2017/06/24

kindle【50%OFF以上】小説・文芸 フェア

Amazonの電子書籍大幅セールが期間限定:6/23(金)~7/2(日)ではじまっているので取り急ぎお知らせ。

ラインナップをざっくり見ましたが、「砂利が多い」って感じかなあ。たまにイイのが混じってる。
こういうのを吟味して「自分にとってのお買い得」を探す作業もまた楽し。

2017/06/23

旅をする裸の眼

旅をする裸の眼 (講談社文庫)
多和田 葉子
講談社
売り上げランキング: 264,944
kindle版
■多和田葉子
本書は単行本2004年12月刊、文庫版2008年1月刊の電子書籍版。
長篇小説。
といってもkindleで総ページ2787頁だからそんなに長くない。

最初の2行くらいがいきなり一瞬意味が分からなくて、あ、映画観てるのかと理解して、大丈夫だろうかと思って読みはじめたら後はかなり読みやすくて物語の中に比較的スムーズに入っていけた。途中で飽きることもなくて、時々理解が難しいところもあったけれど、最後まで読んで、「これで終わり!?」とちょっとびっくりして確認するように見直してしまった。

最近の翻訳小説は昔のいわゆる「翻訳調」が少なくて、あと村上春樹なんかで日本文学の文体にも変化があったことも影響しているのかもしれないけれど、とりあえず違和感が無い。
それもあってか、本書を読んでいるときに「最近の翻訳調ではない翻訳小説」を読んでいる錯覚に何度も陥った。
これは主人公がベトナム人で、舞台がずっと外国だからということが大きいのだろうが、多和田葉子がドイツに住んでいることやその作風も結構影響しているのかも知れない。

わたしは映画を全然知らないので、本書の章ごとに出てくる映画や主人公が「あなた」と呼びかける女優が実在の人物であるということに気付いたのは本書も随分後のほうになってからだった。
第六章で「シェルブールの雨傘」というワードが出てきて、さすがに超々有名作品だから題名くらいは知っている(観たことは無い)。ここまで「(著者は)小説の筋だけでなく映画の筋まで考えないといけないとはなかなか大変な作品だな」「でもひょっとしてこんだけ出てくるってことは実際にあるのかなモデルとか」と間抜けにも考えていたのがこれで氷解。
章タイトルごとに年号があって横文字が(英語のときもフランス語?のときもあってその後にまた年号がある、これは何かなあ、年号どうしの関係は?)とか考えつつとりあえずその問題は横にやって読んでいたのも「実在の映画である」とわかって解決。映画のタイトルと、発表年度だ!(ああ間抜けすぎる…)。
映画音痴なので映画タイトルを示されても女優さんのフルネームが本書には出て来ないので、読後、ネットで検索して初めて「カトリーヌ・ドヌーブ」という名前がわかった。名前・写真を見ても知らないひとだった(すみません、わたしが俳優女優を知らなさ過ぎるんです)。

なんでこんなふうにわざわざ己の無知を晒すのかというと別に無恥なわけではなくて、「このように、わたしのごとく映画の事を知らない人間にもこの小説は面白く読むことが出来た」と伝えたいからである。フランス語を解さない主人公がフランス語の映画を愛してやまなかったように、「作品」には個々のそのときなりの愉しみ方がある。

主人公はベトナム・サイゴンに住む高校生の少女。
彼女はロシア語の弁論大会で発表するために東ベルリンに派遣される。そこで知り合った青年にお酒をすすめられ、気が付くと西ドイツのボーフムのアパートに連れ去られていた。相手の隙を見てサイゴンに戻ろうとしてソ連行きの列車に乗り込んだまではよかったが、ソ連行と思ったその列車はパリ行きだった…。

