解説に依れば『三四郎』は『草枕』の系列にあって、漱石はスジどうこうでなく「感じ」を描きたかったということらしい。そう謂われたらそうのような気もするが。でも田舎から出てきた愚直で初心な青年がいきなり都会の洗練された美人に惚れちゃって、そう積極的になれるでもなし、すごくリアルだと思うんだけどなあ。『草枕』みたく浮世離れしてるとか思わなかったけどなあ。

難しいことはわからないが、いま読んでも、何度読んでも面白い小説だと思う。野々宮さんは格好いいよなあ。与次郎はあんまりお金のこととかは信用できないけど基本的に気持ちの良い明るくて親切な良い友だちだなあ。三四郎は美禰子よりよし子さんのほうが合っているような。よし子さん可愛くて素直でさっぱりしててめちゃキュートだなあ。……などと具にもつかないことも考えた。

三四郎のモデルは漱石門下で漱石ラブで有名な小宮豊隆、野々宮さんのモデルはやはり門下で物理学者で作家でもある寺田寅彦、美禰子のモデルは婦人運動家の平塚らいてふ。

ところでどうでもイイ疑問なんだけど、三四郎って名前は長男次男ときて三男に付けそうな名前のような気もするけど文中に兄弟の話はいっさい出てこないしお母さんからの手紙はマメにくるしマメに返事書いてるみたいだし、一人っ子なのかしらね。そして三四郎は後々、郷里の御光さんと結婚したのかしらね。しなかったとしたらずっといろいろ特別に想って羽織り拵えたりしていた御光さんはさぞショックだったろうなあ。

2012/09/25

十月の旅人 【十代からの愛読書】

十月の旅人 (新潮文庫)
十月の旅人 (新潮文庫)
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レイ ブラッドベリ
新潮社
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■レイ・ブラッドベリ 翻訳;伊藤典夫
東逸子さんのカバーイラストが美しい。
中学か高校のときに買って十代に繰り返し読んだ作品集。大人になってからも何度か親しんだ。一番最近読み返したのは2005年5月18日らしい(日記から)。今回7年ぶりに読み返したわけだが、さすがに記憶のひだに染み込んでいる感じがするなあ。本書は既に絶版になって久しい。
翻訳者による解説によれば、「習作時代から円熟期にかけての作品のうち、一九七四年の時点でわが国では短編集に収録されていなかった十編」を1974年(昭和49年)に大和書房から上梓したものが親本。わたしの手元にあるのはそれを昭和62年に新潮文庫から出したものの平成元年版(第4刷)だ。

タイトルの横に原書の発表年、★印は好きな度合い。

「十月のゲーム」 1948 ★★★
ハロウィンの話。妻に対して憎しみしか持てなくなり、しかも我が子すら愛せなくなった男が行った復讐とは……。タッチが明るいのですんなり読めてしまうのだけれど映像化したらグロすぎる。ホラー・サスペンス。でも面白い。

「休日」 1949
火星にひとびとが移住している時代。「花火」ってそういうことか……。一度きりの天体ショー(超ブラック)。これは自然的結末じゃなさそうだよなあ。

「対象」 1948 ★★★
ラベリングすることでそのものになってしまう宇宙生命体。本来はどんな形にも縛られない未確定の存在だったのだが……。「未確定」な生命体が宇宙船でどうこうする文明なんだとしたらもうちょっと対策持ってる筈だと思うけどなあ。あと今気付いたけどこれ、「ドゥーダッド」とネタがかぶってるなあ。こういう話好きだしどっちも面白いので歓迎だが。

「永遠と地球」 1950
トマス・ウルフ(1900-1938)が未来で小説を書いたなら。ウルフはSFのひとじゃないけど未来では宇宙がSFじゃないってことかあ。凄いなあ。

