2010/04/17

レディ・ジョーカー 《文庫版》

レディ・ジョーカー〈上〉 (新潮文庫)
高村 薫
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レディ・ジョーカー〈中〉 (新潮文庫)
高村 薫
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レディ・ジョーカー〈下〉 (新潮文庫)
高村 薫
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■高村薫
日曜の夜からぼちぼち読み始めて月曜から通勤往復と昼休みにのめりこむようにして読んで、木曜の眠る前読書で了。いやあ~、面白かった!

最も気になっていた点は改稿の程度だったのだが、「これは別物だな」とまで思わされた『マークスの山』に比べれば全体の雰囲気・空気・流れなど大きく変わったという印象は受けなかった。細かいところは覚えていない箇所もあったり、読んでいて思い出したりだけれども、どちらかというと「同じ話を2回読んでいる」という感覚。

今回は第一章を読み始めるまですかっと記憶から消えていたのに驚いてしまって、布川の娘さんのことをかなり注目して読んだり、前回の感想ではまったく触れていなかった、そもそもこの犯行グループ「レディ・ジョーカー」は社会的にどういう立場のひとびとの寄せ集まりだったかなどにかなり意識的に着目したりして読んでいたのだが何故前回の感想でこれらがぶっ飛んでしまったかは読み進むうちに段々わかってくるというか、つまり実際に犯行が起こされるまでは彼らのことはかなり腰を据えてじっくり書かれているのにも拘わらず、いったん賽が投げられてしまうと、彼らは見事にすうっと舞台の裏側に回ってしまうというか、後は企業・警察・新聞の視点が中心の慌しい濁流がぶわあああっ、と押し寄せてくる、みたいな展開になるからだ。そのスパッとした視点の切り替わりは爽快で、いままで溜めていたものが一気に噴き出すようなスピード感は無茶苦茶面白いしそれに加えていろんな予想外の波紋が広がっていったりしてページを繰る手ももどかしい。しかもラストが合田加納のぶっとびラブ・ストーリーになっちゃうもんで、正直「どこから話せば」状態に陥っちゃうというのがあったのかも知れない。
あと是非書き留めておきたいのは、佳子さんのこと。
彼女のことも、今回かなり気になった。最後のほうで城山社長の身に起きたことを知ったとき、すぐに考えたのは「ああまた佳子さんを苦しめる出来事が増えてしまった」ということだった。彼女が不用意にもらした一言は確かに言ってはならないことだったけれども、でも彼女の育てられ方、環境、その場の状況や年齢を鑑みれば、決して生涯許されないというようなことではなかったと思うのに対して彼女の身にその後どんどん積み重ねられる十字架のなんと過酷なこと……。正直、ここまで因果応報を書かなくても良いのにとちょっと思わないでもないというか、佳子さんに救いの日が訪れる日はないの?これからずっと一生?

☆ ☆ ☆

単行本を読んだときから感想云々以前に強烈に覚えているシーンも勿論あって、「あれ、こんなの書いてなかったな」とか「あの台詞が無いな」とかわかるんだけれどもそれはもちろん、そのほとんどが合田とか加納お義兄さまとかが出ていらっしゃるシーン(爆)。
たとえば、単行本では加納が合田のシャツにアイロンをかけたりするシーンが「君は下手だから」という言い訳に代表されるようなスタンスで思わず「世話女房みたい」と違和感を持ってしまったのだが、文庫ではいつものお義兄さまのスタンスで、同い年のくせに「君はまだまだ青い」的物言いで、すごく自然に読めた。合田の反応も文庫のほうが良いし。あとこの小説で非常に重要となっている合田が加納の想いに気が付くシーンとかも文庫の方がすごく自然。言葉よりも身体で、感覚で先にそれを知るというのが。っていうか合田も欲情してたっていうのがもう全然違ってくるよね……。(事前に加筆された「出すもの」云々の描写には目を疑い思わず3度読み返してしまったがこの「欲情」のくだりを読んでなんか納得。前振りとも逃げ道とも両方解釈可能だとは思うけれども)。
ちょっとだけ引用・比較。

★単行本版
「お帰り」という義兄の声は、空いている六畳間の方から聞こえた。義兄は、洗濯したワイシャツにアイロンをかけているところだった。それを覗いて、合田は「自分でやるのに」と声をかけた。
「肩のところだけ、かけておいてやるよ。君は下手だから」と義兄は返事をした。


★文庫版 
「お帰り」という声が、空いている六畳間のほうから聞こえた。加納は、洗濯した元義弟のワイシャツにアイロンをかけているところで、合田の口からはとっさに「余計なことをするな」という虚しい一言が出た。しかし相手も、十八年もの付き合いの果てはこんなものだというふうで、返ってきたのは「いまの俺からこれを取ったら、文句と説教しか残らん。そっちのほうがいいか?」だった。

☆ ☆ ☆

で、あらためて単行本を開いてあちこち拾い読みしてみたら、合田加納シーンだけでなく全体的に文庫の文章がいかに洗練されているかがよくわかってちょっとびっくりしてしまった。単行本の筆すべりが見えてしまって「ああこれがアルコールを摂取しつつイキオイで書いている感じなのかな……」とも思ったが(根拠はたしか宝島社『高村薫の本』)。
文庫版は人の動き方、言動、描写、すべて小説としてレベルアップしてると思う。すっきりと綺麗。端折ってるとかじゃなくて、贅肉がなく、でも出るべきところはきちんと足されている、ナイスなボディになって再登場、という感じ。

内容的に全然別物ってわけじゃないので、特にこだわりのない方は文庫版だけ読めば充分かな。とはいえ、単行本にしか書かれていない部分を読んだからこその読者の思いというのもあるし、ファン心理としては「冗長上等。全部書いてほしい」というのがあるし。加納さんの弱い面を描いたバージョン(単行本のお義兄さまはあるシーンで泣くけど文庫版ではそこまで己をさらけ出すほど理性を手放してはおられません)、なんか幼げが残っている比較的饒舌な合田(特に最終章)が読みたい方は単行本も併せてどうぞ。

それにしてもあらためて……合田は『照柿』のあの女といい、本作の半田といい、変な人間に入れ込んで危なげな方面にどんどん突っ走っていって本当にしかたのない義弟だねえぇ。

この話のメインが日之出のほかのどの役員でもなく城山社長であったからこそわたしは『レディ・ジョーカー』が大好きでいられたんだなとか(仕事面での鋭さや人間観察の深みに比して色恋ごとに驚くほど鈍いというギャップが微笑ましい)、野崎秘書は今読んでも素敵で可愛いなとか(テンパりのあまりスカートが回ってたくだりで白井副社長がそれを指摘する台詞がユーモラスなものに変わってて面白かった、巧いっ)、ヨウちゃんはなんでかわかんないけどやっぱり希望の星だよなとかあらためてしみじみ、長い読書中にいろいろ考えたり触発された思いを噛み締めつつ。
ほんとにとりとめがない感想で恐縮です。加納祐介最高です(言い逃げ)。