主人公はこの物語の中で2回ほど名乗るが両方偽名で、本名は最後まで出て来ない。まずこれが変わっているし、ひとつのポイントのような気もする。

彼女の頭の中はバリバリの社会主義・共産主義で。
時代は物語が始まったころは1988年で、まだ東ドイツがあった。ベルリンの壁が崩壊していなかった。

言葉もわからない、お金も無い少女がパリに行ってどうなるんだろうと危ぶんでいたのだが、結論から言うと、この少女はいろいろ運が良い(?)というのか、なんのかんので助けてくれるひとに会ってとりあえず食べ物や眠る場所には不自由しないで生き繋いでいく。安定したかと思うとまたもや…という繰り返しもある。

列車の中で偶然出会った同郷人にお金を貸してもらい、パリの街をさまようが言葉がわからないのにどうするんだろうと思っていたら辻に立つ娼婦を「宿所に案内してくれるひと」と誤解したりして、その娼婦(マリー。マリーという名前は結構重要。というかカトリーヌ・ドヌーブが演じる名前だから主人公の頭の中で意識される。)の家にしばらく住ませてもらったり。後半では同郷人の医師と出会って彼の家に住むことになってなんとプロポーズされるんだけど(一緒に映画を観に行く仲になったシャルルは良いのか!?シャルルの事が好きだったんじゃないのか!?)、要するに不法入国だからパスポートはあってもビザが無い。ここでこの話に初めて日本人が(伝聞で)出てくるがなんと闇パスポートを手配するとかいう怪しい人物。……。

主人公が映画に出てくる女優に頭の中の空想で「あなた」と呼びかけ、その女優の出てくる映画を見つけては見、ときには何十回と繰り返して見に映画館に通う。
何故主人公が最初から彼女を「あなた」と特別視するのかは特に書かれていないので想像するしかないのだが、まあ、惹かれた、ってことなんでしょうか。
映画を観ると言ってもパリで見るのだからフランス語の映画で、彼女はフランス語を理解しないのである。だから全部映像だけで推測している。

この話で描かれる映画は実際の映画だけれども、彼女の想像した映画の筋なので、実際の映画とは違っているのかも知れない(元の映画を知っているひととわたしでは本書の読み方が全然違ったものになるということでもある)。
まあだからと云ってこの本に出てくる映画全部観るとなると大変だしなあ。文庫には「解説」が付いているらしいからそれを読めば何らかの助けにはなったのかもだけど電子版では割愛されてるからなあ。

しかし主人公の映画、というかカトリーヌ・ドヌーブが演じる役柄たちに対する思いの揺るがなさ、その真摯さには目を見張り、こちらの心を動かす純粋でとても強い「何か」がある。「何か」とはやはり映画の心みたいなものか。ひとがひとに伝えようとする何か大切なもの。
おそらくこの小説の「肝」はそこにあると思う。

主人公はベトナムでは成績優秀だったと(自己申告だが)書いてあってだから東ドイツに行く生徒として選ばれた。だけど外国で一人で知り合ったばかりの青年の前でウォッカをがばがば飲んだり、妊娠しているのに生理がくることに疑問を感じなかったり、子どもが何カ月で生まれるかを知らなかったり、いろいろ知らないことが多すぎてとても賢い女の子とは思えない。これは社会主義・共産圏の女子生徒は性の教育を受けていないということなのだろうか。ある種のプロパガンダに染まった十代少女の危うさや頑なさは本書のあちこちで表現されている。彼女自身はその「違和感」に気付かない。

目次
第一章 1998 Repulsion 1965
第二章 1989 Zig Zig 1974
第三章 1990 Tristana 1970
第四章 1991 The Hunger 1983
第五章 1992 ndochine 1992
第六章 1993 Drôle d'endroit pour une rencontre 1988
第七章 1994 Belle de jour 1966
第八章 1995 Si c'était à refaire 1976
第九章 1996 Les Voleurs 1996
第十章 1997 Le dernier métro 1980
第十一章 1998 Place Vendôme 1998
第十二章 1999 Est-Ouest 1999
第十三章 2000 Dancer In The Dark 2000