「昼下がりの死」 1946 ★★
血友病患者に迫る殺人の罠。にしてもこの男、無防備すぎ。そしてこの犯人は捕まる気がする。殺人だってばれないわけがない。

「灰の怒り」 1944 ★★
殺された男の一人称語り。なんかむかーしのミステリ・ドラマみたいな雰囲気。

「過ぎ去りし日々」 1947
ひとつの家の歴史、家と老人の思い出が残像ではなく。詩情豊かに。

「ドゥーダッド」 1943 ★★★
「あれ」とか「それ」とか言う代わりに英語圏ではこう言うんだなあ。こんなにあるんだなあ。と昔思ったことを思い出した。「なんとかかんとか」とか「でっぱったやつ」とか「まるっこいやつ」とかそんな感じなのかしら。ドラえもんの道具にありそうな。

「夢魔」 1948
不時着した宇宙飛行士の睡眠中の意識を襲う存在。

「すると岩が叫んだ」 1953
白人支配の世が終わったとき。日本人にはちょっとわかりにくい感覚。2012年でもこうなるのかな?

2012/09/21

ゼラニウムの庭

ゼラニウムの庭 (一般書)
大島真寿美
ポプラ社
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■大島真寿美
 “人は永遠の若さを願うけれど。
  彼女の秘密はあまりにも切ない。”


紀伊國屋からのお知らせメールで発売を知り、タイトルと、あおり文句と、本屋大賞第3位の『ピエタ』後の同一出版社からの新作ということで、発売の翌日たまたま出掛けたショッピングモールや地域の個人書店で探したけれど影も形も無かった。だいたい、その種の本屋では文芸書の取り扱いそのものがホントに少なくなっているのだ。売れないから仕入れられない、たまに来たお客は無いから買えない、という負のスパイラルなのだなと3軒目を無収穫で後にしながら思ったりした、まあ今更な話なんだけど、本屋大賞3位の作家でもそうなのか、やはり1位じゃないとダメなのか。
仕方がないからネット書店で発注。
届いた翌日通勤読書に持って出、往復と帰ってからの家読書であっというまに読了してしまった。面白かった。続きをどんどこ追ってしまって。

不思議な話である。
大島さんの作品はいくつか読んでみたが、『ピエタ』から作風変えたのかな。それまではずっと身近などこにでもいそうな女性や少女の話だったのに(全部読んではいないが作品リストやアラスジから確認出来る)。
今回も、日本の話でこそあるものの、だいぶ変わった設定の物語だ。「あら、わたしもそうよ」なんて共感者はまず存在しない、はず。
終盤まで読んで、ここで終わり?と思ってからもう一段あるのだけれど、そこの部分を読みながらものすごく「ああSFみたいだなあ~」という実感を噛みしめていた。いや、それまでの話も十分奇妙なんだけど、語り手のスタンスというか立場というか、いろいろな違いでね。
とにかく、この部分があって、ぐっと良くなったというか、深みが増した。綺麗なままにしておきたかった、という部分が無くもなかったけど、まあ、生きてりゃいろいろ業があって当然、ってことなのかな。小説だし。

この物語は主人公の家にある「秘密」について書かれたものなんだけど、それが「どうして」なのか、その原因とか理由とか納得のいく説明どころか迷信じみたこじつけすらほぼ書かれないから、なんだかずっと宙ぶらりんな気持ちのまま読んでいくことになり、でも読み終えて考えるに、こんな設定の話にどんな理由を持ってこようがそれは絵空事でしかないわけで、変な因縁とか書いたところで日本昔話の縁起物となにが違うんだ、そんなもの読みたいかっていうと、違うよな。ということだった。

『ピエタ』は他人だけど同じ年頃の同じ施設で育った姉妹みたいな双子みたいなひとたちの話だったけれど、このお話は「正真正銘の」双生児の物語だ。その一生をリアルに想像、というか、お互いの思いとかを想像したりすると壮絶だ。語り手を孫にしたのはまだしも読み手に近い存在であるという点で正解だったように思う。

答えを求めても詮無いとわかっていてもそれでも、「何故?」と思ってしまう、とても引力の強い話で、あと一族と周辺の人間模様とかそういうのも面白かった。
なんにせよ大島さんという作家は、材料はどうあれ、ある程度年齢を経た「女の業」みたいなのを書くのにとっても執念を燃やしておられる方なんだな、ということを強く認識致した次第。