2017/06/19

献灯使

献灯使
献灯使
posted with amazlet at 17.06.19
多和田 葉子
講談社
売り上げランキング: 271,402
kindle版
■多和田葉子
多和田葉子をまとめて読んでみよう週間を極私的に行う手始めとして短篇集『ゴットハルト鉄道』(1996年5月講談社刊/2005年4月講談社文芸文庫)の表題作と「隅田川の皺男」を読んでみたのだがあんまり理解できなくてとりあえず「昔の純文学って感じがする」とは思った、のでこれはまた後日多和田さんにもう少し馴染んでから再チャレンジするとして、近著の本作を読んでみることにした。『ゴットハルト』よりは随分読みやすくわかりやすかった気がする。

2014年10月単行本刊。初出は以下のとおり。
「献灯使」:「群像」2014年8月号
「韋駄天どこまでも」:「群像」2014年2月号
「不死の島」:『それでも三月は、また』講談社2012年
「彼岸」:「早稲田文学」2014年秋号
「動物たちのバベル」:「すばる」2013年8月号

中身について何も知らないでただ表紙のハシビロコウが良いなー、タイトルも「遣唐使」の音を「献灯使」とするなんてなんだか慎ましやかで深い物語が眠ってそうで良いなー、くらいの軽いノリで購入したのだけれど、途中くらいで「あれっこれってなんだかここ数年の日本のありかたみたいなのにモノ申してる?」とか気付きはじめ、Amazonの商品紹介文を見てみたら【原発事故後のいつかの「日本」を描いたデストピア文学の傑作!未曾有の“超現実”近未来小説集。】とか書いてあって、「あ、そういうこと…」そういう目で読むとああそういうことを云いたいのね、というのがどんどん強調されて目の前に流れてくる。
表題作「献灯使」はわりとそれが昇華されていて「物語」っぽさが強いんだけど、短篇のほうが結構露骨に書いてあったりする。最後まで読んで初出が表題作はけっこう後というのを見て成程なあと。

リアルに描いているだけじゃなくてところどころに言葉遊びみたいなのが混じってて、ユーモラスな表現が有ったり、ひょっと視点をずらしてあったりして、どこにどう転がるのか……先が読めなくてずいずい活字を追ってしまう面白さもある。
近未来の日本が舞台で、鎖国してて、外国の言葉を使うと罰せられる、とか江戸時代の鎖国よりもむしろ太平洋戦争の時のことを連想して不穏極まりないんだけど、でも何故かあんまりそういう「恐怖」みたいなのは書かれていない。むしろいろいろカタカナに漢字をあてて言葉遊びみたいになっていて次は何が来るだろうと面白く読んでしまう。
「主人公の義郎は百歳を越えているんだけどこの時代の日本においては若者が(おそらく環境の悪化のせいで)極端に弱体化しており、老人は「死ななく(または死ねなく)」なっていて、元気で、第一線の働き手。義郎も曾孫の「無名(という名前)」を助け、無名のことをいつも考えて生きていて、その弱さ脆さを心配し、胸を痛めている日々。しかし物語の調子は何故かどこか飄々としていて、それは当の無名が明るく無邪気で嬉しいことがあると「極楽!」と飛び跳ねていたりするからだと思う。
終盤でいきなり15歳に話が飛んでちょっとびっくりしたけどまあ元気で良かった。この「献灯使」はレイ・ブラッドベリ『ウは宇宙船のウ』の主人公みたいだなあと最後の方を読んで感じた。無名君には是非元気で長生きしてほしい。

本書は5つの話が入っているけれども、いずれもテーマが共通しており、連作とは違うだろうが、併せて読むことでいろいろ積み重なってくるものがある。
長さが結構違って、表題作の「献灯使」は中篇でこれだけで全体の62%を占める。残りの4割で4つの短篇。

韋駄天どこまでも」では震災の日の描写が出てくるし(漢字の部分を分解して言葉遊びみたいなのとか、登場人物の名前の漢字で遊ぶとかはブンガクしてて面白い、それとリアルな災害の描写と、主人公のもうひとりの女性への依存の気持ち悪い感じが混ざっているのが独特の雰囲気になっている)。
そこへきて「不死の島」だからもうタイトルからして「よし、そうきたか」と身構えて読んでみるといきなり冒頭からかなり衝撃的なことが書いてあって、これ本当? と一瞬思ってガクガク震えながら読み進むと「似てるけど、違う近未来の話」だとわかってちょっとだけ肩の力を抜く、だけど、だけど、現実にこういう展開にこれから先を考えるとならないとは言い切れなくて、やっぱり恐ろしい。
彼岸」に至ってはあまりの暗い突き放した展開に息を詰めて、うーん、これか、これが「ディストピア」ってことか。現実には某国が我が国の難民を快く引き受けてくれるとはとても、想像上ですら出来ないんだけど…。
動物たちのバベル」は戯曲のような作り。イヌとネコとリスとキツネとウサギとクマが出てくる。人間が滅んだあとの世界の設定。と思っていたら最後の方で生き残りが一人だけ出てくるんだけど発言は一切なし。とりあえず「人間ってどうしようもなくてごめんなさい」って云わせたいのかなあってことを動物たちが延々喋ってるんだけどでもちょっと変なことも言ってて、だから「そのまんまな話」じゃないのかな。そもそも動物だけど「人間が演じている」っていうのをわざわざ強調してあるト書きとか、これってつまり人間の話ってことでしょう。バベルの塔の話も人間の話だし、どっちにしろ、愚か。「なにも成長していない…by安西先生@スラムダンク」ってコトでしょうか。
難しーなー。
難しいけど、いっぺん読んだだけだとやっぱり消化不良だけど、この小説、この小説って多和田さん、日本に震災前も震災後もずっと住んでて日本のテレビとか観ててあの空気とか世論とか知っててそれでも書けますかねこんな話。ドイツに住んでて、そりゃ日本の福島とかも訪れて取材はしたみたいだけど、たとえば日本国の象徴の方たちが「大震災に備えて、という名目で」京都御所に移住、とかいやー……どうしてこんなことが書けるかなあ。

よくわからないので読了後ネットで著者の本作についての記事をいくつか見てみたが、ドイツでは「どうして逃げないのか」という疑問が一番多かったとか書いてある。日本の報道に問題があるってことかなあ。日本の社会とか。ドイツの人は例えばドイツで同じことが起きたら余所へ逃げるのだろうか。

講談社BOOK倶楽部/献灯使 多和田葉子
『献灯使』をめぐって(現代ビジネス)

2017/06/18

ミステリ国の人々

ミステリ国の人々
ミステリ国の人々
posted with amazlet at 17.06.18
有栖川 有栖
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 26,584
■有栖川有栖
本書は日本経済新聞朝刊に2016年1月3日から12月25日まで連載されたエッセイ集である。2017年5月11日刊。

古今東西いろんなミステリ(本格ミステリ中心なので「ミステリー」ではなく「ミステリ」なのだ)の登場人物を軸に、未読の人にも既読の人にも楽しめる作品紹介となっている。エッセイだけど、書評でもあり、ミステリ入門書にもなっている。
基本的に物故作家の作品というくくりはあり。1回だけ例外あり。また、英米の作品が多い。
理屈っぽさは無く、読みやすいので気軽に楽しめる。未読本が溜まる一方なので休日にイッキに読んでしまったが、眠る前などに1つ1つ読んでも楽しめるだろう。面白かった。掲載誌がミステリー専門誌とかじゃなくて新聞で一般読者向けっていうのもあるんだろうな。

最近はあんまり読まなくなったが小学校5年のときに学校の図書室でポプラ社文庫の児童向けに書かれたシャーロック・ホームズ・シリーズにハマったのを最初として(ホームズに関しては高校生のときに新潮文庫で完全版を読み直して以降何度となく読み、聖典以外にも手を出したけどシャーロキアンってほどでもない)、以降十代、二十代、三十代と本格ミステリだけに限らずミステリーにはそこそこ親しんできた。しかし本書を読むとまだ未読の作品もあったどころか、「へえ、そんな作品があったのか」と存在自体を初めて知ったものもあり、まだまだだなあ、ミステリーの海は広いなあ、と思う。物故作家の作品中心だから現役のミステリ作家も加えたらもうどれだけ……ってなる。「本格」縛りでこれだからなあ。後で気になった作品をチェックしなくっちゃ。

もうひとつ云うと、ミステリそのものも好きだけど、それにまつわるエッセイとか書評とかベスト100とかの類も大好きなんで、本屋さんでこれを見つけたときは「なんて楽しい企画なんだ」とテンションが一気に上がる感じだった。有栖川さんの著作は大昔に『月光ゲーム』『幽霊刑事』あとはアンソロジーに入っていた短篇を読んだくらいで、あんまり読んでいないんだけど。

まあ、実際読んでみたら「ミステリ国の人々」という定義にはイマイチ迫りきれていない感がなきにしもあらずな気がしないでもないのだけれども(歯切れ悪いなあ)、でも言いたいことはわかる。早い話が、本格ミステリに出てくるある種の登場人物たちは、たとえば社会派ミステリーなんかに投入すると確実に「浮く」だろうからだ。

エッセイだけど有栖川さんの日常生活・身辺雑記などはほぼ出てこなくて「なんでこれ書評集じゃなくてエッセイって帯に書いてあるのかなあ」とちょっと思うがとりあえず著者のすごく謙虚なお人柄が伝わってくる本でもあった。

毎回挿絵があるが、それはモノクロだが、表紙カバーにカラーで載っていて、中身をずっとモノクロで眺めた後にあらためてカラーイラストを見ると「そうかこういう色だったのか」と思う。ちなみに装幀・装画・挿絵:大路浩実。ちょっと真鍋博っぽくて、毎回新鮮な味わいがあって良かった。

【目次】には取り上げられている登場人物(キャラクター)の名前と、作者名、登場する作品名なども書かれているが、ここでは登場人物名だけに省略させていただく。登場人物名だけを見ただけで「あの作家の、あの作品ね」などとすぐ浮かんでくるものもあれば、その作品を既読でもキャラの名前までは覚えていないこともあったりする。それは紹介されるのが主人公やメインキャラとは限らないからであり、「何故、有栖川さんはこのキャラに注目したのか」という読み方も楽しめる。

 【目次
はじめに
ヴァン・ダイン/シャーロック・ホームズ/松下研三/明智文代/スコット・ヘンダーソン/アリス/金田一耕助/三原紀一/黒後家蜘蛛の会/サッカレイ・フィン/柳川とし子/八坂刑事/ユーニス・パーチマン/ヘンリー・ポジオリ/杉戸八重/正木敬之/コーデリア・グレイ/ニック・ヴェルヴェット/亜愛一郎/三角形の顔をした老婦人/ヒュー・ベリンガー/ブロンクスのママ/苑田岳葉/蓮丈那智/ミ/アルセーヌ・ルパン/鬼貫警部/半七/ギデオン・フェル博士/ドートマンダー/仁木兄妹/バキリ/トム・リプリー/オッターモール氏/藤枝真太郎/おしの/イライジャ・ベイリ/ルーフォック・オルメス/門外不出の弦楽四重奏団/砂絵師のセンセー/ディー判事/ジーヴス/蝿男/紫式部/リュウ・アーチャー/アン・デイ/QAZ/五十円玉両替男/テナント少佐/エラリー・クイーン/菜々村久生/ポアロ&ミス・マープル
あとがき

ミステリ国の住所録・各エッセイ文末に作家案内(編集部作成)